もういちど帆船の森へ 【第16話】 冒険が多すぎる? / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦カヌーやボートに乗ったことは何度かありました。実際の漕ぎ進んだ距離や時間は、それと比べたら全然短かった。けれど何かが違ったのです。自分の手で作りあげた船だったからなのか。葦船という、ほとんど自然そのままのものを、最低限の加工で作った船だったからなのか。その短い時間はぼくに
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第16話   冒険が多すぎる? 

                   TEXT :  田中 稔彦                      

ぼくは冒険家!?

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少し前にあるイベントで全体での自己紹介の時に自由大学の元学長、岡島悦代さんに、

「この人、冒険家です」

と突っ込まれました。

冒険家?

その時は、適当にお茶を濁して話をそらしましたが、後になってだんだんと気になってきました。これまで「冒険家」と名乗ったことなどなければ、人からそう言われたこともなかったので。彼女はどうしてぼくのことを「冒険家」と評したのでしょうか? そもそも冒険家とはなんなのでしょうか?

岡島さんとは、ぼくが自由大学の講義を受ける中で知り合い、今は自由大学で授業をやらせてもらっている間柄です。

みんなの航海術

ちなみに自由大学ウェブサイトに掲載中のぼくのプロフィールは、こんな感じです。
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29歳の時に仕事中心の人生に疑問を感じ、今までと違う「なにか」を始めたいと思う。たまたま「帆船の体験航海」プログラム、セイルトレーニングと出会う。それまでは海や船に全く興味がなかったのになぜか体験が心に深くささり、その後「あこがれ」「海星」という二隻のセイルトレーニング帆船にスタッフとして関わるようになる。気が付けば帆船での航海距離は地球を2週した計算に。2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動。

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「帆船で地球を2周」とか「大西洋横断帆船レース」辺りが外から見ると冒険家っぽいのかもしれませんね。

セルフブランディングや起業、SNS活用術などの講座を受けるとプロフィールの書き方みたいなものを教えてくれたりします。このプロフィールも、そういうメソッドを意識して作りました。

ポイントとしては具体的な活動歴や受賞歴を強調すること。
そして、分かりやすく数値化してみせることです。
後は、噓にならない程度に話を盛ることとかも。

「地球を2周」「海外の帆船レース」は、そういうことも意識したフレーズではあります。
じゃあ、そのプロフィール上のポイントだった航海がぼくにとって冒険だったのかと考えると、微妙なものがあります。

ちなみにwikipediaの「冒険」という項目にはこう書かれています。

冒険(ぼうけん)とは、日常とかけ離れた状況の中で、なんらかの目的のために危険に満ちた体験の中に身を置くことである。あるいはその体験の中で、稀有な出来事に遭遇することもいう。

船での航海の特徴は、居住空間がそのまま移動するという点にあります。暮らす部屋や寝るためのベッドは、変わらないのです。実は法律的には、外国に行っても、船の中は船籍国の主権が及ぶとされています。なので船から降りなければ、入国手続きをする必要もありません。

ぼくが当時乗っていたのはそれなりのサイズの船で、自分専用の寝棚があり、空調も効いていました。もちろん時化(しけ)に遭ったりの大変な目にはあっていましたが、自分の生活する環境は変わらずに移動しているだけなので冒険の非日常感というのをあまり感じないのかもしれません。

じゃあ冒険ってなんなの?

その辺りについて、今回は書いてみたいと思います。

前回のエッセイでも書きましたが、「1970年代にイギリスで始まったセイルトレーニングというプログラムを今の日本に向けてアップデートすること」。それが2014年に考えていた、そして今でもずっと考え続けていることです。

その中で、今の日本での「冒険」や「体験」の意味を考えることは、ひとつのヒントになると思っていました。

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冒険ってなんだろう?

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富士山は日本で一番高い山です。

一度は登ってみたいと思う人も多く、老若男女様々な人が登頂にチャレンジしています。登山経験のない人でも、富士山にだけは登ったことがあるという人も、そこそこ見受けられます。情報も登山者も多く、高い山の割には気軽に登れる環境にはあります。しかし富士山で亡くなる人は、毎年10人ほどいらっしゃるようです。

富士山に登ることは冒険なのでしょうか?
そして富士山ではなく、高尾山に登ることは冒険?

アウトドアでのキャンプは、非日常を体験出来る素敵な時間です。キャンプ道具一式を背負って山や森を歩き、ひとりきりや仲間同士でテントを張り大自然に包まれた時間を過ごす。それは都会人にとってちょっとした冒険かもしれません。

では、整備されたキャンプサイトに道具一式を積み込んだ車で乗りつけて一夜を過ごすのは、冒険でしょうか?
あるいは最近話題になっている、豪華な設備で自然を楽しむというグランピングは冒険なのでしょうか?

「モノ」ではなく「コト」「体験」を提供するサービスがここ数年かなりのペースで増えていくなかで、「冒険」をキーワードにしたサービスもどんどん増えていっている、そんな気がします。

自然体験や田舎暮らし。
モノづくりや珍しい食。
海外体験や文化交流。

魅力的なプログラムはたくさんありますが、そこに「冒険」というキーワードが含まれると、この時代の冒険ってなんだろう?と少しモヤっとした気分になるのです。

お金や時間があれば手に入れられるもの、それは冒険なんだろうかと。

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葦の船で太平洋を渡る人

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9月の初めに、水辺に生える葦(あし)で船を作るワークショップに参加しました。

講師の石川仁さんは、南米チチカカ湖で葦船と出会い、葦船での外洋航海プロジェクトに参加されました。その後、チチカカ湖の葦船作りを改良して、日本各地で葦船を作ってその場で水に浮かべて乗ってみるという活動を2002年から続けています。そして2019年に、自作の大型葦船で太平洋を横断するプロジェクトを進めています。

これまで多くの海でいろいろな船に乗ってきましたが、葦を束ねただけの、それも自分の手でその場で作った船に乗るというのは、全く初めての経験でした。

鎌倉、由比ヶ浜。

朝から集まった20人ほどで葦を組み上げて縛りパーツを作っていきます。

葦船

最初はただの乾いた草の茎の塊だったのが、だんだんと見た目も、そして自分の心の中でも船へと変わっていきます。

葦船づくり

周りには海水浴客やサーファーが大勢いる中で、できあがった葦船を海に浮かべました。
2人ほどしか乗れない小さな船に、作ったみんなで交互に乗ります。

葦船

カヌーやボートに乗ったことは何度かありました。実際の漕ぎ進んだ距離や時間は、それと比べたら全然短かったと思います。

けれど、何かが違ったのです。自分の手で作りあげた船だったからなのか。葦船というほとんど自然そのままのものを、最低限の加工で作った船だったからなのか。

理由はわかりませんが、その短い時間は、ぼくにとって唯一無二の体験だったと言えます。

大きな葦船で太平洋に乗り出すことは、大きな冒険です。けれど小さな葦船でほんの十メートル、海岸線から漕ぎだすことも十分な冒険だと感じました。ぼくたちの冒険ってなんだろう、それを考えるヒントがありそうな気がしました。

 

 

今を生きるぼくたちの冒険を

 

太平洋を葦船で横断するのには、お金も時間もかかります。そういう意味では、これもお金や時間で手に入れる冒険と言えるかもしれません。けれども、これは本当の冒険です。誰かが用意してくれたものを、ただ手に入れるだけではありません。

では、お金や時間がないと冒険はできないのでしょうか?
誰かが用意したものに乗っかるだけでは、冒険とは呼べないのでしょうか?
普通の暮らしをしている人にとって、冒険は見果てぬ夢なのでしょうか?

2014年のぼくは、そのあたりに引っかかっていました。
そんなギャップを埋めたいと考えていました。
そしてまだそのためにどうすればいいのかという答えはでていません。

誰でも出会える小さな冒険の場を作ること。
一方で「冒険」を商材として消費しないこと。

考えているのは、そんなことです。
作りたいのは、そういうことです。

「インドア派で人見知りの帆船乗り」

この頃からぼくは、時々そう名乗るようになりました。キラキラと盛られたプロフィールではなくて、これは等身大の自分です。普通の人にとっての冒険って何かを考えるには、多分ここから始めなくてはいけないと思うのです。

あこがれや夢で終わってしまうのではなく、実際に手が届く、けれどお仕着せではない冒険。
作りたいのはそんなことです。

そして帆船を使って、帆船でしかできない冒険が作れれば、世界がもっと楽しくなる、そう思いませんか?

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。