【第092話】歴史的ピンチでの選択

さてどうするか

「よし、助けに行きましょうかね」

子孫たちの
恥にならぬように
行動しよう

——–

タイタニックが沈んだ時、たったひとり日本人男性が乗っていました。彼は、細野さんといって、救命ボートに乗ることができて生き延びたのです。しかし、国に帰ってきてから、日本人の恥だと役職などをクビになったり、叩かれました。おんな子どもを優先しなければならない救命ボートに、人を押しのけて乗り込んだという疑いをかけられたのです。細野さん家族は、その子どもの代、孫の代まで100年経ってもまわりから言われ、汚名を背負ったそうです。音楽家の細野晴臣さんが孫にあたるようで、インタビューがありました。

近年、当時の手記がみつかりました。そこで、細野さんが押しのけて救命ボートに乗ったわけではないことが明らかになりました。「日本人の恥にならぬよう、船と一緒に沈もう」と覚悟をしていたことが書かれていました。たまたま目の前のボートの席が空いていて、「あと2名乗れる、乗れ」と言われたので乗ったようです。ようやく汚名は返上されたわけですが、100年たっても言われるというのは、大変なものです。

3.11のときも、同じような気持ちになりました。ボランティアに駆けつけた人たちと話した時も、そんな話題になりました。これだけの歴史的大惨事が起きた。いつかきっと子どもや孫たちから「あのとき何してたの?」と問われるだろう。その時に「いつもどおり仕事してました」では「ありえない」と言われるだろうと。「なんで助けに行かなかったの。自分はケガしてなかったんでしょう」そう問われたら、きっと後悔するだろう。そう考えて、いてもたってもいられず来た。という人がいました。「私の動機は不純なんです。困っている人のために、じゃないんです。自分が後悔しないように、子どもや孫に胸を張れるように。結局、自分のためなんです」

自分は偽善者ですと告白していました。偽善でもなんでもそれで困ってる人が助かれば、素晴らしいと思います。偽善と善の違いはどこにあるのでしょうか。偽善もそれを貫き通せば、善と変わりません。困っている人のために、という動機以外に、自分のために、で十分すばらしい。自分の幸せのために行動することが、結果まわりを助けることにつながっているわけです。

困っている人たちのためにと善人ぶるのでもない。助けてやったんだぞと押しつけがましくするのではなく、自分のためにやっているんだということを自覚している人の方が、よほどさわやかです。自分のためという意識があるので、謙虚になります。いずれにしても、歴史的ピンチに遭遇した時に、日本人の恥にならぬよう、子孫たちの恥にならぬようという視点を持てる人がいる。それもこんなにもたくさんいることに、いまの日本の若者もかっこいいぞと頼もしかったです。

(約1179字)

Photo: Self Portrait at Dawn


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。