もういちど帆船の森へ 【第10話】 就活に失敗しました / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦心から愛したものがなくなろうとする時に、自分がなんのアクションもしなかった。そのことが心にずっと小さな傷として残っていました。セイルトレーニングへの想いはその程度だったのか。チクチクと胸を刺し続けていました。ぼくにとって「みらいへ」のクルーになる
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第10話    就活に失敗しました

                 
 TEXT :  田中 稔彦
                      

履歴書を書きました

 

1987年 4月 大学入学
1991年10月 株式会社◯◯入社
1992年 3月 学費未納のため大学除籍処分

…… なんだか時系列がおかしいですね。

簡単に言うと授業に出席せずにフリーランスで仕事をしていて、同業だった大学の先輩に誘われて会社に入り、そんなこんなで手続きを忘れて除籍処分になったということです。ついでに、大学には5年間在籍していました。

大学で学んだこととは全く違う仕事についているのでそういう意味では大学に行ったのは無駄だったと言えますが、そこで出会った人のおかげでいまの仕事へのご縁がつながったので、行った意味はあったとも言えます。

ぼくが会社に在籍していたのは1991年から3年間です。それ以降、一度も組織に所属したことはありません。ずっとフリーランスで働いてきました。最初に入った会社も知り合いに誘われて立ち上げから関わりました。大学時代もずっとフリーランスで稼いでいたのでアルバイトをしたこともありません。当然、履歴書なんかも書いたことはありません。就職活動もしたことがありません。

そんなぼくですが、2013年の秋、齢45歳になって、生まれて初めて就職活動をしました。生まれて初めて、ちゃんとした履歴書も書きました。

 

船乗りにならないの?

 

28歳の時に帆船にはまり、毎年一、二ヶ月は船で暮らすようになって、帆船の話を自分の陸での仕事場で話すと「船乗りにはならないの」と聞かれることもよくありました。

趣味ではなく職業として船員を目指すというのは、まず制度の面でもちょっと難しいものがありました。

職業船員になるためには、海技士(航海士)か機関士の資格を取る必要があります。独学で勉強することも可能ですが、試験は筆記と口述に分かれていて、筆記試験は誰でも受けることができますが、口述試験を受けるには船での乗船履歴と呼ばれる勤務経験が必要です。

商船大学(当時)や海員学校という専門の教育機関を卒業すれば試験は免除されて資格が手に入りますが、一定の期間学校に通う必要があります。

そして資格以前の問題として、ぼくには「プロの船員になりたい」という思いはありませんでした。なんどか書いていますが、もともと船や海に興味があったわけではありません。帆船に関わるようになったのは、「セイルトレーニング」という船で行われていた体験航海プログラムに興味を感じていたからです。

だから「帆船マニア」と呼ばれるとちょっと違うなあと思ったりしていました。どちらかというと「セイルトレーニングマニア」というほうが自分の中ではしっくりくる感じでした。

「職業としての船員になること」と「セイルトレーニング帆船に関わること」は、自分の中では全く別のことでした。

もともと、本業の舞台の仕事に煮詰まったことをキッカケに帆船に乗り始めたわけですが、帆船に乗ることで本業へのモチベーションも維持できていました。

当時のぼくにとっては一、二ヶ月を船乗りとして暮らすのは、楽しく人生を過ごす上でとてもよいパランスだったのです。
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忘れ物を取り返す

 

2013年の秋に、SNSで拡散されている一枚のチラシを見つけました。

ぼくが以前お手伝いしていた「あこがれ」という帆船が競売にかけられて、買い取られて「みらいへ」と名前が変わりました。

その「みらいへ」が事業をスタートするための新規クルー募集の案内でした。びっくりしたのは、船員だけではなくインストラクターの募集もあったことです。

船員としての資格や経験は不問。

乗船してきたゲストへトレーニングプログラムを行うのが主な仕事ということでした。

たまたまこの原稿を書いている時に、自分のフェイスブックのタイムラインにある過去の投稿がシェアされてきました。フェイスブックは時々、何年か前の自分の投稿を見せてきます。

5年前、2012年の3月の終わり。ぼくが最後に帆船「あこがれ」の宿泊航海に乗った時の写真でした。

田中稔彦

 

その何年か前から、船は存続が危ぶまれている状態でした。赤字が出ていることもそうでしたし、セイルトレーニングを行うことの意義をきちんと表現できていなかったことなどが理由でした。現場ではいろいろな工夫が行われていましたが、成果が出ているとは言い切れない状況でした。

2012年の3月に船に乗った時、ぼくは半年間の起業スクールを修了したばかりでした。スクールで学んできた視点から帆船のプログラムを見直した時に、いくつかの改善できそうなポイントが見えてきました。

航海が終わった後のクルーミーティングでぼくはプログラムの改善点について話しました。それまでプログラムを組む際の基本的な考え方を変えたほうがいいという、ドラスティックな提案でした。限られた時間なので細かい内容やそう考えるに至った経緯などは説明できませんでしたが、船長からは

「ちゃんと検討したいので、レポートにして提出して」

と言われました。

しかしその後、日常のことにかまけてレポートの作成は延び延びになり、そうこうするうちに2012年の秋に帆船事業の終了が発表されました。

冷静に考えて「あこがれ」のセイルトレーニング事業は2012年3月の時点でほぽ終わっていたのでしょう。ぼくの提案が受け入れられたとしても何も変わりはしなかったでしょう。

それでも、自分が心から愛したものがなくなろうとする時に、自分がなんのアクションもしなかったということは心にずっと小さな傷として残っていました。

セイルトレーニングに対する想いはその程度だったのかと、チクチクと胸を刺し続けていました。

そんなぼくにとって「みらいへ」のクルーになる、それも船員ではなくインストラクターとしてクルーになるということは「あこがれ」の最後に残してしまった忘れ物を取り戻しにいくような気持ちだったのです。

 

 

就活に失敗しました

 

履歴書を送り、面接まで進みました。言いたいかったことは一通り言えたような気がします。

最後に、面接官の方から質問されました。

「あなたにとって一番大事な価値観はなんですか」

少し考えて答えました。

「自由であることです」

多分、面接での回答としては間違っていると後で思いました。でも、ぼくにとってはその答えしかありませんでした。

クルー募集を知り、履歴書を送り、そして面接までの間、一ヶ月ほどの時間がありました。その間に迷いも生まれてきたのです。

「あこがれ」でやり残したことにチャレンジしたい気持ちは本当です。そして「みらいへ」という新しい船の立ち上げに関わりたい気持ちも本当でした。

それでも心のどこかにためらう気持ちがあることも確実でした。それはなんなのか、今でもはっきりとは分かりません。ただひとつ分かっているのは、自分の中にある「自由」へのこだわりです。

「なぜ船員にならなかったのか」について、「資格を取得するまでの時間や手間がネックだ」と書きましたが、もうひとつには「船員の業界の雰囲気があまり好きではなかった」というのもあります。「船乗り」というとどこか無頼で自由で闊達な雰囲気を想像するかもしれません。しかし実際の船員の世界は学歴社会であり、資格社会であり、上下関係のはっきりとしたトップダウンの組織構造なのです。

それは狭い船の中で暮らしながら、様々な状況に対応していくためには必要なあり方なのです。そこのところに異論はありません。けれど自分がその船員社会の一員になると考えた時にどうしても気が乗らない部分があったのも事実です。

自分の過去のフェイスブックの投稿に、ちょうど面接直後の気持ちを書いたものがあったので引用してみます。

✳︎

面接まで進み、先方からの連絡を待っていた。
その時に自分でも思ってもみなかった感覚が生まれてきた。

「受かっちゃったらどうしよう」

帆船に関わって生きることはそのときのぼくにとっては一番やりたいことだった。
舞台の仕事もかなり整理がついてきていて先の予定もあまりなく、タイミングとしては最高に近かった。

仕事を変えることに未練はなかったし、新しいといっても全く未知の仕事でもなく、それほど不安があるわけでもなかった。
プライベートでもちょうど自宅を引き払わなければいけない事情があり、また新しい勤務地は実家から通うことができる距離だった。

それだけ条件が揃っていたにも関わらず、心の奥底の部分でなんとなく後ろ向きな感覚が拭えなかった。

「人に雇われるのってめんどくさい」

自分の感情を突き詰めて考えると結局はそういうことだった。

✳︎

セイルトレーニングが人生で大切なことだとは分かっていました。

しかし同じように大切なこともある。セイルトレーニングについて考える機会が増えば増えるほど、他のものとの関係性や自分の内面についても深く考えることになったのです。

人生で初めての就職活動をしてみて分かったことは、「好きなことと関わり続ける」ではなく「好きなこととどう関わり続ける」かが大事だということ。

なぜセイルトレーニングが好きなのか。
自分にとってのセイルトレーニングとはなんなのか。
どんなふうにセイルトレーニングと関わっていきたいのか。
何を自分は伝えたいのか。

自分の在り方とこれから何をやっていくのか。そのことをもう一度考えないと先には進めない。

就活という体験は、ぼくにそんなことを教えてくれました。

 

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学「みんなの航海術」 帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう



田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。帆船乗り。舞台照明家。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。2016年に仲間と一般社団法人「スビリット・オブ・セイラーズ」立ち上げ。「日本一楽しい帆船乗り集団」と名乗って日本に帆船文化を定着させることを目指す。