面倒な映画帖 10 兄とその妹とカーラーババア 「兄とその妹」

面倒な映画帖

豆腐屋のばあさんは頭に無数のカーラーを巻いている。開店しているのに、お客がいるのに…である。午後2時すぎてもまだ巻いている。いつ外すんだろうか。カーラーババアの本番はいつなんだろうか。何に備えておしゃれをしているんだろう。/strong>

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モトカワマリコの面倒な映画帖 とは

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。

 面倒な映画 10 
「兄とその妹」
戦前の生活感覚がわかる貴重な文化遺産

 

 豆腐屋のカーラーババアの謎 

昔、家の近所を通っていた古い街道では、交通渋滞緩和のために拡張工事が進んでいた。しかし一か所だけ道が狭くなっていて、川の流れをせき止める大岩のように古い豆腐屋があった。自治体と地主の話し合いでは立ち退きが成立していたらしいが、店子が立ち退かないので、工事がすすまない。公共の利便と個人の権利がせめぎあう難しい問題なのだろう。

問題の豆腐屋さんは独特な店。特に材料にこだわっている風でもないのだが、一丁が普通の倍くらいあり、木綿でも絹でもないのだという。一口食べると豆の風味と甘味が広がって、固さも絶妙。ダイナミックに揚げた生揚げがおいしくて、下手をすると冷奴と生揚げの煮物でおかずがオール豆腐になってしまうほど。安くておいしい地元の味として重宝していた。

不思議なのは豆腐屋としてのやる気だ。11時すぎないと店を開けないし、開けない日もざらにある。なんでそんなにいい加減なのだろう、豆腐の品質の良さとのバランスがおかしい。しかも11時すぎに買い物に行くと、豆腐屋のばあさんは頭に無数のカーラーを巻いている。開店しているのに、お客がいるのに…である。午後2時すぎてもまだ巻いている。いつ外すんだろうか。カーラーババアの本番はいつなんだろうか。何に備えておしゃれをしているんだろう。豆腐屋のババアは仮の姿で、夜な夜なカーラーをはずし、ドレスアップして舞踏会にでも出かけるんだろうか。

いつのまにか、その豆腐屋は廃屋になった。豆腐屋の消滅とともに、カーラーババアの謎も永遠にわからないまま消えてしまった。そして折々、ビールの季節になると、格別にうまかった豆腐のことを思い出し、連想するのが、島津保次郎監督の映画「兄とその妹」だ。桑野通子が演じる元気なヒロインが妙にババアに似ていたからなのだが。

 

 一軒の家の中に現れた時代のクロスポイント 

まだ戦争の影も薄い1936年に公開された作品で、戦前の東京の様子がつぶさにわかる映画だ。冒頭では純和風建築にふてくされたサラリーマンの兄とその妻がいるだけなのでそうでもないが、ヒロインである妹文子が登場すると、映画は突如時代を無視し始める。文子は現代からタイムスリップした人みたいに、水道もガスも冷蔵庫もない純和風の家で、古風な火鉢に餅網を置いてパンをトーストし、ちゃぶ台に正座して紅茶を飲む。意気揚々とストッキングにハイヒール、アメリカの女優のようなファーコートを羽織り、帽子をハスに被り、満員電車で仕事に出かける。

この家は、まるで新旧の時代の交差点だ。兄嫁と妹は3歳くらいしか年齢が違わなそうなのに、片方は和装にまとめ髪で控え目な主婦、妹は洋装で強気なキャリアガール。島津監督は時代の変わり目を意識して文子に桑野通子を起用したのだろう。バタ臭い彼女は手足が長くナイスバディで、巻き髪の洋装が似合う。いかにも有能なビジネスウーマンで、英語も堪能、今だってレアなすごい女性。さっそうと銀座を闊歩するハイヒールの姿はイキイキとした自立したイメージは、新時代を生きるかっこいい女のアイコンとして、若い女性に与える影響力は相当なものだったはずだ。

もっとも悲しいことにそのステキアイコンはここから10年近く封印されることになる。文子みたいに欧米文化を愛する女性たちは、きっと息をひそめ、憧れを押し殺し、逆行する時代に押し流されてストッキングとハイヒールを捨てたのだろう。そして黙ってモンペをはいて、戦禍を生き延びたのだろう。もし平成の日本が戦争になったら、自立を標ぼうし、元気に働く私たちはあきこたちと同じようにシフトチェンジを強いられるのだろうか。

今、この国の状況は1930年代に酷似していないだろうか。戦争を挟んで遠くなってしまった戦争前の日本はどうだったのか、私はそういう気持ちで、いつも戦前の映画を観る。空襲を受ける前の1936年の東京はまるで今と変わらないように見える。戦後、変わったように思える日本人のマインドは、あの時代とどう違い、どう同じなんだろう。当時と比べて今はどんな時代なのだろうか、今なにが変わろうとしているのだろう。リアルなヒントといえば、このくらいリアルな資料はないだろう。プロパガンダもまだなく、娯楽として気楽に作られた作品だけに、なんの意図もなく当時の人たちの感覚が表現されている。当時らしいインテリめいた登場人物たちの新劇臭いセリフをかみ砕きながら、彼らが何を考えていたのか、それを探らずにはいられない。

さて、例の豆腐屋のカーラーババアも、戦前にはキャリアガールだったかもしれない世代。ハイヒールを履き、カーラーを巻いて寝ていたおしゃれさんの一人だったかもしれない。戦争を経験し、夢破れ、やがて豆腐屋の女主人に収まっていたりしてもおかしくない。おしゃれだった彼女は、街道沿いの古い店で豆腐を売りながら、いつも髪をカーラーで巻き、心の底ではステキな女性であり続けている。カーラーに巻かれた髪がほどかれることはなく、誰の目にも触れずクルクルと晴れ舞台の準備を続けるだけ。美しい若い時代はもう戻らないし、ヒールをカツカツいわせ、女優のように銀座をさっそうと闊歩する日はもう来ない。夢は古ぼけたヘアネットの中で眠り続け、やがて道路拡張工事に消滅していくだけだった…可能性がありはしないか。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。趣味は料理と映画と声楽。二児の母。