もういちど帆船の森へ 【第6話】 何もなくて、時間もかかる

もういちど帆船の森へ 田中稔彦ひとりで何ももっていないこの場所から、どうすればゴールにたどり着けるのか。そう考えてたどり着いた答えは「メディア」でした。帆船のそして自分自身のメディア化、それがその頃の自分にできるひとつの手段ではないかそう考えたのです。文章を書いたり

連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】

ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第6話  何もなくて、時間もかかる


何もないけれど

 

つい最近、数霊(かずたま)で人格を鑑定していただきました。といっても知り合いで鑑定をしている人に、さわりをうかがっただけなのですが。

数霊は、名前の画数判断にちょっと似ています。人の名前に宿る言霊を1から9までの数に置き換えて、その人の性格などを判断するものだそうです。

ぼくは外面が「4」で内面が「7」

4の人は、「意思決定まではとても慎重で時間がかかるけれど、一度自分の進む道が決まるとどんなに状況が悪くても最後までやり通す性格」

7の人は、「好奇心旺盛でいろんなことにチャレンジするが、自分が表に立つよりも人のサポートすることが得意。よい上司の下で輝くタイプ」

だそうです。

短い時間で少し見てもらっただけですが、なんとなく当たっている気がします。特に、「意思を決めるまでに時間がかかる」というところが。

 

帆船を言語化する

 

さて、2012年の後半、長らく関わっていた帆船「あこがれ」が競売にかけられたことをきっかけに、帆船、セイルトレーニングの事業化というテーマについてあれこれと妄想することが増えていきました。

とはいえ、当時の自分は何も持っていませんでした。

お金は大して持っていません。
実際に船を動かすスキルは身についていません。
一緒にゴールに向かって歩いてくれる仲間もいません。
自分の夢のために人を集められるだけの人望もありません。

ひとりで何ももっていないこの場所から、どうすればゴールにたどり着けるのか。

そう考えてたどり着いた答えは「メディア」でした。
帆船のそして自分自身のメディア化、それがその頃の自分にできるひとつの手段ではないかそう考えたのです。

元々、文章を書いたり発信したりすることが好きだったこともあります。いろいろなことを学んでいた時期でもありました。起業やソーシャルビジネスについて学ぶなかで、事業を起こすことや成功させることよりも、広報や情報発信などの方が、自分が元々持っている興味に近いと感じたりもしていました。

そしてこれまでのセイルトレーニングがうまくいかなかった理由を考える中で「必要な人に必要な情報が正しく伝わらなかった」というのが大きな要素なのではないかと考えるようになったからです。

セイルトレーニングは魅力的で興味を持つ人はもっといた。ただこれまで日本に存在しないプロジェクトを多くの人に認知してもらうだけの、伝え方ができていなかったのではないか、そんな仮説を考えたのです。

全く新しいやり方でセイルトレーニングの魅力を伝える、それがぼくがチャレンジしてみようとしたことでした。

 

心のおもむくままにインプット

 

けれどこれまで、演劇や舞台という狭い世界の中で、ずっと請負の技術職として生きてきたので、そういうジャンルについて知識や経験は全くない状態でした。

そこで2012年から2013年の2年ほどはインプットの期間と割り切りました。探してみるとライティングや情報発信を学べる講座などもたくさんみつかりました。数が多すぎて迷う部分もあったのですが、その中で自分の気持ちが動く内容のものをいくつか受けてみました。

自由大学では、「自分の本をつくる方法」と「出版道場」。「本を出す」ということを著者目線で考える「自分の本」と編集者目線で捕らえる「出版道場」の対比はとても面白いものでした。「自分の本」の教授の深井次郎さんとはその後もご縁が続き、今もこうして原稿を書かせていただく場を与えてもらっています。

また「ナリワイをつくる」という著書のある伊藤洋志さんの同名の講義も受けました。こちらはスモールビジネスの作り方の講義ですが、情報発信と拡散についてはこの講義でも大きなテーマでした。

WEBマガジン「Greenz」が主催の、自分のこだわりや興味をメディア化する「マイメディア」を学ぶスクールも受けました。

また横浜の団体が企画した「キュレーションラボ」という編集やキュレーションについて現役の編集者の方から学びました。また既存のものから新しい価値を作るというテーマでイベントの企画なども行いました。

2年ほど明確な方向性もなく、自分の中から興味を感じたもの手当たり次第にインプットしていく中で、どういう形で表現することが自分が知っている「帆船」の魅力をより多くの人に伝えることができるのかということについて、だんだんと深く考えるようになりました。

一度、航海をしてもらえればその魅力をダイレクトに感じてもらうことはできる、けれどその最初の一歩を踏み出してもらうのはどうすればいいのか、そこがこれからやらなくてはいけないことではないか、だんだんとそう考えるようになってきました。

2013年の年末、働き方研究家の西村佳晢さんの「インタビューのワークショップ」を受けました。長野県の山間の施設に泊り込んでの、5泊6日で朝から晩まで延々と続く密度の濃いワークショップでした。

「インタビューのワークショップ」という名前ですし、実際に参加者同士でインタビューをしたりもしますが、インタビューの技術を学ぶのではなく「人の話を聞く」とはどういうことなのかという本質について目を開かされる内容でした。

元々、人の話を聞くことが得意ではなく、またその頃いかに他者に自分の思いを伝えるかということにばかり頭がいっていたので、その正反対の「聞く」ことについて深く考えられたのはとても貴重な時間でした。

 

覚悟を確かめるための2年間があったからこそ

 

2012年から2013年にかけての2年間はぼくにとってはインプットの期間でもあり、これから自分が外に向けて何かを発信していくための助走期間でもありました。また「帆船」に対しての自分の覚悟を確かめるために、自分を見つめる時間でもあったのかもしれません。

2年間かけて、自分の帆船に対しての思いとはなんなのか、またそれを世の中に対して発信していくのに必要なものはなんなのか、ゆっくりと見極め、準備していた、今思い返すとそんな時間だったような気がします。

「意思決定まではとても慎重で時間がかかるけれど、一度自分の進む道が決まるとどんなに状況が悪くても最後までやり通す」

数霊の鑑定結果を聞いた時に思い出したのは、その頃のことでした。

若くもないし、いろんな面でも余裕があるわけではない。なのにすぐに走り出すのではなくインプットと自分の心を確かめるために費やした2年間。けれど、いまでもその時間が無駄だったとは少しも思いません。むしろ、あの2年間があったから、今はなんとか走り続けていられる、そう思っています。

そして2014年が明けた頃から物事は少しずつ現実に動き出していったのでした。

 

(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

第1話 人生で最高の瞬間(2016.7.10)
第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
第3話 ぼくが「帆船」にこだわりつづける理由(2016.9.10)
第4話 マザーシップが競売にかけられてしまった(2016.10.10)
第5話 帆船の「ロマン」と「事業」(2016.11.10)

 

 過去の田中稔彦さんの帆船エッセイ 

TOOLS 11  帆船のはじめ方(2014.5.12)
TOOLS 32  旅でその地を味わう方法(2015.2.09)
TOOLS 35  本当の暗闇を愉しむ方法(2015.3.09)
TOOLS 39 
 愛する伝統文化を守る方法(2015.4.11)
TOOLS 42  荒波でコンディションを保つ方法
(2015.5.15)
TOOLS 46  海の上でシャワーを浴びるには
(2015.6.15)
TOOLS 49  知ること体感すること(2015.7.13)
TOOLS 51  好きな仕事をキライにならない方法(2015.8.10)

 

田中稔彦さんが教授の帆船講義

自由大学「みんなの航海術」 帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう


 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。