もういちど帆船の森へ 【第7話】 夢見るのではなくて / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦公演が終わり、舞台の備品を全てトラックに積み込み、役者とスタッフはバスで体育館を離れます。そのバスをお客さんだった人たちが手を振りながら見送ってくれる。「夢見るのではなく、夢見られる存在」ぼくたちは間違いなく夢見られる存在だったのです。

連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】

ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第7話    夢見るのではなくて

                 
TEXT : 田中稔彦
                      


帆船と黒歴史

 

先日、あるマンガの中に「ひとは黒歴史を積み重ねて大人になるのだ」という表現がありました。

「黒歴史」という言葉そのものは、最近になって普通に使われるようになったと思います。なので、自分の「黒歴史」ってなんなのかあまり意識したことがなかったのですが、改めて人生におけるあまり人に語りたくない過去って何かを正月から考えてみました。


… たくさんありすぎな上に、なんだか生々しく中学生くらいの記憶がよみがえってきてツライです。オカルトとかSFとか裸足とかプロレスとか(いや、プロレスは黒歴史ではないかもですが)

そう思うと「帆船」も微妙な位置にいる気がします。帆船に出会った頃の入れ込み方というのは、冷静に見ると小っ恥ずかしいものだった気もします。

そもそも「黒歴史」ってなんだろう。同じ何かに入れあげていた過去も、今振り返ると人によって恥ずかしかったり、楽しかったり、いろんな感じ方があります。その違いはどこにあるのか。

ぼくは今の自分と繋がっていない袋小路を全力疾走していた感覚が黒歴史なのではと思います。どこかで道を間違えたことに気づいて引き返した感覚、それがあるかないかが同じ経験を黒歴史だと感じるかどうかの境目のような気がします。だからぼくにとっての帆船は今でもそこにこだわり、自分の人生にキチンとつながっているので、決して黒でも歴史でもないと思うのです。ただ冷静にひとつひとつのエピソードを思い出してみると、かなり恥ずかしいものもあるのも事実です。

ぼくが2001年から2003年までお手伝いしていた「海星」という帆船では、航海ごとに乗船したゲストに「トラックチャート」というものを作ってもらっていました。

航路や航海に参加したメンバーや航海の感想などをA4一枚にまとめて、航海の記念にしたもので、作ったトラックチャートはすべて船内に保管されていて誰でも見ることができるようになっていました。

海星の運営団体はなくなってしまったのですが、当時の資料などは有志の手で「海星記念館」というwebサイトでまとめられています。トラックチャートもその団体が引き継いで、サイトで公開されています。

この中にはぼくがゲストとして乗船して作ったトラックチャートも何枚かあります。
どれが、というのは内緒ですが、見返してみるとかなり恥ずかしいこと書いてました。

 

歴代の航海のトラックチャートがずらり

© 海星記念館

 

いつもたった一度きりの航海

 

帆船での航海は、毎回メンバーは違うし、走っている海域も、期間中の天候や海況も違います。毎回違うエピソードが生まれたりもします。

そんなわけで、航海をしている間は一緒に乗っている人間どうしでかなり独特で濃密な時間を過ごしています。その航海の中でしか通じないようなノリや言葉もたくさんあるのです。

航海期間中、ずっと天気がよくて楽しい航海が続くこともあります。一方で、海が荒れたり、天候がくるくる変わったりで、全く予定通りにいかないこともあります。そして大変でイレギュラーな航海のほうが、様々なエピソードが生まれ、当事者にとって忘れられない経験になることが多いのです。

いま、海星記念館のWEBサイトでは、自分が乗船していない航海のトラックチャートも見ることができます。知らない人が知らない航海について熱く、楽しげに語るのを見ると、微笑ましく感じる一方で、やはりその航海の独特の雰囲気はよく分からないと感じることも多いのです。

「15m/sの強風に立ち向かった」ことはそれを体験した本人達にとっては途方もない冒険だったと思います。「ずっと波をかぶりながら交代で舵を取っていたこと」そしてそんなツライ時間を乗り越えて目的の港にたどり着いた経験からは大きな達成感を感じられたでしょう。

「替え歌を作ること」が流行った航海もありました。イルカを呼べるという本当かデマか分からない話でみんなで船縁にならんで、船体をカンカン叩いた航海もありました。毎晩、みんなでデッキでの星空観測が日課だったこともあれば、毎朝ラジオ体操をしたこともありました。

それぞれの航海はそれに参加した人たちのものです。参加した人たちの中で楽しむことができれば、何の問題もありません。けれど帆船やセイルトレーニングの魅力を伝えようとしたときに、いつもここが引っかかるのです。

 

体験を伝える難しさ

 

帆船の航海は何が楽しいのか。どういう意味があるのか。「帆船のメディア化」を考えた時に、それが発信できなくては意味がありません。

しかし航海の楽しさの本質には、この「一回性」というものも大きく関わっている、自分自身もゲストとして何度も航海に参加している中で、ぼくはそんな風にも感じていたのです。

帆船の本当の魅力や楽しさは実際に航海を体験した人たちの間でしか共有できない、自分でもそう感じていましたし、セイルトレーニングに関わっている多くの人もそう思っていたようです。

けれども、航海ごとの一度しか生まれないエピソードをいくら並べてもセイルトレーニングに一般的な価値があることを十分に伝えることはできません。再現性のないプログラムにお金と時間を使って参加する価値があると感じさせられるとは思えません。

けれども最大公約数の部分を語っても、一般的な価値があると思える部分だけを切り取っても、セイルトレーニング本質を伝えきれていないと感じてしまいますし、また実際のところ他人が見てそれほど魅力があるようにも見えないのです。

帆船に乗るようになってずっと、ぼくはこの矛盾と向き合ってきました。自分が体験したことを他人に伝えようとするたびに、自分が本当に伝えたいことが伝わりきらないもどかしさを感じ続けてきました。

どうすれば伝わるのか。「帆船のメディア化」を考えるようなった2013年頃、ぼくはその難しさとは「個人的な体験を一般的な価値体系として表現する」ことだと考えるようになりました。

「個人的な体験」を「一般的な価値」に変換していくこと。それが「帆船」をテーマにしていくために、この先どうしてもやっていかなくてはいけないポイント、そう気付いたのです。

「夢見るのではなく、夢見られる存在」

体験を価値に変換することについて考える中で、ふとこんな言葉を思い出しました。ぼくの黒歴史のひとつ、ファンタジー小説に入れ込んでいた中学時代に読んだ「最後のユニコーン」という物語に出てくるフレーズです。

記憶があいまいなのですが、世界のあちこちに住んでいたはずのユニコーンがいつの間にかいなくなり、たった一匹残された最後のユニコーンが仲間を探して旅をする物語… だったと思います。ユニコーンは本来は不死の存在なので、いなくなったのには理由があるのです。もうストーリーはすっかり忘れてしまって思い出せないのですが。

「夢見るのではなく、夢見られる存在」とは物語の登場人物がユニコーンについて語った言葉です。内容は忘れてしまっても、この言葉だけはなぜかずっと心の片隅に引っかかっていました。そして折に触れて思い出したりもしていました。

 

夢見られる存在として

 

ぼくは演劇の照明スタッフとして生活しています。15年ほど前、一年の半分くらい地方を回って演劇の公演をするという生活をしていた時期がありました。

そのツアーでは地方の小さな街を訪れることもありました。劇場どころか映画館すらないような小さな街で体育館に照明を設営し、舞台装置を飾り、劇を上演します。

もしかすると、生まれて初めてお芝居を観る人もいたのだと思います。
もしかすると、生涯にたった一度のお芝居がその時だった人もいると思います。

公演が終わり、舞台の備品を全てトラックに積み込み、役者とスタッフはバスで体育館を離れます。そのバスをお客さんだった人たちが手を振りながら見送ってくれることがありました。

日常とは全く違う時間の空間からやってきて、たった1日見慣れた体育館を劇場に変えて、あっという間に去っていく人たち。街の人からぼくたちはそう見えていたのだと思います。

「夢見るのではなく、夢見られる存在」

その頃もよくこの言葉を思い出していました。ぼくたちは間違いなく夢見られる存在だったのです。

しばらくの間忘れていたその言葉をぼくは思い起こしたのです。
帆船もまた「夢見られる存在」なのだと。
映画や物語の登場人物のように、人々の記憶の中に鮮やかに残り続けていくのだと。

どのように語ることが、帆船の魅力を伝えることになるのか、2013年のそしていま2017年のぼくもはっきりとはわかっていません。けれど大事なのは「夢見られる存在」として語ること、そこなのではないかと思ったのです。

小さな引っかかりでしかありませんでした。個人的な小さな想いでしかありませんでした。しかしぼくにとっての始まりはそこからだった、そう感じたのです。

夢見られる存在だから帆船に惹かれた。
夢見られる存在だからずっと関わってきた。
ぼくにとって間違いなく帆船はそういうものでした。

だからそこから、もういちど「帆船」について語り始めよう、そう思ったのです。

初めて帆船に出会った頃のトキメキを忘れずに。
帆船で体験したワクワクを呼び醒ましながら。

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学「みんなの航海術」 帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう


 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。