もういちど帆船の森へ 【第25話】 ロストテクノロジー / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦手間をかけて「位置を割り出す方法」を考えたことにも頭が下がりますし、それから300年間ほぼすべての船乗りがその技術を学び続けてきたことにも震えます。じゃあ300年間受け継がれた技術が失われることに反対かというと「まあいいんじゃないかな」という感想です。帆船そのものも、いま失われようとしているテクノロジー
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

.
.

 第25話   ロストテクノロジー

                   TEXT :  田中 稔彦                      

.
.

リアルタイムに

.

EARTHというwebサイトがあります。

風や気温といった天気の情報を地図上で可視化してくれるサイトです。完全にリアルタイムではなく更新は数時間おきみたいですが。

ぼくはパソコンでの仕事中にバックグラウンドで表示させてます。時々、世界のどこに強い風が吹いているのか探したりするのがちょっとした気分転換にちょうどよくて。知り合いの船が走っているあたりはどんなコンディションなのか、見てたりすることもあります。

earth

自宅にいながらにして、世界中の風を見ることができる。
すごい時代になったと思いませんか?

前回のエッセイにも少し書きましたが、季節風や潮流の情報は帆船時代には国家機密クラスの情報でした。貿易や戦争に大きな影響を与える、貴重な知識と情報。

連載の19話で書きましたが、5,000kmのレースで500kmの回り道をしても先んじることができる。風を知っている、海を知っているとはそういうことなのです。

それほど貴重だった情報が、いまでは誰もがオープンに利用することができるようになりました。情報の重要度が下がったわけではありません。いまでも船を動かすのに、風や潮流、波や天気の情報はとても大切です。

変わったのは、情報を入手するための労力です。昔は、多くの人間が長い時間をかけて、そうした情報を蓄積していました。だから、隠して独占することにも、大きなメリットがありました。しかし現在では、地上の観測点や気象衛星から、多くの情報が手に入るようになりました。独占するメリットはどんどんとなくなり、むしろオープンに共有することがお互いのメリットになる。そういう時代になってきたのです。

 

 

 20年で

.

ここ最近で、船で使われている技術でもっとも大きく変わったのは、「位置を知ること」ではないかと思っています。陸地が見えない場所で船の位置を知るのは、古くて新しい問題でした。

つい最近まで、ロランとかデッカとかオメガとか様々なシステムが運用されていました。でも、どれも位置を割り出すのにそこそこ手間がかかる上に、精度もそれほどではありませんでした。それがあるものの登場で一変しました。

GPSです。

いまでは、どこでもごく当たり前に使われているGPS。運用が始まったのは1995年。まだ20年ちょっとしか経っていません。しかし、受信機が比較的安く手に入るし、運用が簡単で世界中のどこにいても使用できるので、あっというまに船の船位測定機器として定着しました。

ぼくが船に乗るようになったのは1997年で、当時ぼくが乗っていた船は、もうGPSを普通に使っていました。その時代は機器の種類も少なく、GPSで取得した緯度経度の情報を手作業で海図に記入していましたが、いまではレーダーや電子海図と連動するシステムもあるようです。

その一方で、船に搭載が義務付けられる「法定備品」から外されたものがあります。

六分儀です。

ロランやオメガといった電波を利用して船の位置を測るシステムは、故障や停電によって使えなくなることがあります。だから、太陽や星の高さから船の位置を割り出すことができる六分儀は、そんなトラブル時に船の位置を知るためのバックアップとして、船に載せておくことを法律で義務付けられていました。また、航海士になるためには、六分儀を使って船の位置を出す天測の技術も必須でした。

しかし、安価なGPS機器が普及したことにより、2002年に六分儀は法定備品から外れました。
航海士養成のカリキュラムにはまだ天測はありますが、これもそのうちなくなってしまうかもしれません。そうなると「天測」という数百年受け継がれたきた技術は、事実上失われてしまうかもしれません。そして数十年後には、GPSがなければ船の位置を知ることができない、六分儀を見ても使い方がわからない、そんな船乗りさんがごく当たり前になるかもしれません。

 

 

1000年前

.

前回のエッセイで、「1000年前の船で航海するとしたら」という話を少し書きました。「1000年前の船で、現代のぼくたちが、大西洋を越える航海をやり抜くことができるのか?」という質問をされた話。

コロンブスよりも500年ほど前、北欧のバイキングは北米大陸にたどり着いていた。このことは、最近ではほとんど定説となっています。当時のバイキングはアイスランドまで進出していたことがわかっていて、そこからさらに北米に進出してコロニー(集団居住地)を作って生活していたそうです。

コロニーを作るということは、定期的にかなりの数の船が行き来していたということです。移住となると、船には屈強な男性だけではなく、女性や子供なども乗っていたはずです。そう考えていくと、実は当時のバイキングは、北大西洋の航路についてのかなり詳細な情報を持っていた可能性もあるのです。

その情報が現代に伝わらなかった理由のひとつは、当時かなり厳重に秘密にされていたからだと思います。

そしてもうひとつ。北米のバイキングのコロニーは、その後放棄されました。北米の土地の魅力が、コロニーの維持にかかるコストとリスクに見合わなかったから。情報に価値がなかったから、失われたのです。

すべての船乗りは六分儀を使うことはできるけれど、海の上で実際に位置をだすことはほとんどない

すべての船乗りは六分儀を使うことはできるけれど、海の上で実際に位置をだすことはほとんどない

 

 

300年間

.

失われた技術や情報。世界中を見渡せば、そんなものはたくさんあるのでしょう。

「ロストテクノロジー」

ひとつの技術が失われる過程に、ロマンや陰謀や歴史を織り込むと、懐かしくワクワクする物語ができあがります。でも現実はもっとシンプルで、価値がなくなったから失われた、それだけの話なのかもしれません。

天文航法の歴史を調べてみると、とても面白くて。1600年ごろから長距離の航海をする船が増えて、位置を正しく知ることの重要度が高くなっていきました。

貿易国だったスベインやオランダ、イギリスは「船の位置を知る方法」(正確には経度を測る方法)の発見に懸賞金をかけたりもしていました。しかし、なかなかうまく行かず、「経度を測る」ことは「永久機関を開発」することや「不老不死の薬」を探すような、不可能なことだと考えられた時期もあったそうです。それが1700年代の後半になってようやく実用化され、現在にいたるのです。

ぼくは実際に、天測術を学んだことがあります。2000年の大西洋横断航海の船上。船の航海士さんに教えてもらいながら、毎日朝と昼に太陽の高度を測り、そこから船の位置を計算していくのです。

まあ、あのですね。はっきり言ってそう簡単に身につくことではありませんでした。大まかな理屈は理解できましたが、実際に計測した数値から場所を割り出す計算は、とてもめんどくさいものです。しかも失敗したのは、関数電卓を使えばまだよかったのですが「古の作法に則って」天測暦と天測表から手計算で数値を出すことにこだわったので、それはそれは大変でした。

それだけの手間をかけて「位置を割り出す方法」を考えたことにも頭が下がりますし、それから300年間ほぼすべての船乗りがその技術を学び続けてきたことにも震えます。じゃあ300年間受け継がれた技術が失われることに反対かというと…… 「まあいいんじゃないかな」という感想です。

GPSやその他の電子航法機器が使えなくなった時のバックアップとして六分儀、という話ですが、実のところそういうケースで六分儀が活躍した事例はほとんどないそうです(本当かどうかはわかりませんが)。

そしていまではGPSは固定型だけではなく、電池式のハンディータイプもあるし、個人持ちのスマホにも搭載されています。バックアップなら、六分儀ではなくてGPS機器を複数積んでおけばいいのではとも思います。GPSだけでなく、ロシアや日本が運用する測地システムもいまではありますし、複数のシステムに対応している機器も増えています。

 

 

失われ、生まれ変わる

.

ぼくは舞台照明を仕事にしています。仕事を始めて30年ほどになりますが、このジャンルでもこの30年間の技術の進歩は凄まじいものがあります。

なので、ぼく自身もいくつかのロストテクノロジーを持っています。機材が進歩した今では、ほとんど意味のない技術です。今でも数年に一回くらい、それができることを理由に呼ばれることもあります。

若い、やり方を知らない同業者から見ると、見たことがないので驚異的に見えるようです。作業内容を興味深く見られます。でも、あと10年もすれば必要のなくなる技術。彼らがいまさらわざわざ手に入れる必要なんて全くありません。

そう遠くない未来、六分儀が使えなくて天測計算のできないプロ船員が生まれるかもしれません。でも、それでいいんです。技術が失われるのには理由があるのです。技術は技術に過ぎないから。より便利なものが生まれれば、忘れ去られていくのが当たり前。ロストテクノロジーにロマンなんてありません。陰謀論もありません。スピリチュアルもオカルトもないのです。技術は日々更新されていて、ぼくたちはその真っ只中で生きているのです。

ただもしも技術そのものではなくて、技術から生まれる何かに価値を見いだせるのなら、残っていくのかもしれません。ただの技術が、文化や伝統に生まれ変わる。それはそれでとても素敵なことだと思います。

帆船そのものも、いま失われようとしているテクノロジーです。いまから50年ほど前に、帆船は新しい意味を見出され、生まれ変われました。でもその時に生まれた意味が、また古びてきている。

だからまた、新しい意味を生み出したい。
ぼくがいまやりたいのは、そんなことです。

 

帆船を動かす技術は現代ではどういう意味があるのでしょうか

帆船を動かす技術は現代ではどういう意味があるのでしょうか

 

   .

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

  =ーー

連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。