【第061話】祈りの効果を知っていますか?

 

 

【インド旅篇】 

だれかが傷つく表現は
しないほうがいい理由

 

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良いエネルギーかそうでないか。インドに滞在してより敏感になったのは、目に見えないエネルギー について。遠くからガンジス川に沐浴にきたある部族のリーダーに出会った。ひと目で、まわりの人とは違う何かが漂っていた。偉い立場の人らしく、取り巻きの人たちがいっぱいいたが、挨拶して撮影を頼んだ。最初は断られたんだけど、もう一度、どうにかってお願いすると、いくつか質問をしてきた。自分が何者で、何のために撮るのか、それをぼくがとうとうと語ると笑顔に変わり、特別に許可しましょうということになった。話した内容がすべて伝わったとは思えない。何しろ相手はヒンズー語しかわからないのだ。彼の目は、ぼくの目を見ているようで、そうではなかった。焦点がバシッと目に合うのではなく、少しぼーっと、周辺視野で体全体から漂うものをとらえていたように思う。こちらに悪意がなく、ポジティブなものだということがわかったのか、心を開いてくれた。「どこで撮影したいんだい?」と、こちらの要望に応えてくれた。

目に見えないものについて話したい。「だれかが傷つく表現はしないほうがいいですよ」ことあるごとに、そうアドバイスをしているのには理由があります。たくさんある理由のひとつを話しますが、やりたいことを叶えるには健康で長生きしたいからです。「憎まれっ子、世にはばかる」かもしれないけれど、憎まれっ子が健康で長生きしてるかというと、やっぱりそうではない。心身の病気になってる人が多いように思いませんか。

祈りの効果についてのある実験があります。たしかアメリカの研究者が発表したものです。ある重い病気の患者が病室にいて、別室で50人くらいの人たちが患者の回復を祈る。勉強のテストをさせて、その人がうまくいくように50人が別室で祈る。こういった実験を何例もくり返したところ、祈った場合と祈らなかった場合で明らかに差が出たのです。祈ったほうが、結果が良かった。これは、よくあるプロシーボ効果ではありません。患者は自分が祈られていることを知らないのですから。祈る人の数を増やしたら、効果も上がったそうで、これは何か目に見えないけれど影響があることは確かだ、祈りは効果があると結論づけたのです。

良くなるための祈りが効くのならば、悪くなるための祈りも効くのではないかということです。その研究チームは、悪くなるための祈り、つまり呪いの実験は人道上の理由(病気が悪くなったらかわいそうだもんね)で実験はしていないけど、おそらく効いてしまうだろうことは容易に想像できます。わら人形に五寸釘を刺してとか、昔の人はやっていましたが、恨みや呪いは効いてしまうんです。

敵はつくらないにこしたことはないのです。多くの人に恨まれたら、元気玉の逆バージョンです。恨みの元気玉をくらって具合いが悪くならない自信がありますか。はね返せるほど強靭な人はなかなかいないのではないでしょうか。陰陽師の安倍晴明あたりなら、結界をはって守れるかもしれませんが。だいたいが悪い事件を起こして世間で大きな話題になって恨まれた人は、体調崩してます。

競争よりも、共生。嫉妬されるくらいなら、馬鹿にされた方がまし。みんなで仲良くやった方がいいんです。賢いキレ者をアピールしたっていいこと何もないです。敵が増えるだけ。負けた人やもっと賢い人につぶされます。お金持ちをアピールしたって、怪しい寄付の依頼と税務署のマークが厳しくなるだけです。自慢しても何もいいことない。

炎上マーケティングという言葉もあります。わざと人の神経を逆なでするような言説を吐いて、大きな賛否両論を巻き起こすことで注目を集める人たちがいます。あれでアクセスが集まって喜んでる場合ではありません。ダメージのほうが大きすぎる。そういう意味で命削ってやっている。彼らの体を心配しています。もっと自分を大切にしてください。せっかくの才能が、早死にしてはもったいない。目に見えないエネルギーを馬鹿にしてはいけません。多くの人から感謝されて応援される。幸せを祈ってもらえれば、あなたは元気になるんです。もっと質のいい仕事ができるから、ますます感謝されて、という好循環になる。

こういうエネルギーの存在は日頃みんな感じているのではないでしょうか。背中になにか視線を感じる。振り向いたら、友人が目で合図を送ってたとか。言葉や音を発したわけでもないのに、なぜあの視線が感じるのか。実験でやってみると面白いですよ。信号待ちをしている時に、前の人の後頭部めがけて、エネルギーを送るんです。「振り向け、振り向け!」って。そうすると、その人はソワソワしだします。だんだん落ち着かない感じになって、あたりをキョロキョロしだす。で、ついに振り向く。多少、練習すればだれでもエネルギーの使い手になれると思います。ちょっと口が滑って今日はオカルトな話になっているかもれない。でもいいや。目に見えないことや、言語化できること、科学で証明されていることだけがすべてではないということです。手づくりで、思いを込めてつくられたものが「なんかいいな」と感じる。愛情がこもった料理と、そうでない料理で美味しさが違うことは、もう科学では証明できないし、言語でも説明できない。「なんかいいんだよね」としか言えないんです。

見えないもの、説明できないものの時代になりました。すべてのものがデジタルになっていくと、言語化できるものはすべて差異がなくなっていきます。複製すること、模倣することが簡単にできるので、商品も会社も、差がつくれなくなるのです。そうなると、「なんかいいよね」という感覚。まさにアートを前にして、説明できないんだけど、感じるよね、というものが勝負になってくる。なぜいいかを説明できるものではない。そこがこれからのデジタル時代に、ぼくらがやっていかなければいけない領域です。

今のような変革期の時代には、革命という言葉がたびたび発せられます。革命というのは、ひっくり返すことです。ひっくり返されたら、どうなるかというと、旧体制の人たちは困ってしまう。彼らが今までやっていた仕事がなくなってしまうのです。彼らにだって、家族もいる、生活がある。そうなると、彼らは革命家を恨むことでしょう。どの分野であれ、もし革命をするのであれば、ひとりも傷つけない革命をしたい。それが可能なのかは、わかりません。あちらを立てればこちらが立たずが多い中で、ひとりも傷つけないということが大変なのはわかっている。たしかに理想論かもしれないけど、はなから無理と諦めないで考えていきたい。

むやみに人を傷つけたら長生きしないよ、という話でした。特に表現者は、声が大きく発信力があるのですから、慎重にしたいものです。愛を持って、すべての人を肯定する。叶えたい夢がある人、しかもそれが50年も100年もかかりそうなことならば、できるだけ健康で長生きしたいですよね。

(約2819字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。