【第263話】助けてが言えれば誰もあなたを一人にしない / 深井次郎エッセイ

深井次郎フリーランスや起業など、独立して生きていく上で、一番大切な能力。それは「助けて」が言えることかもしれません。誰の人生にも、その長い道のりにおいて、大きな谷が何度か訪れます。ずっと平穏に暮らしたいけど、世は諸行無常。始まりがあればいつかは終わりが来る

もっと迷惑をかけてもいい
それに気づけば仲間ができる

 

 

フリーランスや起業など、独立して生きていく上で、一番大切な能力。それは「助けて」が言えることかもしれません。独立しようなんて企む人は、当然ながら自立心が強い。

「大丈夫、自分でなんとかします」

何が起きても自己責任で、一人きり抱え込んでしまうケースも多く見られます。

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<目次>

なぜ「助けて」が言えないのか、その心理とは?
思い込み1.  助けを求められたら、まわりは迷惑だろう

思い込み2.  自分にとって大変なことは、他人も同じく大変だ
思い込み3.  頼るのは弱い人のやること。かっこ悪い

どうしたら頼れるようになれるのか
「自分にもできることがある」与えることが人間の根源的な喜びだと知る

自分もまわりも幸せであるためにはいつも「真ん中の道」を歩くことを意識する
天国まで持っていけるのは思い出だけ。思い出は「心の交流」で積み重なる
人徳のある人々は、損得を超えたところで動く
中身が丸見えな時代にシフト。誠実さに人が集まる
助けてが言えれば、誰もあなたを一人にしない

 

誰の人生にも、その長い道のりにおいて、大きな谷が何度か訪れます。そのたびに、あなたはまわりに「助けて」と頼ることができるでしょうか。

大切な人を失ったり、事故や病気、解雇や倒産、離婚など、普段の生活がままならないほどに、感情が波打ち、落ち込み、暗く長い不安のトンネルで途方に暮れてしまうことがあります。

できれば、この先ずっと平穏に暮らしたいけど、世は諸行無常。万物は流転するし、始まりがあればいつかは終わりが来るし、それはわかっていてもやはり突然の変化はつらいものです。

もっと早く気軽に「助けて」が言えていれば、こんなに重症にならなくても良かったのに…。人生でも仕事でも、自分の弱さを認めて、人に頼ることができれば多くの場合、スムーズに進みます。

この前も、これは小さなことですが、「頼ればよかったなぁ」という出来事がありました。だいぶ治りましたが、4ヶ月前、趣味でやってるバスケで「膝の靭帯断裂」という怪我をしました。バスケ仲間が口々に

「深井さん、これ重症だから、車で送ってくよ」

病院まで一緒に行こう、と助け舟を出してくれたのですが、

「大丈夫。かなり痛いけど、片足あれば歩けるから問題なし!」

冷や汗かきながら自力でケンケン、病院まで行きました。人生初のMRIを撮って、患部のレントゲンを見ながら、ドクターに呆れられました。

「なんで靭帯切れてるのに自力で来たの! 動くと内出血がひどくなるんだから」

チームメイトの好意を断ってしまったぼくの心理としては「みんな仕事で忙しいだろうし、時間とらせたら悪いな」という遠慮でした。いま思えば、救急車は大げさだから必要ないにしても、タクシーくらい乗ればよかった。ですが、ピンチの時って思考停止するんですね。火事場の馬鹿力のようにハイになる。「大丈夫、自分ならきっとこの痛みを超えられる」なんてよくわからないテンションになります。

怪我の痛みは、他人にはわかりません。本人に「大丈夫」と言われたら、まわりは「そうか、だったら大丈夫なのかな」とそれ以上は何もしてあげられません。

怪我は、初期対応が一番大事。ドクターによると「あなたが無理したせいで、完治が1ヶ月遅くなったからね」ということです。

まあ、助けを求めるのが下手なのです。仕事の進め方でもプライベートでも、このようなことが大小含めてよくあります。頼ることは、ぼくが苦手としている項目であり、いま最も身につけなければならない能力だなと思っています。

ぼくと同じように「助けて」が言えないあなたへ。

今回は、なぜ頼ることが難しいのか、そして、どうしたら頼れるようになれるのか、を一緒に考えてみたいと思います。

 

 

なぜ「助けて」が言えないのか、その心理とは?

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もっと気軽に、頼り合って生きたい。なのにいろんな遠慮や思い込みがあって、声をかけることができません。大きなところで言うと、この3つでしょうか。

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思い込み1.  助けを求められたら、まわりは迷惑だろう

 

「人様に迷惑をかけてはいけません」
「誰にも頼らず、自立できるのが一人前の大人」

そんな価値観で育ってきた人たちが、いま都会暮らしの中でますます孤立しているように感じます。

「自分のことは、自分でできるようにしています」

意外にこういう「自立した良い子」が職場では、チームプレイの流れを止めていたりします。一人で抱えてしまって、進みが遅くなる。

逆の立場で考えてみたら、わかります。

「実は、いま困っていて…。この分野だとあなたしか頼れる人がいないのです。力を貸してくれませんか?」

こんなSOSを出されたら、こちらは迷惑どころか嬉しくないですか。頼られることで、自分の存在意義を感じます。自分にも役に立てる力がある。これはとても幸せなことです。

ぼくらオーディナリーは小さなメディアですが、それでも国内外のクリエイターの方々から、「記事を書かせてもらえませんか」「書ける場所を探しています」という連絡をいただきます。

著者からの「新刊が出たので、献本をしたい」という依頼も、つまりは「私の新刊を宣伝してください」というお願いなのです。それでも、「頼られるくらい、こちらの価値を認めてもらえた」ということで、嬉しかったりします。

迷惑では全然ないんです。むしろ、頼られると

「自分にもできることがあるんだ。必要とされているんだ」

活動している意義を感じます。

 

 

思い込み2.  自分にとって大変なことは、他人も同じく大変だ

 

「自分がやられて嫌なことは、他人にもしてはいけません」

これもよく親や先生から言われることですが、ぼくの場合これがネックになっていました。自分も他人も、同じ人間だから、性質も同じだろうと、つい思ってしまいますよね。

「私にとって苦手なことは、彼も苦手だろう」
「自分が面倒なことは、相手も面倒だろう」

しかし、車の運転が苦痛な人もいれば、逆に「全然楽しいので、むしろ運転させてください」という人もいる。

自分が嫌なことだから、他人もきっとそうだろう、と決め込んではいけません。こんな面倒なこと頼んだら迷惑だよな。自分が我慢してやろう。という思考回路になり、いつか全てを抱え込んで心身ともにパンクしてしまうのです。得意不得意は人それぞれ、自分にとっては苦痛でしかない作業も、「お安い御用です。むしろ楽しいのでやらせてください」という人も多いです。

SNSで周囲100人くらいに呼びかけることで、誰かしらは「それ好きです、むしろやらせて」という人がいるものです。ダメもとでも試してみましょう。
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思い込み3.  頼るのは弱い人のやること。かっこ悪い

 

困ってる、と宣言するのは、自分の非力さを認めること。そう考えてしまうと、プライドが高い人ほど頼れないものです。

「このくらい、他の人は一人でできているのに… 」

できない自分が情けなくなり、ギブアップを宣言したくない。何より、まわりに「彼は仕事のできない人だ」と思われそうで心配。自分の評価が落ちるのではないかと、恐れているのですね。

そもそもですが、人に頼ることはカッコ悪いことなのでしょうか。人に頼るのは、「できない人」がやることなのでしょうか。「仕事のできる人」というのは、長期間安定して確実に結果を出し続ける人のことです。危ないかもと思ったら、頭を下げてもすぐに手を借りる。登山家だったら、己の力を過信せず何があっても生きて帰るのが優秀な登山家です。

30代になり、大人と言われる年齢になってくるとなおさら、後輩たちも見てるし

「弱いところを見せたくない」
「できない人と思われたくない」

と気負ってしまうようになります。でも「できる人」の定義を変える必要があります。まわりの力を活かすことができる。そして必ず生きて帰ること。これが「できる人」であると。

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こんな3つの思い込みがあると、なかなか「助けて」と頼ることができません。
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どうしたら頼れるようになれるのか

 

「自分にもできることがある」
与えることが人間の根源的な喜びだと知る

 

誰かに頼れない人に知って欲しいのは、托鉢(たくはつ)という概念です。托鉢はブッダが修行のために考え出した仕組みです。

修行僧たちが、村の家々をまわり、食べ物を少しずつ分けてもらう、というシステム。この目的は、自分たちの食べ物を恵んでもらうことではありません。村の人々に「与える喜び」に気づいてもらうこと。与えることで豊かな心になり、心が豊かになればそれが反映されて暮らしも豊かになっていく。そういう好循環を起こそうというわけです。村人を豊かにするためのお手伝いですね。

ですから、修行僧は食べ物をもらっても「ありがとうございます。助かります!」などとお礼はしません。ただ無言で祈るだけ。逆に村人のほうが「与えさせてもらって、ありがとうございます」とお礼するのです。

ブッダがこの托鉢システムを思いつき、弟子たちに話した時、弟子たちは当然

「それは、お金持ちの家をまわるのですよね」

という反応でした。

しかしブッダは、答えます。

「いや、普通の家庭、貧しい家庭を中心にまわるようにしなさい」

貧しい人ほど「自分たちは弱く、何も力がない。できることがない」という無力感に打ちひしがれて日々生きている。だからこそ、「あなたには力がある」と気づいてもらう必要がある。人間にとっては「自分には与えられることがある」と思えることが喜びなのだ。というわけなのです。

実際に、僧たちが托鉢にまわり始めた当初は、貧しい村人たちも

「自分たちが食べるので精一杯なのに、人様にあげられる余裕はありませんよ」

という反応でした。

ですが、ブッダは引き下がらず、穏やかに説きます。

「余裕がないからこそ、少しでいいから与えるのです」

たくさんじゃなくていい。味もどうでもいい。豆粒ひとつだったら与えられるのでは。それでいいから、今のあなたが与えられる分をください。

そういうことで始まりましたが、村人たちは、与え続けるうちに次第に豊かな気持ちになってきた。与える効果に気づいてきて、次第にすすんで多くを与えるようになりました。与える時に心から「ありがとう」が口をつくようになりました。

「自分にもできることがある。人様に何かをしてあげられるほどに豊かなのだ」

そう自尊心を持つことから、生きがいを自覚しはじめます。

イタリアでは、街を歩いていると「タバコくれないか? 」と頻繁に声をかけられるそうです。そして、声をかけられた方も、持っていれば1本あげる。タバコも安くないのですが、気軽にお願いし、気軽に応じる、そういう文化がある。タバコを吸いたい時に、持ってなかったら我慢するのではなく、まわりに頼んでみる。

声をかけられて「なんで見知らぬアンタにあげなきゃいけないの?」と不機嫌になったあなたは、「私の人生に他人は介入しないでほしい」と思う傾向がありそうです。

タバコをもらうのだって、初めての土地で道を尋ねるくらいの気軽さでいいのです。道だって知らなかったら「すみません、ちょっとわからないんです」と答えるし、知っていればお安い御用だし、道を教えてあげた後は少し気分がいいですよね。別にこのくらい、迷惑と思いません。
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参考動画:深井のクラスで学生たちが企画した社会実験「ZEN ACTION」。クリスマスに横浜のイルミネーションの前で「無料で写真撮ってあげます」活動をしてみた。自分たちには何のメリットもないことなのに、心が満たされたのはむしろこちらの方だった。というのは面白い発見。/ 法政大学 dクラス(2012年)

 

 

自分もまわりも幸せであるためには
いつも「真ん中の道」を歩くことを意識する

 

「100%の依存」でも、「100%の自立」でもない。その真ん中にある「相互依存」が一番人生をたのしめるし、関わる全員を幸せにします。依存も自立も、どちらか極端は良くない。「中道」を行くことが、ブッダが長年の修行のすえ悟った結論です。

恋愛でも夫婦関係でも、会社と社員の関係でも、すべての関係は同じです。

100%依存でおんぶに抱っこでは、

「これ以上は重くて背負えないよ」

と相手は潰れてしまう。

100%自立しすぎて何も相談もシェアもなければ、

「キミには、ぼくがいなくても大丈夫だね」

とフラれてしまう。

「キミは何を考えているのかわからない」
「ぼくがいる意味ある?」

と言われたことがある人は、きっと自立に偏っています。

頼れないあなたは、自立型なので、バランスの良い「相互依存型」になれるように、仲間に頼る練習をしてみましょう。「頑張れば自分でできそうなことでも、あえて人に頼ってみる」というトレーニングをするのです。

フリーランスで独立して長くやってきた人は、ひとりで何でも抱えるのに慣れてしまってます。だからこそ、一人でできる仕事量でも、あえて誰か呼んでチームをつくって、仕事も報酬も分け合ってみるといい。きっと最初の頃は一時的に、コミュニケーションをとる手間も増えるし、分け合うので報酬も減るでしょう。

それでも、「自分の成功」が「自分たちの成功」になり、同じ温度で喜んでくれる人がいるというのは、生きがいに通じます。慣れてコミュニケーションが円滑になってきたら、チームの方ができることが格段に増える。報酬面でもやりがいという意味でも豊かになっていきます。

自分の成功を、自分のことのように喜んでくれる人。時には自分以上に喜んでくれる。こんな存在って、ほとんどの人は自分の家族くらいしかいないのではないか、と思います。

それが、仕事も報酬も夢も苦労も分け合うことで、家族のような存在、運命共同体ができます。運命共同体にとって、あなたの成功が自分の成功です。あなたがいなくなったら困るし、あなたがいてくれて嬉しい、という。

ぼくは何かうまく行った時に、「おめでとう、よかったね」と他人事としてお祝いされるより、一緒に「やったね、超うれしい!」と喜び合いたい。まわりが自分以上に喜んで飛び跳ねている姿を見て、人は幸せを感じるものなのではないでしょうか。

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天国まで持っていけるのは思い出だけ
思い出は「心の交流」で積み重なる

 

世の中には、手持ちのお金を運用するだけで一生食べられるお金持ちもいます。衣食住にはまったく不自由しなくなっても、それでも「何か満たされない」と言う人もいる。何が足りないかというと、「心の交流」です。

自分以外の誰かの人生に介入して、そして介入される。そこから生まれる「心の栄養」がないと、人間の魂は喜ばないようにプログラムされているのだろうと思います。

いつかあなたが年老いて、そろそろこの世を去ることになりそうだという最期の時期に、何を楽しみとして日々を過ごすのか。それはおそらく思い出話なのではないでしょうか。

あんなこともあったね、覚えてる? あの時は本当に困ったよね、泣いたよね、笑ったよね、ということを話せる相手がいる。長く連れ添った仲間がいるから、その楽しみがあるのです。「なかなか楽しい人生だった。じゃあ、そろそろぼくは先に行くね」ということで天国に行く。

最期の時にあなたが思いを馳せるのは、きっと「社会から何を得たか」ということではなく、「自分が人々に何を与えられたか」です。

「ああ、ずいぶん稼いだなぁ、理想通りの豪華な自宅も建てられたし良かったなぁ」ということではなく、仲間に喜んでもらった顔、こんな自分でも少しは何か役に立てたかなと思える。そんなことなのです。

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人徳のある人々は、損得を超えたところで動く

 

多くの人は誰かの力になりたくて、ウズウズしているのです。だから、困っていることがあったら、言って欲しい。

サラリーマン時代、営業職をやっていて、托鉢のような出来事がありました。新人(ヤギサキくん)の商談に同行した時に、こちらがどんなにメリットを並べても首を縦に振らない社長がいました。

(これは契約してもらえない流れだな。諦めよう、さあ次だ)

資料をたたみ、ぼくが席を立とうとしたその時。ヤギサキが暴走し、わけのわからないことを言ったんですね。

「社長、お願いです。ぼくに新人賞とらせてください!」

新人賞? そんな事情、相手にとってはなんのメリットもないじゃないですか。完全にこちらの都合。

「失礼しました、社長! ヤギサキは新人なもので…。ちょっと落ち着け。社長に新人賞は関係ないから」

ぼくはその非常識さに慌てて、フォローしたのですが、驚くことに社長が興味を示したのです。

「なに、どういう状況なの、 教えてくれる?」

毎年、新人営業マン100人の中で年間の成績トップに賞が贈られるのですが、ヤギサキはトップ争いで現在3位につけていたのです。ラストスパートという状況。今日この契約を決めれば、1位が見えます。

「宮崎から上京してきて両親も期待してます。ぼくは、どうしても賞が欲しいんです。契約してください!」

そんなヤギサキの話に、社長はうんうんとうなづいて、

「わかりました、130万だね。キミを男にしてあげよう。今日契約します」

スッと立ち上がり、奥から印鑑を持ってきてくれました。

「いいね、絶対とるんだよ、新人賞」

きょとんとしました。あれだけ動かなかった社長の心になにが起きたのか、当時のぼくには理解ができなかった。理屈では考えられない。「どうしてあなたの成績に、赤の他人の私が貢献しなきゃならないわけ?」自分だったら、そう思うのに。

社長はまさに托鉢のような気持ちだったのか、それとも昔の自分に重なったのか。あれこれメリットを並べられて「これだけ御社が得しますよ」と力説しても全く動かなかった。それなのに、ヤギサキの開き直りとも言えますが、「困っているので助けてください」とストレートに頼んだ方が、社長の心が動いたのは確かでした。

お金に困ってない社長は、多少お得な買い物をすることにあまりモチベーションを感じなかったのでしょう。自分が得することよりも、困っている人を助ける時の方が、喜びを感じたわけです。

考えてみればそうかもしれません。プロポーズされるとしても

「ぼくと結婚すると、あなたにとってこんなにメリットがあってね、他にもね、こんないいことが」

と回りくどくプレゼンされたらどうでしょうね。

「あなたがいてくれると、ぼくは嬉しいんです!」

こんな風に素直に言われた方が響きませんか。

アイドルでも「観てる人に希望を与えたい」と決まり文句のように言います。でもいまは、素直に「私の目標を応援してもらえると助かります。私を一番にしてください」とお願いするアイドルが、総選挙で票を集めている。この現象は面白い。

思ってるほど人は、メリットやリターンを求めているわけではありません。

講演イベントのゲストスピーカーを依頼する時も、それを感じます。はっきり言って、彼らには何の得もない。そんな条件でも、

「自分でよければ喜んで。若者のためになれるのなら、何でもしますよ」

ノーギャラにもかかわらず、多忙にもかかわらず、ゲストに来てくれる人も多いです。終わると

「楽しかった。こちらの方こそ勉強になりました。ありがとうございます」

とお礼まで言ってくださる。

人徳のある方たちは、もらうことよりも、与えることに喜びを感じて行動しているのです。

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中身が丸見えな時代にシフト
誠実さに人が集まる

 

このエッセイで言いたかったことは、「みんな、もっと迷惑をかけてもいいよ」ということです。迷惑をかけあって生きよう。そして、自分も声をかけてもらいやすいように、外に開いていきましょう。

ビジネスの世界では10年くらい前まで、忙しぶって価値を上げる「忙しい自慢」が長らく流行していました。「すみません、半年先のスケジュールまで埋まってまして」なんて、なかなかアポが取れない。順番待ちの行列を演出することで、

「あの人は忙しいらしい。きっと腕がいいからだね」
「じゃあ、一度お願いしたいね」

そういう状態にした方が、高額を払ってくれる人だけが集まってきて、効率がいいと言われていました。行列で期待を煽る商法ですね。

しかし、いまの時代は、ネットで丸見えです。いくら取り繕っても、どのくらいの実力があるかは、その人の仕事や作品をみれば一発でわかります。行列に並ばなくても試食できる。外から、中身が丸見えなのです。忙しぶっても、金持ちぶっても、実態がそうでないことくらい、見る人が見ればわかる。

「カッコつけてるのってカッコ悪いよね」

と離れていきます。

中身が丸見えな時代にシフトした現代は、正直である、誠実であるというのが、働き方でも必須の要素になりました。

忙しい自慢、行列商法も、この頃はずいぶん減ってきましたね。ぼくのまわりでは、

「いやー、ぜんぜん暇ですよ、いつでも大丈夫ですよ」

と言うケースが増えてきたように思います。

いつも忙しそうな人には、声かけづらいですよね。助けて欲しいことがあったり、ちょっと食事に誘おうと思っても、遠慮してしまう。絶対楽しいけど予算がない仕事、みたいな用件では、声かけられないなぁーとなる。せわしない人と一緒にいても楽しめないし。そういうことで、忙しい人にだんだん声がかからなくなっていくのです。

まずは、道を聞かれやすい人になること。ひらいた雰囲気でいると、頼まれごとも増えてきます。声をかけやすい人、「人が集まる人」になれば、その頼まれごとに応えていく中から、仕事は自然と生まれていきます。

 

助けてが言えれば、誰もあなたを一人にしない

 

もしあなたが困っていたら、隠さずヘルプを出すこと。知人の経営者でも、自ら命を絶ってしまった方がいます。いつも景気良さそうに順調そうに見えていた、その裏で彼は生活に行き詰っていたようです。

「そんなに困っていたなら、もっと早く言ってくれればよかったのに」

まわりの残された人たちは、口々に、自分が何もしてあげられなかった無念を嘆いていました。カラ元気だと、気づいてあげられなかった。でも、こればかりは本人が言わないとわからない。こういう経験から思うのは、強がるのは誰のためにもなっていないということです。自立しすぎも、まわりを悲しい気持ちにさせるのです。

強がらなくていい。弱音を吐いていいし、ダサい部分も見せて欲しい。うまくいってるように見せる見栄を捨てると、生きるのがだいぶ楽になります。

ぼくも20代後半の人生の転機で、一人ではどうにもならくなって、古くからの友人に助けを求めたことがあります。

「ごめん、想像を超える事態が起きた。うまく説明できるかわからないけど、とにかく聞いてほしい」

「どうした、何があった?」

気の利いたアドバイスなんてなくても、無言でただそばにいてくれるだけで助かりました。

「うーん、それは困ったことになったな… 」

一緒に悔しがって、悲しんでくれるだけでも、それが具体的に何の解決策になってなくても、落ち着きを取り戻すことができました。何より、パニックを抑え、気持ちを立て直すことが一番大事でした。

誰かに話すことで、背負いきれない重荷を半分持ってもらえました。楽になった。絶望の遠く彼方に、光を見つけることができました。

「ただそばにいる」その大きな力をこの時初めて実感しました。そばにいることなら、特別な技能がなくても、どんな人でもしてあげられます。

人はもっと、誰かの役に立ちたいと思っています。だから、「助けて」さえ言えれば、誰もあなたを一人にしない。誰も一人じゃないのです。

深井次郎

「感想や疑問、何でもお寄せくださいね」

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好きなことで食べていくためにヒントになりそうな他の深井次郎エッセイもありますので、一緒にどうぞ。

 

【第262話】お金への抵抗。なぜ好きなことでお金をもらうのは気がひけるのか
【第261話】失うものを背負った大人の起業法「3つの経験値
【第260話】やりたいことが1つに絞れないあなたへ
【第259話】「君には飽きた」と言われた僕は、波の数だけ抱きしめた
【第254話】飛んでから根を張る
【第251話】持つ者、持たざる者
【第247話】異なる楽器で同じ曲を奏でる
【第233話】未知なる感覚を求めて – 日本一のバンジーを飛んでみた話
【第214話】激変の時代にも残る仕事のキーワードは「あなたにもできる」
【第213話】世界を変えた新人たちはどこが違ったのか? 
【第202話】自分がやらなきゃ誰がやる。使命感をどのように持つのか

 

ピッタリだ!

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「好きを活かした自分らしい働き方」
「クリエイティブと身の丈に合った起業」
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…などのテーマが、深井次郎が得意とする分野です。全員に返信はできないかもしれませんが、エッセイを通してメッセージを贈ることができます。こちらのフォームからお待ちしています。(オーディナリー編集部)

(約8500字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。