【第266話】生命力をマネジメントする方法 / 深井次郎エッセイ

深井次郎人に行動を促したいのなら、生命力を与える言葉を使うようにしましょう。すべての心配は祈りに変換できるのです。高給や名誉にしがみつかなければ、どこかに自分の居場所はあります。一番のリスクは、仕事を失うことでも人間関係を失うことでもありません。あなたの生命力が
なぜ「やれ」と言われるとやる気がなくなるのか   
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いつもご機嫌でいるために、自分を知ることほど、大切なことはありません。

人はそれぞれ心と体の性能も違うし、今世で成し遂げるべき課題も違います。隣の人が簡単にできるのに、自分はどんなに努力してもできない、ということがよくあります。

例えば、「やれ」と言われた途端に、やる気がなくなる人。「勉強しなさい」と言われると「今やろうと思ったのに」と萎えてしまいます。こんな子供は、世界中にたくさんいると思いますが、ぼくもその一人でした。 言われなくても「そろそろやらなきゃなー」「さて、やるか」と思っていることなのです。そこに「早くやりなさい!」と頭ごなしに怒られるとやる気がなくなって、もうダメです。遅いのがいけないのはわかっているのですが、「ちゃんと言うことを聞ける子ってすごいなー、自分にはどうしてもできない」と悩んでいました。

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自分の「取扱い説明書」をつくる
ぼくは靭帯が2か所切れてる、とかね

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自分は何ができて、何ができないのか。我慢すれば耐えられるのか、それともどんなに我慢しても無理なのか。

この「無理」を知ることができれば、生きるのがずいぶん楽になります。

「命令を聞けない、というのは、社会に出てから困るよ。誰かの下で働くことができないからね。世の中9割が雇われの身なんだから」

職員室で先生たちに囲まれてさんざん言われました。ぼくも悪気は全然ないのです。グレてるつもりもない。どうにか従おうとしました。それでも、体が動かないのです。気持ちはなんとか動かそうと思っている。でも神経が繋がってないかのように手足が動かないのです。

今年に入ってから、スポーツで膝と足首の2度、靭帯を切って治療しました。 切れた直後は不安になります。今までできた普通の動きができなくなるわけです。

「これからどうやって暮らしていけばいいんだ」

大げさですが途方にくれました。しかし、2,3日して冷静になってくると、どの靭帯が切れたかがわかってきます。そうか、その靭帯を使わないように、この特定の動きなら可能だな。押す動きはできるけど、引き上げる動きは無理、など可能不可能の境界線がつかめてきます。

もちろん治るまでの3ヶ月間は走ることはできませんし、見た目でも不自然な歩き方にはなるのですが、使い方を覚えれば、日常生活にさほど苦労はありません。慣れるもので、治療中も人並みの生活をすることができました。

「靭帯切れたー、痛いー、もう歩けない、何もできないー」

じゃないんです。靭帯の一本や二本切れていても、生活にはそんなに影響はないんですね。ただ、特定の動きだけは、まったく力が入りませんので、その動きを求められたら幼児にも負けてしまいます。

9割の人ができることができなくても、それを使わないで生きていくことは可能だなと改めて気づきを深めました。もちろん、その靭帯が肝になってくるスポーツでプロ選手になろうと思ったら無理でしょう。

でも、

「命令が聞けない」
「細かいスケジュール管理ができない」

この2本の靭帯が切れてても、それを使わない動き方を工夫すれば生きていけます。靭帯が切れてるので早く走ることはできませんが、その代わり発想が面白いとか、絵が描けるとか、話が上手とか、相手の気持ちがわかる、とか。走れなくても、できることはたくさんあるわけです。

それなのに、己を知らず、切れている靭帯を自分で自覚せずにいると、間違えてみすみす運動能力が求められる環境に飛び込んでしまったりするんですね。

「なぜ早く走れないんだ、サボってるのか!」
「すみません、頑張ってるのですが」
「こんな散々なタイムは、お前だけだぞ」

いかにお前はダメなやつか、詰められる毎日を経験したことがぼくもあります。 そうしたら辛い日々から、必ず学ぶのです。すべてのことには意味があります。その間違った環境によって、「そうか自分はここの靭帯が切れてるんだ」と気づけたら儲けものです。

自分を知れば、「自分の取扱い説明書」をつくることができます。その取説をもとに、自分に合った環境を探すことができます。探してもどこにもなければ、自分を活かすための環境をゼロから作ることだってできるのです。

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「やれ」と言われるとやる気がなくなる 2つの理由

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このなぞを考えてみると、大きく2つあります。

理由のひとつは、自己決定欲です。

「あまのじゃく」なところが人間にはありますよね。絶対見るな、と言われたら、逆に見たくなります。言われた通りにしたくない、というと子供みたいで恥ずかしいですが、そういうところ誰にでも少しはありませんか?

自分の運命は自分でコントロールしたい、なんでも自己決定したい、という欲があるのでしょう。これが異常に強い人は、他人の命令が聞けません。 マラソンでも、他人に「やれ」と命令されたら拷問でしかありませんが、自分でやると決めたら心おどる挑戦です。せっかく挑戦を楽しもうと思ってたのに、「やれ」なんて命令されたら台無しです。それでしぶしぶマラソン出て、いい結果出したら「ほら、俺の言うこと聞いて正解だったろう?」などと言われた日にはげんなりです。

理由のふたつ目は、命令と心配は、生命力を奪う言葉だからです。

「勉強しなさい」という言葉の裏には、どんなメッセージがあるでしょうか。

(どうせあなたは言われなきゃ勉強しないでしょうね。本当に自己管理できない、ダメな子。まったくその性格直しなさいよ。社会に出てやってけないよ)

言葉にはなってないけど、負のエネルギーがぶつけられてるわけですね。 「私だってガミガミ言いたくないの。あなたのために怒ってるのよ」と思ってますが、全然子供のためになってません。逆効果ですね。文字面の裏にある負のメッセージが、相手の生命力を奪ってしまい、余計に動けなくしているのです。

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言葉には「与える」「奪う」の2種類あります

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2種類とは、「生命力を与えることば」と、「生命力を奪うことば」です。

生命力を与えることばとはつまり、
「あなたには力がある」というメッセージです。

生命力を奪うことばとは反対に
「あなたには力がない」というメッセージ。

相手へ投げかける言葉は、このどちらかに分かれます。 「勉強しなさい」は後者ですね。心配や命令は「あなたには力がない」というメッセージを与えています。力がないから、心配だし、わたしが守って指図してあげないといけないんですよね。

「上手くいくか心配だわ、もっと勉強しなさい」  
  → あなたは力がないから、ダメかも

「上手くいくように祈ってるわ」  
  → あなたには力があるから大丈夫

「このままじゃ、失敗するのが目に見えてるぞ」
  → あなたは力がない

「力を出し切ろう、君ならできるはずだよ」
  → あなたには力がある

人に行動を促したいのなら、意識して、生命力を与える言葉を使うようにしましょう。いま自分が使ったのは、どっちの言葉かな、と意識する癖をつける。すべての心配は、祈りに変換できるのです。 今の時代、多様な仕事があるので、高給や名誉にしがみつかなければ、どこかに自分の居場所はあります。

一番のリスクは、仕事を失うことでも、人間関係を失うことでもありません。あなた自身の生命力がなくなってしまうことがリスクなのです。無気力になって、どうにも動けなくなってしまってはもったいない。あなたの生命力を下げる環境からは、全速力で離れた方がいいです。どうしても離れられないなら、心にバリアを張って自分を守ってください。

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キーワードは「生命力」
生命力を与える言葉を使っていこう

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他に特技がなくとも、生命力を上げてくれる人の周りには、自然と人が集まります。その人が、その人として存在していい、と認め、それを喜んでくれる人です。

あなたにも「会うと元気にしてくれる人」がいませんか?「会うと元気にしてくれる人」は、明るい雰囲気ではありますが、いつもハイテンションで元気な人、というわけではないですよね。

本人は元気だけど、不思議と会った後にぐったりくる人もいます。そういう人からはコントロールを感じます。「俺は元気、お前はテンション低いけどそれでいいの? ダメだろ?」こちらのあり方を否定するような空気の人は、いくら明るくて優秀でも一緒にいると疲れます。元気の押し売り、正義の押し売り。

やっぱり、押し売りのない、ナチュラルで、「こうあらなければならない」がない人が落ち着きます。 生命力を与える言葉を使える人であれば、それだけで一生仕事に困らないはずです。どうせ仕事するならあの人とやりたい、と思います。 「あなたはあなた以外になる必要はないよ、その魅力を精一杯伸ばしてね」 というメッセージを発している人。

「別にあなたの好きにしたらいいんじゃない?」

と不満そうに言う人は、違いますよ。これの裏メッセージは

(私の言うこと聞かなかったら、力のないあなたは失敗するけど、それじゃ困るでしょ)

ですから、生命力を奪いますね。

人生は長期戦です。長い目で見て、自分の生命力をマネジメントしていきましょう。いま、あなたの生命力は10段階でどのくらいですか? 5を下回ったら改善を意識して、3以下になると危険です。

アーティストは、「これがやりたい」という湧き上がるものがなくなった時に、引退です。年齢では決まりません。最近、何も出てこないという時は、生命力が下がってないか、をチェックするようにします。 今の自分の環境をつくったのは、他でもない自分です。自分で選んだ今の環境。すべて自分のせいです。

「自分は靭帯切れてるんだから、みんな察してくれよ」

これでは、通用しません。

見た目ではわからないので、それぞれが自分で「自分の取説」をつくり、チームのみんなに伝える努力は必要です。

「自分はこういうことが得意です。でもこの動きはできません。ここの靭帯が切れてるので」

丁寧に、コミュニケーションをとって理解を求めていく。靭帯切れてる人に、「それでも走れ」という鬼はいません。あなたが生命力を与える言葉を使える人でありさえすれば、きっと「その役割は自分が得意だから代わりにやるよ」という仲間に出会えます。

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最後に、かつてのぼくのような「命令が聞けない子供たち」にアドバイスしておきます。(子供はオーディナリーを読んでないと思うけども)

どうしても嫌なら「やめて」と言わないと、相手はわかりません。相手は良かれと思って言っているからです。

「勉強しなさい」と言われると余計やる気がなくなるからやめて欲しい、と親にも先生にもぼくは言いました。命令しないで、と。

「はやくしなさいって言っても聞かないし、今後勉強しなさいと言ったら、絶対にぼくは勉強しないからね」

意地でも、それを通すのです。相手が理解するまで、何度でも繰り返します。

それでも「いい加減にしなさい!夕飯抜きよ」と強烈なプレッシャーをかけてくる親もいるかもしれません。(ちなみに、うちの親は小学生の時点ですんなり諦めてもらいました。もう好きにしな、元気に生きていさえすればそれでいいよ、と)

夕飯抜きの恐怖に屈してしまうと、 「なんだ、この子はちょっと強くプレッシャーかければやるんだな」 と味をしめて、余計エスカレートして大声で命令するようになっていきます。 だから、断固として靭帯を動かさないこと。 命令には屈しないこと。 非暴力、不服従のガンジーになるのです。

そうすると「どうやら本当に靭帯切れてるみたいだ」と諦めて、言わなくなります。 静かになったあとは、キミはキミのやり方で、精一杯やればいいのです。

切れてる靭帯なんか使わないでいい。
たくさん失敗する権利だってあるんだ。
キミの良いところを活かせる役割が必ずあります。
大丈夫、世界は広いからね。

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. . 「好きなことで生きていくために」
ヒントになりそうな他の深井次郎エッセイもありますので、一緒にどうぞ。
 

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【第261話】失うものを背負った大人の起業法「3つの経験値
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【第233話】未知なる感覚を求めて – 日本一のバンジーを飛んでみた話
【第214話】激変の時代にも残る仕事のキーワードは「あなたにもできる」
【第213話】世界を変えた新人たちはどこが違ったのか? 
【第202話】自分がやらなきゃ誰がやる。使命感をどのように持つのか  

ピッタリだ! お便り、感想、ご相談お待ちしています。 「好きを活かした自分らしい働き方」 「クリエイティブと身の丈に合った起業」 「表現で社会貢献」 …などのテーマが、深井次郎が得意とする分野です。全員に返信はできないかもしれませんが、エッセイを通してメッセージを贈ることができます。こちらのフォームからお待ちしています。(オーディナリー編集部)

(約4400字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。