陰陽があるのが人間の魅力。何か悩みを持ってるのが現実だから、『CANVAS』でも、ヘルシーでハッピーなだけじゃなく、みんな生きてるよ、ってところをまざまざと見せていけたら。
PUBLISHERS(パブリッシャーズ)| 深井次郎がゲストと語る “本をつくる理由”
第4話|宮原 友紀( CANVAS 編集長 / クリエイティブディレクター)
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カテゴリーにとらわれず、好きなものを詰めこんで発信するライフマガジン『CANVAS』の第3号が発刊された。編集長の宮原友紀さんは、自らも家族と宮崎に移り住み、雑誌コンセプトでもある「Draw Your Life!」を体現しながら、新たなコミュニティづくりに挑んでいる。この日、湘南T-SITE(蔦屋書店)で開催される『CANVAS』トークイベント直前に、インタビューは行われた。会話を弾ませる宮原さんの背景には、偶然にも青い海の写真。自然を愛し、人を愛し、より良く生きることに貪欲な彼女の言葉の端々には、自由を選びとり、人生を楽しむ人の、陽気な強さが垣間見える。そんな宮原さんから、創刊までの道のりや、毎号進化し続ける『CANVAS』へかける想いをうかがった。
宮原友紀(みやはらゆき) CANVAS 編集長・クリエイティブディレクター 関連サイト |
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※「PUBLISHERS(パブリッシャーズ)」とは、理想をもって出版に関わる人、メディアをつくる人たちのこと。彼らのクリエイティブアクションを紹介し、あなたの「自分らしい本づくり」を探求する読み物コーナーです。
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雑誌の道へ進んだのは
「残るものをつくりたいから」
挫折を経て、たどり着いた場所
深井 次郎 そもそも、雑誌をつくるきっかけはどこから? 原体験というか。
宮原友紀 わたし、幼稚園の年長6歳くらいの頃に、『やさいむら』という一冊の絵本をつくっていたんです。やさい同士がケンカをして、最後は助け合って、自給自足の村をつくっていくというお話で、本の定価も300万円って書いてあったりして。
深井 300万!それまたお高いですね(笑)。
宮原 そう(笑)。小さい頃から、「本をつくりたい」って気持ちは芽生えていたのかもしれません。けれど、東京生まれ、東京育ちで、いろんな文化に触れ、いろんな職業にも憧れたりしたので、物書きになりたいとか、雑誌をつくりたいという気持ち一本ではなかったんです。ただ、「一周回ってたどり着いたらそこにいた」という感じですかね。
深井 就活はしましたか? 大学卒業後、最初のお仕事は?
宮原 最初はサーフィン雑誌の編集です。自分がサーフィンをやっていて、就活もあまりしたくなかったし、「早く就職を決めて海にいけるところはどこだ?」 と考えた結果ですね(笑)。日大芸術学部の放送学科でマスコミに興味があって、自分的にはテレビに行きたいと思っていたのだけれど、4年通っていろいろ学ぶ間に、「残るものをつくりたい」と思うようになったんです。アナログなものが好きで、紙の質感が好きで、ページをめくる感じも好きだったこともあって、雑誌というところに行き着いたのかも。何かを発信したいというよりも、雑誌が好き、サーフィンが好き… じゃあ出版社か! それでマリン企画という流れだったと思います。
深井 出版社の後、 Yahoo! JAPAN に行かれてますよね? ウェブの世界も勉強したいと思ったのですか?
宮原 それもありますが、雑誌からの逃げもあったと思います。いまから14年前、マリン企画に在籍中、一冊雑誌をつくるチャンスをいただきました。でも、当時わたしは24歳で若く、周囲が全員年上の中でうまくマネジメントもできず、発注の仕方も予算の使い方もめちゃくちゃで、会社に大赤字をこうむらせてしまったんです。同僚から非難されるような大失敗をして…。もう会社にいるわけにはいかないという責任も感じましたし、「雑誌づくりはわたしには向いてない…」という挫折から、会社を辞めました。
深井 ああ…。
宮原 会社を辞めて2か月ほどブランクがありました。いろいろこれからのことを考えましたが、まだ何かを発信したいという気持ちはありました。最初に雑誌をつくった時、初めてレイアウトが出てきた瞬間、「これを第三者に見てもらえるんだ!」という感動は忘れられなくて。
深井 わかります。
宮原 紙がだめなら、ウェブならどうだと考え、Yahoo! JAPANに向かいました。Yahoo! JAPANでは、メールマガジンの文章とか、ヤフービューティというカテゴリーの中で記事を書いていました。
深井 やっぱり「書いたり、編集したり」の仕事だったのですね。そして、また雑誌の世界に戻ってきた。その理由は?
宮原 ウェブは残らないというところでしょうか。
深井 「残るものをつくりたい」キーワードはそこなんですね。
宮原 ウェブもSNSも生活のツールで、すぐリアクションがとれてすぐ使えるけれど、それを残していくのかどうかと考えると違うな、と。「今すぐ使えるものと、取っておきたくなるものは別なんだ」というところに行きついた時に、ちょうど『NIKITA』(ニキータ)という雑誌(主婦と生活社)が編集者を募集していました。紙に戻りたいという気持ちから、そこに応募したんです。行ってみると、そこの岸田一郎編集長が、「何かをやろうとして挫折した人間は強い」と。14年前の挫折話に共感してくれたのか、拾ってくださいました。
深井 うんうん。
宮原 そこからはずっと雑誌ですね。ラグジュアリーファッション誌で、真剣にそのモノの良さを知り、誰がどんな想いでつくっているのか、というストーリーを見るようになりました。それを自分の言葉で読者に伝えることを、日々訓練のように勉強しました。でも、『NIKITA』も、その後、業務委託、エディターという形で携わらせていただいた『GLAMOROUS』(グラマラス)も、みんなの頑張りむなしく、2冊とも休刊になってしまったのです。その結果、独立してフリーランスになろうと思いました。
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転職ではなく、なぜ独立なのか
「次号を出すのも、休刊するのも自分で決めたい」
深井 そこで他の出版社に転職しようと思わず、フリーランスを選んだ理由は? 「大きなものに寄りかからず、自分の足で立って、自分の頭で考えて」というところは、ぼくらオーディナリーにとっても大切にしているキーワードでして。独立した、その選択の理由はとても気になります。
宮原 わたし自身、フリーランスになるとは思っていなかったんです。社員でいれば環境はいいし、自分のやりたいことに挑戦できるフィールド、チャンスはあるし、上手くプレゼンすればお金も引っ張ってこれるし、営業もしてくれるマンパワーもある。でも、それに寄りかかっていくことが休刊という結末に追い込まれるのであれば、次号を出すのも、休刊するのも自分で決めたい。伝えたいことがまだ伝えきれていないのに、打つ手はまだいろいろあったのに、上の人の決断で途中で終わってしまう。そんな不甲斐ない経験はもうしたくない! と思ったんです。
深井 自分の意志で決めたい。すごくわかります。打つ手があったのに、というのがなお 悔しいですよね。
宮原 他のやり方を模索する間にも、月刊誌は進んでいきます。そのビジネススピードに対して、わたし自身が、ものをつくる身として「追いつけない…」と感じてしまった部分もあると思います。
深井 月刊誌は、スピードが速すぎて厳しいと。
宮原 そうなんです。次のトレンドを追ってる間に、今そこにあるリアルな季節感や空気感を、つくり手本人たちがどれだけ感じているだろうか…。季節の変わり目も感じないままに自分の頭だけが先行してしまうのが、腑に落ちなかったのです。もっと肌でリアルに感じられて、読者にも「そうだよね」って共感してもらえて、その時の空気感や湿度の伝わるような雑誌をつくりたいと思ったんです。
深井 ファッション誌は、モデルが冬物コートを真夏に着るみたいな、季節がずれての撮影ですもんね。
宮原 誰よりも情報を早く知れて、おしゃれでいられる。それを否定はしないし、それも人生の楽しみのひとつだと思うけど、わたしはもっと、普遍的でエターナルなものをつくりたいって思ったんです。ウェブで感じた「タイムリーなもの」ではなく、「タイムレスなもの」をつくりたいという想いもつながっていると思います。
深井 ブームで終わるものではなく。
宮原 ブームも経済的には必要なものなので、ブームがどんどん生まれて欲しいと思うんですけど、変わらない部分もきっと必要で、本質的な豊かさを忘れずに生きようよ、というメッセージを届けられる雑誌がつくりたいと思いました。
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独立するための準備は「まったく」
不安もあったが、流れに乗ることにした
深井 フリーランスになるにあたり、何か事前に準備しましたか?
宮原 準備はまったく(笑)。 『GLAMOROUS』で「月刊誌、疲れたな… 」と感じていた頃、サーフィンをする旦那さんと出かけた千葉の外房の中華料理屋で、14年前に辞めたマリン企画の同僚だった、現『サーフィンライフ』編集長の内田さんとばったり会ったんです。大失敗して迷惑かけて辞めてるし、ドキドキしながら挨拶して。「いま何やってるの?」と。いろいろ話したあと、後日「もしよかったら、女性向けのサーフィン誌をやってみない?」と言われたんです。わたしもちょうど、ファッションではないもの、月刊ではないものをやってみたいと思っていたものの、どう返事をしようか迷いました。そんな矢先に、『GLAMOROUS』の休刊が決まったのです。
深井 すごいタイミング。でももし『GLAMOROUS』が続いていたとしたら?
宮原 独立してないです。好きだった『GLAMOROUS』を辞めてまでフリーランスとは考えられなかったですね。14年前の挫折もあったので不安もありました。でも、残念ながら休刊になってしまい「これは神の思し召しかな」「自分でやれってことだな」と決意し、このタイミングでフリーランスを選びました。
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創刊準備の試行錯誤
本当は、サーフィン雑誌のはずだった
深井 「女性向けのサーフィン雑誌をつくってみない?」という誘いでした。創刊まではどう準備しましたか?
宮原 クライアント向けの企画書をつくればつくるほど、「女性向けのサーフィン雑誌って狭すぎて売れないんじゃない?」とまず思いました。ターゲットを「海が好きな女性」に広げて考えてみても、しっくりこなかったんです。それまでの企画書や、自分の好きなトピックを拾っていくとライフスタイルに行き着いた。ファッションもサーフィンも好き、音楽も好き、都会も自然も好き、トレンドも好きだけどベーシックも好き。オーガニックも好きって言いながらジャンクも食べるという、なんのカテゴリーにも属さず矛盾している自分を肯定するようなライフスタイル誌をつくりたいと思って、どんどん取材を進めてページをつくり、校了日にマリン企画に「できました!」って見せたら、「サーフィンの雑誌じゃないじゃん!」って。
深井 あはは(笑)。
宮原 それでも、「すみません、これで行かせてください!」って出したのが『CANVAS』1号目なんです。
深井 すごいですねぇ。途中経過は相談せず?
宮原 相談するとブレると思って、海っぽいページだけ見せてましたね(笑)。
深井 確信犯だ(笑)。新しいものを生むには、そのくらいの勢いと思い込みが必要なのでしょうね。
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タイトル候補は5,6個
いろんな人の意見を聞いてジャッジした
深井 雑誌のネーミングはどうやって決めましたか?
宮原 はじめは、海でもなく陸でもない真ん中の海岸線をとって『COAST』って名前を考えていたので、コーストっぽい表紙にしようと思っていました。でも、「もっと、人生を豊かに過ごすための雑誌をつくりたい」って思った時に、自分の挫折時に頭をクリアにしたように、真っ白のキャンバスに自分で楽しい人生を描こうよ、とひらめいて『CANVAS』が生まれました。真っ白いキャンバスというところが、1号目の表紙ビジュアルにつながっているんです。さらに、キャンバスには帆船の帆という意味もあって、そのキャンバスで人生の行路を行く、という裏テーマもあるんです。
深井 なるほど、帆もキャンバスですね。エンジンで風に逆らって進むよりは、風とか波とか自然と調和して、流されながらも、方向は自分で決めて進んで行くみたいな。
宮原 そうなんです。自分でオリジナルのキャンバス、帆を張って、それを自由に丁寧に進めて行くことが、結果楽しいのでは? というところに行き着きました。
深井 名前を決めるのって悩みますよね。
宮原 そう、候補は5,6個ありましたね。人の意見は重要だなって思いました。フリーだからこそ余計に、わたし一人がろくろを回して「わたしの作品です」ってなるのは違う。雑誌はもっとメジャーじゃなければいけないと思うんです。売れなくてもいいという考えではなく、広告収入を得て雑誌をつくっている以上は、一人でも多くの人に知ってもらいたいと考えているので、いろんな人の意見を聞いてジャッジしていくことも大切だと思っています。
深井 まわりの意見も聞いて決めたと。コンセプトの「Draw your life!」は?
宮原 これは、ずっと『CANVAS』のタグラインでいこうと思っていて、『CANVAS』という名前よりも、もっと立たせたいし、一番言いたいことでもあります。人生を楽しくするために、共感してもらう記事をつくっているので、1号目も、2号目も3号目も、まったく毛色は違うけれど、軸には「Draw your life!」が共通してあるんです。
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ジャンルレス雑誌の挑戦
わかりづらさでコミュニケーションは生まれるか
深井 『CANVAS』はライフスタイル誌と一応説明してありますが、書店で見た時、何の雑誌かパッとわかりづらいと感じました。これについてはどう考えていますか? 「だれ向けの何系の雑誌です」と人に伝える時に、既存の枠にはまっていないことによって伝えづらいと感じるジレンマはありますか?
宮原 ありますね(笑)。 書店員さんにも迷わせてしまっているみたいで、1号目は文房具というか、生活用具の棚に置かれてしまったところもあったし、2号目は女性ファッション誌の棚や、マリン企画だからサーフィンのコーナーであったり、釣りのコーナーであったりしたんです(笑)。置かれる場所はどこでもいいと思いますが、書店さんと、つくっているわたしたちとで、もっとコミュニケーションしたいと考えています。雑誌って、取次を通して雑誌コードを取らないと書店に置かれないので、どうしても書店さんとの距離があるんですね。書店さんがこの雑誌どこにおいたらいかな?とページをめくってくれるような表紙でいたいと考えています。中身を見た書店さんが判断してくれたらうれしいなと。
深井 あえてわかりづらい表紙にして、中を見て読んでもらう、と。それは斬新(笑)。
宮原 そうです(笑)。1号目も、2号目も3号目も、素敵なモデルさんやタレントさんに出て頂いているんですが、その方々を表紙にすればもちろん売上は伸びるのですが、もう少しメッセージに近いものを出していきたいと思ったんです。そして、そのメッセージがある中で、どうしてその方にオファーしたのかというところも伝わって欲しいと思ったので、あえて著名な方を表紙にはしてないんです。その点では、マリン企画にもチャレンジをさせてしまいましたけど。
深井 いい意味で裏切られたというか、新しい雑誌ですよね。
宮原 そう感じてくれたらいいなと思います。1号目を出したのが2013年で、それ以降ライフスタイル誌が増えてきて、その中のひとつでもいいですし、また別でもいいのですが。ライフスタイルと言われると、 『CANVAS 』は、スタイル提案はできていないと思うんです。読者は女性でも男性でも、子どもでもおじいちゃんでも良くて、共感してくれたらハッピーという感じです。
刊行はマイペースで
時間をかけてでも、自分自身が読みたいものをつくる
深井 雑誌でよく言われるのが「3号の壁」。3号以降続けるのが大変と言われますが、情熱やネタが途切れるというか。次号の予定、次号への情熱とか湧き出るものはありますか?
宮原 不定期なんですが、次号への情熱はすぐ湧き出てきましたね。
深井 さすが。3号ぐらいじゃ、まだまだ枯れない。
宮原 定期的につくっている雑誌ではなく、わたしのインプットの期間、アウトプットの期間のペースが年一になっているからだと思うんですけど、そのペースだと、つくりたいものがでてくるんですよね。四季を過ごしていくと、自分の中でも変わっていく部分とか、時代を読んでいく目線も変わってくるので、次に伝えたいものが自然と出てくるんです。たぶん4号目は、もっと充実させられる自信があります。
深井 年1,2号のペースが内容も充実させられる、と。月刊だと大変だってことですよね。
宮原 そうなんですよね。いつ出さなきゃって追われることも大事なんですけど、わたしは制限された中でものをつくると、考えがそこで止まってしまうので、時間をかけてでも、つくりたいものをつくっていきたいです。
深井 刊行ペースは自由に決められるのですか?
宮原 はい。
深井 素晴らしい環境ですね。
宮原 つくり手としては、ありがたい限りです。本当に、みなさんの力あってのことだと思っています。ただ、ビジネスっぽい話をしてしまうと、わたしたち(株式会社キャンバス)が編集も広告営業もやって、ハンドリングもできますという中で、雑誌の版権を下さいという契約の仕方なので、出版社にはそこまで大きな負担がないようにしています。反面、自分たちの中に負荷はあるし、やらなければいけないことは沢山ありますが、良い雑誌をつくるために、自分に課していかなければならないと思っています。誰が読んでくれるかな? 誰が見てくれるかな? と考えだすと、果てしない気持ちになるのですが、原点に戻って、わたし自身が今読みたいものをつくる、オリジナルをつくる、という気持ちでいます。
好きなことを見つけるには?
荷物を持たずにシンプルな旅に出る
深井 宮原さんは次々にやりたいことがあふれてくるようです。ぼくはよく「好きなことをやって生きよう」という話を講義やトークライブでもするんです。そうだよねとほとんどが反応するのですが、でも「そもそもやりたいことが見つけらないのですが… 」という質問が多いのです。そんな方には、どんなアドバイスがありますか?
宮原 できるだけシンプルな旅に出たらいいのではないでしょうか。選択肢が多すぎるからわからなくなる部分もあると思うので。
深井 シンプルな旅とは?
宮原 いろんなところを見て回る観光的なものではなく、あまり荷物を持たずに1つのところに住んで暮らしてみる旅ですかね。自分がシンプルになることで、クリエイティブな発想や、やりたいことが見えてくるのでは? できるだけ物質的にも便利でないところに長く滞在してみる。バンライフやキャンプもお勧めですね。3号で一色紗英さんもおっしゃってますが、自然と対話することで、そこに答えが見つかってくると思うんです。現実の生活の中で、どうしよう… と頭で考えていくと、何々をやらなければいけない、という発想になってしまう。そうではなくて、自然の環境に身を置くことで、本来の自分がいたい場所が見え、好きなものが見つかっていく気がします。
深井 ノイズを減らすと、自分の中から湧き出てくるものがあるのでしょうね。ぼくも経験あります。
東京から拠点を移したいきさつ
心地よいライフに近づける場所、「これから」の余白がある場所
深井 宮崎県へ家族で移住されたのは、どんないきさつで?
宮原 理由は、東京生まれ東京育ちなので、東京でないところに住んでみたいという思いと、旦那さんがサーフィンをやっていることもあって、はじめは千葉も考えたのですが、日本は広いんだし、もっと西の方へ行ってみようと考えて、福岡の糸島に向かったんです。でもそこには、すでにカルチャーが出来上がっていて、その帰りに旦那さんがサーフィンをしたいと言って寄った宮崎は、何色にも染められていない、これから、という感じがしたんです。すごく良いものがたくさんあるのに、欲がないというか、出し切れていないとも感じたんです。何より、わたし自身が、ここにいるのが心地よいと思ったんですね。ここでだったら、自分のライフに近づけて、いい意味で公私混同しながら発信していけると思いました。
深井 実際に住んでみていかがですか?
宮原 住みやすいですね。とにかく、宮崎の人たちの人柄が良いんです。出会った人たちが『CANVAS』を受け入れてくれて、「これからの宮崎に必要だ」と呼んでいただいたのが移住の決め手にもなっています。これからは雑誌『CANVAS』だけでなく、「CANVAS」というチームをつくり、リアルに体験できるものをつくっていきたいと考えていて、新しいコミュニティづくり的なことも行っているんです。
深井 いいですね。みんなが集まれる場所もあるのですか?
宮原 7/4から8/30まで、宮崎市の青島海水浴場で「AOSHIMA BEACH PARK」というイベントを開催しています。コンテナを5台入れて、地産池消を実践する美味しいレストランとか、東京の代々木にある「BONDI CAFE」もサーファー仲間で、ビーチカルチャーをつくろうということに共感して出店してくれています。『CANVAS』としても、「BEACH LOUNGE – BOOKS&COMMUNITY – 」というコンテナを出しています。もっとビーチに滞留して欲しいという願いから、海辺の本屋をつくって、さらに宮崎のアーティストの方々のクラフトを置いたり、ワークショップでドリームキャッチャーをつくったり、ビーチクリーンも行ったり…、ちょっとしたフェスを楽しむようなイベントなんです。はじめに「COAST」という名前を考えたように、まずは海辺の人たちから、「海のある生活」をみんなで楽しみたいなと思って提案したので、今年の夏だけのイベントではなくて、何度も、みんながその場所に訪れたくなるような、綺麗でカルチャーのあるビーチタウンにしていくお手伝いができたらいいなと思っています。
深井 雑誌も出したら終わりでなく、コミュニティをつくっていきたいというところは、宮原さんは人が好きなのでしょうね。
宮原 そうですね。感覚を共有できる人たちが、『CANVAS』を介してつながっていられたらいいですね。青島ビーチパークも、ただ「イベント楽しかったね」で終わりではなくて、そこで出会った人たちにつながりが生まれて、来年も宮崎に行こうとか、今度は家族も連れて来てみようというきっかけになればいいな。
チームづくりで大切なのは
循環すること、小さいこと
深井 雑誌創刊時にパーティーをしたりとか、宮原さんは人が集まる機会を積極的につくっていますね。
宮原 「この友だちとこの友だちを会わせると楽しいだろうな」って仕切るのが好きで、それが出ちゃっているのだと思います。『CANVAS』でも、まったく畑違いの人同士がつながると、意外な化学反応が起きて面白いページができるんじゃないか。そう思って、ものを書いたことがない人にも記事を書いてもらっているんです。いつも同じメンバー、同じ編集部で固まってやるんじゃなくて、絶えず血が巡るように、水が循環するように、人も新鮮に動いていくのがいい。動いた中でみんなが出会って、彼らが『CANVAS』じゃないところでつながって活躍してもらってもうれしいですし、とにかくいろんな化学反応がたくさん起きたら面白いなと思うんです。宮崎の綾町というオーガニック農法が盛んな町の方が、「水田は、水が絶えず流れていなければ、新鮮な苗は育っていかない」っておっしゃっていました。ものづくりもそれと同じで、絶えずエネルギーを回して、滞らせないことが大事かなと思っています。
深井 生きもの、自然はすべて循環していますね。
宮原 今後の課題は、「これをやるよ」って言った時に集まってくれるチームをつくっていくことです。理想は『ドラゴンボール』で(笑)みんなそれぞれが違うところで戦っていても、一個の戦いになったら結束し、戦いが終わったらまた各々の場所へ戻っていく形が理想です。『ワンピース』にも言えるんですけど、そういうチームをつくっていきたいんです。個人の中で回した新鮮なエネルギーを束ねたら、新鮮でパワフルなチームになると思うので。
深井 チームを固定にしてしまうと、だいたいみんな同じ景色を見て、同じものを食べるようになります。当然考えも似てきてしまう。もちろんそれの良い面、あうんの呼吸などもあるけれど。
宮原 わたしもファッション誌をやっていた時は、女子校ノリで楽しかったんですが、今は自分が先頭に立ってしまったので、そこでわたしがつくりたいチームというのは、囲われた中ではなく、それぞれにいろんな現場で活躍している人たちが集まるチームなんです。
深井 『CANVAS』チームの規模感は? ぼくたちは小さなメディアであることを大切にしていて、インタビューもライティングも撮影もウェブもデザインも、少人数で自分たちでDIYでやっています。
宮原 少人数が一番いいですよ。『CANVAS』1号目は少人数で出したのですが、私の頭の中に蓄積していたものをドカッと出したら意外と好評だったんです。「共感してくれる人がいるんだ、熱狂的な読者がいるんだ」とわかりましたし、広告、クライアントさんも手をあげてくれるところが多く出てきてくれました。
深井 はい。
宮原 ただ、次号はビジネス欲が大きくなって、タイアップ記事を多めに入れることにしたんです。そうなるとスタッフも多く必要になってきますよね。大きくなればなるほど自分の頭の中が散らばり、自分のコントロールを離れてひとり歩きしてしまった感じがありました。『CANVAS』は、ひとつの会社の編集部ではなく全員がフリーランスなのですが、結果できたものを取りまとめるのが難しくなってしまったのです。ほんの一時期ではありますが、そうなってしまった時に、「やっぱり小規模で、数人で、共通言語がある中でつくるのがベストなんだ」という答えを見つけました。
深井 何を可愛いと思うか、美しいと思うか。少人数なら共有しやすいけれど、輪がひとまわり大きくなると、どうしてもズレが生まれてしまいます。
宮原 そうなんですよ。尺を合わせようという欲もでてきてしまいますし。
深井 それぞれのクライアントの希望もありますしね。
宮原 雑誌って難しくて。広告収入がベースのやり方が、たぶんもう終わっていると思うんです。広告収入をベースにした、クライアントが一番トップに立ってしまうような、今までのトライアングルの関係性だと、読者が底辺になってしまう。だけど本当は逆で、読者がてっぺんにくるべきだし、読者が求めているもの、読者が見たかったものがそこになくてはいけない。クライアントの意見はもちろん重要だけれども、そこに耳を傾けすぎるのではなく、編集としてジャッジし、編集者が営業をし、クライアントさんを選ばせて頂くという時代なのかな? と思っています。
深井 なるほど。制作と営業が離れずに一体で進んでいけるのは、小さなチームの良いところでもありますよね。
宮原 そうですね。
雑誌は写真が命
リアルを届ける、新鮮な雑誌でありたい
深井 すでに3号を出せている時点で結果を残してきているのはわかります。1号目をつくった時と、3号出した後で、なにか景色は変わりましたか?
宮原 もちろん、結果は大切ですよね。20代からの挫折が教訓になって、結果なしでは次はない、自己満足では終わらせない、という意識でつくっています。やり方はいろいろあって、1号目は、SNSなどで影響力のあるインフルエンサーに出ていただきました。それもひとつの手段ですし、1号目を出した後に、個人的にSNSでコメントしてくれたローラさんに2号目に出ていただいたように、著名な方に起爆剤的な存在になってもらうことも、ひとつの手段だと思います。ただ、3号目に関しては、何か手段に頼るより、自分たちのオリジナルメッセージそのものでいきたかった。「自分の武器で戦いたい」みたいな。
深井 なるほど。『CANVAS』内で宮原さん自身も文章を書かれていますが、伝えたいことがたくさんあるなら本でもいいと思うのですが、雑誌と本の違いはなんだと思いますか?
宮原 やっぱりビジュアルですかね。写真が好き。雑誌で取っておきたくなるものは写真が素敵なものだと思う。『CANVAS』のアートディレクターの方もおっしゃってましたが、「写真命」ですよね。何年先でも見返したくなるような写真でなくてはいけないんだと思います。写真は写真、読ませるところはきちんと読ませるというレイアウトにしたい。そういう面ではウェブのつくり方は好きですね。だからこそ、面白いウェブ媒体が紙として表現してくれる時があればいいなと思っています。
深井 試みとして、『CANVAS』もアプリとかウェブでも見られるように仕掛けをしたんですよね。紙はもちろんですが、デジタルにもさらに力を入れますか?
宮原 1号目は完売状態になってしまったので、電子書籍化をしました。基本は、雑誌が完売、絶版になった段階で電子書籍にしたいなと考えているので、流通している間は紙を見て欲しいと考えています。
深井 やっぱり紙なんですね。ちなみに好きな雑誌は?
宮原 わたしが好きだった『relax』(リラックス)という雑誌は、今読み返しても本当に面白いんですが、たぶん時代が早かったと思うんですよね。たとえば、一冊を「波」でつくりましたって…
深井 持ってますそれ。 ホンマタカシさんのですよね。一冊ひたすら波の写真だけ。
宮原 そう! 今じゃ考えられないようなことをやってましたよね。あと『Esquire』(エスクァイア)も『BRUTUS』(ブルータス)も面白いですよね。なぜそれらの雑誌を、ぼろぼろの中古でも買いたくなるのかというと、テーマにエッジがあって、伝えたいメッセージがそこにあって、彼らが見ているものがドキュメンタリ―なんですよね。ドキュメンタリーってリアルに生身で起こっていることだから、いつの時代でも新鮮でいられる。『CANVAS』もそういうものを届ける雑誌でありたいんです。だから、わたしが見せたいのは人で、人のライフマガジンでありたい。
深井 『CANVAS』最新号のお勧めのページは?
宮原 表紙にもなった、このページですね。3世代みんなが仲良くいるって素敵ですよね。
次のお勧めはこれで、今回、一番伝えたかったことでもあります(「NEO INVISIBLE FAMILY」)。リアルに血が繋がっていない家族でも、人っていくらでも家族になれるんだということを、家族の次に大きなコミュニティである地域が体現している、埼玉県・入間市の、JOHNSON TOWN(ジョンソンタウン)の人たちをフィーチャーしたページです。
ライフスタイルよりライフ
光も闇もまぜこぜで生きる姿の愛おしさ
深井 ライフスタイルとライフ。今日2つの言葉が出てきましたが、その違いはどう考えていますか?
宮原 スタイルは、カッコつけな感じがします。「ライフスタイルは何ですか」 と問われるより、「ライフは何ですか?」と問われた方が、いくらでも答えが出せる。生き方よりも生き様をみせたいですね。生きることを形として見せるんじゃなくて、生きてる模様をリアルに届けたいんです。人にインタビューして、人にフィーチャーするっていうのが、一番生っぽい。人って面白いですからね。
深井 そう、面白い。ぼくも人の生きる姿に心打たれます。特に挫折したことのある人が好き(笑)。
宮原 わたしも。陰陽があるのが人間の魅力。何か悩みを持ってるのが現実だから、『CANVAS』でも、ヘルシーでハッピーなだけじゃなく、みんな生きてるよ、ってところをまざまざと見せていけたら。
深井 泥臭いところとか。
宮原 そうです。ただ、その泥臭いところを、いかにポジティブに、どんなビジュアルで見せていくのかは難しいところでもありますね。
深井 確かに。それをやってる媒体はなかなかありません。新しい挑戦ですね。
宮原 もしかしたら、みんなはメディアに対して夢を求めているかもしれないけれど、わたしは、リアルで泥臭い中にも夢があるんじゃないかなって思うので、そこを探っていきたいですね。
深井 そっちの方が、先ほどのコミュニティづくりの話でも、共感してもらえるのではないでしょうか。影や弱さこそが人間らしさなので。
宮原 わたしもポジティブに見られがちですが、すごくネガティブな部分もありますしね(笑)。
深井 ものづくりをしている人はそうじゃないでしょうか。とくに出版、もの書きは。ハッピー、ポジティブ100%な人は基本的に書こうとしないですね。光を書く人ほど闇も抱えているように感じます。人前に出る時は笑顔にしてますが、裏ではいろいろ考えている。
宮原 本当そうだと思います。計算高い部分もあり、苦手な人もいる中でも、生きる。これは、どの世代にも通じることかなと思います。
深井 生き方とか、生きるというテーマは、どこか自己啓発くささがあってカッコ悪いと思われがちです。だけど、変化がますます激しくなっていく時代において、みんなに必要なテーマだと思う。「どう生きるか、どう働こうか」ってちょっと時間をとって考えたい時に、気持ちよく読めるような美しさとかワクワク感を兼ね備えた媒体がなかなかありません。ぼくらもその辺りをやっていきたいのですが。
宮原 わたしも、いろんなところと手をとりあって、一緒に『CANVAS』をつくっていきたい。たとえば今号(3号)も、スモールハウスのページでは、YADOKARIさんに原稿を書いてもらい、YADOKARIさんのページでも『CANVAS』を取り上げていただきました。いろんな組み方があるので、いつもオープンでありたいですよね。
深井 いつかなにかでご一緒できたらいいですね。
宮原 オーディナリーさんも、コンテンツがすごく充実してますよね。面白い人がいっぱいいる。
深井 どういうカタチか考え中ですが、紙にもしたいと思っています。
宮原 見たいです。
深井 ありがとうございます。さてさて、話は尽きませんが、(宮原さん出演の)トークライブの時間もせまっているのでこの辺で。今回のインタビュー、宮原さんが『CANVAS』の話をする時に「共感」というワードがたくさん出てきました。受け手を説得しようとするメディアが多い中で、共感を生みだせる編集者は貴重だと感じます。お話をして、ぼくも宮原さんに共感することばかりでした。良いものをつくりたい、自分が読みたいものをつくりたい、と改めて思いました。メディアづくりは楽しいですからね。
構成と文 : 諸星久美(ORDINARY)
取材日 : 2015.6.28