【第214話】激変の時代にも残る仕事のキーワードは「あなたにもできる」 / 深井次郎エッセイ

「自立させちゃったら、お客が減る? そんなことないよ」

「自立させちゃったら、お客が減る? そんなことないよ」

 

 

素人には無理ですよビジネス」は
  お客さんが離れていく

 

「あなたには無理です」だから自分たちに任せてもらう仕事。
「あなたにもできます」と励ましてやり方を教える仕事と。
まわりを見ていて、後者の仕事のスタイルの人のほうが元気で調子良さそうだなと感じます。

「素人には無理だよ」と生まれて初めて言われた記憶は、小学校のころでした。放課後にバスケで遊んでいたので、突き指やら何やらよく怪我をしたものです。近所のA医院に通い、固定したりしかるべき処置をしてもらいました。

しかし、何回も突き指をして、何回も通うと、処置を覚えてしまいます。ぼくが

「もう自分でできるから通わなくても大丈夫?」

と先生にいうと反対されました。

「いや、素人には無理。プロが見ないと危険だよ。もし将来きみの指が曲がってしまったらどうするの。また来週来なさいね」

と帰されました。何度も通たって、やってることは、簡単なマッサージと湿布の張り替えだけ。包帯の巻き方も覚えちゃったし、湿布も家にあるし、1人でできるのです。さすがに子どもながらに、「これは儲けのために必要以上に通わせてるな」と気づきました。なので、次回からは通わなくなりました。自分でやっても問題なく治りました。

数ヶ月後のある日、また新しい怪我をして「突き指ってレベルじゃないぞ…」という衝撃が走ったので、

「これは素人じゃ手に負えん」

久しぶりにプロに見てもらおうとしました。A医院ではなくて、隣町のB医院にいきました。見てもらうと、骨にヒビが入っていると。骨に異変がと聞くと怖かったですが、

「大丈夫、よくあることだよ。少しの期間、不便だけど簡単に治るから」

と言ってくれて、固定して冷やして、いつも通りでした。

「ぼく、これならやり方わかるけど、何回も通わないとダメ?」と聞くと、 

「自分でできるなら来なくても大丈夫だよ。やり方も教えとくね」

いろいろ教えてくれました。大きくなってもずっとスポーツやっていくんだったら、自分でできるようにある程度の知識と技術をつけていくといいよ、と。学校では教わらないことだし、自分の体に詳しくなれて、すごく楽しかった。生きるための智恵を得て、自分がバージョンアップしている感覚。もっともっと教えてほしくなりました。

「しばらくして痛みがひいたら、最後の確認で見せに来てくださいね」

結局、B医院は、最初と最後の2回だけですみました。当然ぼくは、最初のA医院よりも、B医院のほうが気に入ったわけです。その後にねん挫した時は、来なくて大丈夫だよと言われたのに、「もっと詳しく教えてほしいから」と、求められた回数以上に通ったこともありました。「来なくて良いよ」と言ったお医者さんの方に、あべこべたくさん通ったとは。これは面白いですね。

 

こんな例はたくさんある
税理士にもまだお世話にならないでやってます

 

この原体験のおかげで、「これは素人には無理ですよ」と言いくるめるサービスもそうだけど、プロが守りたがる聖域が好きではありません。

ビジネスになると、仕事が欲しいばかりに、そういう言動をしてしまいがちです。 起業する時も同じようなことがあって、法人登記をプロに頼むか、自分でやるか悩みました。余計なお金を十万円以上も使いたくなかったし、できれば自分でできたらいいなと思っていましたが、こういう事務系作業は本当に苦手で、本とか読んで勉強するのも気乗りしない。 ある起業セミナーで出会った税理士さんに聞いてみると、

「素人には難しいよ。そこに時間使うなら、お金払ってでもプロに頼んだ方が良い」

登記なんて結婚みたいなもので(そうでもないか)一生でそう何回もやるものじゃないし、やり方覚える時間がもったいないよなと、確かに同意しそうになりました。

でも、もしかしたら? と思って、嫌々ながらも調べてみたら、結局できました。たしかに面倒だったし、やり直しで何度か役所を往復したけど、できないこともなかった。おカタい事務書類が苦手なぼくでさえ。 法人化してからも、税理士業をしている人たちは、言ってきます。

「法人の決算は難しいですよ。簿記持ってる人じゃないと。フリーランスの確定申告とはわけが違います」

そう言われると不安になりますが、結局、できます。ぼくは、税務署にいって何時間も会議室を占拠して、手とり足とり教えてもらいました。 「どうしても、わからんのです」と。 役所なので、当然無料ですし、税金をしっかり払おうとしてくれてるわけだから、向こうも誠実に対応してくれます。 節税の裏技みたいなものは、さすがに教えてはくれませんが、節税が必要なほど利益はないし、今のところ、全然プロに頼む必要なし、という感じです。金勘定はすごく苦手だし、数字見ると3分あれば寝ます。そういう人間でも、毎回役所の人に聞いてやればできる。(株式会社オーディナリーの決算は4月なので、まさにいまやってるところです)

税理士は、顧問契約という仕事が欲しいから、「詳しくない人には無理ですよ。プロに任せなさい」という。反対に、役所は、できるだけ自立してほしいから、簡単にできるやり方をわかりやすく教えてくれる。 お役所仕事というと、よくネガティブな文脈で語られます。遅い、やる気がない、コスト意識がない…とか。でも、コスト度外視でやってくれるのは、ぼくにとってはありがたかったです。マンツーマンで何時間も。これが民間のビジネスマンじゃ、無料でつきあってはくれません。

ぼくはどんなに苦手で目を背けたくなることでも(経理とか!)、大事なことは丸投げしないように気をつけています。一回は自分でやってみて、肝はどこなのか、どのくらいの難しさなのかを把握します。最終的に、他人に頼むにしても、自分である程度わかってないと、業者やメンバーに指示もできないし、だまされても気づかないし、妥当な価格を想像できません。 会社の決算書類のように、やってみたら意外に自分でできた、税理士って必要ないじゃん、という場合もあれば、その反対もあります。

「やっぱりプロは違うね。餅は餅屋に頼もう」

と、というケースもある。自分が一度は勉強してトライして、丁寧に教えてもらうんだけどやっぱりプロとの差は歴然としている。そうすると、プロへの尊敬が増していきます。

 

 

プロが手がけた上手なものより
自分でできるようになるほうが豊かだ

 

税理士だけじゃなく、弁護士、医者、などその他の専門家も、さもすごいことかのように見せてきたけど、その魔法がもう丸見えになり、通用しなくなっている時代になってきています。

アメリカの笑い話で、水漏れ修理屋さんの話があります。あるおうちが、水漏れになって、困って電話帳で修理屋さんに電話しました。修理屋さんが来てくれて、流し台の下にもぐって、「やっぱりここだな」と小さくひと言。ささっと10秒で直してしまいました。

「ありがとうございました。助かりました。ちなみにお代は?」

聞くと

「35000円になります」と。

え、たった10秒で35000円は高いのでは?  何にそんなにお金がかかっているのか、ちゃんと明細をだしてくれというと、こんな内訳が出て来ました。

 

・どこをひねればいいか知っていたこと 29500円
・交換したバルブ 500円 
・出張費 5000円    
・合計 35000円

 

…と、こういう話なのですが、「知識って大事だよ。肉体労働でもなく、ものづくりでもなく、知識労働がお金になるんだよ」という教訓としてアメリカでは語られます。 ぼくはこれを、やっぱり気持ち悪いなと思うわけです。電話で状況を聞けばたぶんわかるんだから、「あそこひねってください」って教えちゃえば良いのに。でもそれじゃ、「商売が成り立たない」というのでしょう。そんなので成り立たない商売なら、方向転換した方がいい。

教えてしまったら、素人でも簡単にできてしまうかも。そう心配するプロの方達がいますが、いやいや、そんなに簡単にできませんから。もし一日教えてればできてしまうレベルの仕事であれば、遅かれ早かれ、それは他人に取って代わられます。

料理だって、シェフのレシピが公開されているのに、みんなそのお店に食べにくるのです。自分でやってみたけど、やっぱりシェフの味とは何かが違う。簡単に真似できない、鍛錬の賜物があるのです。

この間聞いた話ですけど、トヨタの工場は見学を申し込むと、ライバル会社の技術者だとしても見せてくれるそうです。しかも、「真似してもかまいません」と。「え、いいんですか」と驚くと、

「かまいません。真似できても、また私たちはその先に進んでいますから」

業界を引っぱる会社はこうであってほしい。いや、その与える精神があるからこそ、引っぱる立場になれたのでしょう。 正直、本音、開けっぴろげの時代です。どんどん教えてしまう人たちが伸びています。そこここに学びの場がたくさんできている、学びの時代です。こうなると「特別」の壁はますます薄れていき、プロとアマの境もなくなっていきます。

 

ブランドの中身も
実は「普通」だった

 

いろんなところで魔法が溶けて来ています。最近だとそれを強く実感したのは、3.11の放射能問題でした。大学教授とか、科学者とか、東大とかいうと、理想と正義感にあふれた秀才を思い浮かべます。しかし、地震の直後、彼ら東大の教授たちが、どういう対応をとったか覚えていますか? 東大公式サイトにこのような趣旨の文面を掲載したのです。

「放射線は人体に影響を与えるレベルではなく、健康になんら問題はない」

当然、世間から批判を受けた。東大教授内でも、正義感のある教授たちはいて、反対署名を集め、総長に訴えて、問題の文面を書き換えさせました。 詳しい話によると、70名ほどの教授が反対署名をしたそうですが、その中で、工学部、法学部、医学部の教授合わせて2名しか署名しなかったそうです。しかも匿名で。

結局、科学者だなんだといっても、彼らも自分の立場の安定しか考えていないサラリーマンの集まりだったのです。多くの人命に関わる、これ以上ないほど大事で緊急な事態なのに、権力のイエスマンに成り下がった。自分の立場がそんなに大事でしょうか? 大事でしょうけど、それでは、普通の人と同じではありませんか。というか、始めから普通の人だったのです。それまでが、魔法にかけられて、何やらすごそうに、特別な人に見えていただけだったのです。

「特別」を振りかざし、苦手意識につけこんで、わたあめのように大きく見せていた。そんな時代は終わり。「特別」から「普通」にみんなが回帰していきます。 ブランドものがありがたがられなくなったのも、今までいかに上げ底をしてきたかが見えてしまったから。

普通の価格で、良いものを、コツコツつくっていくこと。これからは、ますます自分の良心に正直に誠実に。これしかないのではないかなあ。

「あなたでもできるよ、大丈夫。教えるからいっしょにがんばろう。できるようになると、絶対楽しいから」

すべての仕事が、教育を意識していくことになっていくでしょう。聖域を守るよりも、開放した方向が未来です。

 

(約4800字)
Photo:luke chan

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。