もういちど帆船の森へ 【第40話】 抗い難く心惹かれる / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦ポリネシアやミクロネシア地域には、いまでも数千年前から伝わっているスターナビゲーションという自然と対話する航海術が残っています。何日もかかる遠い島まで、太陽や星、海流や渡り鳥、そんな身の回りの自然だけを頼りに船を進めるのです。どうして、そうまでして海を渡るのでしょうか? 陸に人が満ちてから海を越えられる
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第40話   抗い難く心惹かれる

                   TEXT :  田中 稔彦                      


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 ヨットは環境にやさしいのか?

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先月、ニューヨークで開催された「国連気候変動サミット」で16歳の活動家グレタ・トゥンベリさんが演説したことが話題になっています。

これについてはいろいろな考え方があると思いますので、個人的な意見を表明するのはやめておきますが、お互いが尊敬と想像力を持った上で、それぞれの考えを話し合うキッカケになると素敵だと思っています。

それはさておき、彼女は環境負荷を軽減するために「飛行機は利用しない」というポリシーがあるそうです。そのためヨーロッパからアメリカへ向かうのにヨットを使いました。

記事の中では「ヨットは時速70kmで航行可能」って書いてあるのですが、ヨットってそんなにスピードが出るの?って疑問に思うひともいるのではないでしょうか。ぼくもちょっと引っかかって船の写真を見たのですが、こいつならそれくらい出せるのかもしれません。

ヨットを作る技術はここ20年くらいで大きく進歩というか方向性が変わって、最新の船はものすごくスピードが出せるようになりました。「海のF1」と呼ばれるヨットレース、アメリカスカップは名前くらいは聞いたことがある人も多いと思いますが、レース中の船の平均速度はここ15年で3倍近くになって、いまでは時速90kmを超えています。

素材が進化し、風を捉える構造を変え、センサーやカメラといったハイテク装備を備え。普通の人がイメージする「ヨットレース」とはまるで違うもの。それが近年のアメリカスカップなのです。そのあたりに興味が湧いた方はこちらの記事をどうぞ。

まあすべてのヨットがハイテク高速仕様というわけではいのですが、グレタさんの乗ったヨットは写真で見る限り、レース仕様のハイテク挺に近い構造のように見えます。最高速時速70kmというスピードも普通のヨットの倍以上あるのでかなり現代的な船ということができるでしょう。

さて、グレタさんはヨーロッパからアメリカへの移動にさいして、環境負荷を考えて飛行機ではなくヨットを選んだのですが、そもそもヨットという乗り物は本当に環境に優しいのでしょうか?

木造の船体、帆布で作られたセイル、自然素材のロープ。そんな船ならば、確かに「自然に優しい」と言えるかもしれません。でもいまでは、ほとんどの船のボディーはFRP(繊維強化プラスチック)だし、セイルもロープも化学繊維。

航海が始まれば、数週間船に積み込んだものだけで暮らさなくてはなりません。食料や飲料水を始め、生活に必要な細々としたものや設備、それを動かすためのエネルギーも必要。

帆船に乗り始めたころ、たまたま海上保安官さんと話す機会があって、

「海っていうのは、人間が暮らす場所じゃないですからね」

と言われたことがありました。

そのときには全くピンと来ませんでしたが、何度も海に出るうちに、人が暮らすために必要な一式を船に積み込んで海に出る、確かにそれは考えようによっては、とても不自然で無理のある行為だなと思うようになったのです。

 

 

 帆船乗りは自由なのか?

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先日「帆船乗りのように自由になろう」みたいなコピーを見かけて、帆船乗りって自由なもんだろうかとふと考え込んでしまいました。

乗り物としての帆船は、風の力で走ります。もちろん、現代の船にはもれなくエンジンも搭載されていますが、あくまでも補助動力なので、同じサイズの普通の船と比べるとたいていはずっと小さな馬力のもの。基本的には風に頼って走ります。

当たり前ですが、風がなければこれっぽっちも動くことはできません。多少ならば風上に向かって進むこともできますが、スピードもあまりでないし船の操作も難しくなります。操作を間違えれば、あっさりと風下に向かって流されたりすることだってあります。

ぼく自身、帆船レースに出場したときに丸3日の間向かい風にぶち当たり、なんとか前に進もうともがいたものの後ろに戻されないようにするのが精一杯で、全く前に進めなかったことがあります。そういう意味で、乗り物としての帆船やそれを扱う帆船乗りが自由だとはぼくにはあまり思えません。

帆船は、帆に風を受けて走ります。いっそうの帆船で多いものでは、30枚ほどの帆を持っています。これも船のサイズにもよるのですが、この帆、セイルはひとりやふたりでは張ることがでません。

一隻の船を動かすためには、たくさんの風を掴むことが必要。なので船そのものの大きさと比べて、セイルはどうしても大きくなります。ぼくがお手伝いしている「みらいへ」という帆船の一番大きなセイルは、畳40枚位のサイズ。取り外した状態でも、大人4,5人がかりでやっと運べるような代物。ましてやマストにセイルを掲げるには、かなりの人数が必要です。

また帆を上げるには、何本ものロープを操作しなくてはいけません。その時の風の向きや強さに合わせて、正しいロープを正しい手順で操作しないとうまく張ることはできません。「帆を張る」という基本の行動ひとつとってみても、帆船はとても不自由です。

では船で暮らす、船で働くとはどういうものなのでしょうか? 自由大学で「みんなの航海術」という講義を作っているときに、運営の人から「帆船の動かし方とティール組織みたいな新しい組織論と組みあわせられないか?」と聞かれたことがありました。

実のところ船の組織は、船長を中心とした完全な縦型組織です。そこには新しさや自由さは全くありません。すべての乗組員に職位があって、意思決定は常に職位の高い人の判断が優先されます。なので最終的にはすべての判断は、そして責任も、船長に集約されます。

船の運行などの業務上の判断だけではなくて、船内での日常生活にもこの組織としての意思決定プロセスは影響します。船は、一度乗ってしまうと降りることはできません。同じメンバーで限定的な空間での生活なので、仕事とプライベートの切り分けがとても難しい場所なのです。

いいメンバーで航海できればいいのですが、相性が合わないひとと船に乗ることになってしまうとかなりのストレスになってしまいます。そういう意味で、船での暮らしは決して自由なものではありません。

 

 

 それでも海に出るわけは

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にも関わらず、人は海にでます。
ぼくにはそれが不思議でなりません。

少し想像してみてください。
遠い昔、まだ海を渡る技術が発達する前のこと。
沖合に島が見えているとして、そこまで船で渡るということを。
小さな丸木舟や何本かの丸太をロープで結わえただけのイカダだけに身を委ねて海を越えるときに、なにを感じるかということを。

ポリネシアやミクロネシア地域には、いまでも数千年前から伝わっているスターナビゲーションという自然と対話する航海術が残っています。何日もかかる遠い島まで、太陽や星、海流や渡り鳥、そんな身の回りの自然だけを頼りに船を進めるのです。

どうして、そうまでして海を渡るのでしょうか?

人類の起源は、20万年前のアフリカだと言われています。アフリカからユーラシア、そして当時は地続きだったアメリカへと人類はその住処を広げていきました。1万3000年ほど前に、オーストラリアや南米といった陸地でつながっているほぼすべての場所に、人類はたどり着きました。

けれどその先、海を越えてしかたどり着くことのできないポリネシアやミクロネシア(そしてニュージーランド)に人類が移り住んだのは、3,000年ほど前だと言われています。人類の歴史からすると、つい最近。

陸に人が満ちてから海を越えられるようになるまでに、一万年の時間がかかっています。多分その間に少しずつ少しずつ、海を越える力が蓄えられていったのだと思います。

なぜわざわざ海に出たのでしょうか? ツラい航海を重ねて、その先になにがあるのかも分からない海に向かって。

その答えはぼくにも分かりません。

現代でも、仕事ではないのにヨットやボートで海に出る人は大勢います。船は安い買い物でもないし、維持費だってかかりますし、メンテナンスの手間も大変です。

どうして、そうまでして海にでるんだろう。

ふと(自分自身の行動も含めて)疑問を感じることはよくあります。
もしかすると、魂に刷り込まれているのかもしれません。
「人間が暮らす場所ではない」海に、抗い難く心惹かれるようにと。

 

帆船田中稔彦

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 
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第26話 あなたの帆船 (2018.8.10) 
第27話 15時間の航海(2018.9.10) 
第28話 その先を探す航海(2018.10.10) 
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第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
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第33話 問われる想い(2019.3.10)
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第37
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 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
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(2015.5.15)
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(2015.6.15)
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TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。