もういちど帆船の森へ 【第33話】 問われる想い / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦死者こそ出さなかったものの、船が沈むという大きなトラブルがあったのに、そんなに早く事業を再開できたことにはビックリしました。資金だってかなりの額が必要だろうし、大事故を起こしたことでの社会的な信用も失ったかもしれないのに。でも、救助された生徒たちの多くが事故を起こした団体や船を非難しなかったこと
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第33話   問われる想い

                   TEXT :  田中 稔彦                      


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 マストからの転落事故

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日本には、船員養成のための2隻の帆船があるのをご存知ですか?

日本丸と海王丸という名前で、商船系の大学や短期大学などの学生は、帆船での実習が義務付けられています。事業の一環として航海実習を行いながら各地のイベントにも参加して、帆を広げた美しい姿を披露したりもします。

帆船ですがエンジンも積んでいるので、機関の実習も行われます。船を動かす基本は「帆船」でも「普通の船」でも変わらないので、普通に航海士になるための実習が行われて、それにプラスしてエンジンを使わずに風で走るための訓練が行われています。

帆を開いたり閉じたりする作業の途中で、マストに登ることが必要なのですが、昨年の4月、日本丸での登檣(マスト登り)訓練中に実習生がマストから落ちて死亡するという事故が起こりました。今年の2月に事故の調査報告が公表され、船関係者の間では再び話題になっています。

「安全ベルト装着せず訓練」日本丸マスト転落事故の調査報告

この報道を見ると、船業界と一般の人で捉え方にかなり差があるのではと感じました。命綱などをつけずに高所作業をしていたことが一般的には「ありえない」という感覚なんでしょうが、海外も含めて昇降の途中に命綱などをつけている帆船は少数派です。

理由はおそらく、垂直移動時に命綱などを使用すると「移動に時間がかかりすぎる」から。ただ、「作業中」の落下防止策は、ごく小型の帆船を除いてはほとんどの船で行われています。

日本にある二隻の大型帆船のうち海王丸は、「研修生」という呼び名で、学生ではない一般向けの乗船枠が数名分確保されています。15年ほど前に、ぼくはその研修生枠で名古屋から那覇まで、約一週間の航海に乗船しました。研修生で乗ってくる人の多くは、帆船というか「日本丸、海王丸のファン」という雰囲気で、帆船にそれほど興味のないぼくは、みなさんの熱さにちょっと驚かされるところもありました。

研修生が参加する航海中にはいつも、研修生と船長の懇談会みたいな場が設けられていました(当時。いまはどうなのか知りません)。サロンでお茶などいただきながら、船長にざっくばらんにいろいろという時間です。ぼくが乗船したときも懇親会があったのですが(確か出席したのは船長ではなく一等航海士だったと思います)そのなかで他の研修生から

「マストは裸足で登ると決まっているみたいですけど、どういう意味があるんですか? 」

という質問が出ました。

日本丸、海王丸では、操帆作業は基本的には裸足で行います。マストにも裸足で登るのですが、マストを支えるワイヤーの間に渡されたロープを足場にして登るので、とてつもなく足の裏が痛いのです。研修生も航海のなかで実際に何度かマスト登りを体験したので、

「あんなに足が痛いと、作業中に注意力が散漫になるので危なくないですか? 」

というのが質問の趣旨でした。

チョッサー(一等航海士=チーフオフィサーの愛称)の答えは

「裸足のほうが、ロープが傷んでいるとかの状況を感触で分かるようになる。それとロープが傷まない」

というものでした。

まあわからなくはないけど、帆船乗りを育てることが目的じゃないんだからどうなんだろうなあ、と思っていたところ、チョッサーはこう付け加えました。

「まあ確かに裸足が危ないというご意見は分かります。なんですが、もう何十年もずっとこのやり方を続けていて伝統があって、やり方を変えるとなるとOBのみなさんからもいろいろとご意見が出てくるので、変えるのが難しいんです」

これ答えを聞いたときには正直、かなり驚きました。研修生のほとんどは日本丸、海王丸に好意を持ってはいますが、あくまで外部の人間です。それに対して、自分たちの教育プログラムの根拠が明確ではないことを普通にしゃべってしまうその感覚は、ちょっと危ういんじゃないかなと。

もちろん、組織としての公式な見解ではなく、非公式で内輪しかいない場でのチョッサーの個人的な考えではあります。だとしても、ちょっとどうなんだろうなあって。

 

 

 帆船実習の意味

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帆船実習が船員教育に必要かどうか、それを判断するだけの情報をぼくは持っていません。ぼくは帆船が好きなので、船としての日本丸や海王丸がなくなって欲しくはないし、帆船での航海が教育に役立つ要素もあると思っています。

だけど、国の施策の一環として行われている「船員教育が今のままでいいのか」ということは、常に考えてアップデートしていかなくてはいけないと思うのです。そのなかで、帆船実習が本当に必要なのかどうか、内輪だけではなく外の社会でも通用する言葉やロジックを探さないといけない。

当時は小泉首相の元で、構造改革という言葉が流行っていました。そういう世論のなかで、なにかのキッカケで帆船実習のあり方が議論の訴状に上がったときに、これまでの言葉だけでは反論できないんじゃないかなあと感じたのです。

それからずいぶんと経って、死亡事故が起こりました。一般の人からはもちろん、実は海運業界の関係者などからも批判の声が上がりました。帆船実習を受けてプロの船員になったひとのなかにも、その必要性に疑問を感じている人は多かったのです。そうした声が、事故をキッカケに表に出てきたのです。

事故直後の社会や船関係者の反応、そして問題とされている点をわかりやすくまとめている記事を見つけたので紹介します。批判の内容などは、一般的に見てぼくもすごく妥当なものだと思います。

日本丸の転落死亡事故について、数日たってのまとめ

ただ、個人的には船上での作業は陸上とは条件がかなり違っているので、陸上のそれも建築作業を主に想定している高所作業の安全基準をそのまま適用することが必ずしも100%正しいとも思いませんが、「陸と海でどこがどう違うのか」を合理的に説明できないと受け入れてもらえないだろうなあとは思います。

それと帆船実習は、あくまでも船員さん養成の教育の一環です。帆船乗りを育てるためではないので、本当に帆走実習とかマスト作業の実習が必要なのかという話も検証がいるのではないかなあと思ったりもします。少なくとも、最低限このブログに書かれているくらいのことに説得力のある反論ができなければ、船員教育に帆船実習が必要ということを納得してもらえないだろうなあとは思うのです。

調査報告書は公表されましたが、事故の経緯や原因、実習プログラムの妥当性の検証はまだ終わっていません。いま、日本丸と海王丸はセイルを開くことができません。二隻の船がもう一度帆を張って航海することができるようになったとき、この事故に区切りがついたと言えるのかもしれません。その日がいつか来るのか、それはまだ分かりません。

 

 

 沈んだ船

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最近、英語の勉強のために週に一度「白い嵐」というアメリカ映画を英語字幕で観ています。1960年代に実際にあった出来事を元にした映画で、若者たちが「アルバトロス」という名の帆船で航海する物語です。

白い嵐

ただ航海するだけではなく、プレップスクールという大学進学準備のためのスクールの機能ももっている船で、自分たちで船を動かす一方で同乗している教師たちの授業も受けながら日々を過ごします。

映画の中では、テストに合格できそうもなくて悩むシーンも出てきます。英語の先生が、ちょっとしたタイミングでやたらとシェイクスピアを引用したり。学校っぽい描写が、ところどころに出てきます。

アメリカやヨーロッパでは、こうした「勉強しながら長い航海をする」スクール帆船がいくつかあるようです。一番有名なのはカナダにある「Class Afloat」という団体。

この団体の帆船は、北米、中南米、ヨーロッパと、大西洋を縦横に航海しています。2000年にアムステルダムのイベントでぼくが乗っていた「あこがれ」という帆船と隣同士に停泊したことがあり、クルー何人かで中を見学させてもらったことがありました。

コンコルディア号にて

今はなきコンコルディア号にて

 

「コンコルディア」という名前の帆船で、当時ぼくが手伝っていた「海星」というもう一隻の帆船と同じく、ポーランドのグダニスクという街の造船所で作られていました。船体カラーも海星と同じブルーだったし、船内にも似た作りだったり似たパーツが使われているところがたくさんあって、ちょっと嬉しかったことを覚えています。船内は普通の帆船にはないPCルームなんかもあって、確かに学校っぽい雰囲気でした。羨ましいなあと思って航海に参加できないか調べましたが、年齢制限があるうえに参加期間も最低半年からということで諦めました。

「白い嵐」の映画のラスト、アルバトロス号は嵐にあって沈んでしまいます。そして実は、コンコルディアもいまはもうありません。白い嵐のアルバトロスと同じように、「マイクロバースト」と呼ばれる局地的な嵐に遭遇し、ブラジル沖で沈んだのです。2010年、2月のことです。

事故当時、自分が実際に乗ったこともある船が沈んだことにけっこうな衝撃を受けて、ネットニュースで情報をかき集めていました。48人の生徒たちと16人の教師とクルー全員が無事に救助されたことが分かって、ホッとしたことも覚えています。

印象に残っているのは、事故の後のニュースで救助された学生たちのインタビューです。学生たちは10代後半からせいぜい20歳そこそこ。我が家のように暮らしていた船が沈むというショッキングな事件の直後だというのに、ぼくが映像でみた3人ほどは、みな冷静にインタビューに答えていました。

質問に対しては淡々と事実を誠実に答える一方で、「乗組員の判断や船のコンディションには問題がなかった」と、船とクルーを守るような態度を崩しませんでした。そしてインタビューのなかで「また航海に出たい」と語った人もいたのです。

もうひとつ驚いたのは、団体がすぐに新しい帆船をチャーターして(たしか)一年も経たないうちに航海を再開していたこと。死者こそ出さなかったものの、船が沈むという大きなトラブルがあったのに、そんなに早く事業を再開できたことにはビックリしました。資金だってかなりの額が必要だろうし、大事故を起こしたことでの社会的な信用も失ったかもしれないのに。

でも、救助された生徒たちの多くが事故を起こした団体や船を非難しなかったことと考え合わせると、なんとなく分かる気もしました。

 

 

 

 続く航海

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Class Afloat は、自分たちの提供するサービスのメリットもリスクも正しく把握した上で、事業を行っていたのでしょう。事故を起こさないように最大限に配慮していても、それでも海ではどんなことが起こるかはわからなくて。そして万が一に事故を起こしてしまっても、自分たちのやっている事業にどういう大切な価値があるのか。続けていく意味があるのか。

そこをキチンと理解と共有したうえでセイルトレーニング事業を行っていた。だから、船を失ってもすぐに新しい船で航海を再開することができたのだと思います。そして、その理念はオフィスだけではなく、実際に船で働く人たちにもキチンと伝わっていたのではないでしょうか。それは航海に参加していた生徒たちにも届いていて、だからこそツラい体験をしたにも関わらず船と航海を愛し続けてくれた、そう思うのです。

映画「白い嵐」のラストシーンは、海難審判です。法廷で責任を問われる船長は、審理のなかで若いクルーたちが証言を求められ苦しむ姿を見て、自ら責任を認め船舶免許を返上して裁判を終わられようとします。しかし、審判を傍聴していたかつてのクルーたちはそれを止め、船長一人が責任を背負い込むのではなく、クルーもみんなでこの苦しみを背負ういたいと告げます。それでもひとりで立ち去ろうとする船長。

その時、航海中は船長と反りが合わず、船上で事件を起こし航海半ばで下船させられた少年が、沈む船からなんとか持ち出せたシップベルを鳴らします。鳴り続ける鐘の音のなかで、生き残ったクルーはもう一度ひとつになります。

もちろん、ただの映画のワンシーンです。でもこれは、50年前に本当にあったお話です。沈没事故から生き残った当時17歳だった少年が書いた手記が、映画の元になっています。船は沈み、仲間の何人かは亡くなり、生き残った彼や他のクルーもそれぞれ心に傷を負います。それでもきっと、航海した日々の輝きは忘れられなかった。それは、50年後に沈んだ別の帆船のクルーの姿とも重なるような気がします。

 

 

 問われる想い

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ふたつの事故と、そこから引き起こされた出来事。「民間団体」と「独立行政法人」とでは組織の規模や形態はまるっきり違うし、そもそもの成り立ちや事業の目的も違うので、単純には比べられないのはもちろんです。

でも、どちらのほうが自分たちの行っていることに真摯であったか。自分たちの行っていることに、愛情とプライドを持っていたのか。事実だけを並べてみると、かえってそのことが見えてくるような気がします。

そして、それは。
大切にしているつもりのものに、本当に愛情を持っているのか。
いつかあなたも、そのことを問いかけられるかもしれないのです。
もちろん、ぼく自身も。

愛情と覚悟とプライド。
自分たちが大切にしたいことの価値や意味。
それを他人に正しく伝えるにはどうすればいいのか。

このエッセイを始めてから、もうすぐ3年になります。書き続けることはまさに、自分が漠然と持っていたセイルトレーニングへの想いを、誰にでも伝わる言葉に再構築することでした。

でも、まだまだ足りない。
だから、もう少し探し続けたいと思います。
あなたの心にまで届く、ぼくだけの言葉を。

セイルを開いた海王丸

セイルを開いた海王丸

 

 

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)
 
第15話 変わらなくてもいいじゃないか! (2017.9.10)  
第16話 冒険が多すぎる?(2017.10.10) 
第17話 凪の日には帆を畳んで(2017.11.10) 
第18話 人生なんて賭けなくても(2017.12.10) 
第19話 まだ吹いていない風(2018.1.10) 
第20話 ひとりではたどり着けない(2018.2.10) 
第21話 逃げ続けた(2018.3.10) 
第22話 海からやってくるもの(2018.4.10) 
第23話 ふたつの世界(2018.5.10) 
第24話 理解も共感もされなくても (2018.6.10) 
第25話 ロストテクノロジー(2018.7.10) 
第26話 あなたの帆船 (2018.8.10) 
第27話 15時間の航海(2018.9.10) 
第28話 その先を探す航海(2018.10.10) 
第29話 過程を旅する(2018.11.10) 
第30話 前に進むためには(2018.12.10) 
第31話 さぼらない(2019.1.10) 
第32話 語学留学とセイルトレーニングは似ている?(2019.2.10) 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
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 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)
 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。