TOOLS 97 廃業寸前、見栄もプライドも捨て去って見えた景色。それは「生かされている」という感謝だった – 起業すれば自由になれるのか? / 若杉アキラ

若杉アキラ「来月までやってダメなら、会社を清算する」覚悟は決まった。思えば最初からそのつもりだった。会社の運転資金が尽きたらゲームオーバー。作った会社を清算して就職しようと思っていた。悔しいけど、就職することで家族の生活を守ることができる
廃業寸前、見栄もプライドも捨て去って見えた景色。それは「生かされている」という感謝だった
– 起業すれば自由になれるのか? – 

若杉アキラ ( iPhone写真家/不動産会社経営 )

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自由に生きるために
イマできる最善のことに集中しよう


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起業して6年間、生き残ったのではなく。

生かされてきた。
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起業すれば自由になれるのか? 前回までのあらすじ
6年前、残業地獄から逃げたい一心で会社を辞め、起業した。ぼくの考えは甘かった。起業して半年後には資金が底をつき廃業ギリギリまで追い込まれてしまったのだ。今でこそ会社もなんとか軌道に乗せることができ、最愛の妻と幼い娘ふたりと穏やかな日々を過ごせている。必要以上を望まなければ週3日働けば十分まわっていく暮らしの基盤もつくることができた。そんなぼくの小さな起業物語が、自分で何かをやり始めようとしている人にとって少しでも役に立つかもしれない。そう思い、起業してから今日までのありのままを書いていきます。



起業して3ヶ月で廃業の危機

 

あと2ヶ月で資金が底を尽きる。起業したものの売上は思うように上がらないまま。

来月には子供も生まれる。

毎日が苦しい。先のことなど考える余裕はなかった。

2011年8月。灼熱のアスファルトの上を駆けまわるように新規開拓へ奔走する日々が続いていた。このまま売上を上げられなければ11月には自分で作った会社を潰すことになる。タイムリミットは迫っていた。

起業して約3ヶ月。思うようにはいかなかった。

当時勤めていた会社の残業地獄から抜け出したい一心で、ぼくは逃げだすように起業した。会社を辞めることが決まってから現実を突きつけられ、あれこれと模索してきたが考えが甘かった。

売上が無くても会社の運転資金は毎月確実に減っていく。

ATMへ記帳に行くのが憂鬱だった。「ジィージィー、ジィージィー」と通帳に刻まれる数字は確実にゼロに近づいていた。

当時のことは今思い返しても胃がキリキリと痛みだす。
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生き抜く覚悟

 

2011年9月。元気な女の子が生まれた。

妻に陣痛がきてから分娩室で我が子を抱き上げるまで付きっきりで出産に立ち会った。つい数時間前に出産を終え、ベッドに横たわり微笑んでいる妻には尊敬と感謝しかない。そのとなりで生まれたばかりの我が子を抱きながら思った。

(絶対に負けるわけにはいかない)

気がつけば心は感動と入り混じるように実生活へと向けられていた。

子供が生まれると分かっていながら、ぼくは会社を辞めて起業した。そこには壮大なビジョンも社会に誇れるような志もない。ただ会社勤めに対する不満から逃げ出すように起業した。

昔から「いつかは起業したい」「好きなことをして生きていきたい」という夢はあったが、その「いつか」はいつかのまま。計画的に起業準備を進めてきたわけではない。

自分の考えが甘かった。だからここは腹をくくらなくてはいけない。本当に大切なものを守るために、それ以外は捨てていく。

(来月までやってダメなら、会社を清算する)

覚悟は決まった。

思えば最初からそのつもりだった。会社の運転資金が尽きたらゲームオーバー。作った会社を清算して就職しようと思っていた。

だからすべて想定内のこと…

…想定内のことだけど悔しい。

悔しいけど… 就職することで家族の生活を守ることができるのなら…

起業家としての前にぼくは夫であり父親なのだ。何があっても家族を守り生き抜いていく。

子供が生まれ父親となり、何かが吹っ切れたことは確かだった。

それから2ヶ月間。やらないで後悔しそうなことは全部やると決めて行動に移した。それでダメなら潔く会社を清算して就職する。

(就職して作戦を練り直して、またチャレンジすればいい)

子供が生まれ家族と生き抜いていくために、会社を清算する覚悟を決めたことで、まだ自分のどこかに残っていた見栄や余計なプライドは消えていった。

(周りから笑われたっていい)

(馬鹿にされてもいい)

とにかく稼ぎたい。

それで家族の生活と自分の夢を守ることができるのなら…
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生き抜く努力

 

2017年3月。そんなセピア色の創業期から6年という月日が流れていた。今日も会社を続けていられることをときどき夢のように思う。

残業地獄から抜け出したくて始まった起業家人生。自分の考えの甘さから起業して半年後には廃業ギリギリまで追い込まれた。

しかし幸運にも今日まで生かされてきた。

自分でやれることは全部やってきたつもりだけれど、それが社会に受け入れられ欲しい結果に結びつくかどうかは、自分の力だけではどうしようもない。

だから自分の置かれている状況を冷静に見極め、イマ出来る最善のことに集中していくしかない。

そう、いろいろと考えた結果。

会社を作る時に借り入れはしなかった。運転資金の借入をすれば資金に余裕ができ選択肢は広がったかもしれない。しかし、もしも起業が上手くいかなかった時に多額の借金を抱えて生きていくことになる。初めての起業で全てにおいて手探りでやっているような状態。何に使っていいのかも分からないお金を借りることはしたくなかった。

そしてなによりも最初の起業が上手くいかなかった場合でも、大きな痛手がなければ何度でもやり直せると思った。

だから運転資金は学生の頃から貯めてきた貯金だけ。限られた資金で会社を続けていくためには、お金のかからない体質を作る必要があった。そこで固定費の多くを占める事務所はできる限り安価にすませ社員も雇わないことにした。

お客さんを呼べるような立派な事務所は持てなかったので必然的に「待ちの営業」ではなく「出向く営業」をすることになった。そして社員を雇う代わりに外注先をいくつか組み合わせることで社員の役割をアウトソーシングすることにした。

なんとか限られた資金で生き長らえるために考え工夫して、お客さんにとって価値がないと思われる支出は徹底的に削った。

社員の代わりに外注を頼んだとはいえ、会社の顔となる営業は自分でやると決めていた。ただ、一人で営業回りできる数は限られる。だから地域もお客さんも絞るしかなかった。見込みがありそうな営業先を集中的に回り、出会う一人一人と向き合って話し、仕事の依頼があれば期待されている以上の仕事を届けていくように努力してきた。

この地域とお客さんを絞ったことが功を奏して、狭い特定の地域の中で少しずつクチコミが広まっていった。
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人はひとりでは生きてはいけない

 

クチコミが広がり仕事の依頼が増えてきたことにより、起業して半年が経つ頃から少しずつ売り上げも上がるようになっていった。

種をまいてから芽が出るまでには時間が必要だったのだ。

どんな種をまいても芽が出るまでは、不安で不安で心が押し潰されそうになる。せっかく芽を出したと思い喜んでいたら、直ぐに枯れてしまうこともある。なかなか思い通りにはいかない。

ただどんな種でもまけば実るというものではないが、実るまで続けていなければ、その果実を得ることはできない。

もしも、あの創業期を持ちこたえられずに会社を潰していたら… 今はない。はじまりは決して計画的ではなかったが、予想もしなかったクチコミのおかげで 今も会社を続けることができている。

自分にとって本当に大切なもの以外は捨てる覚悟を持ち、どうすれば今置かれている状況から前に進めるのかを考え・行動し・努力し続ける。簡単ではないかもしれないが、ここまでは自分の力で出来る範囲である。逆に言えば、自分の力で出来る範囲はここまでなのだ。

自分の思う最善の行動をしても結果が伴わないこともある。そんな時はやっぱり悔しい… 悔しいけど上手くいかないこともある。

ただ誰か一人の心に寄り添い、何かを届けたいと思う行動は、その誰か一人の心に届くのではないだろうか。世間は自分が思ったよりも自分を見ていてはくれないかもしれないが、いま目の前にいるただ一人は必ず自分のことを見ていてくれる。人はひとりで生きているわけではないのだ。

SNSの発達で人とのコミュニケーションですら効率化されていくような世の中。仕事に関わらず、人とリアルに触れ合いコミュニケーションを取ることの価値は必ず増していく。便利になった部分の恩恵は受けながらも時間をかけて人と向き合い仕事を続けてきた。

その一人一人に生かされて、今日まで来れたことを起業して6年が経った今、噛みしめるように実感する。

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今日まで生かされていることに感謝

今日まで生かされていることに感謝

 

廃業寸前、見栄もプライドも捨て去って学んだこと

1. 本当に大切なもの以外、すべて捨てる覚悟を持つ
2. イマ出来る最善のことに集中し、行動に移す
3. どんな時も自分の行動を見ていてくれる人は必ずいる

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起業すれば自由になれるのか? / バックナンバー
TOOLS 93  妻子あるぼくが会社を辞めてわかった3つのこと

 

PHOTO : 著者本人


若杉アキラ

若杉アキラ

時間ミニマリスト/週3起業家/シニア不動産コンサルタント。1983年生まれ、妻と娘ふたりの4人家族。会社員時代、終電帰り、サービス残業、週90時間労働の疲労と心労がたたり体調を崩す。27歳で不動産会社を起こすも週7日労働で時間に追われる。「忙しさに振り回される人生から抜け出そう」と奮起し、時間のミニマル化を実践。現在、週3日だけ働き、「歳をとっても安心して借りられる住まいの提供」をモットーに、シニア不動産事業を展開し、県や地域からの信頼も厚い。また、iPhone写真家として、日常をテーマに作品提供や個展開催を定期的に行っている。 Instagramは @akira_wk