【第277話】コロナ以降は、各自の物差しで生きる

みどり荘ギャラリー

国が、知事が、イベント主催者が…。誰かが責められている場面ばかりで心が傷みます。家族や職場、身近な人同士でも、危機意識の違いでディスカッション疲れがありました。

「もし、自分が国のリーダーだったらどうするだろう」

あなたも想像してみてください。

・全員に自粛を強制?
・特定の人のみ自粛?
・自粛せず今まで通り生活?

今回、各国の対策に違いがあったように、いろいろ選択肢があると思います。

ぼくだったら「何の強制もしないだろうなぁ」と思いました。一律に自粛を強制することはしません。
正確な情報だけ伝えて、「各自、気をつけてくださいね」。あとはそれぞれの判断に委ねます。

遠くの町で病人が出たと聞けば、少し危機感を持ってマスクをするだろうし、いよいよ近所から出たと聞けば、誰に言われなくても外出自粛するでしょう。

そろそろ嵐が去ったかな、と思えば防空豪から出るだろうし、食べ物のストックがなくなった人も外に出るしかありません。

過保護にせず、もっと一人ひとりの生きる力を信じたい。人間は工夫するものだし、そんなに弱くありません。多くの調査データからの事実を、隠さず加工せずメディアで伝えます。その上で、「あなたはどうしますか?」と問います。

自分で考え、それぞれ自分で決める。みんながプレイしている人生ゲームは、自分でコントローラーを握るから面白いんです。選択肢があるから面白い。

家族で話し合う、社内で話し合う、団体なら団体の方針を各リーダーや自分たちで決める。お店を開けるなら開けるし、お客さんも行くなら行くし、控えるなら控える。

余裕がある人は困っている人を助けるし、国が言わなくても、そういう動きは自然に起きる。「もうギブアップ! 助けてくれー」と求めてきた人を救済する施設には、公的資金を投入したい。変化に慣れていない人にとっては、すべてを自己責任で決めるのも疲れるので、一時的な休憩室もあるといい。

大切なのは、他人の物差しを尊重すること

改めて実感したけれど、一人ひとり「危険の物差し」はこうも違うんだなと。

イベントを開催するかしないか。
リモートワークにするかしないか。

社内で歩み寄り、一つの結論を出す。どうしても納得できない人は、別の道を歩む選択もあるでしょう。自分の信じる道を、各自が歩む。

いま「国が自粛を強制したのだから保障を」ということで、給付金が投入されています。これも、もらえる人、もらえない人で批判が起きる。不安になったところに助けてもらえると、民はどんどん、おカミに依存してしまう。反対に不都合が起きるとすぐ「国はどうしてくれるんだ」と、他人を責める。

動物は、エサがなくなったら移動します。危険を察知したら、逃げます。たまにその選択を誤って、死んでしまうものもいます。

死ぬとはどんなことなのか。多くの人が漠然と信じているように、本当に最悪の不幸なのか。本当に恐るべきものなのか。あってはならないものなのか。

不安は目をそらすから大きくなるのです。もし不安でたまらないのなら、「死とは何なのか」この暗闇にスポットライトを当てて、とことん調べて向き合うことです。自分にとっての死生観を持つことです。ぐらぐらするのは、死生観がないから。

自分はなぜ生まれて、なぜ死があり、死後の世界はどうなっているのか。
その上で、じゃあ、この人生をどう生きたらいいのか。

「生きる」ということは、ただ「死なないこと」ではないはずです。
それぞれが、今世での自分の役割を、まっとうしましょう。


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。