運がいいというのは
まわりの人のおかげなのだろう
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今まで「自分ひとりでやった」と思っていることも、きっと見えない所でサポートしてくれた人たちがいたんだろうな。改めてそう思いをはせる年末年始でした。
「あなたは運のいい星の元に生まれてきてるよ」占いがわかる方々に会うたびに言われてきました。この年末にも、建築家の仲村和泰さんに陰陽五行のことを直接教わることができました。そうしたらぼくは生まれてから、80歳以降まで人生全体を通して悪い時期がないというくらい、ずっと運が良いようなのです。
なるほど。特に、人間関係の運が良いとのこと。ひとりでこもるよりも、人と関わって仕事をしたほうがいいことが新しい発見でした。
「神さまの足あと」という大好きな話があります。有名だし、いろんな機会で話しているので、あなたも聞いたことがあるかもしれません。
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ある男の人生が終わりました。 いま天国で神さまと一緒に、この人生で歩んできた道のりを振り返っています。 砂浜には足あとが点々と80年分ついている。男の足あとと、その隣に神さま、2人分の足あとが横に並んで続いています。 「途中大変なこともあったけど、なかなか悪くない人生だったな」 男は感慨深げに足あとを眺めています。 神さまは、長い旅を終えた男をねぎらいました。 「おつかれさまでした。私はずっと隣であなたを守り、2人で歩いてきました」 「神さま、ありがとうございます。お世話になりました」 男は感謝しつつも、その瞬間あることに気づきました。自分の一番つらかった7年間。その区間をみると、ひとり分の足あとしかついていないのです。なんと、あのとき、歩く自分の隣に神さまはいなかった。ああ、だからあの7年間はどん底だったのか。当時の辛さ、寂しさを思い出し、怒りが沸いてきました。 「神さま、私を守ってきてくれたことには感謝します。ただ、なぜ私がいちばん大変だったあの7年間、神さまは私をひとりにしたのですか、見捨てるなんてひどいではないですか。あのとき、本当に死んでしまうかと思ったほどだったんですよ! 」 「いいえ、私はあなたをずっと守ってきました。特にあの7年間は大変でした。 倒れてしまったあなたをずっと背負って歩いていたのですから」
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実はそのひとり分の足あととは、神さまの足あとだった。 そういうお話です。
もし神さまに背負われていなかったら、20代でその男の人生は終わっていたかもしれません。命の恩人であるはずの神さまを逆に責めてしまって、男は恥ずかしい思いをしました。
自分ひとりの力でその危機を乗りこえてきたように勘違いしているけど、実はまわりに背負われていた。そういうことがぼくにもたくさんあったんだろうなと、今まで出会った人たちの顔を浮かべ己のあり方を振り返ります。
あなたも同じかもしれません。近い味方ほど責めてしまうことがあります。
「私がこんなに大変なのに、なんで助けてくれないの」
いや、気づいていないだけで、もうすでに背負られているんだって。
「自分ばかりが頑張っている」
本当ですか? まわりが見えなくなってしまうときは誰にでもあります。 本当に自分だけか? 本当にひとりだったとしたら、とっくにダメになっていたかもしれない。何かに守られているからこそ、なんとか続けてこられた。そういう奇跡がいかに多いかということです。
いま自分が元気でいられるのも、さまざまな人に支えられているからです。新人時代も自分ひとりで大きな契約をとったつもりで調子に乗っていたけれど、実は裏で先輩がそのお客さんにアシストしてくれていた。そうやって本人が気づかないうちに華をもたせてもらっていたことがぼくにもあります。後に知って、すごく恥ずかしく赤面したのと、感謝でいっぱいになったものです。
誰も助けてくれないと感じる時こそ、ていねいに解像度を上げてまわりを見渡したいものです。自分はいま、神さまに背負われているから進めているのかもしれません。神さまとは、まわりの人のことです。
背負われることはいいし、だれだってそういう時期はあります。だからこそ、自分が元気なときくらいは、積極的にまわりの人を背負っていく姿勢でいきたいものです。背中を差し出して、「よお、乗ってく? 」ってな感じに。
というわけで、これからトレーニングしてこようかな。スクワット100回。いってきまーす。
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