【第026話】頭を下げない主義

どこを見ているか

あなたはどこを見ていますか?

 

 

決断の美学
なにが美しく、なにがダサいのか

 

「おれは絶対に頭下げない主義だから」
駅のホームで、ビジネスマン2人が話してました。

それを小耳にはさみながら、思いました。そういえば、ぼくはわりと頭を下げる。

もし彼らにそんな話をしたら、お前はプライドがないね、サムライじゃないねとかきっと言われるんですが、どこを見ているかで行動は変わってくる。世の中を良くしたいとか、そういう理想のために動いていて、どうしてもそのキーマンの協力が必要。そんな時に、あいつは挨拶がなかったから生意気だとかそんな小さなことで気分を害されて話が進まなかったら、もったいない。まあ、ほんとうのキーマンにそんな小さい人物いないんですけど、その前の関門、取り巻きの人にブロックされてしまうといけません。自分のスタイルもあるけど、柔軟に相手にぜんぜん合わせられます、ぼくの場合。

こっちの主張もあるけど、小さなところはぜんぜん曲げる。歩みよる。そのほうが、大きな理想に近づくのであれば。自分ごときの個人的なプライドとか、意地とか、メンツとか、どうでもいいです。いらない。

決断をする立場にある人は、なにが美しく、なにがダサいかという自分なりの美学をもっている必要があります。このビジネスマンも、それが彼の美学なのだからいい。でも、理想への道の途中で、どうでもいい細部で足元救われて終わってしまっていいのか。志半ばで倒れ、結果あなたを信じてついてきた民が救われず、世の中も良くならないのであれば、それは美しいとは思えない。「そこでケンカしてもしょうがないでしょう」というところでやっちゃう人がいます。頭に血が上って何が大事か、わからなくなってしまうんでしょう。

見苦しく生きるくらいなら、いっそ美しく死にたいという考えも同意します。ぼくもどちらかといえば、美しい死を選びたい。でもそれは状況による。自分ひとりの問題だったらいいんです。でも、自分以外のみんなの夢もいっしょに背負っている立場だったら、死んではいけない。まだやらなければならない役目がある時に、死んだらいけないのです。どんなに見苦しくても生きて理想を達成しないとならない。達成できずとも、その道筋をつくり、後進を育てないと死ねないのです。

もしあなたがシングルファザーで、幼い子どもがいたとする。あなたが死んだら、その子、だれが育てるんですか。そんな状況で、おれは美しく死ぬとか言えませんね。もし必要なら、泥水すすっても、土下座しても生き抜きます。見た目はボロボロでも、そんな父ちゃんが美しいと思います。

とかね。状況によって、その人がどこを目指しているかでどの行動が美しいかは変わってくる。理想のため、もっと大きな目的のためにやってるのに、小さなところでつまづいていたら、時間がもったいない。

で、冒頭のビジネスマン。「俺らサムライは、頭下げるくらいなら切腹だよ」みたいなことをひとしきり語った後に、自動販売機で缶コーヒーを買ったんです。ゴトンッと落ちてきた缶コーヒーを拾い上げて、「あっ、、、、」。ハッとした表情で2人、顔を見合わせて、固まりました。頭下げちゃったんですね。不本意ながら、自動販売機に向かって。

そんなこと言ってたら、彼らは腕立て伏せもできないですね。あんなのほとんど土下座ですからね。臨機応変、やわらかく生きましょう。そのほうが楽ですよという話でした。また明日!

 

(約1412字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。