第2話 旅は準備が一番楽しい。出発までの10ヶ月なにをしたか

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走りながらいろんなものを整えられるほど、旅は甘くはなかった。

連載「旅って面白いの?」とは  【隔週水曜更新】
世界一周中の小林圭子さんの旅を通じて生き方を考える、現在進行形の体験エッセイ。大企業を辞め、憧れの世界一周に飛び出した。しかし、待っていたのは「あれ? 意外に楽しくない..」期待はずれな現実。アラサー新米バックパッカーの2年間ひとり世界一周。がんばれ、けいちゃん! はたして彼女は世界の人々との出会いを通して、旅や人生の楽しみ方に気づいていくことができるのか。

 

第2話  旅は準備が一番楽しい

TEXT & PHOTO 小林圭子

 

出発まで10ヶ月
なにを準備したのか

 

日本を出発した後、5ヶ月かけてフィリピン、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、タイ、シンガポール、カンボジアと7ヶ国を周ってきた。バックパッカーの平均的な移動スピードから考えると、かなりゆっくりしたペースだと思う。2年あるので、焦らずゆっくり周りたいのと、旅初心者としてはまずはアジアで旅慣れしておきたい、というのがその理由。あと、年齢的にあまり移動が多いと身体に負担がかかりそう、というのも実はあったり。 

それでも、5ヶ月の間にいろんな場所に行き、いろんな出会いがあり、それなりに旅を楽しんできた。それなりにね。ただ、旅が進んでいくに連れて、なんとなく自分の中のテンションが下がってきているのは否めないし、何なら旅に出る前の準備期間が一番テンション高かったのではないかと思うことも。

思い返すと、旅に出ようと決めたのは2013年の夏。出発の約10ヶ月前だ。「10ヶ月の準備期間」と聞くと、たっぷり時間をかけて準備してきたように思われるかもしれないが、実際にはそんなことはなかった。直前まで仕事は続けていたし、最後の2~3ヶ月は引き継ぎやら何やらで結局辞めるまでバタバタしてしまった。
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とシドニーで一番美味しいと話題のアイスクリームをぺろり(笑)

6月のシドニーは昼夜の気温差が激しく、夜はかなり冷えこんたので、karrimor(カリマー)さんに協賛いただいたウインドブレーカーが大活躍! 寒いにも関わらず、ゲストハウスで仲良くなったメンバーとシドニーで一番美味しいと話題のアイスクリームをぺろり(笑)

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辞めたら辞めたで、今度は東京のシェアハウスを引き上げ、大阪の実家に戻るための引っ越し作業に追われた。シェアハウスに住んでいたことで、大型の家具家電は無かったとはいえ、やはり荷物の整理にかなり時間を取られた。2年も戻らないのだから、本当に必要なものだけを残して、あとは捨ててしまえば良かったのだが、それでも当初の予定より物が残ってしまい、半分は大阪の実家に送り、半分は東京の友人宅に預けて出てきた。(友人にしてみたら、なんとも迷惑な話だ。)

さらに、もともと気が多い性分で、仕事以外にも、習い事やら社外活動やら、なんだかんだと抱えており、そんな忙しさにかまけて、案外旅の準備は進まなかった。さすがに出発の3ヶ月前を切ってくると、自分の中に焦りを感じてはいた。それでもなんとかなるだろうと高を括っていた。楽観的な性格に加え、いつもギリギリのところで、結局なんとかなってきた、という経験が根拠のない自信に繋がったのだと思う。

しかし、結論を言うと、結局なんとかならなかった。なんとかならずに、日本を出ることになってしまった。ただ、ここで自分の見通しが甘かったと感じるのは、なんとかなるだろうと思ってなんともならなかったことに対してではなく、なんとかならなかった時に、「仕方ないから、こうなったら走りながら整えよう」などと軽々しく考えてしまったこと。旅の初心者である私が、いきなり走りながらいろんなものを整えられるほど、旅は甘くはなかった。そして、今のダラダラとした現状が、その甘さゆえのものであるとイヤでも認めざるを得ない。これについては、また後ほどゆっくり説明したいと思う。

 

 

わたしの旅の準備は2つ
人に会いまくること
協賛を得ること

 

そんな忙しい状況の中で、旅の準備に充てた時間はとても楽しく、充実していた。普通、「旅の準備」と言えば、持ち物を揃える、旅のルートを考える、行きたい国について調べる、などが当てはまるのかな、と思うのだが、私の場合、これらは全て後回しだった。私がやっていたことと言えば、ひとつは「とにかく人に会いまくること」、そしてもうひとつが「旅の企画を練って企業から協賛を勝ち取ること」だった。

ひとつめの『人に会う』というのは、まずは、世界一周の経験者に直接会って、経験談を聞かせてもらうこと。そして、そこから自分の旅のヒントになるものを集めていった。経験談は今の時代、インターネットからいくらでも情報としては得られるが、「直接会う」というのがとても重要で、もし今後、わからないことや困ったことがあっても、何かしらアドバイスをもらえたり助けてもらえたりする可能性が高い。何より、自分が経験したことのないことを経験したことがある人と繋がっておくことは、精神的な励みにもなった。あとは、特に旅そのものには興味のない人でも、自分がやろうとしていることに少しでも関係する人にコンタクトして、共感してくれる人や応援者を増やしていった。そうすることで、自分が旅の中で(もしかしたら旅が終わった後も)やろうとしていることがうまくいく可能性を高めておきたかった。今思い出しても、我ながら、何とも慎重に進めていたな、とちょっと感心してしまう。

そしてふたつめの「協賛を得る」については、実は旅に出ることを決めてすぐに思いついたことだった。というのも、旅に出ることは「昔からの夢だった」とかそんな男のロマン的な理由ではなく、どちらかと言うと突発的に思いつきで決めたことだったので、やはり資金的に十分ではなかったのと、自分ひとりでは何をするにも限界があることは自覚しているので、そこを遠隔的にサポートしてもらえると心強いという、少し情けない理由からだった。 

インターネットで「世界一周 協賛」と検索すれば、すぐに何件か参考になりそうなページが見つかった。それをしらみつぶしに読んでいったのだが、読めば読むほど自分には合っていないとすぐにわかった。その理由は、協賛をもらえばそれなりの対価なり代償なりが発生することが多く、協賛の数や金額の大きさによって、かなり自分の旅に制限がかかってしまうことになると思ったから。せっかく仕事を辞めて、自由の身になって、誰から指図されることもなく、何にも縛られることのない環境を手に入れようとしているのに、協賛をもらうことで、そこに制限がかかることはどうしても避けたかった。結局悩んだ末、サポートを得られなくなるのは金額的、物質的、さらに精神的にもかなり惜しくはあったが、このとき思いついた協賛獲得は、一度断念することにした。
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大自然をバックに私が「シェー」のポーズをすると、19歳のドイツ人の女の子が「そのポーズ、カッコイイ!」と言ってくれた

オーストラリア西海岸を10日かけて北上するツアーに参加したときも、karrimor さんのジャケットとパンツが大活躍。大自然をバックに私が「シェー」のポーズをすると、19歳のドイツ人の女の子が「そのポーズ、カッコイイ!」と言ってくれたので、教えてあげて一緒にポーズ(笑)

 

にも関わらず、それがもう一度動き出すことになったのが、2014年2月中旬、旅に出発する2ヶ月前のことだった。偶然、何かの記事で、株式会社モンベル の『チャレンジ支援制度』というものを目にした。これはモンベルの理念に則り、『自然と関わりがあり、社会的貢献度の高いと認められる活動に資金・商品を提供(モンベルのホームページより抜粋)』する制度であり、公に募集されている。活動終了後、モンベルに対して報告義務はあるものの、それほど自分の活動に縛りが出る訳でもなく、何より必要書類を作成して応募すれば良いだけだったので、ちょっと試しにチャレンジしてみようかな、という気になった。自分は別に登山家でも冒険家でもないし、特に自然と関わることをやろうとしているわけではなかったが、過去に支援されたものの内容を見ていくと、「なんかそれほどたいしたチャレンジじゃないものでも支援されているなぁ。これだったら私でもいけるかも……!? 」と思わされた。(我ながら、どこからそんな自信がわいてくるのかは、ホントに謎……笑 )

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ここから
私の「協賛獲得」への闘志に
一気に火がついた
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モンベルの支援制度の締め切りが2月末だったので、急いで旅の企画を練って、応募書類の作成に取りかかった。こうなってしまうと、自分のアタマの中は、企画のことでいっぱいになり、仕事中もずっとそのことばかり考えてしまっていた。後任者への引き継ぎ期間中だったので、仕事を説明して、それをやってもらっている隙に、自分は応募書類の作成に励んだ。このとき、今年一番って言って良いくらいアタマが冴えていたので、旅の中でやりたいことが次から次に浮かんだ。(もちろん単なるネタ的なものや、どう考えても実現が難しそうなものも含めて。)逆にやりたいことが多すぎて、それをまとめるのに苦労したが、当時の直属の上司に応募書類の内容を見てもらい、アドバイスまでもらったりして、なんとか締め切り前日にギリギリで完成、モンベルに提出することができたのだった。(元上司には本当に感謝!)

 

karrimorさんにいただいたリュックサックと、colemanさんにいただいたショルダーバッグを愛用

フィリピン留学中、滞在していたネグロス島からすぐ近くのシキホール島に1泊2日の小旅行。この時も、karrimorさんに協賛いただいたリュックサックと、colemanさんにいただいたショルダーバッグを愛用。

 

 

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(次回もお楽しみに。隔週水曜 更新予定です)
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小林圭子

小林圭子

1982年、大阪生まれ。米国公認会計士の資格取得後、ベンチャー企業および楽天にて約5年半、会計業務に従事。同時に会計士の専門学校では学習カウンセラーを、自由大学でキュレーターをするなど、パラレルキャリア志向が強い。2014年3月末で楽天を退社し、同4月より約2年間かけての世界一周の旅に挑戦。世界中の多様な働き方やライフスタイルに、刺激を受ける日々を送っている。 「一身上の都合」小林圭子さんの場合 http://ordinary.co.jp/series/4491/ https://instagram.com/k_co_ba_326/