人生を左右してしまうかもしれないインパクトのあるコンテンツを作りたいんだって。
PUBLISHERS(パブリッシャーズ)| 深井次郎がゲストと語る “本をつくる理由”
第2話|中村真 (イマジン株式会社代表 / 尾道自由大学校長)ーーー
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毎週、尾道と東京を往復している尾道自由大学校長の中村真さん。尾道入りするといつも一服するという駅前のカフェで待ち合わせました。本の話より先に、まずは中村さんの粋なタバコに一同注目。缶に入ったタバコの葉を紙で巻いて嗜むなんて、熱いタバコ愛を感じます。それに限らず、神社、旅、音楽、尾道、好きなことをとことん追求する中村さん。好きなことを伝えていく出版人としてのこれまでとこれからについて伺いました。
中村真(なかむらまこと) イマジン株式会社代表 / 尾道自由大学校長 1972年東京生まれ。雑誌『ecocolo』や書籍『JINJABOOK』などを発行する出版社エスプレの代表を務め、現在はイマジン株式会社代表として「Five Sence Project」を展開。五感に響く出版、イベント、広告などのプランニングや、社会貢献プログラムなど様々なメディア活動を展開中。また2013年より広島県尾道市に「尾道自由大学」を開校し、校長に就任。学生時代より世界を旅し、外から見ることで日本の魅力に改めて気づき、温泉と神社を巡る日本一周を3度実行。神社とグレートフルデッドをこよなく愛する42歳日本男児。趣味は登拝と献笛。 |
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※「PUBLISHERS(パブリッシャーズ)」とは、理想をもって出版に関わる人、メディアをつくる人たちのこと。彼らのクリエイティブアクションを紹介し、あなたの「自分らしい本づくり」を探求する読み物コーナーです。
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後押しがあったりすると
人は動くんだな
深井次郎: いきなり大きな話になりますが、いろんな仕事がある中で、なぜメディアを作る仕事を選んだのか。どんな思いをもって、世の中にどんな影響を与えたくて、またどの辺を目指して、仕事をしてきたのか伺いたいと思っていました。
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中村真: 大きな流れとしては、なりゆきなんですよ。やってきたことの結果が今につながっているだけで。最初から計画性があったとか、何か思いがあってやってきたわけではないんです。ないけれども、振り返ってみると、学生の頃から人を喜ばすことが好きではありました。毎週のようにイベントやパーティを企画したり、自分の思いつきだけで、どれだけの人に影響を与えることができるかということに興味をもっていました。20年くらい前に、能登半島の先でタンカーが座礁して、重油が流れだして、水鳥なんかが真っ黒になった海難事故があったんです。ぼく自身はボランティアに行くつもりはなかったんだけど、自分の出来ることとして「重油を回収にいきましょう!」っていうチラシを作った。ボランティアが使える無料バスだとか、自治体の宿泊所だとかっていう情報をのせて8000枚配ったら、チラシをもらった人のうち2人が本当にボランティアに参加したことがわかったんです。8000枚配って2人、1/4000の確率で自分の思いつきが人を動かした。4000枚配れば人に伝わるんだとわかってワクワクしました。それでいい気になって、次は渋谷で。
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深井: 勝手に街中の電信柱に矢印を貼ったんでしたっけ。
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中村: そうそう前に話しましたね(笑)
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深井: 見た人が矢印をたどっていくと、ゴールでTシャツをもらえるんでしたよね。
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中村: ゴールまでたどりついた人には、ぼくがデザインしたTシャツあげるっていうセルフキャンペーン。矢印だけだと誰もこなかったけど、「Tシャツプレゼント」とか「あと少し」とか矢印に言葉を足したら1人来たんです。わかったのはね、何もなければ動かないけど、何か目的があったり、後押しがあったりすると、人は動くんだなっていうこと。メディアの仕事を目指していたわけじゃなかったけど、今思うと、若いころにそういう実験みたいなことをやっていたんだなあって。単なる思いつきでも、何か仕掛けをして実行すると、人に影響を与えることができる。思いついただけでは何もないけど、もし行動できたら、「やったもの勝ち」なんじゃないかということが根っこにあるんです。だったらなんでもやってしまえ、っていうことが今でも前提にあると思います。
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旅でみんなとはちがう学びを積もうと
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深井: そのあとですか、海外放浪に出たのは。
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中村: 大学に行かなかったから、自分の価値を高めていくには経験しかないと漠然と思いまして。大学に進んだみんなとは違う学びを積むしかない。ドラゴンクエストのイメージで、経験値を上げようとしたんですね。それには旅だな、と。当時ジャック・ケルアックの「路上」が好きで、そのあたりのアメリカンカルチャーの影響からグレイトフル・デッドの音楽や哲学も好きになっていった。沢木耕太郎の「深夜特急」にも影響されて、そうだぼくも26歳までに旅に出なければいけないって(笑)
深井: まずどこの国にいくか、悩みどころですね。
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中村: 最初の旅先は、みんなが行かないような国に行こうと思ってブラジルにしました。当時(1996年頃)は自分のまわりにブラジルに詳しい人なんていなくて、生の情報がない。そのままともかく行ってしまえ、飛行機に乗り込み、サンパウロの空港について、なんて読むのかわからない変なアルファベットが書いてある、ポルトガル語だった・・・みたいな無謀な旅でした。旅の終わりに、南米からグレイトフル・デッドの本場に行こうとアメリカに渡りました。南米を旅していて、楽しいこともたくさんあったけど、ひどい目にもあって被害妄想ぎみになったりしていたところで、グレイトフル・デッド周辺のカルチャーを生で体験した。旅慣れてスキルが上がると、人にだまされないようにはなります。でもね、だまされないようになったからといって、旅が楽しくなったわけじゃなかった。じっと守ってるだけじゃ、何にも体験できないんです。ハッとして、「なんのために旅をするんだろうか、楽しむためじゃないのか」って思った。「生きることは楽しむことだ、それが人生だぜ」というメッセージをデッドからも受け取りました。上手に生きていけても、楽しめなければしょうがない。
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深井: 海外でいろいろ体験して、ドラクエの経験値は上がりましたか。
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中村: いろんな人と出会えたのはいい経験でしたね。海外で会ったバックパッカーたちは、みんな自分の国の自慢をする。でもぼくは日本のいいところを全然アピールできないんですよ。自分の国のことを何も知らないんだって痛感して。外国を旅してわかる日本の良さってあるんですね。こんなに素晴らしい国は他にないですよ。血のつながった親もいるし、仲間もいる。海や山もある。ぼくが持っている最大のアドバンテージは、21世紀の豊かな日本に日本人として生まれたということだったんだ。日本を否定して世界に出たけど、血は否定できない。そういうことに気付いて、日本のことをもっと知りたいと思うようになったんです。それで温泉めぐりをはじめました。
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日本のことをもっと知りたい
温泉も神社も
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深井: 日本といえば温泉。ぼくも好きです。
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中村: 温泉いいですよね、海外にいると日本の温泉ってなんて素晴らしいんだろうって思う。帰国してからは、今度はバイクとヒッチハイクで全国の温泉を回りました。神社が好きになったのも、温泉がきっかけでした。みんなつながっているんですよ。
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深井: 旅から旅の生活だったんですね、そのころ生活費はどうしていたんですか。
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中村: 生きていければいいやって思っていたから、旅の資金稼ぎをするのに肉体労働をしていました。でもある時、就職しようと思って。
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深井: いいですねえ、ぼくは「人生の転機」が好きなんです。何がきっかけなんですか?
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中村: すっごい好きな人ができたから。ちゃんと仕事しないと一緒にいられないなあ、働こっかなあ・・・って。26歳の後半くらいですね。
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深井: ほお、男らしいですね。
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中村: イベント会社などを受けたけど40社くらい落ちちゃって。どこにも正社員で受からないんですよ。26まで就職したことなかったから履歴書の内容が薄かった。なんにもしてなかったわけじゃないけれど、履歴書には書きにくいことばかりだったから。例えば当時、週刊誌に「日本のドヤ街めぐり」の記事を寄稿したり、旅をしながら記事を書いたりするようなことはしていたんですけど、就職のアピールにはならなかったんですね。どこにも入れず、アルバイトしか受からなかった。そのバイトは、洋蘭の展覧会で現場を仕切る仕事だったんですが、動きがよかったからって次の現場も声がかかって、そのうちに仕切っている広告代理店のイベント部門に契約社員で入社できました。そんなことでその代理店には8年位いました。
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40社落ちつづけた旅人が
出版社の社長に
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深井: その流れでエスプレに?
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中村: 大手広告代理店から音楽コンテンツメーカーに移籍してすぐ先輩に呼ばれてエスプレに。1000人規模の大きな会社からいきなり7人です。その頃の『ecocolo』は赤字で、マネージメントが出来る人がいなかったんですね。そこをうまく回して採算がとれるようにしていったんです。ビジネスとして成立させる仕事をしていたら、入社半年で「代表になってくれ」と言われてしまった。
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深井: 『ecocolo』は環境をテーマにした雑誌として先駆的なものでした。社会的意義もある仕事だと思うのですが、7年後に離れたのはなぜですか。
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中村: 『ecocolo』時代にあるセミナーに参加したのがきっかけですね。そこで自分のビジョン、つまり夢を定量化する課題があったんです。ぼくの夢ってなんだろうと改めて考える機会になった。元は1/4000の反応に興奮していた子どもが、ビジネスで何万人に向けたメディアの人になっていた。会社の収益とかクライアントのニーズのほうが優先で、メディアとしての社会的意義とはブレも出てくる。ビジネスとして育てていけば、そういうことにぶつかるんです。
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深井: 出版のために資金を集めていたのに、それが逆転してしまったんでしょうか。
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中村: ぼくにとってコンテンツは、お金を集める装置じゃなくて、人が見て共鳴するもの、人の心に深く響くものであってほしい。でも何万人にも向けてそれは難しいでしょう。何万人に共感される雑誌をつくり続けようと思うと、どうしても表層的な、流行というかみんながなんとなく好きそうなものを扱うことも必要になってきます。本質的な情報をちゃんと発信しようとすると、多くの読者やクライアントのニーズとかけ離れてしまう。そんな頃、311の震災があって、たまたまその直前に東電とのやりとりがあったこともあり、お金をとるか魂をとるか、つきつけられたことがあったんです。それが「自分が今やるべきことはなんだろう」と、見つめ直すきっかけになったとは思います。本当に価値のある情報を、共鳴してくれる人だけに伝えたい。神社が好きな人にこそっと「あの神社ヤバイぜ」って伝えられればいい。魂に響く、たとえ30人にでも濃い情報を伝えられればいいんじゃないかなと思いはじめました。その人たちの人生を左右してしまうかもしれないインパクトのあるコンテンツを作りたいんだって。
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神社本をつくり
尾道に学校をつくり
自分の会社をつくった
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深井: 共感します。ぼくたちが始めたORDINARYもスモールメディアで、共感してくれる人たちと深くつながりたいと思っているんです。日本中の1億数千万人が知っているようになるのが目的じゃない。中村さんは、そんな流れから「JINJA BOOK 」の刊行など、雜誌よりもメッセージ力のある書籍へシフトしたんですね。そして、いよいよエスプレ社長から退任されたと。
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中村: そうです。それから自由大学で「神社学」の教授をやったり、自分の思いを形にできる会社イマジンを立ち上げました。あ、そうだ! 忘れてましたが、みなさん、尾道へようこそ(一同にっこり)
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深井: そして尾道自由大学の校長に就任、ということですね。
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中村: 尾道との縁も不思議なものがありましてね。2011年は東北大震災もあれば台風14号もきました。加えて個人的にも激震の走った年でもあったので、年末年始は盤石な、なにか動かぬどっしりしたものに触れて年越しをしたいなと思ったんです。盤石なもの、それは巨石だろうと。日本中探したところ、この湾の向こうの向島に「岩屋の巨石」があるということを知りました。大晦日に東京から車で来て、その巨石に座って一晩、ひとり年越しをしました。尾道で校長やらないかっていう話は、そのあと1年後に来たんです。『ecocolo』時代に地方自治体の仕事もいろいろしていてノウハウはあったから、それで声がかかったという経緯はありますが、それにしても奇縁でしょう。
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深井: 石に呼ばれましたね。
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中村: そうかもしれません。神社が好きなのは、神社界に詳しいとか、専門知識があるとかいうことよりも、そもそもの日本人の信仰心のようなものが、自然崇拝を礎にした神道や神社のある場所に息づいていることを知ったからなんです。巨石には(あとで案内しますけどね)圧倒的な存在感があって、身近にあったら特別なものだと思います。「すごい」と誰もが感じるでしょう。その場に神が宿っていると考えるマインドがあるんです。後から誰かが宗教として形にしたけど、遡ると単純に「なんだかすごい」という感動から始まってるんじゃないかと思っています。ぼくにもあるし、あなたにもある。日本人には誰にでも無意識に山や石や木を、そんな森羅万象を神と敬う心があると思うんです。
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深井: 自然崇拝ですね。
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自分のつくるものは
自分とつながっているべき
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中村: ぼくは自分のつくるものは自分とつながっているべきだと考えています。『ecocolo』時代に実感していたことだけど、作り手が実体験をもっていないと、集まった情報をそつなくまとめても、面白いものにはならないんじゃないでしょうか。物事は体験してはじめて理解できるのであって、頭だけでわかった気になって作っても、実は伝わらない。伝わらないっていうのはね、その情報を見た人を動かすような力がないってことです。だから学びから実体験までひっぱる自由大学みたいな学校をメディアと捉え、来た人がそれぞれ自分のゴールに向かうお手伝いがしたい。おぼろげながらずっと考えていた夢は、そういうことなんです。とかいって、ぼくが一番楽しんでいるのかもしれませんけれど。
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深井: 人にものを伝える一番の方法は、それなんだと思います。つくり手が楽しくってしょうがない状態を作ると、誘わないでも人が覗きに来る。なに楽しそうにやってるんだろう?って。
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中村: 誘わない、でも来たら一緒に遊ぶ? っていうパターン。だから尾道自由大学を盛り上げるには、ぼく自身が尾道を遊び倒すこと。他人は言葉巧みにだますこともできるかもしれないけど、自分は騙せない。自分がワクワクすることじゃないと、人には伝わりません。
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深井: 尾道自由大学も1周年、これからさらに発展させていく、ということだと思いますが、ほかにも計画していることはありますか?
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中村: 江戸時代の天才仏師を紹介する本とか、温めている企画がいくつかあります。でも大きなテーマは、日本人がもっと日本の魅力に気づけるように、ぼく自身を使って火をつけて回るってことかな。勝手に「神起こし」と呼んでいるんですが(笑)。多くの日本人は自然とかけ離れて生きている。例えば心臓は寝てても動いているでしょう。生きているという現象は、自然そのものだっていう意識が、八百万(やおよろず)の神の意味だと思うんです。「我々は神の一部だ」っていう日本人独特な感覚。みんなの中にいる眠っているそれぞれの神様を起こしていくのが、ぼくの役割だと勝手に思っています。もちろん本当の意味での専門家ではないし、深い宗教的な教義まで教える人は他にいる。でも、興味をもった人と、神社の愛し方・楽しみ方を共鳴し合えれば、入り口までガイドすることはできるんじゃないかと思っています。もっと多くの日本人にぼくが感じたような日本人として生まれたことの幸運と面白さをわかって欲しいし、自分の国を楽しんで欲しい。そのために動き続けたいと思っています。止まったらそこでおしまいですから。
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深井: そうですね、自分のルーツを知ることで、もっと深く自分を好きになれると思います。なるほど、「神起こし」が中村さんの役割なんですね。誰の中にも神はいて、それを起こすきっかけをつくる。「神」を「才能」に言い換えれば、ぼくたちORDINARYの活動と通じるところがある気がします。せっかく生まれてきたのなら、誰もが自分の才能を最大限活かして生きて欲しいものです。今日は巨石にまで案内してもらって、貴重な体験でした。ありがとうございました!
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TEXT : モトカワマリコ(ORDINARY)
DATE : 2014.5.30