「私のカラダはばい菌だらけ。私のカラダはキタナイ」と言いながら笑い転げる私を、医師も看護師も苦笑いで見つめていた。旅が続けられるうちは旅を続けて、自分の中に何かを得るまでは日本には帰りたくない、帰らないと、強く心に決めたのだった。
連載「旅って面白いの?」とは 【隔週水曜更新】 世界一周中の小林圭子さんの旅を通じて生き方を考える、現在進行形の体験エッセイ。大企業「楽天」を辞め、憧れの世界一周に飛び出した。しかし、待っていたのは「あれ? 意外に楽しくない…」期待はずれな現実。アラサー新米バックパッカーの2年間ひとり世界一周。がんばれ、小林けいちゃん! はたして彼女は世界の人々との出会いを通して、旅や人生の楽しみ方に気づいていくことができるのか。 |
第7話 出国していきなりの緊急入院で知った、フィリピン人の優しさと健康に旅を続けていくことの難しさ
TEXT & PHOTO 小林圭子
順応性の高さ?
愛国心の薄さ?
実は日本に帰りたいと思ったことは
一度も無いのです(笑)
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長く旅をしていくにつれて、「日本が恋しくならないの?」とか、「日本に帰りたくならないの?」と聞かれることも増えてくる。以前も書いたとおり、旅が楽しいときもあれば、正直しんどいときやツライときもある。別に常にテンションが高いわけでもないし、正直疲れてしまうことだってある。
にも関わらず、なぜか、これまで一度も「日本に帰りたい!」と思ったことは無い。自分でも不思議なんだけど、本当に一度も無いのだ。もちろん、毎日のように家族や友人のことは考えるし、日本はとても平和で安全で、これまで訪れたどの国よりも良い国だと思っている。
ただ、だからと言って、それが帰りたい理由にはならず、別に日本食を食べなくても全然問題ないし、お風呂だって8ヶ月の間に湯船に浸かったのはたった2回だけだけれど、すぐにシャワーだけの生活に馴染んでしまったし、そういう意味ではたぶん環境への適応力は高い方なのだと思う。というよりかは、物事に対してこだわりが無いだけかもしれないけれど。
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そんな私だけど、一度だけ「日本に帰ること」、「旅が続けられないこと」を意識させられたことがあった。それは旅の初っ端、第1ヶ国目のフィリピンでのこと。しかも日本を出国してわずか13日目のことだった。
体に起きた異変
今まで味わったことのない不快感に
不安だけが募った夜
前日の夜、既に予兆はあった。語学学校の仲間たちと、美味しいと評判のシーフードレストランで食事をし、機嫌良く寮に戻った後、急におなかが痛くなったのだ。下痢と吐き気が一気にやってきて、しばらくトイレから出られないほどだったけれど、理由はわかっていた。
というのも、レストランで食べた料理の中に、唐辛子を使って味付けされているとても辛い料理があり、唐辛子がまるごと入っているのに気がつかず、勢いよくパクッと口に入れてしまった。あまりに辛くて火が吹き出るのではないかと思えるほどで、グラスの水を一気飲みしたけれどおさまらず、その後すぐにおなかがキュルキュルと泣く音が聞こえたので、「あぁ… これは絶対、後でおなかが痛くなるだろうな… 」と予想できた。そして本当におなかが痛くなるなんて、なんとも素直なカラダである。
脂汗をダラダラ流しながらのたうち回った後、下痢も吐き気もなんとか治まり、ホッと一安心したのも束の間、今度は下腹部に不快感を感じ、その後何度も尿意をもよおした。初めての感覚に、「なんだこれ、おかしいな…」と思いつつも、さっきの腹痛の名残かと思い、時間も遅かったのでその日は忘れて寝てしまうことにした。このときはまだ、これから大変なことになるなんて露知らず…。
翌日も下腹部の不快感はおさまらなかった。おさまるどころか、時間が経つにつれて、酷くなっていっているように感じた。休憩のたびにトイレに行った。不安は増すばかりで、インターネットでいろいろ検索してみたところ、症状から判断するに膀胱炎ではないかと思った。もし膀胱炎だとしたら、おそらくそれほどたいした病気ではないはず。薬を飲めば症状はおさまるはず。と自分を落ち着かせようとするも、とても授業を受けられるような精神状態ではなく、その日は午後の授業を全て休み、近くの病院に連れて行ってもらうことにした。
たまらず病院で検査
不安な私にさらに追い打ちをかけた
異常な数のバクテリア
フィリピンの病院と聞くと、田舎の古びた小さな町医者、みたいなものを想像していたけれど、意外に設備のしっかり整った大きな病院だった。以前そこで看護師として働いていた語学学校のクレア先生が付き添ってくれたので、とても安心できた。
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検尿と血液検査を済ませ、3時間後、すぐに結果が出た。検査結果を受付でもらって、それを持って医師のいる診察室に向かった。おそらくこの結果を見てすぐに、クレア先生は私のカラダが今どういう状態なのかがわかっていたんだろうけど、私を不安にさせてはいけないと思ったのか、「この結果だとよくわからないね。でもきっと大丈夫だよ」なんて言って、私を元気づけようとしてくれていた。
検査の結果、やはり思ったとおり、膀胱炎だった。しかも体内のバクテリアの数が通常の100倍近くまで増殖しているとのことで、その場で緊急入院が言い渡されたのだった。
私は一瞬呆然としたものの、入院なんて絶対イヤだ!と思い、全力を駄々をこねてやった。「入院はイヤだから、薬だけでなんとか治してほしい!」と半泣きで医師に訴えたけれど、「あなたのカラダはばい菌だらけ。あなたのカラダはキタナイ」とフィリピン訛りの英語(その医師は英語が苦手なのだと言っていた)で何度も繰り返され、もうなんだかその状況が我ながらあまりにもおかしくて、私は診察室で大笑いしてしまった。
「私のカラダはばい菌だらけ。私のカラダはキタナイ」と言いながら笑い転げる私を、医師も看護師も苦笑いで見つめていた。後でクレア先生には「よくあの状況で笑えるね。私だったら大泣きしちゃうけど」と褒められてるのか、呆れられているのかわからない言葉をかけられた。
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フィリピンの病院では、薬代も病室代も前払い制だった。先に処方箋だけ渡されて、病院の隣にある薬屋さんに自分で薬を買いに行く。どうせ保険がおりるから、と病室は個室を用意してもらうようにお願いしていたけれど、それも先に会計窓口に行ってお金を払わないと個室に入れてもらえなかった。
どうやら、貧富の差が激しいフィリピンでは、薬代や診察代などを払えない人がいるらしく、料金未回収を避けるために前払い制にしているとのことだった。とは言え、早々に点滴を繋がれた不自由な体では、身動きを取ることがなかなか難しく、そういった身の回りのことは全て付き添ってくれていた語学学校の先生たちがやってくれた。
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フィリピン人の愛すべきキャラクターのひとつ
類い稀なホスピタリティの高さ
確か入院したのは金曜日だったので、ちょうど週末に入ろうとしていた。クレア先生はじめ、学校の先生たち4人が交代制で私の付き添いをしてくれることになった。先生たちも、みんなそれぞれ週末に予定があったはずなのに、どうしても外せない予定だけはそちらを優先し、そうでない予定はキャンセルして私に付いていてくれて、私はありがたさ以上に申し訳なく感じていた。何かあってはいけないからと夜中も常に誰かが病室にいる状態だった。しかも、これは学校の責任者や校長に指示されたからではなく、先生たちが全て自分たちで判断して決めたことだった。
確かに先生たちにとって私は生徒だし、きっとすごく心配してくれているんだと思ったけれど、もしこれが逆の立場で、知り合ってまだ2週間やそこらの外国人が入院することになって、私は週末の予定を全てキャンセルしてその人に付き添うことができるだろうか、私だけでなく、多くの日本人はそんなことするだろうか、きっとそこまではできないだろうな、とふと思った。
どの国に行っても、「日本人は優しい」、「日本人は礼儀正しい」と褒められることが多いし、実際、これまで9ヶ国まわってきてみて、優しさ、礼儀正しさ、モラルの高さ、など日本人が備え持っている国民性というものは本当に素晴らしく、誇るべきものだと思う。でも今回、このフィリピンの地で感じたホスピタリティの高さもそれと同じくらい凄くて、いろんな人にお世話になりまくった私は、このフィリピンの大切な友人たちに今でも頭が上がらない。
そう言えば、船に詳しい友人が教えてくれたんだけど、豪華客船のクルーにはフィリピン人スタッフがとても多いらしい。きっとホスピタリティの高いフィリピン人だからこそ、配慮あるサービスをお客様に提供できるのだろうと思えば、その話にも納得がいく。
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ベッドの上で誓った
これからもずっと旅を続けていくということ
そんなこんなで入院中、ほとんど1人になる時間は無かったのだけれど、3日間の中でほんの2時間ほど、どの先生も付き添いができず、1人でぼーっとする時間があった。生まれて初めての入院、点滴、膀胱炎。それも異国の地、フィリピンで。気が張っていたのか、やはり精神的に疲れており、1人になって少しその緊張が緩んだ。
大きく深呼吸をして冷静になってから、それまで感傷的だった頭を整理した。たかが膀胱炎でまさかの入院には正直驚いたけれど、だからと言って、帰国しないといけないとかそんな話ではない。にも関わらず、私はそのとき初めて「旅の中に潜む危険やリスク」と、心身ともに健康で旅を続けることの難しさを意識させられたのだった。
そして、どんなにしんどくても、どんなにツラくても、どんなにテンションが落ちても、旅が続けられるうちは旅を続けて、自分の中に何かを得るまでは日本には帰りたくない、帰らないと、強く心に決めたのだった。(了)
(3437字)
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(次回もお楽しみに。隔週水曜 更新予定です)
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連載バックナンバー
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第2話 旅は準備が一番楽しい。出発までの10ヶ月なにをしたか(2014.10.22)
第3話 ダメでもともと、初めての協賛(2014.11.5)
第4話 出発まで5日。ついに協賛決定!(2014.11.19)
第5話 最初の国の選び方。わたしの世界一周はフィリピンから(2014.12.03)
第6話 カスタマイズ自由が魅力のフィリピン留学(2014.12.17)
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小林圭子さんが世界一周に出るまでの話
『一身上の都合』 小林圭子さんの場合「次なるステージへ挑戦するため」(2014.5.19)