TOOLS 42 荒波でコンディションを保つ方法 / 田中 稔彦( 海図を背負った旅人 )

波を被り、風に煽られ、大変な状況で船を動かしている時に、キチンとした温かい食事がとれるというのは、気持ちをリセットさせて落ち着かせるのにとても効果がある。船に長く乗っているうちにぼくはそう感じるようになったのです。しかし、時化の中で料理するのは簡単なことではありません。
TOOLS 42

荒波でコンディションを保つ方法 
田中 稔彦  ( 海図を背負った旅人 )

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自由に生きるために
食事をすること、作ることの意味を見直してみよう

 

ぼくは28歳でセイルトレーニング帆船の航海を体験しました。

 帆船(はんせん)とは、帆を張り風の力で走る船のこと 

 

その後は縁あって「あこがれ」「海星」という当時日本の海を走っていた二隻のセイルトレーニング帆船を、ボランティアクルーとしてお手伝いするようになりました。有給で常勤のクルーとは別に、無給で仕事の都合のつく時に乗船して航海のお手伝いをしていました。

帆船「あこがれ」では1997年から、帆船「海星」では2001年から、いずれも船が運航をやめる最後の年までお手伝いさていただいてました。紆余曲折ありましたが、15年以上帆船に関わってきたことになります。

航海を重ねる中で気づいたこと身に付いたことがたくさんありました。
今回はその中のひとつ「食事」について書いてみたいと思います。

調理の技術や料理のレシピのことではありません。「毎日、朝、昼、夜の三度、みんなが食べるものをキチンと用意するということ」の大変さや大切さです。

 

航海の大事な裏方
クックスメイトとは

 

セイルトレーニング帆船でのボランティアクルーの役割はいくつかあるのですが、そのひとつに「クックスメイト」と呼ばれるものがありました。船にはプロのコックさんが乗っていて航海中の食事を用意するのですが、そのサポートをするのが仕事です。

調理そのもののお手伝いもしますし、食材の管理にも目を配ります。調理場、食堂、食料庫などの掃除も担当します。セイルトレーニングでは食事を作ること、片付けることも多くて、大切なプログラムだと考えられています。なのでトレーニーと呼ばれている乗船客たちも交替で食事の支度や片付けの手伝いをします。そのトレーニーたちに適当な作業を割り振るのもクックスメイトの大事な役割のひとつです。

 

まずは食材を揃えて、食事の支度が始まります

まずは食材を揃えて、食事の支度が始まります

 

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揺れる船の中での
作ることと食べること

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2001年頃の帆船「海星」にぼくはよくクックスメイトとして参加していました。
その頃の船の司厨長(調理責任者)はKさんという50代くらいの小柄な男性でした。
長くいろいろな船で潮風にさらされながら料理を作り続けてきていて、いかにも海で暮らしてきたという雰囲気を醸し出している人でした。航海中はKさんとクックスメイトの2人だけが厨房の専任のスタッフというわけです。

初めてクックスメイトとして乗船したのは横浜から小笠原までの一週間の航海でした。ぼくは元々、日常的に料理をしたりはしていませんでした。当然、調理の技術や知識ありません。航海が始まった頃はミスをしたり、気が利かなかったりの連続で、Kさんにはいつも怒られてばかりいました。

Kさんも現場叩き上げの人で決して丁寧に仕事の手順を説明するようなタイプではなく、少し話しづらい雰囲気を感じていました。そんなこともあって、最初の頃はこの先うまくやっていけるのかかなり不安な気持ちで一杯でした。

とはいえ、航海の間は船から降りることはできないし、役割を他の人に代わってもらうわけにもいきません。どんなに不安でも、どんなに力が足りなくても、出来ることをひとつひとつやっていくしかないのです。

少し状況がいい方に転がり始めたのは「タバコ」がきっかけでした。その頃のぼくはタバコを吸ってはいませんでした。ただその航海中はいつもよりもストレスを感じていたので、仲のよかった乗組員に時々タバコをもらって休憩中に吸ったりしていました。

ある日それを見たKさんが

「もらいタバコはみっともない」

と言ってぼくにタバコを一箱まるまるくれたのです。航海をしている間は当たり前ですが船の外から何かを手に入れることはできません。次に港に着くまでの日数とかを考えて航海前に必要な数を買い込んであるのですから、たかがタバコ一箱と言っても、なかなか貴重なものなのです。

それから休憩時間にはデッキでKさんと一緒にタバコを吸うことが多くなりました。おかげで聞きたいことや言いたいことも気軽に話し合えるようになり、少しずつですが厨房の作業でも息が合うようになってきました。

食後はトレーニーのみなさんと一緒に後片付け

食後はトレーニーのみなさんと一緒に後片付け

 

Kさんとの関係がよくなったもうひとつの理由として、ぼくが船酔いをしなかったというのもありました。調理中の厨房や熱気や食べ物の匂いがこもります。そのせいで厨房は船の中でも船酔いしやすいポイントのひとつなのです。

一週間の航海となると、当然ですが海が荒れる日もあります。特に最初にクックスメイトで乗船したのは小笠原まで太平洋を突っ切る航海だったので、天気がよく船が揺れることもありましたし、ひとたび海が荒れるとまともにたっていられないくらいに船が傾くこともありました。

もちろん時化の中で料理するのは簡単なことではありません。煮物や汁物は鍋が傾くのでそれを見越した量でつくらないといけません。そもそも熱い鍋やフライパンが滑り出すこともしょっちゅうです。

食材で一杯のボウルを両手で抱えたまま、揺れで身体を飛ばされて壁に叩き付けられたり、包丁を片手に持ったまま、残った片手でシンクにしがみついて倒れるのをなんとか耐えたり。たった一度の食事を用意するだけで何度も危険な目に遭います。今日ぐらいはもっと簡単なメニューにした方がいいのでは? 正直そう思ったことも何度かありました。

しかし、Kさんは手を抜きません。油の鍋が飛ばないようにぼくに押さえさせながら天プラを揚げていたことがありました。揺れで斜めになった床にすべらないないように踏ん張りながら、次々とポークテーを焼いていたこともありました。

そこまでして食事を用意しても、船酔いで食事を摂らない人もたくさんいます。なのになぜそうまでして時化の中でもちゃんとした食事を出すのか? 作り手としてのプロ意識というのも確かにあったと思います。でもそれだけではないのです。

海が時化た時に食事をした経験はたくさんありました。揺れる船の中でご飯をよそい、汁物をつぎ、食事をするのは確かにそれだけでかなりの労力を使う作業ではありました。食べる側としても効率だけを考えれば簡単に食べられるものの方がいいに決まっています。

けれど波を被り、風に煽られ、大変な状況で船を動かしている時に、キチンとした温かい食事がとれるというのは、気持ちをリセットさせて落ち着かせるのにとても効果がある、船に長く乗っているうちにぼくはそう感じるようになったのです。

船では空間が限られています。寝起きしている部屋からほんの数メートル歩いてデッキに出るとそこはもう海です。生活する場所、寝る場所、くつろぐ場所、その全てがほぼ同じ空間になります。そんな中で本当にリラックスするのは実は難しいことなのです。

トレーニーとしてひとつの航海だけに乗っているときにはあまり気になりませんでしたが、ボランティアクルーとして何度も航海を重ねたり、長く船で生活することが増えるようになってきて、食事の時間にリラックスできるかどうかは、とても重要なことだと思うようになったのです。

食事の前には帽子をとり、上着を脱ぎリラックスした状態になること。ご飯とおかずをよそい、汁碗にみそ汁を注ぎ、ちゃんとした食事を摂ること。船という非日常の時間と空間の中でキチンとした食事をすること。それは自分の精神のコンディションを保つのにとても大事なことだったのです。

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みんなで食事をする時間は大切なリラックスタイム

みんなで食事をする時間は大切なリラックスタイム

 

 

船の中では当然、外食することも、出来合いのものを買ってくることもできません。積み込める食材にも限りがありますし、保存の利かない食材は使うこともできません。調理器具にも様々な制約がありますし、海況によっては普段は簡単できる調理すらとてつもない重労働になります。

その中で与えられたコンディションの中で一定のクオリティーの料理をキチンと作り続ける。そこにプロとしての凄みも感じましたし、それまで気づかなかった「ただそれだれの当たり前のこと」の大切さや大変さにも思い至るようになりました。

 

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船のコックさんは人も見ている?
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Kさんとは最初の航海でとても仲良くなり、その後も何度か厨房でご一緒させていただきました。

なぜかぼくの分のタバコも買い込んでくれていた航海もありましたし、寄港地で一緒に飲みに行ったりもするようになりました。ある航海ではその時のクックスメイトが船酔いでダウンしたので「代わりにあいつ入れて」とご指名で呼んでいただいたりもしました。

また別の航海ではなぜか焼酎の小瓶を突然手渡されたこともありました。その時はクックスメイトではなくデッキ作業の手伝いとして乗船していました。今思うとその航海ではいつもと違うことがたくさんあって、ぼく自身知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでいたような気がします。

航海中の船では狭い空間で決まったメンバーが暮らしています。そのために本当にささいなことから人間関係や仕事のストレスを抱え込んでしまうことも多いのです。

コックというポジションは船の中でも独特のもので、航海士や機関士とは仕事の内容も時間帯も大きく違っています。そして乗組員全員の様子を、食事の時間がくるごとに見ることもできます。そのせいかぼくが出会った船のコックさんには船の中の状況や人間関係が良く見えている人が多いような気がします。

最初の航海でぼくにタバコをくれたのも、そして焼酎をくれたのも、ぼくが悩んでいることに気づいてフォローしてくれたのではないか、ふとそんな風に思うことがあります。もっとも、ボランティアクルーは航海中は飲酒は禁止なのでせっかくいただいた焼酎も手を付けられなかったんですがね…。(了)

 

 

荒波でコンディションを保つ方法
1.  どんなに逆境でも、温かい食事をみんなでとる
2.  食事の前には帽子をとり、上着を脱ぎリラックスした状態になる
3.  メンバーがストレスを溜めていないか、食事の時間に気づかう

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 田中稔彦さんが帆船に乗ることになった話など 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)

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写真:Apionid (1枚目)、その他は筆者本人


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。