もういちど帆船の森へ 【第39話】 誰かが描いた美しすぎる絵 / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦みんな「丁寧な暮らし」にとらわれすぎてるんじゃないだろうか。みんなが同じ理想に向かうのは、少し窮屈に感じられる。舞台、照明、帆船、旅、ものを書く、イベントを企画する。ぼくの好きなもののほとんどは、丁寧に暮らすとは正反対のことです。でも、「自分らしく生きる」とはそういうことなのです。「最後のユニコーン」
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

.
.

 第39話   誰かが描いた美しすぎる絵 

                   TEXT :  田中 稔彦                      


.
.

 船乗りさんの生活パターン

.

「船って一晩中航海してることもありますよね。そういう時はいつ寝るんですか?」

という質問をされることがよくあります。

ぼく自身は職業船員ではありませんし、普通の商船で働いた経験もありません。
ただ、友人には商船に乗っているひとが何人もいるので、船での暮らしについてはそこそこ知っています。

船を動かすのは「航海士」です。航海士は「海技士(航海)」という国家資格を持っているひと。一級から六級まであって、それぞれで乗れる船のサイズは航海できる区域が変わってきます。

たいていの船は、3交代制をとっています。なので航海士も、最低3人は乗っています。ひとりの航海士が船を動かすのは8時間。0時から4時、4時から8時、8時から12時、と勤務時間を分けるのが一般的です。この4時間の勤務を午前と午後の2回担当します。で、空いた時間に整備作業をしたり、書類作業を片付けたりします。

なんとなく想像がつくかもしれませんが、いちばんツラいというか非人間的(笑)なのは0-4担当。明け方の4時に仕事が終わり、午前中いっぱいは寝ていてお昼から再びお仕事なのです。夕方の4時には仕事は終わるものの、真夜中からの仕事に備えて夕食を食べたら早めに寝る。

夜の0-4当直の時間帯は他の乗組員もほとんど休んでいるので、広い船に起きているのは担当航海士ひとり…なんてこともよくあるみたい。なのでこの0-4時を「泥棒ワッチ」(ワッチは当直の意味)と呼ぶこともあります。

それでも、航海中はわりと規則正しい生活ができるのですが、陸について荷物の積み下ろし(荷役:にやく と言います)をするときは全員が作業にかかります。この作業、長いと半日くらいかかることもザラで、ときどき交代はするもののそれほど長く休憩できないことがほとんどです。そして荷物を積み終わるとすぐに出港。再び3交代の勤務に戻ります。

一度港を離れると数日から数週間は航海が続く「外国航路」ならば、航海中は落ち着いて過ごすこともできますが、毎日のように荷役が続くこともある「国内航路」の船の暮らしは、かなりバタバタしたハードなものだったりします。

また、この原稿を書いているいまは首都圏を台風15号が直撃している真っ最中なのですが、大きな船は風で岸壁にぶつかったり乗り上げたりを避けるために、沖に錨を降ろして台風をやり過ごします。

船の位置を調べることができるアプリで、9月9日0時の東京湾を調べてみました。

帆船の田中さん

 

地図上の四角いマーカーは、すべて錨(いかり)を入れているか接岸している船です。風が強いと、錨だけでは持ちこたえることができないので、エンジンもかけて風に逆らうように調整したり。こういう緊急事態のときも、すぐに対応できるように全員が待機してたりします。

こんな感じで、海で暮らすのは、陸のひとの感覚からはかけ離れたところがたくさんあるのです。

 

 

 読み間違えるひとびと

.

最近目に止まった記事にこんなものがありました。

「生活をサボるな。とインド人に叱られて二年経ってから分かったこと」
というタイトル。

内容はインドでゲストハウスのおじさんに、「仕事はしているが生活をしていない」と怒られたことから始まります。

外食ではなくて自分で作ったごはんを食べること。
服をキチンと洗い、住まいをきれいに保つこと。

それが「生活」するということだと言われた話です。SNSでシェアしているひとが結構いたのですが、その多くは、

「丁寧に暮らすことが豊かな生き方」とか
「自分らしい無理のない暮らし方を見つけるのが大事」とか
「他人に決めたれたものではない自分の時間を生きるのが大切」とか

そういうリアクションでした。

タイトルだけ見るとたしかにそんな内容っぽい雰囲気なのですが、よく読むと、あれ別にそんなこと言ってなくない?

記事の最後の方には、

「自分の時間を生きるというのは「アウトソースをやめよう。全部自分で丁寧にやろう」という意味ではない。」

と、はっきりと書かれています。

記事に書かれているインドのおじさんの言葉にも

「すべて君の責任においてやること」
「ひとつひとつマインドフルであること」

とあります。

インド人のおじさんに怒られ、そしてその後再び日本で暮らす中で著者が考えたことは、

「どんな生き方を選ぶにせよ、自分の時間の使い方には自覚的でいたい」

ぼくはこの言葉に強く共感しました。

記事を読むまではぼくも、タイトルから「丁寧な暮らし方」をすすめる文章なのかなと思っていて、だとするとちょっとなあと思っていたのです。ちゃんと読むとそんな内容じゃないのに、たくさんのひとが少しだけ誤解している。みんな「丁寧な暮らし」にとらわれすぎてるんじゃないだろうか。

「丁寧に暮らす」という言葉は、たしかに優しく響く。

だけど、みんなが同じ理想に向かうのは、ぼくには少し窮屈に感じられる。

それは本当にあなたが望む暮らしですか?

 

 

 丁寧になんて暮らさない

.

少し、ぼくのライスワークである「舞台照明」の話をします。

ぼくは主にお芝居の照明のディレクターやエンジニアとして働いていますが、ここ何年か、意図的にメジャーな仕事への関わりを少なくしてきました。

それは時間や体力、精神力の奪われ方があまりにも大きいからです。

舞台照明の仕事

拘束時間が長く、初日の直前にはほとんど寝ることができないこともよくあって。演出家、俳優、各セクションのスタッフ。それぞれが自分の身を削るようにして作品を作り上げていく。

いまでも、そんな時間は大好きです。そして毎日、本番が終わったあとにやってくる解放感と虚脱感も。若いときにはそれを楽しめるだけのエネルギーがあったのですが、最近では「楽しい」より「キツイ」のほうが大きくなってきてしまって。

ただそれは、別に「丁寧に暮らしたいから」ではありません。
ぼくは「自分が好きなものだけにしか自分の人生を使いたくない」のです。

これまでは「舞台照明」がぼくの好きなことのポートフォリオの最大の部分を占めていたので、それを仕事にしてきました。最近ではその割合が変わってきたので、他のことに時間やエネルギーを割くようにしたくなっただけなのです。

舞台、照明、帆船、旅、ものを書く、イベントを企画する……

ぼくの好きなもののほとんどは、丁寧に暮らすとは正反対のことです。
でも、ぼくにとって「自分らしく生きる」とはそういうことなのです。

以前にも書きましたが、「最後のユニコーン」というSF小説のなかに、ユニコーンとは「夢を見るのではなく、夢見られる存在」というフレーズが出てきます。初めてその本を読んだ大学生の頃から、この言葉がずっと胸に引っかかっていて。

夢見られる存在として生きること、それがぼくにとっての「自分らしい時間」。
だからぼくは、丁寧に暮らすことを決して目指さない。

いままでもそう思ってきましたが、最近ではより自覚的になってきました。いろんなひとびとの生き方や暮らし方に触れ、それに対して自分がどう感じ、考えたかをキチンと捕まえて。それを何年も繰り返して、ようやく少しだけ分かってきたのです。

自分が好きなこととはなにか。
自分の時間を人生を使うのなら、どう暮らしたいのかを。

自分のことで手一杯なので、他人様をどうこう言う余裕もないのですが、最近よく見かける気がするんです。

丁寧に暮らさなきゃという考えに囚われて、とても窮屈そうに暮らしているひと。
丁寧な暮らしを手に入れるために、極端な選択をするひと。

大切なのは自分の時間を生きることのはずなのに、それは本当にあなたにとって幸せな時間ですか?
それは本当にあなた自身が選んだ暮らしなのですか?

ときたま、そう感じるひとに出会ってしまうのです。誰かが描いた美しすぎる絵のなかで、暮らしたいとあがいているひとに。

冒頭で紹介した船乗りさんの生活。
仕事の時間は不規則。
ツラいことや危険なことも陸よりはたくさん。
家族とも会えない時間が多くて。
「丁寧な暮らし」とは正反対。

確かに日々の細々したことにたくさんの不満はあるものの、それが不幸なのかというとそんなことはありません。なぜなら、ほとんどのひとは仕事に誇りと愛情を持っているから。

「そんなことないよ。やってられないよ船乗りなんて」

たいていはそう言うかもしれないけど、それでも船乗りという職業を辞めないのだから。

いまの暮らしは、必ずしも理想ではないかもしれない。今夜、東京湾では大勢の船乗りさんが眠れない夜を過ごしている。

でもそんなことも含めて、自分で自分の暮らしを選んでいる。
ぼくにはそんなどっしりした暮らしぶりが、とても素敵に見えるのです。

 

帆船での暮らし

 

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

  =ーー

連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 
第25話 ロストテクノロジー(2018.7.10) 
第26話 あなたの帆船 (2018.8.10) 
第27話 15時間の航海(2018.9.10) 
第28話 その先を探す航海(2018.10.10) 
第29話 過程を旅する(2018.11.10) 
第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
第32話 語学留学とセイルトレーニングは似ている?(2019.2.10) 
第33話 問われる想い(2019.3.10)
第34話 教えない、暮らすように(2019.4.10)
第35話 心の火が消えることさえなければ(2019.5.10)
第36話 「大西洋の風」を伝えるには(2019.6.10)
第37
話 伝統と未来と(2019.7.10)
第38話 楽しさの向こう側にあるもの(2019.8.10)

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。