TOOLS 39 愛する伝統文化を守る方法 / 田中 稔彦( 海図を背負った旅人 )

海以外にも、見えないコミュニティーはたくさんあるのではないかとぼくは思います。その誰かが取り仕切るわけではなく、キチンとした組織があるわけでもない。愛情や情熱を持った人たちが造り上げて、維持し続ける、そんなゆるやかなコミュニティーが。
TOOLS 39

愛する伝統文化を守る方法 – 減っていく帆船をどのように残すか –
田中 稔彦  ( 海図を背負った旅人 )

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自由に生きるために
受け継いだバトンを、自らのアクションで次へ渡そう

 

今年、2015年は世界的なあるイベントが開かれる年なんですがご存知ですか? オリンピックじゃないしワールドカップでもないし…。

帆船界のカレンダーでは2015年は「セイル・アムステルダム 2015 」の年です。セイル・アムステルダムは5年に1度、オランダで開催される、世界最大規模の帆船イベントです。ヨーロッパやアメリカを始め世界各地から帆船が集まります。

 

 帆船(はんせん)とは、帆を張り風の力で走る船のこと

 

5年に1度のアムステルダム帆船祭り
海で暮らす人」として成長する
文化とシステムが欧米にはあるのです

 

ちなみにぼくは2000年のこのイベントに帆船「あこがれ」のクルーとして参加しています。その時はカナダからスタートした大西洋横断帆船レースに参加し、ゴールの後そのままこのセイル・アムステルダムに合流しました。(ちなみにその時の航海記「帆船の森にたどりつくまで」はこちらで読むことができます)

レースに参加していた大型、中型の帆船だけでも34隻。それにアムステルダムで合流した船もあり、10人ぐらいしか乗れないような小型の船までいれると何隻の船が参加しているのかすらよくわからないくらい規模の大きなイベントでした。

Sail Amsterdam 2010

Sail Amsterdam 2010

 

実は大西洋を中心とした北米、ヨーロッパでは夏になると毎年、こうした帆船のレースやイベントが行われています。ある港町で帆船が集まってイベントが行われて次の港までレース。これを4,5カ所の港で続けて行います。全部の会期に参加する船もあればその一部だけにやってくる船もいます。レースには参加せずに地元の港でのイベントだけに参加する船もいます。7月の中頃から8月の終わりまでの一ヶ月半ほど、北大西洋を中心とした海は帆船の海でもあるのです。もともとその辺りではマリンレジャーが盛んです。夏になると個人で所有しているクルーザーヨットで港から港へ航海する人もたくさんいます。

ヨーロッパでは「ヨットのヒッチハイク」なども盛んだと聞きます。マリーナを歩いていて出航準備をしている船を見つけると、オーナーから航海の予定を聞きだし、クルーとして下働きする代わりに次の港まで船に乗せてもらうというものです。若くてお金のない人がそうやって船に乗りながら航海スキルを磨いて、あちこちの海や港を巡る。海で暮らす人として成長するためのシステムが欧米には当たり前に存在しているのです。

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なぜ今も帆船が残り続けるのか?
主な理由は体験教育プログラム

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ところで、ORDINARYには帆船の話を何度か書かせていただいてますが、先日発行人の深井さんから「そもそも何のために帆船に乗ってるんですか? 」という根本的な問いかけをいただきましたので今回はそのあたりについて少し書いてみたいと思います。

まず200~300人くらい乗れるような大型の帆船ですが、そのほとんどは海軍や商船学校などの練習船です。海軍の士官や職業船員を目指す人たちの育成期間に、数ヶ月程度の帆船での乗船プログラムが組み込まれているのです。

こういう公式な教育プログラムを担う帆船は世界中にあります。ヨーロッパでも多くの国が行っていますし、アメリカでもコーストガードは大型練習帆船を持っています。南米だとチリやコロンビア、アルゼンチンなど。ほかにもトルコやインドネシア、珍しいところでは中東の国オマーンでも帆船を船員教育に利用しています。日本でも日本丸、海王丸という二隻の帆船が運用されています。

乗組員が50人以下の中型、小型の帆船もたくさんあります。そういう船のほとんどは民間の団体が持っています。そしてほとんどはセイルトレーニングという帆船の体験航海プログラムを行っています。

大型の帆船は軍や学校に所属している人だけしか乗船できません。一方、民間が運用している船の多くは、一般の人を対象にしています。行っているプログラムの内容によっては、年齢などが制限されているものもありますが、基本的には経験などに関わらず誰でも帆船で航海することができるのです。

民間のセイルトレーニングシップのほとんどは、北米、ヨーロッパ、そしてオーストラリアとニュージーランドをベースに活動しています。いずれも歴史的にも海との関わりが深く、今でもマリンレジャーが盛んな国がほとんどです。

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しかし時代の流れか
活動停止の憂き目に
みんなが愛した帆船「あこがれ」

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ちなみに日本にも、横浜を母港にした「海星(かいせい)」と大阪を母港にした「あこがれ」の二隻の帆船が走っていました。ぼくはこの二隻の両方に、最初は海のことなどなにも知らないまま訓練生として乗船し、その後ボランティアクルーとしてお手伝いをするようになりました。ぼくがここに書かせていただいてることのほとんどは、その二隻の帆船で出会ったことです。

残念なことに、その後二隻ともが様々な理由(収益性が乏しいなど)で活動を停止しました。「海星」はアメリカに売却されましたが「あこがれ」は国内の団体が買い取って、現在では「みらいへ」と名前を変え、神戸を母港に活動を再開しています。

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帆船体験から何が学べるのか?
たくさんあるが
ぼくが得たのは「感動」だった

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ではなぜ今の時代に「帆船」なのでしょうか? 職業船員の教育課程で帆船で航海することが組み込まれていたりするのでしょうか? あるいは一般の人が航海を体験することにどういう意味があるのでしょうか?

その辺りを書いた文章はいくつもあります。日本語で書かれたものも、外国の文章を翻訳したものもあります。そういうのを引用すればいいのかもしれませんが、どうもしっくりこないんです。

ぼくは28歳の時に始めて帆船に乗りました。それまで海や船についてなんの興味も持っていませんでした。それでも一週間の航海がぼくの人生を変えてくれました。そして今でも帆船について考え続けています。

「セイルトレーニングとは何か? 」について書かれた文章のほとんどにはこんな言葉が出てきます。

・協調性やリーダーシップの育成
・自然の力に目を開かせる
・規律について学ぶ機会になる

確かにその通りだとは思います。でもぼくが航海で感じた一番大きいことはそこではなかった気がします。

感動。

風の力だけで船が走るとか、潮の流れで船が流されるとか。帆の角度や枚数で風を効率よく使うテクニックとか、六分儀で太陽の高さを計る方法とか。夜の闇の深さと朝の光の力強さとか。海だけしか見えない景色の美しさとか、遠くに陸地が見えてきたときのうれしさとか。

航海で出会った全てのものにぼくはただただ感動していた。それだけなんじゃないかと。そしてその感動が、今までとは違う視点を持つようになったキッカケだったのではと。

仲間たち

海の仲間たち


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帆船イベントで実感した
海のコミュニティー」の存在

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海の上には、日常と違うルールのもう一つの世界がある。海に出るようになってぼくはそう思うようになりました。陸のルールや法律が及ばない、海で暮らす人たちのコミュニティー。

ぼくが「セイル・アムステルダム 2000」に参加したのは32歳の時。帆船に乗るようになってから3年半ほどが経っていました。そして初めて海外での帆船イベントを見る機会でもありました。

世界のあちこちからやってくる帆船とそれを出迎える地元の様々な船。 軍人から学生、職業船員やたまたま航海に乗り合わせた人々。

「海」を通じてそれだけの人や船やプロジェクトがつながっていくこと、それはぼくにとっての新たな感動でした。

レースの表彰式でぼくが乗っていた「あこがれ」は「最も遠い港からきた船」ということで表彰されました。「あこがれ」もそしてそのクルーだったぼくも、陸に住む人からは見えない「海のコミュニティー」とつながっている、そう実感したのでした。

 

減っていく帆船
危機感を抱いて呼びかけた
「セイル・アムステルダム」

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セイル・アムステルダムは1975年、アムステルダムの開港700年イベントとして企画されました。欧米でも当たり前のように走っていた帆船がどんどん少なくなってきた時代でした。そのことに危機感を抱いた人たちが、もう一度帆船の持つ力を大勢の人が感じられるチャンスを作ろうと始めたのがこのイベントなのです。

「世界最大にして最後の帆船祭りを」という呼びかけで始まったイベントですが開催してみたら驚くほどの大反響が巻き起こりました。帆船を主役にしたイベントはその後も、アメリカ建国200年記念、自由の女神建立100年記念がニューヨークで、さらにはオーストラリア建国200年記念してシドニーでと、世界各地で開かれてきました。

1975年には世界に230隻余りしかない、それもいつまで残るかといわれた帆船でしたが、いまではその倍の500隻余りにもなりました。セイルトレーニングを行う民間団体も増えましたし、帆船レースや帆船イベントが企画されることも多くなり、今では夏の一大イベントにまで成長しました。

 

先人たちのアクションのおかげで
コミュニティーが生き延びた
ぼくらも何か恩返しができないだろうか

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海で育まれた文化や海に出た人にだけ通じる共通言語。そうしたものに依って立つ見えない海のコミュニティー。それは確かにあるのです。どこにとは言えませんが、広く薄く、でも確実に。

過去にそこに属していていた人たちがアクションを起こしてくれたおかげで帆船は生き延びることができたのです。そしてぼくも帆船につながることができたのです。

そして多分、海以外にも、見えないコミュニティーはたくさんあるのではないかとぼくは思います。その誰かが取り仕切るわけではなく、キチンとした組織があるわけでもない。愛情や情熱を持った人たちが造り上げて、維持し続ける、そんなゆるやかなコミュニティーが。

眼に見えるものだけではなく、現実を包むようにあるたくさんの見えないコミュニティー、そんなもののことを少し考えてみるのも面白いかもしれませんね。(了)

一般の方もセイルトレーニングに参加することができる

 


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【お知らせ】

さてぼくもまた、コミュニティーの先人から受け継いだバトンを後の世代に渡そうと思います。日本でのセイルトレーニングをもう一度盛り上げよう。仲間達とそんな活動を始めました。

プロジェクト名は
Tall Ship Challenge Nippon
(tall shipは帆船という意味です)

今後の具体的な活動をお知らせするセミナーを2015年5月30日(土)に横浜で行います。これまでのぼくの文章を読んでみて、帆船に興味を持たれた方がいらっしゃったらぜひご参加下さい。イベント概要はこちらになります。

 

 

愛する伝統文化を守る方法
1.  先人が維持してくれた「見えないコミュニティー」に感謝し受け継ぐ
2.  広く一般の人にも魅力を伝え、体験の場を提供する
3.  だれかがではなく、自分がアクションをとる

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 田中稔彦さんが帆船に乗ることになった話など 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)

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写真:Ton Nolles (2枚目)、その他は筆者本人


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。