【第202話】自分がやらなきゃ誰がやる。使命感をどのように持つのか。それは大通りではなく脇道に抜けること。 / 深井次郎エッセイ

「さて、どの使命を背負うか」

「さて、どの使命を背負うか」



好きなことを仕事にできても
辞めたくなる時は来るもので
それからは使命感が必要になってくるのです

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「好きな仕事を毎日やれるなんていいですね」
「まあ、そうですね」
「いいなぁ、毎日楽しくてしかたないでしょう? 」
「ええ、まあ、でも好きは好きだけど、そう単純なものでもないんです…」

自分の道を生きている人たちに、「好きなことができていいね」と聞くと「はい」と答えながらも複雑な顔をする人も多いです。 趣味ではなく、仕事として好きなことを続けていくのは、思うほど楽ではありません。

いくらおいしいラーメンでも毎日毎食、これを10年も続けて食べていれば飽きます。あるプロのラーメン評論家は「毎食ラーメン食べてます」と言ってますが、あれはものすごい才能。プロの中でもひと握りの天才です。それ以外の人たちは、たまには違う食事もしてみたいな、隣の芝生の方が青そうだなと浮気したくもなるでしょう。

「好き」だけでは、長い道の途中で何度か辞めたくなる時がきます。「楽しい」だけでは続けられない時がきます。単純に飽きることもあるし、仕事となると好きの中にも大変なこと面倒なことが必ず含まれているからです。(9割は面倒なことというケースも多い)

そんな中で、好きな仕事を長く続けられている人に共通することは何か。続けられる理由のひとつは「使命感をもっている」かどうかではないでしょうか。この使命感とは、自分に課せられた任務を果たそうとする気概です。

会社員だったら上司にノルマを課せられるので、強制的に頑張れます。お客さんができてからは、期待したり喜んでくれたりするお客さんがいるから頑張れます。しかし、独立してまだお客さんのつかない「立ち上げ期間」は、任務を課してくれる人がいません。自分で自分に任務を課すしかないのです。

ではその使命に、どうやったら出会えるのか。どうやったら打ち込むべきものを見つけられるのかということですね。あなたが起業家だとしたらなんのビジネスをやるのか。アーティストだったら、何をつくるのか。作家だったら、何を書くのかということです。

使命を見つけるには、1つコツがあります。多くの人が歩いている大通りではなく、そこからそれた脇道をいくことです。脇道はあまり人がいません。そんな道で、たとえば目の前で交通事故が起きて、その場に自分しかいなかったらどうしますか。助けに駆けよる人がほとんどではないでしょうか。「自分がやらなきゃ、だれがやる」そういう状況です。

逆にこれが、多くの人がいる大通りでの事故だったらどうか。みんな「他のだれかがやってくれるだろう」素通りしていく人も多くなります。

「自分がやらなきゃ、だれがやる」が使命感です。好きなことを長く続けられる人は、好きだから、得意だから、褒められるから、生活費を稼ぐため、とかそれだけがモチベーションではないんです。

たとえば、ぼくの「伝えなきゃ」とか「教えなきゃ」という衝動は、人生の先輩たちがぼくに教えてくれたことを独り占めしちゃいけない。自分ひとりの記憶の中だけで良い思い出にしちゃいけない。このまま独り占めしたら社会的な損失だという思いがあります。

先輩たちが一対一で教えてくれたこと、してくれた優しさ。他に目撃者がいないんだったら自分が記録しなきゃ、伝えなきゃ、何もなかったことになってしまいます。中にはすでに亡くなってしまった方もいて、お世話になったのに直接何もお返しすることができなかった。せめてその先輩たちから学んだことを、自分が書ける元気のあるうちに伝えつくしたい。

そういう使命に出会うことは、もし多くの人と同じような大通りを歩いていたとしたら、なかなか至難の技だっただろうなと思います。 だって、まわりには自分以外に器用で優秀な人たちがたくさん歩いています。

たとえば、大通りで迷っている外国人がいて、わざわざあなたから話しかけて助けますか?  英語に自信がなかったら、「自分よりも英語を話せる人が…」とか「自分よりもコミュニケーション上手な人が…」とか考えて助けませんね。自分よりも適任に見える人たちが、たくさん隣を歩いているので、遠慮してしまいます。大通りは、自らわざわざ使命を背負いにくい状況なのです。

使命感の持ち方には、3通りあります。

1. 他人から大役を指名されるか
2. 天から背負わされるか
3. 自分で背負うか、です

映画『アルマゲドン』の主人公は1番ですね。ブルース・ウィリスは、油田掘削の達人で、国から「地球を救ってくれ」と指名されました。最初は「なんで俺が…」と言いながらも見事に任務を遂行しました。

地球の運命を背負うなんて、とてつもない大役です。責任もやりがいも大きいでしょう。けれど、ぼくら実際の日常生活では1番のように大役を他人から指名されるのを待ってたら、年寄りになってしまいます。一生指名されないことだって多いにある。だから、自ら背負うのです。

いま流行っている道、儲かりそうな道は、大通りになります。あなたと同じ優秀な人たちが同じようなことを始めています。やがて時間の問題で過当競争になって利益がでなくなります。そうなったとき、続ける人と辞める人に分かれます。

「思えばこのビジネス、別に自分やらなくてもいいのではないか」代わりの同業者がいくらでもいるし。そういう疑念が沸いてきます。最初は好きで始めたことでも、雲行きが悪くなってきたり飽きてきた時に、そこに使命感がないと、プツンと糸がきれてしまいます。

これが会社員であれば、「自分って、隣の席の同僚といつでも替えがきくなぁ」と思う。「この会社にいる意味あるのかなぁ、別に俺じゃなくても良くないか」と冷静になる時があります。

親が強いのは、「この子を守ってやれるのは自分しかいない」と思うからです。守るものがあると人は強くなれる、と流行歌の歌詞でも耳にしますが、あなたも実感あるのではないでしょうか。「できるのは自分しかいない」もしかしたらそれは勘違いで、他にもいるかしれないけど、それでもいいんです。素敵な勘違い、思い込みが大事。

オーディナリーでも、自分たちにしかできない読みものを提供していこうと活動しています。オーディナリーの周辺には隠れたヒーローたちがいます。彼らのことをマスメディアでは取りあげない。だから世間的にはもしかしたら無名という位置づけかもしれません。彼らは国を動かすとか、世界を変えることはないかもしれないけど、等身大でユニークで精一杯活動しているのです。

「こんな人がいるよ、こんなこと考えている人がいるよ」その息吹を伝えたいし、魅力を伝えないと、と思うのです。彼らとぼくたちは何かの縁でめぐり会いました。その人の魅力を、ぼくなりの視点で伝えられるのはぼくしかいません。

有名タレントが結婚したら、どのメディアも記事を書きます。有名人には様々なメディアがインタビューにいき、似たような記事があふれています。流行のキュレーションメディアもそう。人気のある動画や記事を集めてきて転載しています。たしかに笑えて面白い。でも、みんながやってることならば、それはわざわざあなたが人生賭けてやる必要はないと思いませんか。みんなと同じことをしていて、そこに使命感をもつのは難しいものです。少なくともぼくには。

有名人の結婚よりも、千葉の郊外でエコに暮らす安房滋子さんの「冷蔵庫のない暮らし」のほうが、オーディナリーにとっては事件です。安定した早稲田大学職員を辞めて離島に移住した大野佳祐さんの挑戦の方が事件です。

メジャーリーグで華々しく活躍するダルビッシュ選手を取材するメディアは数あれど、戦力外通告を受け第2の人生を歩もうと模索している元プロ野球選手(現サラリーマン)を取材するメディアはほとんどありません。

ぼくらにとっては、後者の方が事件だし、「彼らの近くにいる自分たちが伝えなきゃ、だれがやるんだ」という使命感にかられます。一期一会。出会ってくれてありがとう、と思うのです。

やりがいが生まれるって、そういう構造なのです。期待されたり頼られたり、責任を背負うとやりがいを感じます。 最初はだれもが責任もないし期待されてもいません。でも自分で勝手に責任を背負うことはできる。他人から期待されるのを待つのではなく、だからまず自分で自分に期待するのです。

「誰も仕事をくれないんです…」「期待してくれないんです…」それはあたりまえで、なんの実績もない独立間もない人間に対して、期待して大きな仕事を頼んでくる人はいません。だれからも期待されず、だれからも頼られる立場にない人が、やりがいを感じるのはなかなか難しいかもしれません。

そこでまわりの状況、半径10メートルを丁寧に見渡してみてみましょう。「自分がやらなきゃ、だれがやる」そんなことが転がっていませんか。

あなたの世界一周ひとり旅で起きた事件を書けるのは、あなただけです。二度と戻らない青春の日々も、社会に対する違和感も、書いておかなければそれは忘れてしまう。かろうじて自分の記憶に少し残っていたとしても、それは世の中的には何もなかったことになってしまいます。だから生々しく覚えているうちに、書きとめるのです。

いま90歳前後の戦争をリアルに体験した世代が、亡くなっています。「戦争は悲惨だった」と文字では残っているけど、その時代の空気を感じた人が、「ではこれから若い世代は何をすればいいのか」そういう体験者ならではのアドバイスはもう聞けなくなるのです。

戦争体験者にインタビューをしても一銭にもならないし手間もかかります。でも未来のために「だれかやってくれないかな…」そうやって、まわりを見渡してみるんだけど、だれとも目が合いません。「だれもやらないのか、じゃあ」そう、あなたしかいない。まず自分の親戚にあたる。やるしかない。それを覚悟したとき、人はいつも以上の力を出せるのです。そしてそのひた向きな姿を見ている人は必ずいて、何か次の展開が起きる。

損か得かではありません。好きか嫌いか、向いてるか向いてないかも超えて、「だって、やるの自分しかいないんだもの、腹くくるしかないじゃないか」その使命感が、続けようか辞めようかとよぎった時に効いてくるのです。

部下がひとりでもできたら、その部下をなんとか一人前に育てるのはあなたの使命です。「自分で好きで選んだ部下ではない。会社が勝手にあてがっただけだ」でも、そういう縁を引き受ける。運命を(最初はいやいやながらも)引き受けるというのが勇者の条件なのです。

人生を冒険のようにドキドキワクワクしたものにするには、そしてやりがいと達成感を味わうには、みんなの行く大通りではなく脇道を行くこと。そして自ら勝手に使命を背負っていくことです。

するといつか過去の人生の紆余曲折が何のための伏線であったのか、分かる時が、きっとくる。

「これは、あなたにしかできないことです。どうかお願いします」
「あなたがいてくれて本当によかった」

レールを降りて自分の道を歩んでいる人たちの顔が輝いているのは、そういうことなんでしょう。ときには「大変だよもう。やってられないよ」といいながらも、続けています。

「そう、普通はやってられないよね。ただ、あなた以外は」
「むふふ、そうだね。自分がやらなきゃ、だれがやる!」

その時の彼らの笑顔がさわやかでたまらないんだなぁ。(了)

 

※今回のエッセイは田中稔彦さんのブログ記事 「物語のプレゼント」からインスピレーションを得て書いてみました

 

 

(約4622字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。