もういちど帆船の森へ 【第17話】 凪の日には帆を畳んで / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦風がない状態のことを、凪(なぎ)と言います。ヨットや帆船で一番やっかいなのが、この凪に捕まることです。風が強かったり向かい風だったりは、目的地に向かって走るためにトライしてみることがいくらでもあります。けれど凪の時はそうは行きません。デッキの上でできることは何もありません。
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第17話   凪の日には帆を畳んで 

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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過去のエッセイにも書きましたが、2014年の前半は海図をテーマに話をしたりと、少し活動に勢いが出てきたような気がしていました。ORDINARYに初めて帆船をテーマにしたエッセイを書かせていただいたのもこの時期でした。

けれど、本業が忙しかったり、ミスからいろいろと上手くいかない時期があったりで、夏前からあっというまに失速してしまいました。積極的に動こうというエネルギーもなく、日々の暮らしに追われて過ごしていたのです。

風がない状態のことを、凪(なぎ)と言います。

ヨットや帆船で一番やっかいなのが、この凪に捕まることです。風が強かったり向かい風だったりは、目的地に向かって走るためにトライしてみることがいくらでもあります。けれど凪の時はそうは行きません。デッキの上でできることは何もありません。

今の船はエンジンも積んでいるので、風がなくても目的地に向かうことはできます。けれど外洋レースなどでは、長い距離をエンジンを使わずに何日も走り続けないとならないこともあります。

 

なめらかな水面

なめらかな水面

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立ち止まって自分の姿を見直してみる

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2000年の夏に参加した大西洋横断帆船レースでも、凪に捕まりました。ほとんど風がなく、目一杯に張った13枚のセイルは、力なく垂れ下がっているだけでした。船はただ漂うだけで、海面は鏡のようになめらかで、さざ波一つ見つけることはできません。

そんな日にしたことはなんだと思いますか?

まずやったのはゴムボートをセッティングすることです。空気を抜いてしまってあったのを引っ張り出して、空気を入れてエンジンをつけて海に降ろします。ボートで船を押したり引いたりしようとしたわけではありません。それはレースのレギュレーション違反ですし、3週間にわたる長いレースでそんなことをしても結果に影響なんて出ないでしょうし。ボートを降ろしたのは、クルーが外から自分たちの船を見るためです。

帆船は外から見ると美しい姿ですが、乗っている立場からすると見る角度が限られてしまい、あまり美しさを感じることができません。せっかくみんなで頑張って帆を張って大西洋の真っ只中を進んでいても、デッキの上からではそのことを実感できる機会はあまりないのです。ということで、どうせ船が進まないのなら、ボートを降ろして外から船を見てみようとなったのです。ボートも波が高い時に使うのは大変なので、海が穏やかな時に降ろすのがちょうどよかったのです。

外洋レースの日々は、意外と単調です。船によってコース取りや性能はさまざまなので、他の船の姿を見ることはスタート直後以外はほとんどありません。陸地も見えない大海原を、ただ交替で舵を取り、見張りをし、位置を確認するだけです。

風がよくて順調に進んでいる時も、凪の時と同様デッキでできることはあまりありません。
何もしなくても船は勝手に走っていきます。もちろん、天気がよくて風がよいのは素敵なことですが、それだけだと退屈です。

緊張感がなくなってくると、突発的な出来事に対応することもできなくなります。なので凪の日には、ボートを出すみたいに気分転換のイベントをやってみるのも大切なことなのです。

 

どうせ進まないのなら、ボートを降ろして外から船を見てみよう

どうせ進まないのなら、ボートを降ろして外から船を見てみよう

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もういちど走り出すための準備 

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凪の日にもうひとつやったこと。
それは「帆を畳むこと」です。
速さを競うレースでどうして?と思われるかもしれませんが、それには理由があるのです。

参加艇の中には、海軍や商船学校の練習帆船もたくさんいました。そういう船にはプロの乗組員もたくさんいますし、長い時間を船で過ごして船の扱いに慣れた実習生もいます。しかしぼくが乗っていた「あこがれ」という帆船は、プロを育成するための船ではありません。プロの乗組員もいますが、クルーの多くは、船で長く過ごしたことなんてない人たちばかりでした。船にやってきたのは、レーススタートの前日。停泊した船の上でマスト登り、帆の扱い、舵の取り方、海図の見方など、帆船で暮らすのに必要なことをたった1日でできる限り詰め込んで、そのままレースが始まりました。

レースではない普通の航海では、夕方になると張っている帆の数を減らします。夜の間は起きているクルーの数が少ないので、風や天候が変わった時に少ない人数でも対応できるようにするためです。しかし今回はレースなので、スタート直後に全てのセイルを開いてから、数を減らすことはほとんどありませんでした。

長いレースなので、海の上で過ごす時間はたっぷりとありました。けれどセイルを扱うことは、普段の航海と比べてものすごくすくなかったのです。マストに登って作業する機会も、ほとんどありませんでした。だから、帆を畳むことにしたのです。

船にある13枚全ての帆を一枚一枚、手順を確認しながら畳みます。畳んだ後はマストに登ってロープで固定していきます。一番大きなセイルは畳40枚のサイズ。小さなものでも、一人でどうにかできる大きさではありません。それが13枚ということで、時間はかなりかかります。

セイルの固定が終わってしばらくの休憩をはさんで、再びマストに登って今度は固定してあるロープをほどき、もういちど全ての帆を張っていきます。これも時間も体力も使う作業です。けれど、その先もレースが続くことを考えると、クルーのスキルアップのためには、「海が穏やかな凪の日にあえて全ての帆を畳んで張り直す」というのは意味のあることだったと思います。

風が吹かなくて全く動かない船に乗っていると、どうしても気持ちが焦ってくるのを抑えられません。けれど、船を動かすためにできることは、何もないのです。誰が悪いわけでもありませんが、風が吹かないことにはどうしようもありません。けれど、動かない船の上で何をするのか、漂うだけの時間をどう使うのか、それは考えることができます。

日々の暮らしの中でも「風が吹いてこない」時は必ずやってきます。
向かい風に逆らうのなら、何を頑張ればいいのかははっきりします。
けれど、凪は違います。
何もできない中で、その先を見通して何をするのかを選択する。

2014年の後半、停滞の中でぼくは、ただいろいろなことを考えていました。
悶々としながらも、なにひとつ諦めたわけではありませんでした。
凪はいつまでも続きはしないもの、いつかはまたいい風が吹く。
そのことだけを信じて、息を潜めていたのです。

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。