面倒な映画帖 08 「スワロウテイル」ハルコは南の空に飛んで行った。

面倒な映画帖

映画が始まればイェンタウンは蘇り、そこで美しいグリコは笑い、嘆き、唄い、同じ過ちを繰り返す。監督はCHARAのためにイェンタウンを創りだしたんじゃないか。

< 連載 >
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。

面倒な映画 08
「スワロウテイル」

ハルコは南の空へ飛んで行った。

 

 まるでCHARAのために作った架空の町 

Swallowtail_Butterfly_Poster

岩井俊二監督の代表作。世界観の作りこみにおいて、この映画を超える邦画はないと思う。リアルが彼のフィクションに近づいている気がするのは私だけだろうか。

岩井俊二監督の1996年作品「スワロウテイル」は日本にあるらしい円都(イェンタウン)に暮らす移民コミュニティの物語で、英語、中国語、日本語の入り交じるハイブリットな世界観が話題だった。21世紀のトウキョウはこんなんという未来感もあり、かつての九龍城みたいな既視感もあり、アジアのどこかにありそうな場所でもある。中でもヒロインの少女アゲハ(伊藤歩)を助ける娼婦グリコ(CHARA)のまとった空気が独特、国籍やアイデンティティはどこにでもあてはまりそうで、どこでもない。CHARAにしか出せないノマド感は潔かった。胸にアゲハチョウのタトュ-をして、アゲハの胸に「あんたはまだこどもだから」と芋虫を描き、母親のように面倒を見る。ダークな町で体を売りながら、魂はやさしいマドンナでありつづける。映画が始まればイェンタウンは蘇り、そこで美しいグリコは笑い、嘆き、唄い、同じ過ちを繰り返す。監督はCHARAのためにイェンタウンを創りだしたんじゃないか。ここに永遠に年を取らない、蝶々のような理想の女を閉じ込めてあるのだ。

 

 ハルコに出会ったのは、風の強い晴れた朝だった。

二人目の子供を身ごもったころ、私もグリコと同じように芋虫を拾った。それは舗装道路のグレーに異様に目立つ緑色の動く糸くずみたいな小さな青虫。よく見ると、小さな頭の横に疑似目がある。春子(春生まれの)のアゲハの幼虫だった。周囲にはそれらしい樹木もなく、どこからか飛ばされてきたんだろうか。しばらく見ていたらかわいくなってしまって、連れて帰った。 図鑑で調べると、それは大変な迷子。アゲハの幼虫は柑橘系の葉しか食べない。しかも新鮮でないと大きく育たたないらしい。

とりあえず、近所の学校の校庭で夏みかんの葉を数枚失敬してくる。公共物だから気が引けるけれど、まずはしょうがない。捕まったらどうするのだろう。「アゲハの幼虫のために葉っぱを盗みました。」大きなお腹でそう答える私におまわりさんはどんな顔をするんだろうか。

アゲハの子は手を汚して確保した葉っぱをもくもくと食べ始める。「おなかがすいていたのね?」芥子粒みたいな頭で空腹を感じているのかどうか、定かではないが、盛んに頭を振り動かし、3枚の葉っぱはすぐスジスジになってしまった。頭をあげてこちらを見て(気のせいだけれど)「もうないの?」と言われたような気がして、明日から新鮮な葉っぱを探さなければと心に決める。

お庭の葉っぱをください。 朝から近所の家で庭先にミカンやゆず、カラタチがある家を探してはピンポン。「アゲハの幼虫を育てているのですが、お庭の葉っぱをください。」妊婦が葉っぱをもらいにくるという珍事に、たいていの人は面食らい、笑って親切に枝ごとくれたりする。毎日いろいろな家で枝をもらったり、公園で失敬したりしながら、葉っぱを補給するのだけれど、小さな虫の食欲は想像以上。長男の保育園にも「ハルコ」と名付けた芋虫を連れていっては、葉っぱを募集してまわった。毎日誰かの好意で葉っぱが手に入り、むくむくと育っていく。

ある時、ハルコがいなくなった。取り乱して探す私を見て、保育園から戻った長男も探してくれた。「僕たちが出かけている間に、蝶になって飛んで行ったんじゃない?」まさか、さなぎをパスしていきなり蝶になるわけないじゃん。朝はもくもく食べていたんだもの。すると部屋の柱の上の方に、垂直に張り付いているハルコを発見。「だめじゃない、こんなとこに来ちゃ。おうちに帰ろうね」柱からとって、箱に入れる。翌朝も、箱が空になっていて、同じ柱に張り付いている。なんで逃げ出すんだろう?また箱に戻す。三回目、ハルコは部屋の柱から少し体を浮かせて張り付いている。細い糸のようなもので、体を吊っているみたいだ。

脱走したのではなく、ちょうどいい柱に体を固定して「さなぎ」になろうとしていたのだ。二回も邪魔して、お母さんはなんてひどい親なんだろう。子供の成長をわかってあげられないなんて、ごめんなさい。人工飼育だからか、普通よりずっと小さい芋虫のまま「さなぎ」になることを決めたわが子を見つめ、涙がとまらない。「いくら妊婦で、ホルモンが不安定だからって、芋虫にまで母性を感じなくていいと思うけど。」夫はあきれている。

葉っぱの苦労がなくなり、見守るばかりの日々。そしていよいよぶるっと動いたさなぎの背中が割れて、待ちに待った蝶が誕生した。自分で苦労して育てた子、標準よりも小さい芋虫だったから、蝶も一回り小ぶり。でもスワロウテイルの模様がくっきり出た美しいアゲハだった。あの小さな子が蝶になる。自然界のルール通り、葉っぱを食べて、さなぎになって、羽化する。システムがちゃんと働いたのだ。自分が自然のシステムの一部になれたことが嬉しかった。「おかあさんがわかる?」わかるわけはない、羽根が乾いてすっかり広がると、もう飛び立つ準備ができている。

朝の5時、冷えた空気が南に広がる。ベランダへ出て、生まれたてのアゲハ蝶を朝の空気に乗せる。最初はふわふわと、そしてぐんぐんスピードをつけて南の空に昇っていく。点のようになっても、私にはちゃんと見えていた。 「行っちゃったね。もうすぐ妹がうまれるから、さみしくないよね。」やさしい長男に言われて、泣き虫の母は涙をふく。

春子のアゲハを見かけると、巣立っていったあの子の姿を思い出す。まだ私の手元にいる子供たち、また「さなぎ」になろうとする子の邪魔をしてるんじゃないか、そんなことを思う。この子もあの子もきっと羽根を広げて飛び立っていく、寂しいけれど、そうでなくちゃいけない。大丈夫よ、あの時、小さな羽根で空に飛び立ったハルコ見送ったときから、お母さんは覚悟ができているから。

 

 


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。