もういちど帆船の森へ 【第4話】 マザーシップが競売にかけられてしまった

もういちど帆船の森へ 田中稔彦船がなくなるかも、という話は数年前から囁かれており「とうとう来たか」という感想でそれほど驚きはありませんでした。とはいえ、長く関わってきた船がなくなることはとても残念でした。その少し前まで起業について少しだけ勉強していました。

連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】

ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった


船乗りとして生まれ変わる

 

「マザーシップ」という言葉があります。

この言葉は辞書にも載っていますが、船の世界では辞書には載っていない特別の意味があります。それは「自分が船乗りとしてのキャリアをスタートした船」のことです。

この言葉には明確な定義があるわけではありません。乗船した時期が早い船をマザーシップだと感じる人がいるでしょうし、時期ではなくて技術的、精神的に船員として生きて行くことを決意するきっかけになった船をマザーシップと呼ぶ人もいます。

日本の場合、商船系の学校だと長期間乗ったということだと航海訓練所という独立行政法人の持っている練習船がマザーシップだという人が多いでしょう。また商船系でも水産系でもそれぞれの学校が練習船を運用しています。乗船した時期から言うと、それらの船をマザーシップだと感じる人も多いと思います。

いずれにしても、陸では当たり前のことが当たり前でない船の世界で生きて行くことを決意して、人が船乗りとして生まれ変わる場所、それがマザーシップなのです。

 

帆船で暮らしていた

 

今回はぼくにとってのマザーシップの話をしたいと思います。それは「あこがれ」という船です。

全長52m、360トン。3本のマストと13枚の帆を持ち、50人が宿泊して航海することができる帆船でした。大阪市が建造、運用していた船で、1993年から2013年まで約20年間にのべ34,000人が乗船したそうです。

ぼくが初めて乗ったのは1997年の2月、最後に乗ったのが2012年の夏だったと思います。最初はゲストとして、1998年からはボランティアクルーとしてこの船に乗り続けていました。この期間は少なくとも1ヶ月、長い時には3ヶ月ほど、船で暮らしていました。

元々、船にも海にもさして興味があるわけではなく、たまたま航海に参加しただけのはずが、これだけ長く船に関わるようになるとは、初めて乗った時には想像もしていませんでした。長く乗り続けるようになってきっかけの一つ、初めての航海でのエピソードは前回のエッセイにも少し書いているので興味がある人は読んでみてください。

「あこがれ」はセイルトレーニングという事業を行っています。セイルトレーニングは1970年代のイギリスが発祥のプログラムです。

実は世界各国の海軍や船員の養成機関では、帆船での航海体験は人材育成の重要なプログラムと位置付けられています。日本でも冒頭で紹介した航海訓練所という団体は日本丸、海王丸という大型帆船を所有し、船員養成のための各種学校の生徒に航海実習を提供しています。そしてそれをリーダーシップやチームワーク養成など、船員でない一般の人向けに提供したものがセイルトレーニングです。

ゲストとして乗ってきた人になるべくたくさん自分たちで船を動かす体験をしてもらいます。舵を取ったり、マストに登ったり、帆を張ったり。食事の支度をしたり、船の整備作業をしたりもします。

そんな航海の中で、最もゲストの人たちの近くにいて、いろいろな作業のサポートをしたり、船内の生活のお手伝いをするのが、ぼくが就いていたボランティアクルーというポジションです。

航海の中で学んだことはとてもここで書ききれるものではありません。ただ立場上、船を動かしたりメンテナンスしたりするスキルから、海で暮らすための基本的な振る舞い方まで浅くはありますが、とても幅広くいろんなことを知ることができたと思います。

たまたまフリーランスで長期の休みが取りやすいということもあり、北海道から沖縄まで、小笠原を始めとした離島の数々、カナダ、オランダ、フランス、中国などの海外と、いろんな場所に船でいくことができました。

そして1000人以上のゲストの方と、一緒に航海をさせていただいたことも大事な思い出です。

まだ若造な上にコミュニケーションが苦手なぼくにとって、様々なキャリアを持つ人と出会い、船という限定された環境で生活を共にするのはとても意味のある体験だったと思います。スタッフとしてゲストのみなさんの役に立つ以上に、ゲストのみなさんからいただいたものの方がたくさんあったのではと思っています。

 

競売と事業計画

 

2012年の夏頃だったかと思います。「あこがれ」の事業を2012年度末で終了し、船は競売にかけられることが所有者の大阪市から発表されました。

船がなくなるかも、という話は数年前から囁かれており「とうとう来たか」という感想でそれほど驚きはありませんでした。とはいえ、長く関わってきた船がなくなることはとても残念でした。

その少し前まで起業について少しだけ勉強していました。その時には「帆船」というのは自分が経営するものではないと思い込んでいたので、起業のテーマにしたことはありませんでした。

けれど自分のマザーシップが競売にかけられるという事態になって、初めて自分が「セイルトレーニング帆船を経営する」ことを少し具体的に考えてみました。

落札に必要な費用、あこがれの建造費から考えて、おそらく数千万円の単位だろうことは推測できました。当然、自由になるそれだけのお金は手元にありません。

しかしその時に思ったのは船を買い取ることではなくてその後、ちゃんと運営していけるのかということでした。

実は「あこがれ」の他にも日本セイルトレーニング協会という団体が「海星」という帆船を運用していました。しかしこの団体も約10年ほどで経営難から解散し、船はアメリカに売却されました。

楽天的な見方かもしれませんが、競売の費用はどこかから出資を受けることもできなくはないとは思っていました。落札後の運営について社会的な意義も含めて赤字にならない程度の運用ができるということを証明できれば、資金を集められる可能性もなくはないと。

そのためにもまずは事業計画が必要です。そこで赤字にならないためにはどのくらいの売り上げを上げればいいのか、ちょっと試算してみることにしました。

まず一年間の運航経費がざっと2億。正確なデータは持っていませんが、折に触れてペイドクルー(常勤のプロの船員さん)や事務局の人との世間話で出た情報を総合して設定しました。当たらずといえども遠からずというところだと思います。

次に年間の営業日数。これまでの経験から平日の航海はあまり人がこないことが分かっていました。逆に週末の一泊二日や1日航海などはかなりの集客が見込めます。

年間に2ヶ月ほどは整備作業で営業できないとして45週間。週末は必ず航海を企画するとして90日。これにプラスして祝日、夏休みなどの長期休暇、また企業向けの貸切航海などを想定して年間の稼働日は200日と想定しました。

必要経費の2億円を200日で割った1日あたりの必要な売り上げは、100万円とでました。

「うーん… 」

「あこがれ」の旅客定員は宿泊を伴う航海で35名。1日航海で60名です。これまでの料金設定は、宿泊ありで1日15,000円、1日航海で6,000円くらいでした。つまり今までの値段設定で営業する限りは、乗船率100%の大入り満員が続いたとしても絶対にペイしないのです。

仮に平均乗船率を80%で、1航海のゲスト28名と設定した場合、売り上げは42万円。
28名のゲストで100万円を売り上げるには乗船費用は1日あたり3万5千円になります。

そもそも年間通して80%の乗船率というのも、これまでのデータを持っているわけではありませんが、体感的にはかなり高い目標設定です。

経費を削減する、客単価を上げる、などなど何パターンか数字をいじってみましたが…

「それでなんとかなるレベルではない!」

客単価を上げるためにプログラムを変えていくことも考えましたが、1日あたり3万円を超えるサービスを提供するイメージが全く見えてこない。

半月ほどいろいろと考えてみましたが、結局のところ事業として継続できるだけの枠組みが作れず、競売は見送ることにしました。

結局「あこがれ」はある海事代理士さんがスポンサーを見つけて落札し、「みらいへ」と名前を変えて現在は神戸を拠点に活動しています。まあそれはそれでよい話なのですが、先行きはなかなか厳しいものがあるようです。

 

失って、そして考えたこと

 

「あこがれ」の競売をきっかけに、実際に帆船を経営することをシミュレーションしてみたわけですが、それをきっかけに自分の中に小さな変化が生まれました。

これまでは自分で帆船を経営することを考えたことすらありませんでした。ずっと関わってきたのはあくまで船を動かすことやプログラムの実施をサポートすることでした。いわゆる「現場」の作業です。

ぼくの性にあっていてやりがいがあって楽しいのも、そういう立場で動くことでした。
それに帆船を経営することは規模が大きすぎで自分には手に余ることだとも感じていました。

でもそれは

「単なる気分的な問題に過ぎないのでは?」

自分で経営シミュレーションしてみて、そう感じるようになったのです。

確かに帆船を一隻経営するのは難しい話だとは思います。けれど起業や経営を学んでいた時期があったおかげで、必要以上に恐れる気持ちはなくなっていました。すごくシンプルに考えれば、売り上げが経費を上回ればいい、それだけのことです。

もう一度、自分の行ったシミュレーションの内容を見直してみました。なにをどうすれば帆船の経営は成り立つのかということも考えてみました。自分はどんな風に帆船に関わりたいのか、どんな船を楽しいと思うのかも改めて考えてみました。

「あこがれ」はぼくのマザーシップです。この船で帆船乗りとして生まれた。それは確かなことです。しかし船のスペックや運用形態は、必ずしもぼくの考える理想の帆船というわけではありませんでした。

「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にはスタッフとして関わりました。それ以外にも国内では海王丸や咸臨丸という船に乗りました。海外でも数隻の帆船で航海し、またイベントなどで數十隻の帆船を実際に見て、運用の様子を知る機会がありました。海軍や商船学校の船から、民間のトレーニング船、クルーズ船。サイズも目的も様々な数多くの帆船と出会ってきました。

日本で経営的に成立する帆船はどんなスペックでどんなプログラムを行えばいいのか? マザーシップが失われる、そのことが決まってぼくの中の何かが変わったのです。ぼくの興味はだんだんとそういう方向へと変わっていき、そして今につながっているのです。

帆船は乗り物であると同時に、ぼく自身も含めた関わっている多くの人にとって、夢ややりがいを託せたり、多くの人と繋がれる大切な場でした。

お手伝いしていたもう一隻の帆船「海星」は2003年になくなりました。
そして2012年、もう一隻の船も失いました。
ぼくは乗る船を失くした帆船乗りになったのです。

けれどその時、こうも考えたのです。

乗る船がないのなら自分で作ればいい。
自分が乗って楽しいと思える船を。
そしてもちろん、経営的にも成立するものを。

「帆船をマネタイズする」

この時はまだそこまではっきりとは意識していませんでしたが、自分がやりたいのはそういうことだと考えるようになりました。いつまでも帆船に乗り続けていくために、そして自分の体験したことを次の世代に伝えるために。ここからぼくの新しいチャレンジが始まったのです。

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)

 

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。