人生という船は一瞬で大きく舵を切るもので、会社を辞めて離島に移住しました。不安はなかったのと聞かれますが、辞める不安と残る不安 、どうせ同じ不安なら前に進もうと思ったのです。島の教育から日本を明るくするための初めての離島暮らし奮闘記。
連載「飛んでみなけりゃはじまらない!」とは 【3週間に1本更新】
島の教育から日本を明るくするための初めての離島暮らし奮闘記。大野佳祐さんは、早稲田大学職員の仕事を辞めました。35歳。その安定、恵まれた給料、社会的信用を手放してまで、何かやりたいことがあったのでしょうか。「いえ、具体的に次の道が決まっていたわけではありません」大野さんは笑います。仕事も楽しかったし、周囲からも期待されていてやりがいもあったそう。それでも新しい自分の道を進む選択をしたところ、ひょんなことから新しい物語が始まりました。導かれた先は、なんと離島。「離島の学校から日本の教育の未来を一緒に創らないか」海士町のキーマンの方々から声をかけられ、一緒に頑張ることになったのです。この連載では、東京生まれ東京育ちの大野さんの、海士町での新しい暮らしについて、いろいろ教えてもらおうと思います。島で起きていることは私たちにとっても他人事ではありません。この先、私たちが楽しく生きていくヒントが島にこそありそうな気がしてならないのです。 |
第1話 大きなものを手放すと、大きなものが手に入る。会社を辞めるときの不安にどう向き合ったかという話
TEXT & PHOTO 大野佳祐
新年あけましておめでとうございます。大野佳祐(おおのけいすけ)と申します。
昨年2014年11月に島根県の海士町という離島に移住して、教育を中心としたまちづくりに取り組んでいます(仕事の話はまたおいおいしますね)。
『はじめればはじまる』という自分自身の信条のようなものがあり、いろんなことをやってきましたが、こうして連載を持つというのもはじめてのことです。文章のプロではないし、皆さんをウットリさせる美辞麗句も書けませんが、正直に率直にまっすぐに思っていること、考えていることをお届けできればと思っています。お見苦しい点もあるかもしれませんが、「やってみなはれ」の精神でいっちょやってみます。どうぞ末永くよろしくお願いします。
まさか島根の離島に移住するとは
思ってもみなかったよ
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「離島に移住してから1ヶ月が過ぎた」そう言うと、大抵の人は南国でサングラスをかけてハンモックに揺られながらコロナビールをごくごくやっているのを思い浮かべるみたいだけど、僕はそのイメージからはほど遠い日本海上、島根県隠岐郡海士町という離島にいます(とにかく寒い…)。
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生まれ育った東京から縁もゆかりもない離島へ移住し、おかげさまで僕の2014年の漢字一文字は『移』になるくらいハイライトのほとんどが「移住」に持って行かれてしまいました。(『税』よりだいぶ素敵だとは思うけど!)。
東京で新年会に忙殺されていた去年の正月休みは、まさか自分が次の正月を海士町で過ごすことになるなんて想像すらしていませんでした。あのとき未来から来た自分に「来年おまえは移住することになるから、海外か島根か選べ」と問われたら、間違いなく「海外」を選んだと思うし、それくらい自分の人生には島根県も、ましてや離島なんて選択肢はありませんでした。
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それでも人生という船は
割と一瞬で大きく舵を切るもので
まぁ本当にいろいろとあったのですが、ごくごく簡単に書くと、昨年4月20日に仕事を辞める決断をし、GW明けに辞表提出、7月20日に有給消化で海士町に住む先輩を訪れ、7月末に会社を辞めて独立、9月1日に海士町を再訪して移住を決め、11月の末に移住しました。こう書いてしまうと、ずいぶんさらりと決めてるなぁと思わなくもないのだけど、真実は自分たちが考えるほど難しくはないのかもしれません。
移住を決めたことを伝えると、ほとんどの人は「おめでとう!」と祝福してくれる一方で、「将来の不安はないの?」と僕に聞きました。その「不安」にまつわる質問が誰かから繰り出される度に「不安と言えば不安だよね」と答える自分がいて、なかなか正直だなぁと思うのだけど、本当に5年後にどうなっているのか自分でもよくわからない、という点では決断をした今でも大変不安です。
辞める不安と残る不安
どうせ同じ不安なら前に進もうと思った
会社を辞める時もとても不安でした。でも、同じくらい「このまま定年までこの会社に居続ける」ことも不安でした。どうせ同じ不安なら前に進もうと決めた朝のことは今でも覚えています。
そのときに、不安という不安をノートに全部書き出してみました。朝のさわやかな高円寺のカフェプロントで一人悶々と不安吐き出す作業を。(根暗だな…)
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仕事がもらえなくなる 貯金がなくなる 老後を独りで過ごす 結婚したい人ができても仕事がなくて断られる… 家族を一生持てない はじめるには年齢が遅すぎるのではないか 両親に孫の顔を… 大好きな飲み会に制限が… |
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いろんなことを書き出していく中で、一番不安に思ったのは『来週死ぬこと』と、その時に『やっぱりやればよかった…と後悔すること』でした。
もちろん、スティーブジョブズの「明日死ぬと思って今日を生きよ」みたいな言葉も知っていたけれど、こうして自分の中から捻り出してみると意外とすっと腹落ちするもので、「それならやっぱり好きなことに挑戦してから死のう」と。結果が出なければ、失敗だったということにして、また次のことに挑戦すればいいじゃない、とずいぶん吹っ切れました。
ちょっと脱線しますが、書き出してみると自分の人生における不安はずいぶんとお金や資本主義に侵されているなぁと。誰なんでしょうか、こんな風に知らないうちに狡猾にインプットした人は。ついでに調べてみたら1万円札って原価は約20円だそうで、それもなんだか馬鹿げているなぁ、と。
そんな朝を経て、仕事を辞めて独立して、新しい仕事を次のワールドカップまでがんばってやってみて、全然ダメだったら他の道を探そうと決めました。4年やってみてできなかったらさすがに才能ないからと諦めがつくだろうし、もし失敗したとしても、その時は40歳になる1年前だから、誰かがまだ拾ってくれるかもしれないという淡い期待も持ちながら…(笑)
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新しい挑戦に失敗はつきもの
もっと言うと
失敗は挑戦者に与えられる特権です
思い返してみれば、はじめてやったことで失敗しなかったことなんてほとんどありません。自転車だって、料理だって、ファッションだって、エクセルだって、恋愛だって、最初からうまくいくことなんてまずなくて、失敗に次ぐ失敗を繰り返して、ようやく少しまともにできるようになる。少なくとも僕はずっとそうでした。
結局、漠然と不安に思っていても、それは一生不安でしかないし、やっぱり行動することでしか結果を見せてもらえない。失敗したらもう一度やるか撤退するかしかないし、よくよく考えると「失敗」の定義ってなんだろう……。「あーめんどくせー、不安に思っている時間があるなら行動しよう! 」と動いた先に、離島での仕事のオファーがありました。大きなものを手放すと、大きなものが手に入る。
だけど、1年後に「やっぱり移住は失敗でしたー! ごめんなさーい! 」なんてこともあるかもしれません。そんなことにならないといいのだけど、まぁそうなったときはそうなったときで考えます。でも、きっとその先の景色は、いま想像できる景色よりも壮大なものになっているのではないかと思えます。うまくいっても、うまくいかなくても。
なんとなく、そんな予感があるんですよね。「なんとなく」も「予感」も心許ないのだけれど、まぁつべこべ言わずにやってみます! では!(了)
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(次回もお楽しみに。2/3(火)に更新予定です)
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