【第232話】選択とは降りること / 深井次郎エッセイ

人生の岐路

 

 人生の岐路は Y 字路ではない 

 

左右の道、どちらを選ぶか。
目の前に突如現れた、同じ太さの「Y字路」です。人生の岐路というと、この「Y字路」をイメージする人が多いのではないでしょうか。

人生の転機

 

でも、人生で現実に起きる岐路は、高速道路のようなもので、まっすぐか、降りるか。つまり、流れに沿ってそのまま進むか、出口で降りるか、という選択になります。

人生の転機2

降りると、道の太さも、進む速度も変わります。たとえば、慣れ親しんだ会社を辞めて、独立する。そうやって高速道路を降りると、速度は落とさざるをえなくなるし、先は見通せなくなります。新しい経験ばかりで、何をするにも勝手が分からず時間がかかるし、初めての世界は予測もできないので、不安は大きいわけです。だから、基本的に「降りる」という選択はよほどのことがないとしたくないのが人間です。

 

 

 高速道路にはときどき、出口がある 

多くの人は小さな頃から高速道路に乗せられます。みんなと同じ学校に通い、制服を着て、みんなと同じように部活をし、卒業と同時に部活も引退します。進学校の高校に進んだ人は、そのレベルに合った、だいたいこのランクという大学に進む。これがルート。大学に進んだ人は、まわりと同じタイミングで就職活動をはじめて、企業に就職をする。就職した人は、辞めずに続けるようにがんばります。

このまっすぐな高速道路から降りることなく、ストレートにきた人の中には、「自分の人生を自分で選び取ってきた」、「切り拓いてきた」という実感にとぼしい人が目立ちます。

「今まで、自分で選んだというよりは、なんとなく何かにひっぱられてきた気がします… 」

そう表現した人もいます。まわりから見たら、「失敗のない順風満帆な人生」とうらやましがられそうなものですが、当の本人たちは、そんなに満足している風でもありません。良くもないけど悪くもない、まあ、こんなものかな、という感じです。

慣性でそのまま進んでいく道が、楽で早い高速道路。でもときどき出口があって、それをわざわざ降りるには意志の力が必要です。

 

 

 降りる人生もいいもんだ
まっすぐの道(高速道路)降りる道(下の道) 6つの比較  

 

【比較1】  速度が出せるか 

スピードをどんどん出せる

スピードを落とす必要がある

高速道路は走りやすいです。信号などの障害物も取り除かれて整備されているので、スピードが出ます。余計なことを考えず、少ない労力で、より効率よく進むことができます。下の道は、その逆で、ゆっくりと地図を確認しながら進むしかなくなります。

 

【比較2】 見通しがあるか 

まっすぐなので先まで見通せる

カーブばかりで先が見通せない

高速道路は、先まで見通せますが、そのずっと先には渋滞のこともあるし、車線が減り終いにはなくなってしまうこともありえます。永遠には続かないので、変化の前兆を見逃さないよう、油断しないようにする。油断してないつもりでも、ずっと同じ速度でまっすぐの道では、方向を読む力、反応する力(曲がる、止まる、バックする)を使う必要がないので、衰えます。一方で、下の道では状況に即応する力(これが生き残るために必要な能力)が鍛えられます。

 

【比較3】  安心感があるか 

多数派

少数派 

前者は、多数派なので孤独感もありませんし、まわりから否定されることもありません。困った時は同じ境遇の人が多いので相談できる人も多いです。安心感があります。後者はその逆でサポートが少ないです。

 

【比較4】 柔軟性があるか 

道が一本しかないので、抜け道はない

もし渋滞になっても、抜け道は無数にある

前者は、途中で間違いに気づいても次の出口まで降りられません。なので 、しばらく進むしかない。 後者は、別の高速道路に乗り換えることもできる。間違いに気づいたら、いつでも曲がれる。Uターンもできる。トイレやコンビニに行きたくなったら寄れるし、自分の気分でコントロールしやすい。

 

【比較5】 納得感があるか 

 惰性で来てしまった感じ。失敗すると他人のせいにしたくなる
自分で決断した納得感がある。失敗しても自分のせい

エネルギーがいるのは、ブレーキを踏み、高速を降りることです。これが選択です。自分の意志で、人生を選んだ瞬間です。進路選択などと言いますが、本当は、惰性でまっすぐ進むことは選択とは呼びません。進学校の高校生は進学するのがまっすぐのルートです。文系か理系か、法政大学に行くか明治大学に行くか、朝日生命にいくか三井生命にいくかは、同じ太さの左右の道です。どちらも高速道路です。どちらにいっても想像のつく道だし、どちらも楽しい生活が待っているでしょう。これは別に選択ではなく、「そのまま進む」という状態です。

「そのまま進む」ばかりやってきた人は、自分で自分の人生をつくっているという実感が感じにくいものです。それゆえ、思い通りにいかないことがあると、どこか他人のせいにしてしまうことがあります。渋滞でイライラしたり文句を言う。「自分は悪くないのに」とか「なんでこんなに混んでいるんだよ。なんで連休に出かけるんだ!」(自分もその一人なのにね)と腹を立てたりするものです。 降りた人は、「高速道路に乗ったままの方が楽だったかも」と過去を振り返ることはありますが、「しょうがない、自分で選んだし。この道で楽しむことを考えよう」となります。

 

【比較6】 視野がひらけているか 

壁が高く、景色が見えにくい

壁がなく、景色が見やすい

高速道路には、両サイドに壁があり、外の景色が見えないことも多いです。社内だけ、その業界だけに閉じこもり走り続けていると、外の世界の変化に気がつかないこともあります。

というように、降りるという選択にもなかなか良いことがあるわけです。

 

 

 しかし人生は短い。降りてばかりでも進まないから 

全部が全部、「出口があったら降りる」という選択をしていたら忙しすぎます。なかなか前に進みません。

自分にとって大切な価値観はなんなのか。

「自分にしかできないやりかたで、楽しみながら多くの人に貢献する」

これがぼくの人生で叶えたいこと、ビジョンです。そういう北極星があって、そっちのほうに進んでいますが、出口を見つけるたびに降りてばかりでは、目標にたどり着く前に人生が終わってしまいます。

ぼくがキャノンのカメラを使っているのは、キャノン派が一番多いので、使い方を教えてもらいやすいから、というが大きな理由のひとつです。カメラと言えばキャノンかニコン。ハッセルブラッドに惹かれながらも、手を出さないのは高いからだけでなくまわりに持っている人がいないので、困ったときに相談できないからです。多数派の機種は、付属品もサードパーティーのメーカーなど選択肢が増えるし、サポートも充実しているので助かります。

機材がなにかはビジョンを叶える上では、小さな問題です。ポスターサイズで引き延ばして見せるわけでもないし。それよりは便利さ、機動力をとります。カメラはぼくにとって趣味の道具ではなく、仕事の道具です。いちいち人と違うレアものを選んでいてはムダが多い。ようは、使い分けです。高速道路を使った方がいいところは使えばいいのです。すべての分野で人と違う道をいく必要はありません。服も靴もiPhoneもみんなと同じです。

 

 

 出口の標識を見つけたら、速度を落とすこと
景色を確認し、静かに心の声を聞いてみよう 

岐路に立った感覚は、わかります。「このままで良いのだろうか、いや、良いわけはない… 」と心がざわざわするからです。自分がエネルギーを感じる方へハンドルを切ってください。ここで大事なのは、「どんな選択をするか」ではなく、「どんな心境で選ぶか」です。スピードを落とし、静かな心で選べるか。スピードを上げたままだと、すぐに出口が迫ってきてしまいます。焦って、「えいやー、もうどうにでもなれー」と不安や恐怖から逃げるようにしてハンドルを切ると、あまりうまくいかないことが多いです。混乱した心境で選択したことは、混乱した結果を生みます。不安はもちろん消えませんが、ワクワクのエネルギーがそれを上回った場合は落ち着いてハンドルを切るといいでしょう。

このまま進もう。
いや、降りよう。

降りると、そこは知らない道です。面倒だし、先が見えないし、いいことがあまりありません。そんな不利な条件でも惹かれるということは、あなたにとってはそっちにやりたい何かがある。エネルギーはそっちに向いているのです。ワクワク楽しみな心境でハンドルをきれれば、その通りの結果がついてくるものです。

 

 

 出口を無視しすぎると 強制的に降ろされることもある 

高速道路をもう長いこと走り続けていると、突然、工事中(解雇や倒産)で行き止まりになったり、車が故障(病気)したりして、泣く泣く降りざるをえないケースもあります。

このまま楽に行こうと思ってたのに、降りることになってしまった。想定外。自分で選択したのではなく、させられてしまった場合です。

突然、と多くの人が嘆きますが、本当はそこにいたる前に前兆がいくつもあったはずなのです。出口の標識が見えたときは少しスピードを落として検討するひと手間をかけましょう。スピードを落とさないとまわりの変化に気づかないし、心の声は聞こえません。無視してスピードを上げ続けるから、「なんで突然!」ということになるのです。

自然界の原理原則は、無常です。創造と破壊をくり返すのが自然です。高速道路に乗ったり、ときには降りることも必ず必要なのです。変わらず一本道を同じ速度で走り続けることはできません。破壊ばかりでは何も築けないけど、創造ばかりでは行きづまり、進歩がありません。行きづまると、強制的に破壊が起きるのが自然の原理。「このテーマは学び終えたな、卒業かな」というタイミングで破壊が起きるのです。

なぜいまこの話を書いたかと言うと、ぼく自身が「何かを変えなければ」という予感がするからです。そろそろ次の進化のタイミングかもしれない。

まっすぐに生きていたらやらないこと。なんでわざわざ…と思うこと。これを意識して、あえてチャレンジしてみようと思います。

…というわけではないのですが、今から日本一のバンジージャンプ(100m)に挑戦するために家を出ます。茨城県の山奥へ、いってまいります… (ああ、なんでやりたいなんて言ってしまったんだろう… やらなくてもいいものを)

あ、そういえば、3年前に法政大学dクラスでつくった短編作品『Wrong Way』。
今日の話を映像で伝えると、こんな感じです。

(約4214字)

Photo: Alpha 2008

 

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。