氷が溶けるまで【第8話】チョコレートの裏側を歩く冒険 武谷朋子

ベトナム在住トラベラー武谷朋子の氷が溶けるまで

混乱するアタマとは裏腹に、「行きたいです!」と言葉が出ていた。カカオファームに行けるチャンスなんて普通に暮らしていたらまず訪れることなんてない。ベトナムでついにチョコレートの源流をたどることになった。まさかこんなことになるとは。

連載「が溶けるまで」とは  【3週間に1話 更新】
ヨーロッパひとり旅と写真を専門とし、働きながら「自分にしかできない一点物の旅」を10年以上続けてきた武谷朋子さんが、突然夫の転勤によりベトナムはホーチミンに移住することに。(本当はヨーロッパが好きなのだけど…. )知り合いもいない、そして、もともとそんなに興味が持てなかった国で始まった、すべてが新しい暮らし。彼女は導かれたその状況をどのように「楽しみ」に変え、はじめての街の魅力を発見していくのか。まだ知られていない本当のベトナムとは。ガイドブックには載らない、暮らしてみてわかった小さな魅力の種を綴ります。

 

第8話  チョコレートの裏側を歩く冒険  

TEXT & PHOTO 武谷朋子

 

全ては一通のメールから始まった。今度東京から遊びに来てくれる友人から「カカオポッド(カカオの実)を食べてみたい」という、なかなか無理難題なオファーがきた。そんなオファーが来たのには理由がある。


知り合いもいないアウェイな場に踏み込んで出会ったもの

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昨年9月のこと、ホーチミン市内で国内の飲料メーカーが集まる展示会があった。飲料を扱う企業がブースで自社商品などを展示していて、そこで商談・購入など主にビジネス寄りの展示会だった。ただ、なぜか一般人も参加可能だったので、これはなんだかおもしろそうだ… ! という興味だけでタクシーに乗って完全アウェイの地へひとり乗り込んでいった。

そこでとあるチョコレートを作る企業と出会った。無類のチョコレート好きであるわたしは、いそいそとブースに近づいて初めて見るその商品を覗き込んでいると、ブースにいた女性マネージャーの方(ここではDさんとしよう)が丁寧に商品説明をしてくれた。それはカカオから自社で栽培し最終のチョコレートの加工までを行う、全てがメイドインベトナムのチョコレートだった。

これまでもベトナムの食べ物は驚かされる事が多かったが、ベトナムでカカオが栽培できるということ、そして、カカオ栽培からチョコレートまでを全て自社で行う企業があるということに驚きを隠せなかった。チョコレートはよく食べるし、それがカカオから作られるのも知っている。でもその中間部分の知識はすっぽりと抜けていた。そんなわたしに「カカオからチョコレートになるまで」を分かりやすく丁寧に教えてくれたDさん。話の途中で、実際に展示してあったカカオの実を触らせてもらえることになった。

(おおお、これはあの写真でしか見たことのなかったカカオじゃないか… !! )

まさかベトナムでカカオの実を触ることになるとは思いもしなかったし、単純にうれしかった。もう触れただけでもうれしかったのだけど、

「ちょっと待っててね! 」

と言われて待っていると、半分に割られたカカオポッドが目の前にやってきた。その中から白い実が顔を覗かせている。

カカオの実。大部分が種なので食べられるところはほんのわずか

カカオの実。大部分が種なので食べられるところはほんのわずか

 

「食べてみてよ」

という言葉に手を伸ばしてみる。粘度の高い白い果実。口に入れてみたら、これがまたおいしい… ! 実はチョコレートの原料となる種が大部分を占めているので、果肉として食べられる部分はほんのわずかなのだけど、ライチのようなマンゴスチンのような、少し酸味はありながらもさっぱりした味だった。予想すらできない味に遭遇した時の何とも言えない高揚感が、いつも楽しい。

「カカオの実って、すごくおいしい! 」と言うと、

「そうでしょ、そうでしょ! 」

と言いながら、Dさんも含めブースにいたスタッフみんなもちょっとずつカカオの実をつまんで笑っている。ありがたく試食を終えると

「このカカオポッドも持って帰っていいよ」

というまさかのDさんからの言葉。

そんなわけで、普通なら手に入らない「カカオポッド」を家に持ち帰ることになった。なんなんだこの展開は…。 カカオポッドは日持ちしないというので、翌朝フルーツ代わりに、前日のことを思い出しながらおいしくいただいたのだった。大げさかもしれないけれど、ちょっと夢みたいでうれしい時間だった。

 

カカオポッドが繋いでくれた機会に飛び乗ってみる

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カカオポッドにはもうお目にかかることはないと思っていた。だけど、わたしがカカオの実を食べたという話を知った友人からの冒頭のオファー。

さて、困った。買えるところなど見たことない。考えてみたらそりゃそうだ。カカオの種がチョコレートの原料になるんだもの。市場に出回るはずがない。そうなったら最後の手段。ダメでも仕方ないと思って展示会で出会ったDさんにメールを出してみたのが今年1月下旬。そしたら即日でこんな返事が来た。

「明日カカオファームに行くからカカオポッド取ってくるよ。明後日以降でカフェに取りに来てもらえる?」

… ええ! なんということだ… 再びカカオに再会できるのか… ! 問い合わせてみるものだな。ほんと、まさかの展開。実は友人が来るのはまだ1ヶ月以上も先だったのだけど、せっかくカカオポッドを取って来てくれるというので2日後にDさんが経営するチョコレートカフェに向かった。

4ヶ月ぶりにDさんと再会し、もうお目にかかることはないと思っていたカカオポッドを再び目にすることができた。久しぶりに再会できたDさんから、あれこれと奥深いチョコレートの世界の話、生産過程での難しさなど、たくさんの話を聞かせてもらった。どうやら、カカオファーム(カカオ農園)とチョコレート作り(板チョコにするまで)はご家族で手がけているらしい。

カカオファームとはどんな場所なんだろう。ますます興味が出てあれこれ質問していたときのこと。

「明日、カカオファームに行くけど一緒に来る? 」

ふいにDさんが放ったその言葉に耳を疑った。な、なんだこの奇跡のような展開は… 。にわかに信じられなかったが、そんな混乱するアタマとは裏腹に、口からは即座に「行きます! 行きたいです! 」と言葉が出ていた。カカオファームに行けるチャンスなんて普通に暮らしていたらまず訪れることなんてない。ベトナムでついにチョコレートの源流をたどることになった。まさかこんなことになるとは。こんな日が来るとは。

すっかり長居してしまったカフェを出ようとした時にはもう日が暮れていた。この日はカカオポッドを受け取りに行ったはずなのに、それ以上に大きなお年玉までいただいてしまった。現実に行けることなんてないと思っていた、カカオファームの見学。2個目となるカカオポッドをしっかり抱きしめながら、翌日のことにあれこれ想像を膨らませていた。

 

チョコレートの裏側にあるもの

 

カカオファームの中を進む一歩一歩、目にするもの全てが新鮮だった。見たことのない世界がまだまだたくさんあった。

ホーチミン市内から車で2時間ほどのメコン川流域にあるDさんの実家。その広い庭がそのままカカオファームとなっていて、歩きながらファームに植えられているカカオの説明をしてくれた。その後に順を追って生産工程の現場を見せてもらった。

ちょうど今はカカオの実が収穫できる時期としては終わりの方だということで、時期としてはギリギリながらも木になっている収穫直前のカカオの実も見ることができた。また、一部の工程のカカオ豆も間近で見ることができた。カカオの収穫から、種の発酵、乾燥、寝かす期間。もう、チョコレート好きにとってはたまらない、贅沢すぎる体験だった。

実際にチョコレートの原料となるカカオ豆の段階になるまでにかかる、多くの手間と時間。単純に計算しても実の収穫から半年以上はカカオ豆の仕込みとしての時間がかかっている。それ以前にカカオの栽培にも手間がかかるわけで、そう考えるとチョコレートになるまでの道のりは本当に遠い、と身をもって感じたのだった。

どの段階にも気が抜けない。この日、庭にはたくさんのカカオが乾燥のため天日に当てられていた。この乾燥させる段階では、乾燥状態の良し悪しは音で判断できるのだとか。もう熟練の技としか言いようが無い。

このカカオファームの見学と、作り手であるDさんとそのご両親との交流を通じて、ますますチョコレートに、いや、チョコレートを作る過程そのものにも興味を持った。当たり前のように最終の「チョコレート」の段階しか今まで見ていなかった。

もしかしたら自分で自覚していないだけで、興味のあるモノ・コトの背景にはもっとおもしろいものが潜んでいるのかもしれない。さらりと触れているだけで見落としているものもたくさんあるのかもしれない。少なくともチョコレートには、苦さと甘さだけじゃなくて、その裏には舌では味わえないとんでもない深みがあった。

空がオレンジ色に染まる夕暮れ時まで過ごしたカカオファーム。目の前に広がる景色と、肌に感じる気持ちよい風。その時の包み込まれるようなあたたかい時間が、いまだに忘れられない。

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【写真で知るベトナム】

 

2度目のカカオポッド。これは比較的大きいサイズのものだそうです

2度目のカカオポッド。これは比較的大きいサイズのものだそうです

 

1本のカカオの木からたくさんのカカオポッドが収穫できます

1本のカカオの木からたくさんのカカオポッドが収穫できます

 

収穫されたばかりのカカオポッド。鮮やかで美しいのです

収穫されたばかりのカカオポッド。鮮やかで美しいのです

 

カカオ豆は発酵を終えると乾燥へ。香りと音で状態が分かるのだそう

カカオ豆は発酵を終えると乾燥へ。香りと音で状態が分かるのだそう

 

カカオファームにあるココナッツの木。お母さんがその場で切り出してくれてフレッシュココナッツジュースを楽しみました。贅沢!

カカオファームにあるココナッツの木。お母さんがその場で切り出してくれてフレッシュココナッツジュースを楽しみました。贅沢!

 

 

(次回もお楽しみに。3週間後、更新目標です)

武谷朋子さんがキュレーターをつとめる講義 

自由大学「じぶんスタイル世界旅行
– 旅軸のある、ひと味違う世界旅のつくりかた –
詳細は https://freedom-univ.com/lecture/world_travel.html
自分の好きなことややりたいことを軸に、自由に世界を駆け巡る。それが世界を舞台に自分が主役で楽しむ「じぶんスタイルの旅」。ただの観光や放浪の旅ではなく、未来に繋がる自分にしかできない旅のつくりかたを一緒に学んでいきます。

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 連載バックナンバー 

第1話 ベトナムで暮らそうと言われても(2015.9.24)
第2話 ホーチミンのおもしろさは、きっとバイクの後部座席にある(2015.10.14)
第3話 思い込みが溶けていく、ベトナムコーヒーに隠された甘い時間の過ごしかた(2015.11.5)
第4話 手を伸ばすと深みにはまる、素顔のベトナム料理(2015.11.26)
第5話 どうしてベトナムのイスは低いのだろうか(2015.12.17)
第6話 気持ちだけじゃない、ベトナム式の贈りもの(2015.1.7)
第7話 迷いを楽しむ不思議なアパート(2015.1.28)

 武谷朋子さんの旅エッセイもどうぞ 

TOOLS 29 海外へは乗継便で飛ぶ。ファイナルコールまでにもう1カ国味わう方法
TOOLS 31 バルセロナで学んだ充実した “食の時間” のつくり方
TOOLS 34 ドゥブロヴニクで学んだ ”心の振れ幅” をもっと自由にさせる意味
TOOLS 38 パリの美術館で学んだ、捨てる視点の養い方
TOOLS 41 イギリスで小さな手荷物と不安な夜を乗り越える
TOOLS 44 ワンテーマに潜る旅の方法 – 海外建築めぐり篇 –

 


武谷朋子

武谷朋子

(たけたにともこ)自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター/トラベラー。『自分にしかできない旅をする』をキーワードに、大学時代から主にヨーロッパへカメラ片手に旅を続け、これまでにバルト3国からユーラシア大陸最西端まで20ヶ国50都市以上を訪れる。社会人になってからも働きながら年1回のペースで自分らしい一点物の旅を創り、旅を続けている。渡航歴は10年以上。ここ数年は旅の経験を生かして"テーマを持ったひとり旅"のおもしろさを伝える活動を行っている。旅先で見て感じた空気を写真に残すことを続けており、撮った旅の写真は1万枚以上に及ぶ。現在では旅以外に、企業・雑誌広告などでの撮影も行っている。2014年冬より生活拠点をベトナムに移し、旅とはまた違った視点で世界と繋がる日々。活動の詳細は自身のWEBサイト 「TRANSIT LOUNGE」にて