氷が溶けるまで【第10話】夜明けを追いかけて〈最終回〉 武谷朋子

ベトナム在住トラベラー武谷朋子の氷が溶けるまで

わたしにとってのベトナムはもう「行く場所」ではなく、「戻る場所」になっているんだと思う。会いたい人に会いに、いつでもまた戻ってこよう。世界にまたひとつ戻れる場所が増えた。自分が動き回れば、ここにはまだまだおもしろい出会いがあるに違いない。

連載「が溶けるまで」とは  【3週間に1話 更新】
ヨーロッパひとり旅と写真を専門とし、働きながら「自分にしかできない一点物の旅」を10年以上続けてきた武谷朋子さんが、突然夫の転勤によりベトナムはホーチミンに移住することに。(本当はヨーロッパが好きなのだけど…. )知り合いもいない、そして、もともとそんなに興味が持てなかった国で始まった、すべてが新しい暮らし。彼女は導かれたその状況をどのように「楽しみ」に変え、はじめての街の魅力を発見していくのか。まだ知られていない本当のベトナムとは。ガイドブックには載らない、暮らしてみてわかった小さな魅力の種を綴ります。

 

第10話 夜明けを追いかけて  <最終回> 

TEXT & PHOTO 武谷朋子

 

人との出会い暮らしを変える

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ホーチミンの街からバスで5時間程のところにあるムイネーという街。2つの砂丘と漁港と渓流が有名な場所で、それらを巡りたくて、ぐるりとまわるツアーに申し込んでいた。出発は朝5時。

まだ夜も明けていない5時前のホテルの入口はほとんど真っ暗で、暗闇にぼんやり見える人影。ドライバーとガイドの2人が待っていた。挨拶をすませ、「じゃあ、さっそく行きましょうか。」というので車に向かうと、なかなかゴツめの黒いジープが停まっている。わたしを乗せて走りだした車には、ドライバー・ガイド・そしてわたしの3人しかいなかったのだけど、そのまま今日のツアーの説明が始まった。申し込んだのは複数人が参加できるツアーのはずだった。

「あれ、今日のツアー、わたししかいないの? 」と聞くと、
「そうなの。今日はあなたひとりだよ。 」とガイドさん。

ムイネーでお世話になったドライバーとガイドさん

ムイネーでお世話になったドライバーとガイドさん

 

偶然にもガイドさんを独り占めできることになった。外見からすると同じくらいの年齢に見えるガイドの女性は、車中でベトナムの文化や、ムイネーの街のことなどをたくさん教えてくれた。夜から朝に変わろうとするまだ暗い空の下を風を切って走るジープ。ムイネーにある砂丘は夜明けに見るのが最も美しいというので、この時間にあわせて白い砂丘へと向かう。空が少しずつ明るくなっていく。もうすぐ朝の始まり。

中心地から30分は走っただろうか。突如、広大な白い砂丘が現れた。

「ここでは自由時間で40分後にここにまた集合ね。 」

とガイドの彼女に言われ、さて砂丘へ行こうかとジープが停まった駐車場から歩き出した瞬間、彼女が言った。

「ひとりだと写真撮ってくれる人がいないだろうから、わたしも一緒に行くよ。 」

彼女は駐車場で待っていていいはずなのに、ひとりで来ていたわたしを思って一緒について来てくれた。その気持ちだけでもう嬉しかった。空が段々明るくなる、ちょうど夜と朝の間をわたしたちは一緒に歩き始めた。夜の間に吹いた風で作られた風紋が美しい。風紋ができてからはまだ誰も歩いていない夜明けの時間。人もほとんどいない。

途中からサンダルを脱いで裸足で広大な砂丘を歩いてみた。足の裏からダイレクトに伝わる柔らかい砂の感触が気持ちいい。ここがベトナムであることを忘れるくらい、見渡す限りの砂丘。夜から朝に変わる瞬間を、砂を照らす光の色の移り変わりをしばらく眺めていた。

「こっちに来てみて。おもしろいから! 」
「このルートで行こう。登るの大変だけど、景色がいいよ。 」

そんなことを言って、時折ルートから少し外れた彼女のお気に入りを楽しそうに案内してくれた。聞いてみるとやはり同年代だったガイドの彼女。2人のお子さんを育てながら、ガイドの仕事をしているのだという。家族のこと、子どものこと、自分のこと。仕事のこと。ゆっくりまわるツアーの中で、彼女とたくさんの話をした。ガイドとお客さんという形じゃなくて、初めて会ったのに長年知っている友達と話しているような、そんな居心地のよさがあった。

行った先々で見た景色や経験は今でもよく思い出す。でも、いちばん行ってよかったと思えることは、間違いなく彼女と出会えたことだった。たった4時間のツアーの中で、形あるものもないものもたくさんのものを彼女から受け取った。その気持ちが本当に嬉しかった。

人との出会いと関わりがベトナムでの暮らしをより楽しいものにしてくれる。それをこのムイネーで過ごした時間で強く感じたのだった。

ベトナムには美しい砂丘もあります(White Sand Dunes)

ベトナムには美しい砂丘もあります(White Sand Dunes)

 


からへ、動いた先で見つけたもの

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ホーチミン市内の気になるお店やイベントを探して行ったり、時にはベトナム国内の旅へ出かけてみたり。その全てはベトナムで楽しく暮らしたいという思いから始まった、自分に向けたもののはずだった。ひとつでも多く、自分が楽しくて心地いい居場所を探すために、日々街を歩いたりしながら、お気に入りの場所が少しずつ増えていった。そして、特に好きな場所には何度となく通った。

初めてやることや初めて行く場所が楽しいかどうかなんて、行ってみないと分からない。だからやってみること自体には正解も不正解もない。だから、とにかく自分の興味あることを探し、見つけたら素直に動くことにしていた。それがどんなにアウェーな場所でも。小さな経験をひとつひとつ積み重ねるような、そんな日々だった。

そうして動いているうちに、その先でローカルの友達ができた。仲良くなって話をしたりごはんを食べに行ったりしているうちに、彼らはわたしに新しい世界を見せてくれた。これまで自分で見つけて来たものとはまた違う視界。ローカルの人たちしかいない人気店。夜だけ出てくる屋台。自分ひとりではまず知ることのなかった、分かりにくすぎる路地裏のお店。そしてごはんを食べながら話す、ガイドブックになんて載らないもっとパーソナルなこと。

掘れば掘るほどきっとおもしろいものがまだある。そんな期待を持てたのも友達のおかげだったし、自分ひとりじゃ辿り着けないゾーンがあることもわかった。自分の限界を、ローカルの友達がぐぐっと押し広げてくれた。

そして、歩けば歩くほど、そんな大切な友達が少しずつ増えていった。街の変化のスピードが早いホーチミンの街。それにあわせて人もどんどん変わっていく。会うたびに変化していくから、次に会う時が楽しみになる。

最初は場所を求めて行っていたのが、そこにいる「人」に会いにいくために出かけることも増えた。自分のための居心地のいい場所探しをしていたはずが、いつしか場から人に視点が移っていた。

 

キッチンには女性がいることが多いのです。よく働くベトナムの女性たち

キッチンには女性がいることが多いのです。よく働くベトナムの女性たち

 

 

変わっていくからその先を追いかけたくなる 

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ホーチミンの街を数週間離れただけで、また新しいお店ができている。まだ1年ちょっとしか暮らしていないというのに、わたしが来た頃に比べて街も大きく変わった。今日もまた街の至るところで工事が行われていて、街がまた少し変化していく。

街に溢れるこの活気と変化のスピード感は、いままで味わうことのなかった不思議な感覚だった。このスピードで街が変わっていったら、これからどうなっていくんだろう。

外から来たわたしは、ホーチミンに住み始めてからしばらくの間、外から街と人を眺めることしかできなかった。まずはベトナムに興味を持つところからがスタートだったわたしは、この街と仲良くなるのに、少しだけ時間がかかった。

ホーチミンの街には独特の街の空気の流れがある。でも不思議なことに、ある時から街の流れと空気にうまく入れるようになった感覚を持った。日々コツコツと街を歩いていた結果は、ある日突然実感としてあらわれた。それは別に道路横断をうまくできるようになったとか、そういうものだけじゃない。気づけば、外から見ていることしかできなかった視点はどんどん中に入っていき、自分ならではの楽しみかたができるようになっていた。

ベトナムを離れる日が来ても、きっとまた戻ってくる気がする。街と人の変化をこれからも自分の目で確かめてみたいし、何よりここには大切な友達がいる。ムイネーで会ったガイドの彼女をはじめ、また会いたい人がたくさんいる。そしてここには、気に入って食べ続けてきたおいしいベトナム料理もある。

もうすっかり心と胃袋を掴んで離さない、そんなこのホーチミンの街とベトナムでの暮らしが心から楽しいと思えるようになっていた。ベトナムにそれほど興味が持てなかった、1年ちょっと前のわたしからは考えられないようなところに来てしまった。

わたしにとってのベトナムはもう「行く場所」ではなく、「戻る場所」になっているんだと思う。会いたい人に会いに、いつでもまた戻ってこよう。世界にまたひとつ戻れる場所が増えた。自分が動き回れば、ここにはまだまだおもしろい出会いがあるに違いない。出会ってしまったらきっと、更なる深みにはまってしまうんだろう。

もわっとした蒸し暑さの中でいい風が吹いている。ノイズにしか聞こえなかった街の喧騒は、いつしかBGMになった。イヤホンなんていらない。気持ちいい風を切って今日も街を歩いて行く。

 

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【写真で知るベトナム】

民族衣装のアオザイ。女性をより美しくみせてくれる形がすてき

民族衣装のアオザイ。女性をより美しくみせてくれる形がすてき

 

男性も女性もとても仲が良いベトナムの学生たち

男性も女性もとても仲が良いベトナムの学生たち

 

歩いている時に出会った、ベトナムらしい壁面のヒトコマ

歩いている時に出会った、ベトナムらしい壁面のヒトコマ

 

ベトナムのシンボル蓮の花。花の前では写真を撮る人がたくさん

ベトナムのシンボル蓮の花。花の前では写真を撮る人がたくさん

 

(最終話まで読んでくださって、ありがとうございました!)

 

武谷朋子さんがキュレーターをつとめる講義 

自由大学「じぶんスタイル世界旅行
– 旅軸のある、ひと味違う世界旅のつくりかた –
詳細は https://freedom-univ.com/lecture/world_travel.html
自分の好きなことややりたいことを軸に、自由に世界を駆け巡る。それが世界を舞台に自分が主役で楽しむ「じぶんスタイルの旅」。ただの観光や放浪の旅ではなく、未来に繋がる自分にしかできない旅のつくりかたを一緒に学んでいきます。

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 連載バックナンバー 

第1話 ベトナムで暮らそうと言われても(2015.9.24)
第2話 ホーチミンのおもしろさは、きっとバイクの後部座席にある(2015.10.14)
第3話 思い込みが溶けていく、ベトナムコーヒーに隠された甘い時間の過ごしかた(2015.11.5)
第4話 手を伸ばすと深みにはまる、素顔のベトナム料理(2015.11.26)
第5話 どうしてベトナムのイスは低いのだろうか(2015.12.17)
第6話 気持ちだけじゃない、ベトナム式の贈りもの(2016.1.7)
第7話 迷いを楽しむ不思議なアパート(2016.1.28)
第8話 チョコレートの裏側を歩く冒険(2016.2.18)
第9話 東洋のパリと見えないお守り(2016.3.10)

 武谷朋子さんの旅エッセイもどうぞ 

TOOLS 29 海外へは乗継便で飛ぶ。ファイナルコールまでにもう1カ国味わう方法
TOOLS 31 バルセロナで学んだ充実した “食の時間” のつくり方
TOOLS 34 ドゥブロヴニクで学んだ ”心の振れ幅” をもっと自由にさせる意味
TOOLS 38 パリの美術館で学んだ、捨てる視点の養い方
TOOLS 41 イギリスで小さな手荷物と不安な夜を乗り越える
TOOLS 44 ワンテーマに潜る旅の方法 – 海外建築めぐり篇 –

 


武谷朋子

武谷朋子

(たけたにともこ)自由大学「じぶんスタイル世界旅行」キュレーター/トラベラー。『自分にしかできない旅をする』をキーワードに、大学時代から主にヨーロッパへカメラ片手に旅を続け、これまでにバルト3国からユーラシア大陸最西端まで20ヶ国50都市以上を訪れる。社会人になってからも働きながら年1回のペースで自分らしい一点物の旅を創り、旅を続けている。渡航歴は10年以上。ここ数年は旅の経験を生かして"テーマを持ったひとり旅"のおもしろさを伝える活動を行っている。旅先で見て感じた空気を写真に残すことを続けており、撮った旅の写真は1万枚以上に及ぶ。現在では旅以外に、企業・雑誌広告などでの撮影も行っている。2014年冬より生活拠点をベトナムに移し、旅とはまた違った視点で世界と繋がる日々。活動の詳細は自身のWEBサイト 「TRANSIT LOUNGE」にて