氷が溶けるまで【第9話】東洋のパリと見えないお守り 武谷朋子

ベトナム在住トラベラー武谷朋子の氷が溶けるまで

「ベトナムのことを好きになれなかったらどうしよう」ひそかに思っていた不安。旅もしたことがない、そもそも興味がそれほどなかった国にいきなり住むという始まりかた。この国と仲良くなれるだろうか。こんな不安の中で「もしかしたらホーチミンで

連載「が溶けるまで」とは  【3週間に1話 更新】
ヨーロッパひとり旅と写真を専門とし、働きながら「自分にしかできない一点物の旅」を10年以上続けてきた武谷朋子さんが、突然夫の転勤によりベトナムはホーチミンに移住することに。(本当はヨーロッパが好きなのだけど…. )知り合いもいない、そして、もともとそんなに興味が持てなかった国で始まった、すべてが新しい暮らし。彼女は導かれたその状況をどのように「楽しみ」に変え、はじめての街の魅力を発見していくのか。まだ知られていない本当のベトナムとは。ガイドブックには載らない、暮らしてみてわかった小さな魅力の種を綴ります。

 

第9話  東洋のパリと見えないお守り  

TEXT & PHOTO 武谷朋子

 

「ベトナムのことを好きになれなかったらどうしよう」

ひそかに思っていた不安。旅もしたことがない、そもそも興味がそれほどなかった国にいきなり住むという始まりかた。この国・街と仲良くなれるだろうか。こんな不安の中で、「もしかしたらホーチミンで楽しく暮らせるかもしれない」と思わせてくれた理由のひとつが「フランスの文化が今も息づいている」ということだった。ここホーチミンは「東洋のパリ」とも呼ばれている。

ヨーロッパを偏愛しているわたしが、これまでの渡航回数で一番多いのがフランスで、パリはその中でも好きで何度も訪れている街。だからホーチミンがそんなフランスの影響を強く受けているのであれば、なんとかやっていけるに違いない…! と半ば強引に好きなパリにこじつけて自分を納得させた。

「不安になったらホーチミンの中のパリを探しに行こう。そうすればきっと、好きなものが見つかるはず」

そんな思いを見えないお守りとしてずっと大事に持っていた。パリが好きだったことがこんなところで心の支えになるなんて。


口の中で広がるフランスとベトナム

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フランス統治時代に建てられたコロニアル様式の美しい建物が今も至るところに見られるホーチミンの街。新しく立つ建物にも、どこかヨーロッパの建築様式をした建物などもあって、フランスの影響は脈々と現代にも受け継がれている。そんな中でもひときわフランス文化を感じる食べ物がある。それがバインミー(Bánh Mì)と呼ばれているベトナムのバゲットサンドイッチ。

ベトナムのバインミー。具材がぎっしりでこれだけでお腹いっぱいになります

ベトナムのバインミー。具材がぎっしりでこれだけでお腹いっぱいになります

ここベトナムでは、このバインミーが本当によく食べられている。見た目はバゲットなんだけど、長細いフランスのバゲットに比べて、形はずんぐりむっくり。これを半分に切って中に具材を挟んでいく。ハムや目玉焼き、ミートボール、などなどメインの具材と一緒に香草、キュウリ、大根と人参のなます、パテ、香草、ヌックマム(魚醤)などが入りバインミーが完成する。

ハムや目玉焼きは分かるけれど、もう ”なます” が入ってくるあたりから完全にベトナムの食文化の独自性が感じられる。口の中に入れてみると、パンと具材の見事なコンビネーションが一気に広がる。たしかに口の中では、フランスもベトナムも感じるのだ。それがバランスよく調和している。そのバランスに惚れ込み、何度も通っては食べている。

バインミーを食べていて気づいた。形もフランスのとはちょっと違うけれど、バゲットそのものの味わいもちょっと違う。見た目は硬そうなんだけど、外の皮はパリパリとしていて、中はほどよいもっちり感がありつつもとにかく軽い食感。1個が大きくてもぺろりと食べてしまうのこのバインミーというパン。実におそろしい。本当にぺろりと食べてしまうのに、口と胃袋で感じる充実感がすごい。

フランスから伝わったバゲットがこんなにもベトナムらしく進化を遂げている。外から伝わったいいものをより自分たちに合うようにどんどん形を変えて、今ではもう国民の日常食になっているのだ。おそるべしベトナム。ちなみに、ベトナムではカレーにもこのバインミー(具なし)が一緒に出てくるのがスタンダード。バインミーはベトナムのカレーにも、いや、どんなものにでも合ってしまう万能なパンなのだ。

 

 

遠く離れた街で味わうもうひとつのバインミー

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ホーチミンでベトナムの中のフランスに触れる度に、2つのことを確認しにパリに行きたい気持ちが抑えられなくなっていた。ひとつは、フランスのバゲットを食べてその違いをもう一度比べてみること。もうひとつは、パリの中のベトナムはどうなっているのかを見てみること。

ここホーチミンでこれだけフランス文化を独自文化として昇華しているベトナムの人たち。逆はどうなっているんだろう。もしかしたら発見があるかもしれない。そんな思いが募ってしまった。それならベトナムに住んでいる間に行くべきだと感じて、昨年ホーチミンからパリに飛んだ。

過去何度も行ったパリだったけど、この時はパリの中のベトナムに目を向けていた。パリに住んでいる友人と会って話を聞いたら、パリではベトナム料理が人気なのだそう。おいしいことに加えて比較的安く食べられるのが魅力なのだとか。たしかに歩いて見つけたベトナム料理店はどこも人がいっぱいだった。しかも、ベトナムの人が経営しているお店は、メニューも本格的なところが多かった。

目的のひとつである「パリで食べるおいしいバゲットさがし」。泊まっていたアパートの近くに朝から人が絶えないお店があったので、そこで久しぶりに本場パリで焼きたてのバゲットを堪能した。そうそう、この食感と風味。やっぱりおいしい。すごくおいしい。改めてバゲットのおいしさと底力を感じた。バインミーとは違う。でも、違いを口の中でしっかり感じられたから、いよいよもうひとつの目的へ向かう準備ができた。

滞在が終わりに近づいたある日、ついにバインミーを求めてベトナム料理店が多く集まるエリアにでかけた。さて、パリで食べるバインミーはどんな味なんだろう。

「バインミーをひとつください」

オーダーするとベトナム人のお店のかたがササっと具材を挟んでくれてすぐに出来た。手渡されたバインミーを持った瞬間に確実に分かった。いや、ガラスケースの向こうに積まれたパンを見てうっすら気づいていた。

「やっぱりパンが違う…! 」

パリで食べるバインミーは、パン自体は皮がしっかりした噛みごたえのあるフランスのバゲットが使われていた。中の具材はベトナムのとさほど変わらない様子。ひとくちかぶりついてみる。

(あれ、口の中での融合の仕方が違うぞ…! )

口の中ではフランスもベトナムも感じる。でもパンが明らかに違うので、パリのバインミーはよりバゲットの主張が強い。でもこれはこれで、ものすごくおいしかった。

なんとなく予想はしていた。フランスから伝わったバゲットをその土地にあわせて自分たち好みにカスタマイズしてバインミーをつくるベトナムの人たち。だからパリに行ったら、おいしいフランスのバゲットベースで作るのがいちばんおいしいバインミーになるのではないかということを。ベトナムの人は世界中どこにいても、その土地にあるおいしいものを使いながら、自分たち仕様にどんどんカスタマイズして暮らしを創っていく人たちなのだと思う。こんなことを、パリでバインミーを食べてから強く思うようになった。

 

心地よい暮らしは自分の手で創る

 

自分たちが心地よいと思える暮らしをつくること。外からいろんな影響を受けたとしても、それをそのまま取り入れるんじゃなくて、自分たちらしくカスタマイズしながら進化させていく。でも進化には、まず ”自分の好み” を知っている必要がある。そういった意味で、ベトナムの人たちはカスタマイズが本当にうまいと思う。

与えられたものが最終形じゃない。みんな何かしらひと手間加えている。ベトナムで有名な麺のフォーだってそう。ライムやチリソース・香草など、調味料とアクセントを加えながら自分だけの最高の1杯を創りあげていく。決して出されたフォーが物足りないのではなく「+α」。少し手を加えていつも自分に合ったものを創っていくのだ。

自分の好みを知っていて、そこにどんどん合わせていく。そこには自分の軸がある。こんな風にカスタマイズしながら生活を創っていくことが、自分らしい暮らしを創る大きなヒントになるのかもしれないな。そんなことをふつふつと考えては、今日も東洋のパリでずんぐりむっくりなバインミーを頬張っている。

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【写真で知るベトナム】

 

ヨーロッパの建築様式の建物内では、らせん階段もよく見かけます

ヨーロッパの建築様式の建物内では、らせん階段もよく見かけます

 

フランス人オーナーのカフェなども多いホーチミン

フランス人オーナーのカフェなども多いホーチミン

 

バインミーはずんぐりむっくりな形なので、山積みにしてもこの安定感

バインミーはずんぐりむっくりな形なので、山積みにしてもこの安定感

 

パリで食べるバインミーは、バゲットが違うのでまた新鮮でした

こちらはパリで食べたバインミー。バゲットが違うのでまた新鮮でした

 

パリで行列のできる人気のバゲット。夕方には売り切れてしまうことも

パリで行列のできる人気のバゲット。夕方には売り切れてしまうことも

 

 

(次回もお楽しみに。3週間後、更新目標です)

武谷朋子さんがキュレーターをつとめる講義 

自由大学「じぶんスタイル世界旅行
– 旅軸のある、ひと味違う世界旅のつくりかた –
詳細は https://freedom-univ.com/lecture/world_travel.html
自分の好きなことややりたいことを軸に、自由に世界を駆け巡る。それが世界を舞台に自分が主役で楽しむ「じぶんスタイルの旅」。ただの観光や放浪の旅ではなく、未来に繋がる自分にしかできない旅のつくりかたを一緒に学んでいきます。

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 連載バックナンバー 

第1話 ベトナムで暮らそうと言われても(2015.9.24)
第2話 ホーチミンのおもしろさは、きっとバイクの後部座席にある(2015.10.14)
第3話 思い込みが溶けていく、ベトナムコーヒーに隠された甘い時間の過ごしかた(2015.11.5)
第4話 手を伸ばすと深みにはまる、素顔のベトナム料理(2015.11.26)
第5話 どうしてベトナムのイスは低いのだろうか(2015.12.17)
第6話 気持ちだけじゃない、ベトナム式の贈りもの(2015.1.7)
第7話 迷いを楽しむ不思議なアパート(2015.1.28)
第8話 チョコレートの裏側を歩く冒険(2015.2.18)

 武谷朋子さんの旅エッセイもどうぞ 

TOOLS 29 海外へは乗継便で飛ぶ。ファイナルコールまでにもう1カ国味わう方法
TOOLS 31 バルセロナで学んだ充実した “食の時間” のつくり方
TOOLS 34 ドゥブロヴニクで学んだ ”心の振れ幅” をもっと自由にさせる意味
TOOLS 38 パリの美術館で学んだ、捨てる視点の養い方
TOOLS 41 イギリスで小さな手荷物と不安な夜を乗り越える
TOOLS 44 ワンテーマに潜る旅の方法 – 海外建築めぐり篇 –

 


武谷朋子

武谷朋子

(たけたにともこ)自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター/トラベラー。『自分にしかできない旅をする』をキーワードに、大学時代から主にヨーロッパへカメラ片手に旅を続け、これまでにバルト3国からユーラシア大陸最西端まで20ヶ国50都市以上を訪れる。社会人になってからも働きながら年1回のペースで自分らしい一点物の旅を創り、旅を続けている。渡航歴は10年以上。ここ数年は旅の経験を生かして"テーマを持ったひとり旅"のおもしろさを伝える活動を行っている。旅先で見て感じた空気を写真に残すことを続けており、撮った旅の写真は1万枚以上に及ぶ。現在では旅以外に、企業・雑誌広告などでの撮影も行っている。2014年冬より生活拠点をベトナムに移し、旅とはまた違った視点で世界と繋がる日々。活動の詳細は自身のWEBサイト 「TRANSIT LOUNGE」にて