わたしのスーツケースが、出てこない。これがロストバゲージか…。まさか自分の身に降りかかるなんて想像すらしてなかった。もうわたしの気力は昨日の空港での交渉と、予期せぬイギリス宿泊で全て使い切ってしまった。重なるときは、いろいろ重なるもんだ。ここまで来ると、何だか笑いがこみ上げてきた。
TOOLS 41
イギリスで小さな手荷物と不安な夜を乗り越える
武谷 朋子 ( トラベラー / 自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター )
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自由に生きるために
状況を打開するための小さな行動をし続けよう
2度目のバルセロナへ向けて、高まる気持ちと共に成田へ向かう。
友人家族がちょうどバルセロナに住んでいたことと、また違った角度でバルセロナを見てみたいと思い計画した2度目のバルセロナの旅。もう海外のひとり旅は7度目だったし、特に変わりなくいつものようにわくわくしながら成田空港から離陸した。今回のフライトはイギリスのヒースロー空港乗換えで同日夜にはバルセロナに着く予定で、到着翌日の夜には友人家族と夜ごはんを食べる約束をしていた。
順調に飛行を続けていたのだが、成田を離陸してから10時間弱経った頃だろうか。ヨーロッパ圏内に入ってからトランジット先であるイギリスの天候が悪いという機内アナウンスが流れた。ちょっと嫌な予感がする…。でも、まあなんとかなるかなと楽観的に考えていた。
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旅への期待は封じ込め、まずは冷静になってみる
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このバルセロナまでのフライトは、ヒースロー空港でのトランジットが1時間ちょっとだった。トランジットでの立ち寄りが好きなわたしにはめずらしく短い時間での乗り継ぎ。本当はもっとゆっくりしたかったのだけど、この乗継便を逃すと、かなり長い時間ヒースローに滞在しなければならなかったので、仕方なくこの便を選んだ。
イギリスのヒースロー空港はかなり大きな国際空港なので、乗り換え便の搭乗口が別ターミナルの場合、ターミナル間の移動には時間がかかることはことは知っていた。何事も起こらず時間通りに到着すれば、ギリギリではあるが乗り継ぎに間に合う時間ではある。本当にギリギリではあるけど…。そんなわたしの個人の願いは、この後に流れた機内アナウンスでもろくも崩れることになる。
「現地の天候悪化のため、到着時間が30分以上遅れる」というのだ。
もしかしたら乗り継ぎがうまくできないかもしれない。とにかく到着したらダッシュだ。
バルセロナに向けて高まっていた気持ちが一気に冷静になった。現地ではどんなスケジュールで動こうかなと、ガイドブックやメモなどを見ながら機内で楽しい計画を立てていた。でも、このアナウンスを聞いてから、全くそんな気分じゃなくなり、開いていたガイドブックをそっと閉じた。まずは深呼吸。そして乗り継ぎの搭乗ゲートの位置を確認。
あ、やっぱり別ターミナルだ…。
とにかく全力ダッシュできる体制だけは整えておかなけえればと気持ちを切り替えて、とにかくまずは無事に、そして一刻も早い着陸を願うしかなかった。
そんなわたしを乗せた飛行機はようやくヒースロー空港に到着。しかし、やはり予定時刻より30分以上遅れていた。もう、汗だくになりながら空港内を猛ダッシュ。空港には似つかわしくない速度でヒースロー空港内を全力で駆け抜けた。ひたすら走った。それはもう、空港内で前に歩いている人が何事かと振り返る速度で。
ターミナル間を移動し、離陸時刻の30分程前になんとか乗り継ぎのセキュリティエリアの前まで到着。よかったー 間に合うかも! と思った瞬間、空港職員から非常なまでの一言を告げられた。
搭乗手続きはもう締め切った、と。
え! …え! まだ時間あるよ…! 事情が事情だからなんとか、とお願いしてみたのだけど、「NO」と冷たくあしらわれ、答えが覆ることはなかった。もうこの便は乗れないから、航空会社のカウンターで次の便に変更してと言うのだ。
成田からヒースロー行きに搭乗していた乗客の多くが予定していた乗り継ぎ便に乗れなかったようで、航空会社のカウンターには変更手続きをするための長蛇の列がすでにできていた。その列の最後尾にひとりぽつんと列に並び始めた。わたしにはカウンターで便を変更するという方法しか残されていなかった。ただ、他の乗客も事情が事情だけにみんな窓口で時間がかかっているようで、一向に列が進まない。
こんな状況だし、事態が落ち着くまではバルセロナの楽しい予定を考えるのはやめようと思って、そういえば手荷物にはもう一冊だけ本を入れていたことを思い出した。おもむろに取り出し読み始めてみたのだけれど、よりにもよってこんな時にビジネス書…。文字をなぞっているのに、ページは進んでいるのに、まるで内容が頭に入ってこない。こんな時こそ笑って読めるお気楽な本が入っていれば… よりにもよってなんでこの本を選んでしまったんだろう。痛恨の選書ミス。いや、そもそも乗り遅れるなんて想定してなかったから、ミスでも何でもないか。心がそわそわしている時の読書は見事なまでに何も入ってこないことをこの時学んだ。
そんなことより、この後どうなるのか、わたしは無事にバルセロナに着けるのか、不安で不安で仕方なかった。気持ちを共有できる人もいなかった。なんでこんな時にひとりなんだろう。しかもその不安は時間が経つほどに大きく膨らんでいった。
結局、列に並び始めてから5時間後、ようやくカウンターに辿り着いた。5時間…。途中、トイレに行きたくなったのだけど、列を外れると戻れなくなってしまいそうだったので、前後に並んでいる人と関係性を作ってからトイレの間の列を確保してもらったり、情報交換をしたり。できるだけひとりに閉じないようにしていた。困った時には誰かと話している方がまだ気が休まる。また、さすがにお腹も空き始めた頃、航空会社が軽食を配り始めた。でも、またここでも列を外れるのは…と思っていたら、なんと前に並んでいたご家族がわたしの分まで取ってきてくれた。こんな時の優しさは特に沁みる。もう、ジーンとするなんてもんじゃない。
こんなに長く待つとは思ってなかったこの待ち時間。座っていればまだ少しは楽だったのかもしれないけれど、ほんの少しずつ、じわりじわーりと列が動いていたので、結局立ちっぱなしで5時間待ち続けた。さすがに待ちくたびれた。こんなハプニングに見舞われたのは長く旅をしていて初めてのこと。不安な気持ちで待っていたので、体も心も疲れがかなり溜まっていた。でも、ここからが大事な交渉。もう少しだ。カウンターにたどり着いてようやく言えたひとこと。
「バルセロナ行きの次の便に変更してほしい」
そう告げたら、帰ってきた答えはこうだった。
「もう今日のバルセロナ行きの最終便は終わった」と。
え! え! どういうこと!? 今日バルセロナに到着できないの!?
次の便だと翌朝6時台の便が一番早いらしい。一刻も早く着きたかったが、早朝便でまた乗り過ごすなんてことがあったらもう立ち直れない。だから少しだけ余裕を持って朝7時台の便を予約した。
いやまてよ。今夜どうするのか。空港で野宿なのか。
思いがけないところで初野宿を経験することになるのか…。いやいや、そんなの困る。もはやどんな言葉を言ったか分からないが、なりふり構わず交渉した結果、ホテルを用意してもらえることになった。
図らずも初めてのイギリス入国がこんなタイミングなんて。しかも夜遅くなってしまったせいで、預け入れのスーツケースは空港で取り出せなかった。手荷物は軽く! と思って、出来る限りの荷物は全部スーツケースに詰め込んでいた。
なんてこった…。
カウンターでホテルを交渉した際に、最後にもらった小さなお泊り用ポーチはあったが、明らかにいろいろ足りない。でも、わたしは今日これで夜を明かすのだ。というわけで、小さな手荷物ひとつでイギリスに入国し、訳もわからぬまま不安な気持ちでバスに乗り込み、ホテルへ向かった。ここは一体どこなんだろう、なぜわたしはここにいるんだろう。という整理のつかない変な気持ちと一緒に。
その夜はただただ不安で、浅い眠りを繰り返し、眠ったのか、はたまた一睡もできていないのか分からぬ状態で朝を迎えた。でも翌朝起きた時はもうすっかり落ち着いていて、朝日をのんびり眺めていた。とても穏やかな朝だった。
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一難去ってまた一難
重なるときは重なるのだ
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カウンターでのやりとりから12時間も経たずしてまたヒースロー空港に舞い戻り、今度こそバルセロナ行きの便に乗ることができた。結局、バルセロナに到着したのは成田を出発した翌日のお昼前だった。12時間遅れでの到着。実に成田空港から出発して24時間以上経っていた。何はともあれ、無事に到着できた。乗り遅れたり、慣れない交渉をしたり、予期せぬイギリス入国をしたりと、ハプニングだらけの1日だったけれど、まずはこうしてバルセロナに到着できたのだ。よかったよかった。そう思ってターンテーブルの前で預け入れのスーツケースが出てくるのを待っていた。
しかし、一向に出てこない。
待てども待てども出てこない。
周りの人がみんな自分の荷物をピックアップして空港出口に向かう中、ぽつんとひとり立ち尽くす。そして、ターンテーブルが止まった。
わたしのスーツケースが、出てこない。
これがロストバゲージか…。まさか自分の身に降りかかるなんて想像すらしてなかった。もうわたしの気力は昨日の空港での交渉と、予期せぬイギリス宿泊で全て使い切ってしまった。そこにきてロストバゲージって…。窓口で確認してみると、わたしのスーツケースはまだヒースロー空港にあるらしい。搭乗便が変更になった関係で、預け入れの荷物がうまく連動できていなかったのだろう、と言われた。重なるときは、いろいろ重なるもんだ。ここまで来ると、何だか笑いがこみ上げてきた。
もう、こうなったら開き直ろう。
滞在先のホテルの住所を告げ、スーツケースは直接送ってもらうことにした。そんなわけで、わたしはイギリスに続き、小さな手荷物ひとつでスペイン・バルセロナに降り立った。ちなみに手荷物に入れていたのは、ガイドブックとビジネス書一冊、そしてパスポートやお財布などの貴重品類とカメラ、そして充電の切れた携帯電話。これだけだった。この時点でこの状況がちょっとおもしろくなってきていた。不思議なもので、不安しかなかった昨日とは大違い。ロストバゲージしているというのに、空港を出たわたしは、なぜだか晴れやかな気分だった。
人生、なんとかなるもんだな。
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ハプニングを乗り越えると、嬉しさが何倍にも感じられる
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昨日のハプニングを乗り越えられたのだから、もう何が起こっても乗り切れる気がした。予定よりだいぶ遅い到着だったし、スーツケースもないけれど、わたしは元気にバルセロナにいる。無事に目的地に到着できたし、荷物もそのうち手元に来るはず。もう大丈夫だ。
いや、まてよ。気になることがふたつある。
1日遅れでバルセロナに到着したので、その日の夜は友人家族とごはんの約束をしていた日だった。携帯電話の充電は、もうとっくに切れてしまっていたのだけれど、幸いなことに待ち合わせの時間と場所はメモ帳に書いていた。大事な連絡先などはいつもメモ帳に書いておくようにしていた習慣が、ここで役に立つなんて。でも、もしかしたら変更が入っているかもしれない。そう思って充電器を探しにお店を歩きまわったが、必要としていたものが見つけられなかった。もう、直接時間に行ってみるしかない。でも会えるかどうかは運だな…。
そしてふたつめ。化粧ポーチまで一式スーツケースに入れていたわたしは、当然ながらその時すっぴんだった。陽射しの強いバルセロナの直射日光が痛い。でも、こんな状況だし、このままでいいかなとも思ったが、友人とはいえ久しぶりに会うし、ご家族も来る。さすがに素顔でそのまま登場するのはまずいんじゃないかと思い直し、街に出てすっぴんを脱した。ここでもまた、なんとかなった。
夜の待ち合わせに無事に会えるか不安すぎて、待ち合わせ時間の30分前に到着。どうなるかなと思っていたが、約束の時間ちょうどに友人家族が現れ、無事に会うことができた。もう、感無量…! 友人に会えたことはもちろんだけど、いろんな状況を乗り越えてここに辿りつけたこともあり、もうただただ嬉しかったし、ようやく安心できた。この夜に飲んだビールと、数々のスペイン料理の味は今でも忘れられない。きっとわたしだけは更に何倍にもおいしく感じられていたんじゃないかと思う。楽しくておいしい、満たされた夜だった。
今夜はようやくゆっくり穏やかに休める! そう思ってホテルに到着してレセプションでスーツケースをピックアップしようと尋ねたら、予想外の答えが返ってきた。
「まだ届いていない」
あれ。今日中には届くと思うってバルセロナの空港で言われたんだけどな…。もうでもわたしは、確実に何かがステップアップしていた。こんなことくらいでは動じないぞ。というわけで、スーツケースが届いたら連絡してもらうようお願いして、その晩はぐっすり休んだ。
なければないで、なんとかなる。
ロストバゲージが教えてくれたこと。
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「わたしのスーツケース、届いていませんか?」
「まだ届いてませんね」
というやりとりを結局何回繰り返したんだろう。ようやくスーツケースが手元に戻ってきたのは成田を出発してから3日後の朝だった。この荷物もまた想定外の旅から帰ってきたので、ようやく手元に戻ってきたスーツケースを眺めながら、ひさしぶりに再会できた嬉しさがあった。
待ちわびたわたしの荷物。スーツケースを開けてみる。できるだけ荷物は少なくしようと、スーツケースの中には旅で必要な荷物を厳選して詰め込んでいたはず… だった。だけど、小さな手荷物で数日間やり過ごせてしまったこの時のわたしには、「旅にはもうこんなに荷物は必要ないかもな」という感情が湧いてきていた。あんなに待ちわびていたのに、何だか不思議な気持ち。
荷物がなければ、ないなりに、なんとかなる。スーツケースが手元に戻るまでの間、重い荷物から解放されたように、わたしの身も心も、そしてフットワークまでも、ものすごく軽く感じられた。
旅の冒頭からハプニングがありすぎたけど、人生、なんとかなるもんだな。
いつかまたヒースロー空港に立ち寄ることがあれば、今度はたっぷりとトランジットの時間を確保しよう。今度こそ涼しい顔で空港内を颯爽と歩くのだ。
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旅のハプニングで学んだ、手荷物として持ち込んだ方がいいアイテム3選 1. 携帯電話の充電予備バッテリーと、電源アダプター 2. ホテルの連絡先など、重要なことを書いたノートやメモ帳 3. どんな状況でも楽しく読めそうな本1冊 |
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写真:武谷朋子