もういちど帆船の森へ 【第19話】 まだ吹いていない風 / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦それでもやはり勇気ではないのかと思います。知識も経験も技術も、実のところ船同士でそれほどの差があったとは思えません。ぼくの船でもそうでしたが、たぶんすべての船が遠回りルートのメリットは分かっていたと思います。分かっていても、数百kmの遠回りに踏み出せたかどうか。まだ吹かない風に
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

.
.

 第19話   まだ吹いていない風

                   TEXT :  田中 稔彦                      

.

ヨットレースの見方

.

ほんの時たま、テレビでヨットレースの中継をしていることがあります。

ぼくもヨットレースにはそれほど詳しくないのですが、普通の人には競技の見どころとか戦略や技術の差がわからなくて面白くないだろうなあと感じたりもします。

まずスタートからして他の競技とはちょっと違っています。ヨットレースでは海面に引かれた仮想のスタートラインが設定されます。多くは海面に浮かんだ船やブイ、陸上の分かりやすい地点(灯台や岬の突端)を二つ決め手、その間がスタートラインになります。決められた時間以降にスタートラインを越えるとスタートしたとみなされます。

少し変わっているのは時間前にも船はずっと動き続けていること。スタートラインを越えてレース海域に入ってもOK。スタートで一番大切なのは時間ギリギリに、いい形で風を受けて、十分に加速してスタートラインを通過することなのです。なのでスタート時間が近づくと、参加艇はスタートライン近くで、ゆっくりと旋回し続けます。そして直前にスタートラインに向かって一斉に進み始めるのです。ちなみに、早く突っ込みすぎて時間前にラインを越えてしまうとスタートとみなされません。その場合はもう一度戻ってスタートラインを越え直さなくてはならないので、大きく時間をロスしてしまいます。

また基本的なルールとして走っているラインが重なりそうな時に、「船の右側から風を受けている船が優先」とか、「風下を走っている船が優先」というものもあります。相手の風上側に位置取って、風下のヨットに風が行かないようにする戦略などもあります。

レース艇には何人かのクルーがいて、それぞれが自分の役割を持っています。船をどう動かすかの最終決定をするのは、スキッパー(艇長)です。ヨットレースではそんな感じでルールや戦略を駆使して、スキッパーはどういうコースで走るのかをその場で考えていくのです。

そんなことを知っていると、レースの見方はずいぶんと変わると思いませんか?

ヨットレースでは目的地への最短距離が「最も早く到着できるコース」ではありません。並んで走っていた二隻の船が、途中から全く違うコースを進み出すことも、それほど珍しいことではないのです。船が風を受ける向きとその時の風の強さによって、出せるスピードは変わってきます。

またレースをしている海面のどこでも同じような強さ、同じような向きで風が吹いているわけではありません。時には、とんでもなく遠回りした船が、レースに勝利することだってあるのです。決して、根拠のない無謀な賭けをしているわけではなくて。目には見えない風の状態を、知識と経験で予想を立てて、そして自分の予想を信じてベストを尽くして、スキッパーはレースを戦うのです。

 

.帆船 田中稔彦

 

.

迷いのなかで

.
.

「セイルトレーニングをもっと一般的にするために、海や船についてもっと知ってもらおう」

2014年当時はそう思っていろいろと考え、実際にいくつか試してみたこともありました。手応えと行き詰まりの両方を感じて、次の方向性を悩む中で2014年は終わろうとしていました。

年の初めは、新しい海図をテーマにしたイベントや講座を企画してみました。反応は悪くありませんでした。ORDINARYに初めてエッセイを書かせてもらったのも、この年の5月でした。

その一方で、そうした新しい活動が何をもたらして、どこにたどり着くのか、への疑問も常に心の中にはくすぶっていました。「とりあえずいま自分ができることをやる」と納得して始めたものの、行き先が定かではない道を自分を信じて歩くことは思っていた以上にキツイものがありました。

夏前から本業の舞台関係の仕事が忙しくなったこともありました。また、友人に依頼されて立ち上げに関わっていたwebメディアの仕事でいろいろとトラブルに巻き込まれ、自分に自信をなくしてしまったりもしました。

この年の夏は一度も海に出ませんでした。帆船に関わりはじめて17年目で初めてのことでした。舞台の仕事が忙しかったこともありますが、それでも時間は作ろうと思えばいつでも作れたはずです。周りの出来事で前向きな気持ちがなくなっていたのかもしれません。そして恐らくは、自分がやろうとしていることへの迷いが、さらにぼくの体と心を縛りつけていたのでしょう。

ぼくの2014年は、そんな風に暮れて行ったのです。

 

.
.

 
遠回りする勇気

.
.
2001年に大西洋横断レースに出た時のことです。
38隻のさまざまな大きさの帆船が参加するレース。
総行程は5000kmにもなります。

カナダからオランダまで、大西洋を西から東へ、風の力だけで越えていくレースでした。スタート直後から、風がありませんでした。天気図を見ている限り、この先も何日かはいい風は吹かなさそうでした。

実際のレースの様子

この時、レースに参加していた船の判断は、真っ二つに別れました。
ひとつは風がないことは承知の上で、あくまでゴールへの最短距離に近いコースを取った船。
もうひとつは大きく南に下り、遠回りでもそこで風をつかもうとした船でした。

500kmの遠回りです。順調に走っても、2,3日の回り道になるのです。しかもその時点では、南の海域の天気図には、まだはっきりとした風の兆候は現れてはいないのです。

ぼくの乗っていた船は、最短距離を行くルートを選択しました。日本から来た船で、クルーもみな日本人でした。一方で大西洋をよく知っている船は、南へ下りました。この季節、この天候ならば、南の海域に行けばまだ吹いていない風が吹く。彼らはそう信じて決断したのです。

そして、風は吹きました。

南に進路を取った船は、最高の風をつかんだのです。最終的には、ぼくたち直線ルートを取った船を大きく引き離してゴールしました。

勇気だけで結果をだせたわけではありません。大西洋という海域の天候についての知識。まだ見えない風の兆候を天気図から感じ取れる経験。そして天候を先読みしてコースを決め、現実に吹く風に合わせて船を走らせる技術。そうしたもの全てを総動員して始めて、レースに勝つことができたのでしょう。

それでも。
やはり勇気ではないのかと思います。

知識も経験も技術も、実のところ船同士でそれほどの差があったとは思えません。ぼくの船でもそうでしたが、たぶんすべての船が遠回りルートのメリットは分かっていたと思います。分かっていても、数百kmの遠回りに踏み出せたかどうか。まだ吹かない風に向かって進むことができるのか。

2014年が終わろうとする頃、ぼくにはまだ勇気が足りませんでした。
まだ吹いていない、でもきっと吹き始めるだろう風に向かって進むだけの。

 

 

   .

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

  =ーー

連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。