TOOLS 11 帆船のはじめ方 / 田中 稔彦( 海図を背負った旅人 )

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海に出るつもりなんてなかったけれど、内なる衝動に身をゆだねた
TOOLS 11

帆船のはじめ方
田中稔彦(海図を背負った旅人)

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自由に生きるために
内なる衝動と向き合おう
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先日、世界一周に旅立つ友人の話を聞く機会がありました。三十歳を少し越えたばかりの彼女は、仕事を辞めて2年をかけて世界一周の旅に出るのだそうです。

「どうして世界一周に出ようと思ったの」
そんな問いかけに彼女はいくつかの答えを披露してくれました。今の仕事に疑問を感じて。いろいろな人に会ってみたい。そんな分かりやすい答えの最後に、彼女はこう付け加えました。
「でもホントはどこからか降りてきたんです。世界一周に行きたいという思いが」

ああ、そうなのか。彼女の言葉がぼくの中にスッと入ってきました。そうでした。ぼくが最初に帆船(はんせん)の航海に出たときもそんな感じでした。
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帆船(はんせん)とは、帆を張り、帆に受ける風の力を利用して走る船のこと

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初めて帆船に乗ったのは28歳の時でした。 それから15年ほどが経ちました。 帆船での航海距離が地球2周分になりました。ひとつの夏を大西洋を風の力だけで渡って費やしたことがありました。台風から逃げて大荒れの海をひたすらさまよったこともありました。真冬の太平洋で波にさらわれて海に投げ出されそうになったこともありました。

たくさんの港に入りました。
たくさんの人に出会いました。
たくさんのことを学びました。
帆船に乗る中で手に入れたものは、人生でとても大切なことになりました。

でも初めて航海に出るまでは、船にも海にも帆船にも、特別な興味なんて持っていませんでした。海に出るつもりなんてこれっぽっちもありませんでした。
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会社を辞めて独立したのは26歳の時でした

フリーランスの舞台照明ディレクターとして、お芝居やコンサートの照明の設営や本番のオペレーションを仕事にしていました。仕事はそれなりに順調でした。 時間が不規則だったり、拘束時間が長かったり、キツいこともたくさんありました。

朝から夜まで仕事が続き、プライベートの時間はほとんどないような状態でした。 もともと好きで始めた仕事だったし、フリーになった自分に仕事がくることもうれしくて、あまり気にはなりませんでした。 気の合う仲間もいて、共同で倉庫を借りて、そのうち仕事が軌道に乗ったら、自分たちの会社を立ち上げようと語り合ったりもしていました。

 

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海に出るつもりなんてなかったけれど


ある秋の日の夕方、渋谷で待ち合わせまでの時間つぶしにある書店に立ち寄りました。特に目的もなく店内を歩き回り、適当にあちこちの本棚を眺めていました。何気なく、本当に何気なく、一冊の本を手に取りました。

それは「セイルトレーニング」という、帆船での航海を通じた体験学習プログラムを紹介する本でした。 誰でもが帆船に乗ることができ、乗船者が自分たちで舵を取り帆を操って航海をする。 本にはそんなことが書かれていました。

ぺらぺらとページをめくってみました。 ぼくは身体を動かしたり、アウトドアで活動することがそれほど好きではありませんでした。人見知りで見知らぬ人たちと共同生活することにも興味はありませんでした。 ぼくは本を棚に戻しました。 それから少し考えて、もう一度本を手に取ってレジに向かいました。

2ヶ月後、ぼくは大阪を出航する帆船のデッキに立っていました。 鹿児島まで真冬の太平洋を一週間。 それはぼくの人生を大きく変えた航海でした。

陸に戻ってから、仕事の規模を少しだけ小さくしました。 そうやって手に入れた1年のうちの1~2ヶ月を、ぼくはボランティアクルーとして帆船で過ごすようになりました。

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あの時、なぜ船に乗ったのか

なぜ航海にそこまでハマったのか。 それっぽい理由をいくつか思い浮かべることはできます。 一番分かりやすいストーリーは「仕事漬けの人生への違和感」というもの。 それも確かにそのとおりです。 でもそれだけでは説明しきれない何かが、澱のようにキレイな言葉の底に残ってしまうのです。

実のところ自分にとって一番しっくりくる説明は
「乗りたかったから」
ただその一言でした。

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ぼくたちはいつも、理性に従って自分がどう振舞うかを決めています。 ずっと、そうやって頭で判断し、行動することを学び、慣れてきました。 もちろん、それは大切なことです。 でも時にはシンプルに、内側から生まれた衝動を信じて動くことがあってもいいのではないでしょうか。
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彼女が仕事を辞めて世界一周に出るように
ぼくが海に出たように
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海に出たいと思ってから航海に乗り出すまで、二ヶ月ほどがかかりました。 彼女が世界一周に出ようと思ってから、もう半年あまりが過ぎています。 「現実」や「日常」に囲まれた中で、内なる衝動を信じて行動することは、実はそんなに 簡単なことではありません。 けれどどれだけ不安を感じても、賭けるように、投げ出すように、衝動に身を任せることが必要な瞬間が、人生にはやってくるのです。

あなたにも、きっと決断の時はやってきます。 それがいつなのか、自分の心を注意深く見つめて、内なる衝動と真剣に向き合えば、きっと感じ取れるはずです。 「船に乗る」という決断はぼくにとても大きなものを与えてくれました。 不安に負けずに自分の心の中に生まれたものを信じて進み続ければ、きっとあなたも素敵な人生に出会えるはずです。

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帆船をはじめた頃。航海を共にした仲間たちと。



帆船のはじめ方

1. 帆船についての本を手にとってみる
2.内なる衝動を感じるか確認する
3. 海に連れて行ってくれる船を探す


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。