もういちど帆船の森へ 【第35話】 心の火が消えることさえなければ / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦情熱は育てることができます。仕事でも恋愛でも趣味でも、最初から強い興味や愛情を感じたわけではなくても、時間が経てば直感的に自分に合うと感じた対象への情熱と同じようなレベルにまでたどり着くことができる。最近感じている違和感は、新しい出会いを求める人びとが、その根拠を直感や第一印象に求めすぎること
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第35話   心の火が消えることさえなければ

                   TEXT :  田中 稔彦                      


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 好きなことは最初から好きだったわけではなくて

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先日、20年ほど前に参加した大西洋横断帆船レースについてのトークイベントを開催しました。告知が2週間前と十分な時間がなかったにもかかわらず、10人ほどの方が参加してくださいましたし、これまで面識のなかったかたにも来ていただけました。

ぼくはいま演劇の世界で舞台照明家として主に収入を得ています。そしてこれからは船に関わる活動でも収入を増やしていきたいと模索しています。演劇や舞台芸術は好きでそこで働けることはとてもラッキーだと思っていますし、もうひとつの好きなことの帆船や船のジャンルでも細々とですが活動を続けられているのも恵まれていると感じます。

そんなぼくに「好きなものや情熱を傾けられるものに出会えて羨ましい」と言う人が時々います。好きなことをやって生きるにはそれなりのデメリットもあるので、それほど羨ましがられることもないと自分では思っていますが、日常に物足りなさを感じる人からは楽しそうに見えるのだろうなあとは思います。

ただ、まったくの偶然に舞台や帆船と出会ったわけではありませんし、初めからこれが自分にピッタリと合うものだとも思っていませんでした。そのあたりのことは羨ましいと言われるたびにモヤっと感じることもありました。

ただ、なんとなくうまく言語化できてないままだったのですが、最近そのモヤモヤについて書かれている記事を目にしました。

 

 

 

 情熱は育てる?

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少し表現が硬くて読みにくいかもしれないのですが、統計データなども引用して「情熱は育てることができる」ということを論じています。仕事でも恋愛でも趣味でも、最初から強い興味や愛情を感じたわけではなくても、時間が経てば直感的に自分に合うと感じた対象への情熱と同じようなレベルにまでたどり着くことができるというものです。

最近感じている違和感は、新しい出会いを求める人びとが、その根拠を直感や第一印象に求めすぎることでした。直感に従うことは決して悪いわけではありませんし、それで道が開けた人もたくさんいます。

でも、それだけが正解だと思いこんでしまうことには、一抹の危うさも感じます。恋愛と同じで、直感を信じてトライ&エラーを繰り返して前に進めばいいのですが、直感だけを信じて人生の大きな決断をしてしまうことのリスクもあることは知っておいたほうがいいのではないでしょうか。

またこの文章のなかでは「情熱を探す」ことの悪影響についても書かれています。
「自分にぴったり合う情熱があるはずだ」という思い込みの強い人には、

・実際に困難やチャレンジングなことが起こると、容易に興味を失ってしまう
・コンフォートゾーンから抜け出て新しい何かに挑戦することを諦める
・短期的な喜びを重視しがちで、長期にわたる成長や開発の機会を犠牲にする

という傾向が見られるとのこと。

なんとなく思い当たるケースがよくあるような気がします。

 

 

 

 運命の出会いなんてなかったけど

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じゃあお前はどうなんだと言われるかもしれません。
実のところ、「舞台」も「帆船」も、最初から好きだったわけではないのです。

ぼくが職業として舞台照明家になることを決めたのは、大学5年生のときです。1年生の頃からサークルとして学生劇団や音楽サークルの照明に関わりましたが、それまでは演劇やコンサートを見たことはほとんどありませんでした。3年生の頃からはプロの照明会社からも仕事を貰えるようになり、武道館や横浜アリーナみたいな大きなイベントにも呼ばれて、そのギャラだけで生活できるようになっていました。

実は、自分から強く照明の仕事でお金を稼げるようになりたいと望んでいたわけではなく、「周りの人に誘われたり紹介されたりを繰り返すうちに、いつの間にかそうなっていた」というのが正直なところです。

また高校時代のぼくは文章を書くことに興味があり、大学に入ってからも活動を続けていました。しかし、元々、人付き合いが苦手な自分が「文章を書く」という個人でできる活動に力を注ぐと人間としてダメになってしまうのではという危機感があり、あえて苦手な集団創作である演劇の世界に身を置いていたのです。

帆船についても、元々は特別な興味は持っていませんでした。帆船に乗ってみようと思ったのは、仕事が忙しすぎて、毎日劇場で過ごす生活から「なんでもいいからできるだけ遠くへ行きたい」と思っただけでした。だから正直なところ、なんでもよかったのです。

初めての航海が楽しかったのは確かですが、本当に好きになったのはボランティアクルーとしてお手伝いするようになってからのことですし、決定的に大事なものになったのは4年近く経って海外の帆船イベントを見たときからでした。

20代から30過ぎくらいまでの間に、好きだったものや興味を惹かれたものはたくさんありました。一時的に、もっとエネルギーを注いだものも。

逆に、舞台照明の世界でながく働き続けるなんて、ちっとも思っていませんでした。
小さくても心の火が消えることさえなければ、遠くまでたどりつけるのです。

情熱に身を委ねることはいいことです。
でも、それにこだわりつづけないで。
運命の出会いがなくても、あせることはなくて。
選んだものに失敗したときに傷つく必要なんてない。
ときには顔を上げて、少し遠くを眺めてみればいい。
生きるなんてそんなもんです。

 

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 
第25話 ロストテクノロジー(2018.7.10) 
第26話 あなたの帆船 (2018.8.10) 
第27話 15時間の航海(2018.9.10) 
第28話 その先を探す航海(2018.10.10) 
第29話 過程を旅する(2018.11.10) 
第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
第32話 語学留学とセイルトレーニングは似ている?(2019.2.10) 
第33話 問われる想い(2019.3.10)
第34話 教えない、暮らすように(2019.4.10)

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。