もういちど帆船の森へ 【第15話】 変わらなくてもいいじゃないか! / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦ゆっくりと時間をかけて屋根に登りました。目の前に広がるのは運河と水面を埋め尽くすほどの帆船とヨット。彼女はずっとその景色から目を離しませんでした。「そろそろ降りようか」声をかけたぼくに、彼女は水面から視線を動かさずにつぶやきました。「何もできなかったな」彼女にとって
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第15話   変わらなくてもいいじゃないか!

                 
 TEXT :  田中 稔彦
                      

オタクからサーファーへ

 

宮崎県日向市のPR動画が、賛否両論を呼んでいるようです。

インドア派のネットサーファーが失恋をきっかけに日南市の海に出会い、サーフィン体験を通して違う自分を見つける… というストーリーの3分間の動画です。

タイトルは「Net surfer become Real surfer

見てみましたが、とても良くできた動画だと思います。音楽も映像も素晴らしい。セリフはありませんが、登場人物の表情や動きだけでも様々な感情や状況を表現しています。そして背景になっている日向市のお倉が浜の魅力もたっぷりと詰まっています。

主演には、東京在住でサーフィン経験が全くない俳優さんを起用。二ヶ月半、宮崎で暮らしながらサーフィンの特訓を受けたそうです。俳優さんは実際に20kg近い減量にも成功し、サーフィンのスキルも身につけています。そうしたリアルなストーリーも、この動画の魅力を支えているのかもしれません。

この映像は第6回観光映像大賞で、462作品の中からファイナリスト10作品に選ばれています。日向市では観光や移住促進のために「ヒュー! 日向」というプロジェクトを行っていて、この動画もその一環として製作されています。

この映像、とても評判がいいのですが、一部では批判もされています。そのなかに「外見に基づく偏見や差別を許容する内容になっている」というものがあります。映像を見たときにぼくもそこだけは完全に失敗していると感じたポイントです。

映像の2分35秒あたりからです。

そこまでは、主人公が変わっていく様子を、サーフィンの上達やそれにともなう周囲とのコミュニケーションの変化によって表現していました。しかしこのシーンでは、海に初めて訪れたときのぽっちゃり小太りでイケてない容姿が、浅黒く日焼けしてスッキリした見た目に変わるという、ルックスの変化で表現してしまっています。「海が似合わない」男性の「海が似合う」男への変化を見た目の変化で表現しているのです。

主人公の中で変わったものは、おそらくルックスだけではありません。非日常の体験を通じて彼の内面の変化は、他のシーンでは映像で巧みに表現されています。しかしこのシーンによって、「ルックスが変わったこと」に見ている人の意識がフォーカスされてしまう可能性が生まれてしまいます。

まあ、ルックスの変化というのはとてもキャッチーなので、ついこういう構成にしてしまったというのは分からなくもありません。しかし、それによって本来伝えたかった部分の力を弱めてしまったのは確かだと思います。

これは別に主義主張というよりも映像作りにおける表現技術の問題だとぼくは思っています。動画の他の部分が魅力的なクオリティーだっただけに、安易な表現を使ってしまったことは残念だなあと感じますね。

この動画にはセリフはありません。にもかかわらず、見ている人のほとんどは主人公が(ルックス以外の何か)変わったと感じています。それは「体験」に人を「変える」力があることを多くの人が知っているからです。

動画のラストでは「ヒュー! 日向」のロゴマークと共に、

「知らない自分に、会える場所」

というコピーがつけ加えられています。

「お倉が浜」という特別な場所での特別な体験が、主人公に、そしてその場所を訪れる人に「変化するチャンスを与える」、動画はそう訴えているように見えます。

2014年の頃のぼくが考えていたのもそういうことでした。「帆船」での航海体験について考える中で、

体験には人を変える力があるのか、
あるとすれば、そのことをどう伝えるのが今の時代の中で有効なのか、
そして、どういうプログラムが体験を感動に変えることができるのか、

そんなことを、ことあるごとに考えていました。

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田中稔彦 帆船

 

大西洋で過ごした夏

 

これまでも何度か書きましたが、ぼくは1997年、28歳で初めて帆船で航海しました。航海をキッカケに、ぼくと世界の向き合い方は大きく変わりました。その体験が根本にあるから、自分と同じような素晴らしい体験を多くの人にしてもらいたいという強い思いがあります。

しかし、体験が引き起こす変化は、必ずしもいつも一定というわけではありません。また、変化の方向性も同じようなものとも限りません。同じ体験をしても、ほとんど変わらないかったり、外からはネガティブと評価されるような変化が起こることもあります。もしくはすぐには表面に現れないけれど、心の奥底に眠っていて、何年もあるいは何十年も経ってから、体験に心を揺さぶるようなこともあるかもしれません。

2000年の夏、ぼくはカナダからオランダまで、帆船で大西洋を横断する航海を体験しました。10人ほどのプロの乗組員の他に、25人あまりの、船のことなんて何も知らないトレーニー(訓練生)が乗っていました。

ぼくはボランティアクルーとして、その航海に参加していました。期間は約一ヶ月。ひとつの夏をほとんどその航海だけに費やすことになります。もちろんぼく自身もそうですが、参加者たちはみな、それぞれ大きな期待を持って航海に参加していました。

参加者にある女の子がいました。航海が始まってすぐに、腰が痛くなってほとんど動けなくなりました。理由ははっきりとはわかりません。それまでにそんな症状がでたことはないそうです。環境が変わったからなのか、何か精神的な問題なのか。

腰以外はなにもトラブルはなく、普段の生活には特別に問題もないということで船はそのまま航海を続けることになりました。

彼女は帆を操作したり、航海当直に入ったりというほかのトレーニーが行う作業には参加できませんでした。クルーはなるべく他のみんなと一緒にいる時間や、一緒にできる作業や遊びが生まれるようにいろいろと考えました。いや、クルーだけではなく、ゲストとして乗っていたみんなも含めて、船全体がやることのひとつひとつに彼女がどう関われるか、それを考えながら動いていた気がします。

遊びやゲームは、一緒にできるようにルールを工夫しました。小さな作業では、彼女ができること、役割をいつも考えていました。できることとできないことを考え、できないことは周りがさりげなく手を貸していました。

航海の最後の日、アムステルダムへの帆船パレード。

ぼくたちは、彼女を操舵室の屋根の上に連れて上がりました。高さにすると4-5m。壁に取り付けられたハシゴでしか上がることはできません。

ゆっくりと時間をかけて、彼女は屋根に登りました。目の前に広がるのは運河と水面を埋め尽くすほどの帆船とヨット。彼女はずっとその景色から目を離しませんでした。

やがて港に入る時間が近づきました。入港準備が始まり、デッキの上で慌ただしく人が動き始めました。

「そろそろ降りようか」

声をかけたぼくに、彼女は水面から視線を動かさずにつぶやきました。

「何もできなかったな… 」

「そんなことないよ」

ぼくはそう言うことしかできませんでした。

「そんなことないよ。きっと」

彼女にとってその一ヶ月が、本当はどういうものだったのか、ぼくには知るすべはありません。いや、知る必要もないのだと思います。それは体験から導き出した彼女だけのアウトプットなのだから。

そして彼女のために考えた、ぼくたちの行動のひとつひとつ。そのことも、評価する必要はありません。同じ船に乗る人間として、目の前で起こったことに感じたそのままを行動にしただけなのだから。


田中稔彦 帆船.

 

変わらなくてはという呪縛

 

ぼくは何度も、何隻かの帆船で、様々な仲間達と、いろいろな海を航海してきました。その度に、新しい発見がありました。航海を通じて自分が変わっていくこと、開いていくことを何度も感じていました。

しかし一方で、どんな状況でも変わらない「心の芯」というのも、少しずつ見えてきたような気がしています。変わることと同じように、変わらないことを見つけることも、ぼくは体験のもたらす大きな気づきだと思います。そして彼女のように「できなかった、変われなかった」という思いを心の中に刻み付けることも、ひとが生きて行く中でかけがえのない体験だと思います。

体験が「変わるキッカケ」になることは間違いありません。しかし、「体験したら必ず何かが変わる」と思い込むこと、さらに一歩進んで、「人が変わらなければ体験には意味がない」と考えることは、とても危険な考え方だと思います。

体験にはコストがかかります。ある場所でしかできない体験には、移動のための時間もお金もかかります。道具が必要な場合は、そのための費用もかかります。日常では使わない体力や頭を、たっぷりと使うプログラムもあります。だからつい、そうした体験からたくさんのリターンを期待したくなってしまいます。

しかし本来、感動や変化は、費やした時間や費用の対価として得られるようなものではないのです。それを確実にすぐに手に入るものだと間違って捉えてしまうと、最初に紹介した動画のような表現になってしまうのです。

外見の変化は、とても分かりやすい。
達成感を感じることは楽しい。

でもそれは、いくつかの変化のひとつの要素に過ぎないのです。すぐ手に入る変化だけを追い求めること、それはある種の呪縛となってしまうかもしれません。

心の有り様。
他者との関わり方。
世界の捉え方。
そして、変わらない自分に気づくこと。
できなかった自分を知ること。

体験が人に及ぼす力は、多彩で奥深い。
そして、光と影の両方を含んで美しい。
ただ時として、周りからはわかりにくく、時間がかかることもある。

でもだからこそ、そんな「商品」にはなりえない体験をどう「商品」にしていくのか、その矛盾したテーマに向き合っていく。多分それが、今の時代に合わせてセイルトレーニングをアップデートすること。それが2014年頃のぼくが考えていたことでした。

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)
第6話 何もなくて、時間もかかる(2016.12.10)
第7話 夢見るのではなくて(2017.1.10)
第8話 クルーは何もしません!?(2017.2.10)
第9話 小さいから自由(2017.3.10)
第10話 就活に失敗しました(2017.4.10)
第11話 コミュ障のためのコミュニケーション修行(2017.5.10)
第12話 風が見えるようになるまでの話(2017.6.10)
第13話 海辺から海へ(2017.7.10)
第14話 船酔いと高山病(2017.8.10)

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう



田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。