人間の成熟プロセスから考察する、ヘタウマの魅力。「変わりたい」と心に灯がともった時、成熟のプロセスを思い出してください。変わることは、本当の自分に戻っていくこと。技術を身につけた上で、何も知らなかった子供に戻れた人たちが、ヘタウマなの
ヘタウマとはどんな表現か
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ゆるさに味がある。真似できそうでできない、絶妙な魅力。
ヘタウマとは、技術面では下手に見えるけど、人の心を引きつける魅力のある表現のことです。イラストや手書き文字でも、子どもや素人でも描けそうな感じの表現が、デザインとして使われることも多くなりました。
ヘタウマの起源はきっと古くからあり、正確にはわかっていません。縄文の土偶もヘタウマっぽい気配がします。「ヘタウマ」という言葉自体は1970年代から。「稚拙なタッチのイラスト」が出はじめた時に誕生したようです。「ヘタウマ」なイラストレーションの元祖は、つげ義春さん、湯村輝彦さん、和田誠さん、長新太さん、などではないかと言われています。
「上手い、綺麗」を披露し、常人には真似できない圧倒的な技術を誇るのがプロだと思われがちですが、なぜヘタウマが決して少なくない人気を集めるのか。「なんかうちの子供でも描けそう」な表現なのに、プロとしてこれで食べていけるのが不思議ではありませんか。
ヘタウマと言えば、手描きの絵や書がわかりやすいですが、音楽、ダンス、ファッション、陶芸、すべての表現ジャンルに存在し、文章の世界でも、やっぱりあります。大学教授のような難しい言い回しではなく、小学生でもわかる優しい表現とひらがなを多用したり。糸井重里さんのコピーやエッセイは、一見やさしく書いているので、「これなら書けそう」と勘違いしそうになります。写真で言えば、ピンボケやブレを味とする森山大道さんみたいな写真家もいます。「これなら自分にもできそう」「これでもいいのか」と、初心者に勇気を与える効果は、確かにありますよね。
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「ヘタウマ」と「ただの下手」の境界線は?
稚拙なタッチがそんなに支持されるなら、誰でもプロになれるんじゃないか。
でも、実際はそうではありませんね。
よくヘタウマな絵を形容するときに、「子供の落書きみたい」と言われます。ピカソも、晩年に近づくにつれて、子供のような絵を描くことを目指しました。
「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」
だとしたら、多くの大人の芸術家なんかよりも、子どもが最強ではないか。でも、現実には「子ども作家」として活躍している子の名前は、パッと浮かびません。もっといてもよさそうなのに、なかなか出てこない。子どもに自己プロデュースは難しいので、親が頑張って我が子をプロデュースすれば良さそうです。それでもなかなか「子ども作家」は大人の「ヘタウマ作家」以上に支持を集めるには至っていないように思えます。
同じくピカソの言葉ですが、ここにヒントが隠れていそうです。
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」
そう、時間がかかる。生まれてからずっと子どものままでいるのではなく、一度大人になってから一周回って帰ってくることが必須なのかもしれません。
「失って、自ら選び、獲得する過程が、人々の心を動かす何かになる」
これがぼくの仮説です。「忘れて、再び思い出す」ことが大切なのではないか。
誰しも「本当の自分100%」だった赤ちゃんの頃から、誰しも社会に合わせるために「偽りの自分」を少しずつ身に纏い、大人になります。そこで再び、一周回って「本当の自分」を取り戻せるか、子どもに戻れるか。行って戻って来るのが、人生の旅です。
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人間の成熟プロセスは、螺旋状になっている
わかりやすいように、イメージ図で説明しましょう。
6つのステージを経過し、らせんのように回り登っていきます。
ステージ① 誕生期 「子供の絵」
「本当の自分」のみだが、壊れやすい。持っている宝を自覚していない
ステージ② 反抗期 「ヘタヘタ」
社会に適応するため「偽りの自分」を身につける勢力と、型にはまる窮屈さを感じる「本当の自分」が戦う。「大人になんてなりたくない。働いたら負け」
ステージ③ 適応完成期 「ウマウマ」
「他者本位」のいわゆる「一人前の社会人」となる。「偽りの自分」が「本当の自分」を飼いならす。誰にも嫌われない正しい大人になるため、常識に屈服した。他人からの評価がすべて。
ステージ④ 適応不調期 「ウマウマ」
他者本位の行き詰まり。自分を失ってしまったために「本当の自分」が疼き始める。苦悩や不調が心と体に出る。「何か変だよね…」③へのモヤモヤ、違和感を感じる。
ステージ⑤ 個性革命期 「ヘタウマ」
「本当の自分」による革命動乱。溜め込まれた怒りの噴出。「これが自分だ!」の道を見つけ、自分らしさが極まる。正しいか、より楽しいかどうか。他人からの評価より、自分軸で判断できるように。
ステージ⑥ 無垢期 「ヘタウマ」
「自分らしく」と力んだコントロール意識を手放し、もっと大きな他力(自然や偶然)に身をゆだねていける。あるがままに、ただ喜びのエネルギーに任せて、自然に拡大し、豊かになる。
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俯瞰して、自分がどの時期にいるかわかると、今すべきこと、次にすべきことがわかってきます。一般に「大人としての成熟のゴール」は③だと勘違いされがちですが、実はそうではないんですね。③で止まってしまうと、古い頑固おじさんになっていく。
③たちが多用する「大人になれよ」のセリフは、「自分を押し殺してでも、世間が良しとする型に合わせろよ」ということです。でも、自然界には、満ち潮と引き潮があるように、一方方向だけには進みません。③まで満ちたら折り返し、「型をあえて崩す」「自分らしいやり方」「あるがままでいる」方向へ戻るのが自然なのです。
海を見ても、満ち潮と引き潮は同時には起こりませんね。満ちる時期、引く時期に分かれている。往路「型に合わせる道」と、復路「個性化の道」を、同時に進むことはできません。なので、いま自分がどちらの時期なのか知っておくと、精神衛生上ずいぶん楽です。退化しているように感じても、それは正常な進化だとわかっていれば、不安になることもありませんね。
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各ステージにありがちなこと、生きやすくするためのヒント
▶︎<ステージ②反抗期>にいる人たちへ助言
→「技術を軽視しないこと」
②たちの前には、2つの成功例が目につきます。「型を極めた③たち」と、「個性を極めた⑤たち」です。ここで、楽しそうな⑤に憧れ、飛び級して⑤を目指してしまうケースがあります。例えば、「好きなことで雇われずに生きたい」といきなり起業する。すると、知識や技術もないので、他人と関わることができずに孤立してしまうことがよくあります。技術の基礎があるから、⑤に行けるのであって、やっぱり「守破離」の順番なのですね。
「自分らしさを失ったら、もう取り戻せない」と思うと反抗したくなる。だけど、「とっとと大人を経過して、早くまた自分に戻ってこよう」と思えば、大人になることも楽しみになります。「仕事は遊び」と公言してやまない⑤の子どものような大人たちも、一度は「型にはまった大人」を経由していることを忘れてはいけません。一度は「ウマウマ」な技術を目指す時期は必要です。
▶︎<ステージ③適応完成期>にいる人へ助言
→「疲れた④たちを、引き戻さないこと」
世の中の学校や会社では、「成熟のゴールが③である」と教えられます。「自分を捨て他人に合わせることが、成熟した大人ですよ」と。「社会人としてのマナーとルールを守り、すべての人に粗相のないように好印象を与えましょう」と。「③こそが人生のゴールだ」と、③たちは信じて疑いません。「努力して勝ち抜いてきた俺たちこそが、正解だ、模範の人間だ」というプライドがあるんですね。
でも③の時期は、「偽りの自分100%」なんです。だから、会社に慣れた30歳頃に「モヤモヤする」「違和感を感じる」「このままでいいのかなぁ」と疑問を持つ人が増えます。いくら他人に合わせても、魂の部分でうずくのです。心の声が、「お前それで幸せなの?」「冒険しないでさ、死んだ時後悔しないの?」とノックしてくる。このモヤモヤが、④適応不調期に進化した合図です。でも世間の大多数の③たちに引き戻されます。
「好きなことして食べていけるわけない。子供みたいなこと言ってるんじゃないよ。現実を見なさい。群から外れたら、やっていけないよ」
世間は、自分たち③こそがゴールだと思っているので、④たちのほうが未熟者に見えてしまうのですね。②と④が同じに見える。だから、余計なお世話とも知らずに、「大人になれよ」と④たちを連れ戻そうとするんです。いやいや、④たちは大人になりすぎたから疲れてしまったのですよ。
④たちは、心身ともに不調が出て弱っていますので、「こんな違和感は自分だけ? やっぱり自分が間違ってるのかな…」と心細くなります。③の勢力と綱引きをして、多くの④が先に進めず不調が長引いてしまう。いっそ③に戻れれば楽かもしれないけど、人生は先にしか進めないのです。
③のあなたは「お前も大人になれよ」と口にしそうになったら、相手が②なのか④なのか思いをはせる時間をとってください。他人に合わせられないのが②で、合わせすぎて疲れたのが④です。彼は④だと思ったら、その手を離して先に行かせてあげましょう。
→「自分が完成形だと勘違いして、⑤を批判しないこと」
多くの人は③までで進化を止めてしまいます。「③こそが完成系」と信じて今まで競争してきて、プライドもあり頑固になっています。たまに⑤たちから、批判的な評価を得ると、頭に血が上ります。
「あなたたち③の作品は、綺麗だけど、つまらない」
「正確だけど、味がない」
「上手いけど、個性がない」
「狙いすぎて、あざとい」
「成功してるけど、別に羨ましくない」
⑤たちは、「あえて着崩すのがオシャレ上級者なんだぜ」というようなことを言ってきますが、③たちには理解できません。正解はひとつに決まってるでしょ。スーツにスニーカーを合わせるなんて、邪道としか思えない。写真でピンボケなんて許されない。ヘタウマな表現を見ても、「何がいいのか、さっぱり理解できない」「最近の若者はレベルが下がった」と見下したように吐き捨て、喧嘩になります。
⑤たちは③たちの思考回路が理解できますが、逆は難しい。③たちは⑤の思考が理解できません。③たちは⑤と戦うのではなく、「もしかして一理あるのかな」と柔らかく学ぶ姿勢を持てると、次に行けるのでしょう。教科書が全てではありません。常に発展途上の気持ちで学び続けるんです。
すると「綺麗すぎてつまらないから、あえてハズす」とかの揺らぎの魅力がわかるようになってくる。
「ブサ可愛い」
「ダサかっこいい」
「じわじわくる」
「勝つだけが全てではない、美しい負けもある」
そんな感覚が、自分の中にも存在してたことに気づくんです。綺麗さだけに惹かれていた時代を、「俺も若かったな…」と懐かしく思える日がくる。
わびさびの魅力は、若者にはなかなかわかりません。若者は派手に盛ったりデコったりが好きですよね。わびさびと言えば、茶人の千利休ですが、彼の最期は豊臣秀吉に疎まれ、切腹に追い込まれました。もしかしたらこの秀吉による批判は、③から⑤への攻撃だったのかもしれません。
豊臣秀吉は、なんでも一番になりたかった男で、天下を取りました。政治も商売も一流でしたが、ただ、芸術センスだけは千利休に敵わず、コンプレックスを持っていたのではないか。
わびさびの利休は、たった2畳の質素な茶室「待庵」で、大きな支持を得た。一見誰にでも真似できそうな地味な茶室です。一方で秀吉は、豪華な金ピカの茶室をつくりました。誰が見ても「すごい!」「豪華!」「広い!」「真似できない!」わかりやすい成金趣味の③の表現です。
世間から評判はどうだったかというと、
「すごいのは確かに秀吉だけど、利休の方が粋だね」
こういう評価が聞こえてきたし(400年経った現代でも建築的に評価され国宝にもなっている)、秀吉自身も「やっぱり利休のセンスは一歩も二歩も先を行っている」と自覚した。負けた悔しさと、有力大名みんなから尊敬を集めていた利休を危険視して、権力に任せて切腹を命じたのです。パワハラですね。たくさんの残忍なことをしてきた秀吉も、この行為は死ぬまで悔やみ続けたようです。それだけ利休は魅力的だったのですね。歴史は専門外なので、あくまでぼくなりの想像ですが、③対⑤の言い争いは、いたるところで見られます。
▶︎ <ステージ④適応不調期>にいる人へ助言
→「ステージ③に戻らないこと」
本当の自分を押さえつけ、世間に合わせるために戦ってきた③のあなた。これに疲れ、違和感を感じ始めたら④です。頭では「社会人として③でいなければ」と考えているのに、心では行きづまり感があります。「このレースの先に幸福はないのでは?」 モヤモヤを無視し続けていると、心や体に不調が出て倒れ、ドクターストップになることも。
「勝っても昔ほど嬉しくない」とかのマンネリ感、やれることはやった限界を感じて、もう③でいることにワクワクしなくなります。「モチベーションが枯れたんじゃないか」「自分は退化してるんじゃないか」と不安になりますが、先に進みましょう。守破離の破。型を破ってみるのです。多くの勢力である守の③たちは「いい大人が子供じみたことを!」と引き戻してきますが、⑤たちは「もっとやれやれ」と応援してくれます。同じ④や⑤の人たちが集まる場に身を置くと、勇気が湧いてくると思います。「頭」で考えるのではなく、「心や体」が感じる方を優先してください。また③に戻ろうと抵抗するのなら、いくら休憩してもあなたの不調は繰り返します。
▶︎<ステージ⑤個性革命期>にいる人へ助言
→「③たちに怒りをぶつけないこと」
⑤まで進化できれば、強さが出てきます。他人は他人、自分は自分。わたしはわたしの道を行くよ、と自信がでてきます。「偽りの自分」から「本当の自分」を取り戻し、気分もハイに。手応えを感じています。
⑤たちからは、かつて自分もそうだったのに③たちの主張が、未熟に見えます。今までさんざん世間に「本当の自分」を抑圧されてきて溜まった怒りもありますし、純粋な善意もありますが、③たちを批判するような言動をしがちです。
特に⑤になりたての時は、③たちに「まだ社畜やってるの?」「キミの言ってることは正しいけど面白くない」とか煽って炎上させてしまったり。怒りがやがて落ち着くと、淡々と他人の目を気にせず自分らしい「我が道」を進めるようになる。
⑤の自己啓発系著者たちの中には、必要以上に③たちの「普通の生き方」を否定し、「自分らしさ」を煽りますが、「③たちにも③を味わう権利がある」ことを思い出してください。ぼくがよく「寝る子を起こすな。それは善ではなく、ただのおせっかいだから」と言ってるのは、そういうことです。
ところどころで起きている⑤VS③の対決を見て、④たちはどちらに進むべきか、モヤモヤしています。頭では③を支持し、しかし心では⑤に惹かれている状態です。争いは好きではありませんが、④たちが考えるきっかけになるので、⑤VS③の喧嘩も意味はあるのだと思います。全体を進化させるように、宇宙はうまくできていますね。
だから宇宙を信頼すればいい、力を抜いてあるがままに、という領域が⑥です。⑥たちから見たら、⑤VS③の喧嘩は「どっちも力みすぎ。気楽に行こうよ」ということでしょう。
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著者と読者のミスマッチを避ける
本をつくる時、ブログを書く時も、「著者 × 読者」の組み合わせをしっかり定めます。相性が合わないと不幸しか生みません。
例えばぼくの場合、「働き方」のテーマの時は、④と⑤の読者に向けて書いています。それは、ぼく自身が④と⑤を行ったり来たりしている段階だし、一番興味がある時期だから。②と③の人は読者と考えていません。
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【幸せな関係】
著者 → 読者
② → ② 共感。 「盗んだバイクで走りだす俺たちの青春。大人になんてならないぜ」
③ → ② 型を教える。「成功したいなら、ルールがある」
④ → ④ 共感。「なんか変だよね」
⑤ → ④ 導く。「大丈夫。競争から降りて、自分らしく生きよう」
⑤ → ⑤ 共感。「自分らしく生きてるかい? 自由でいいのだ」
⑥ → ⑤ 導く。「自分を手放し、ただあるがままに」
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【ミスマッチな関係】
② → ③ 反抗。「あなたみたいに魂を売りたくはない。カッコ悪い」
③ → ④⑤ 恐れからくる批判。「オンリーワンより、ナンバーワンでしょ? 自由は甘え。風紀を乱すな」
⑤ → ③ 余計なお世話。「ナンバーワンより、オンリーワンでしょ。本当の自分を取り戻せ。まだ奴隷やってるの?」
ミスマッチでの意見は、お互い頑張っても傷つけあうだけ。その努力は他に向けたほうがいい。
多くの実用書分野の著者たちは、③か⑤が多いですね。
③の成功者は競争に勝ち自信にあふれていますし、
⑤も自分の道を見つけた興奮でエネルギーが高まっています。
④は、暗中模索してるので、声は大きくありません。
⑥になると、「起きることはすべて最善でベスト」とわかるので、余計な心配をすることもなく、日々を静かに自然体で暮らしています。求められない限り、発言することもなります。⑥は自分を証明する必要もないし、自分の楽しみを探求するのに忙しいので、他人の人生に口を出している暇はないのです。(ただ執筆自体が楽しみの人は、書き続けます)
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成功本によって、言ってる法則が逆になる
実用書を買うときは、立ち読みして「この本の著者は③と⑤のどちらかな?」と確認するようにすれば、ハズレを引くのをだいぶ防げます。
ステージ③の著者と⑤の著者では、お互いに正反対のことを言っているので、読者は混乱してしまいます。
③「ルールを守れ」 ⑤「ルールを破れ」
③「ナンバーワンを目指せ」 ⑤「オンリーワンでいい」
③「勝利こそすべて」 ⑤「自分の美意識を持て」
③「忍耐しろ」 ⑤「我慢しなくていい」
③「多くを得よ」 ⑤「むしろ捨てろ」
③「考えろ、計算しろ」 ⑤「心で感じろ」
例えば、ぼくが料理スキルを学びたかったら、現在②と③の間にいますので、③の著者の本を買ったほうがいい。⑤の著者に「お好みで自由に」とか「隠し味を」とかアドバイスされても、困ってしまいます。隠し味などまだ早いし、素敵な写真だけ載ってても、正確なレシピがないと再現できません。まずはレシピ通りにつくる、「正解の型」を手取り足取り教えてもらったほうが進化につながります。基礎ができてないのに、「自分流に、自由に」では、ずっと反抗期のまま。進化できなくなってしまいます。②の今は「自分らしさ」よりも、「プロみたいに上手に作れる」ことが嬉しい時期。正確に模写して大人の真似事をするのが楽しい、子供のままごとってそれですよね。②の読者を飛び級させて⑤に導こうとするのは、不親切になります。
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大人を折り返して、子供に戻っていこう
芸術家のマティスもピカソも岡本太郎も、③を折り返して対極の⑥以上に進んでいる。誰が見ても上手い絵を描いていた③の時代を経て、無垢な子どもの絵を目指していきました。
一見すると①と⑥は、同じ「子供の描いた絵」に見えます。しかし、螺旋上では、一段上のステージになります。もちろん4歳の幼稚園児たちの絵も、普通の大人(②③④⑤)から見たら魅力があります。けれど、やっぱり⑥の魅力にはかないません。
自分も他人もなく、ただあるがままで居られる。「自分らしく!」という力みもなく、「他人の目」に自分を証明しようとするエゴもなく、ただ心から湧き上がる喜びのままに表現できる。筆が進みたいように進ませてあげる。ただ、それだけ、という無垢な子供に戻るのです。
絵本作家の荒井良二さんも、「子供が描いたような絵を目指している」と苦心しているようですが、これは①に戻るのではなく⑥へ進むことです。国内外で人気のイラストレーター・Mogu Takahashiさんの画風も、子供みたいですが、子供には描けない味だと思います。
相田みつをさんの書は、没後30年近く経っても、多くの人を魅了しています。「にんげんだもの」のフレーズは、若い人でも知っています。ぼくの初めての出版パーティーで、特別に国際フォーラムの「相田みつを美術館」をお借りした関係で、館長にはいろいろ教えていただきました。相田みつをさんは、ヘタウマの書で知られていますが、実は書の技術力は相当高いです。書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に7年連続入選するなど、 誰もが上手いと認める③の時代を経過しています。
⑥と③は対極にいます。なので、③たちから見たら⑥の魅力がさっぱりわからず、「なぜこんな稚拙な作品が人気なのか」と首をかしげることはよくあります。
ただ、「本当の自分100%」であるがままを爆発させた表現を前に、心の深い部分では、何か揺れるものを感じるはず。
口説く言葉も成熟すればするほど、押したり引いたり駆け引きせずに、「好きだ」の3文字だけになる。頭をこねくり回さなくていいんだよ、心が感じるままに直球で行けと、うちの死んだじいちゃんも言ってました。でもそれじゃ相手に嫌われるんじゃ…と、③たちは不安になるのですね。
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まとめ
「ヘタウマ」と「ただの下手」を分けるもの。それは、「一周回ってきているか」ということです。失って、取り戻す。親から与えられた遺伝的才能だけではなく、自らの意志で獲得したか、という過程が重要なのです。
社会的な流れに乗って競争していれば、ステージ③までは行けます。しかし、お受験エリートの優等生が苦悩するのは、③から降りることができないからです。③と④の間で一生を終えてしまう。
「安全に勝ち進んできた人生ではあったが、それが何だったのか…」
「もっと羽目を外して、冒険を楽しめばよかった…」
最期の病床では、そんな後悔の声が多いという調査結果もあります。
やはり③から折り返すのが難しい。せっかく登ってきた梯子を下りるのは、誰しも抵抗があります。勝ちパターンを手放すのは、退化してしまうようで不安です。ラーニングよりも、アンラーニング(学習棄却)の方が難しい。③までの道には成功マニュアルがありますが、折り返すと今度は「自分だけの正解」を模索しなければならない。なんでもありの自由は、楽しい反面、楽ではありません。いちいち自分で考えて、選ばないといけないのですから。
③を突き詰めると、「今のままでは先に進めない」と切実に実感し、挫折にぶつかります。心や体が悲鳴をあげたり、大きな敗北で打ちのめされたりして、何かを変えなければ…な状況になるのです。
自分をなくし、そして取り戻す。⑤で自分らしさを獲得し、そのうち「自分」は「世界」に身をゆだね、ついに境界がなくなり一体となるのが⑥。そうか「自分=世界」なんだ、世界は自分次第なんだ、と気づいていく。ガチガチに緊張したり、無理な力は必要なかったのです。
これが「ゆるい」「ヘタウマ」という在り方です。
・生まれた田舎を出て、都会を経験して地元に戻る。
・業界最大手での出世を経験して、家業に戻る。
・誰もがうらやむ豪華な暮らしを体験して、質素で粋な暮らしに戻る
対極の世界を経験してから、自分の意志で戻ってくるのが成熟です。一応言っておくと、戻るといっても、「田舎暮らしが成熟」ということではないですよ。田舎はあくまで例えで、「自分の意思で、本当に住みたいところに住む」ということ。
生まれた環境を出ずに、「こんな田舎で生きたくないんだけど…」とぶちぶち文句を漏らしながら一生を過ごす人は、反抗期のままで今世はゲームセットです。
「変わりたい」と心に灯がともった時、成熟のプロセスを思い出してください。
変わることは、本当の自分に戻っていくこと。
学んだことを一度捨てて、白紙にできるかどうか。技術を身につけた上で、何も知らなかった子供に戻れた人たちが、ヘタウマなのです。
ヘタウマにぼくらの心が奪われるのは、「それが人間の成熟の方向だから」なのでしょう。
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「好きなことで生きていくために」
ヒントになりそうな他の深井次郎エッセイもありますので、一緒にどうぞ。
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【第213話】世界を変えた新人たちはどこが違ったのか?
【第202話】自分がやらなきゃ誰がやる。使命感をどのように持つのか
お便り、感想、ご相談お待ちしています。 「好きを活かした自分らしい働き方」 「クリエイティブと身の丈に合った起業」 「表現で社会貢献」 …などのテーマが、深井次郎が得意とする分野です。全員に返信はできないかもしれませんが、エッセイを通してメッセージを贈ることができます。こちらのフォームからお待ちしています。(オーディナリー編集部) |
(約9600字)