数を追う旅より、ゆっくりと自分の心の動きを感じながら旅をしたい。同じ場所に行っても、「見ただけの記憶」と「強く感じた記憶」では、その後の記憶の残り方が全く違うのを知っているから。心にもゆとりがないと、きっとその「動き」は感じとれない気がする。
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ドゥブロヴニクで学んだ ” 心の振れ幅 ”
武谷 朋子 ( トラベラー / 自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター )
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自由に生きるために
自分の心が動く瞬間を感じ取り、堪能するための ”ゆとり” を持とう
”アドリア海の真珠” と呼ばれる街とは、どんな光景なんだろう。
イタリアとアドリア海を挟んで東側にあるクロアチア南部の街ドゥブロヴニク。旧市街は世界遺産となっており、アドリア海の真珠とも呼ばれる美しい街。避暑地としてヨーロッパ圏に住む人にとても人気があり、特に夏のシーズンには多くの人が訪れる。
ドゥブロヴニクに行った人の話を聞いてからずっと、この街に興味を持ち続けていた。クロアチアというと、なんとなく少し遠い存在に感じていた国だったので、身近な人が目を輝かせながら楽しそうに語っていた姿を見て行ってみたい度が急上昇したのであった。
このとある場所へ旅に出たい度が急上昇することを「旅の沸点」と呼んでいるのだけど、この沸点は、いろんなきっかけである日突然やって来るもの。興味関心が一定ライン以上になったのだから、そんな時が来たら素直に旅に出ることにしている。クロアチアに旅に出た時は、まさに「いま」と思った時だった。こういう時に旅に出ると決まって、その時の自分に必要なすばらしい経験ができるのだ。旅からはいつも学ぶことばかり。
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心が動いた瞬間を十分に楽しめるゆとりはあるのだろうか
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このドゥブロヴニクにある海に突き出た旧市街は城壁に囲まれていて、今でもその城壁を登って一周することができる。城壁に登ると、街はもちろんのこと、アドリア海も一望できる。その眺めが本当にすばらしく、気候とアドリア海の深い蒼色が相まっていつまでも眺めていたくなる光景だった。
そんな美しいアドリア海をうっとり眺めながら城壁の上を歩いていた時、ひとりの日本人女性に出会った。年齢はわたしより10歳くらい上で、落ち着いて気品のある女性だった。
「個人で旅行されているんですか?」
彼女からこう聞かれてたので、そうですと答えたら、次に彼女からこういう言葉が返ってきた。
「ゆっくり巡ることができていいですね。わたしはあと20分しか自由時間がないんです。もう次の場所に行かなくちゃいけなくて」
その時ようやく、彼女はひとり旅ではなくツアーで来ていたのだと分かった。当時ドゥブロヴニクには日本からのツアー観光客は少しだけ見かけたが、彼女はそのツアーにひとりで参加していたようで、城壁巡りはその限られた自由時間を使って楽しんでいたのだ。当時ドゥブロヴニクに個人で旅をしている人が少なかったせいか、のんびり城壁の上を歩いていたわたしに話しかけてくれたのであろう。
彼女は城壁からの眺めをとても気に入っていて、ぐるりと一周したがっていた。ただ城壁は約2㎞ほどあり、一周めぐるのに1時間ほどかかる。だから残り20分では到底一周することはできず、彼女は途中に何箇所かある城壁から降りる階段を使って集合場所へ帰らなければならなかった。今ここで心がこんなにも動いているのに。
自分の心が動いた瞬間を存分に楽しめる幸せを、この時わたしは彼女に気づかせてもらった。旅に出ると、いろんな場面で時間の制約がつきまとう。帰国日は決まっているし、この街に滞在できる日数もあとわずか。楽しい旅の最後に決まっていつも感じるのは、何らかの ”やり残した感覚”。
もうちょっと滞在したかった、あの場所も見てみたかった、というちょっとした思い。この思いは、またここに来ようというエネルギーになるのだけど、でもやっぱり時間の制約に悔しい思いをすることはたくさんあった。だからこそ、旅のスケジュールは、できるだけ時間の制約がない状態で楽しめるように工夫してきた。
彼女と「よい旅を」と最後に声を交わし別れた後、わたしは引き続き城壁の上をのんびりと歩き、街とそしてアドリア海を見下ろしながら、自分の心が動いた瞬間を存分に楽しめることのありがたさを感じていた。
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心が動く瞬間はいつ現れるのか分からない
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城壁の上からの眺めはどこから見ても美しく、歩きながら変わる風景は本当に心に残るものだった。上から眺めるレストランや、楽しそうに食事する人たち。屋根の上で談笑しながら休憩している地元の大工さん。所々にあらわれる、過去の傷跡が残る建物。道や人の動き。城壁の上ですれ違う親子。一周ぐるりとまわってみて初めて見えてくることもあった。
旅に出ると、自分の心が動く瞬間がある。溢れだす気持ちを抑えられなくなるくらい、鼓動が高まる瞬間。ここに来てよかったと心底思える瞬間。これを味わうために旅をしているのかもしれないと思えるほどの高揚感。
ただ、この「心が動く瞬間」は前もって予測ができない。旅のどこでひょっこり現れるか分からない。彼女と出会った城壁の上で、わたしも彼女も心が動く瞬間を確実に感じていた。違っていたのは、その時を堪能できる時間だけ。
どんなに事前リサーチをしても、その街やその場所にどのくらいの時間を過ごしたいかは正直行ってみないと分からない。自分の心がどこで動くかも分からない。だからこそ、心が動いた瞬間は思う存分楽しみたいと思っている。できるだけ時間の制約がない状態で。
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見ただけの記憶より、強く感じた記憶を積み重ねる
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城壁で会った彼女との出会いを通じて、自分の心が動く瞬間を大事にしていきたい思いがより強くなった。せっかくの海外旅行だからと予定を詰め込んで、行った数を追う旅より、ゆっくりと自分の心の動きを感じながら旅をしたい。同じ場所に行っても、「見ただけの記憶」と「強く感じた記憶」では、その後の記憶の残り方が全く違うのを知っているから。
そんな「心が動く経験を積み重ねること」が、自分だけの記憶になる。心が動く瞬間は、そこに行かなければ分からないし、自分にしか分からない。他の誰かとも違う。だからこそ、自分だけの瞬間を積み重ねることが自分だけの特別な記憶になるのだと思う。
時間もそうだけど、心にもゆとりがないと、きっとその「動き」は感じとれない気がする。もう、旅に出て数を追ったり、ただ見るだけの旅とはだいぶ前にさよならした。どんな小さなことでも、心が動く瞬間をきちんと感じ取り、その時間を心ゆくまで堪能できる ”ゆとり” を持って旅を続けたい。
きっとそのゆとりは、心の振れ幅をもっと自由にさせる。
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ドゥブロヴニクで学んだ ”心の振れ幅” をもっと自由にさせる方法 1. 心の動きを感じるための時間的・精神的な「ゆとり」を持つ 2. 心が動いた時は、思う存分その時間を堪能する 3. 旅は数を追うのではなく、自分の心の動きにあわせて時間を使う |
ドゥブロヴニクで撮影したその他の写真
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写真:武谷朋子