【第105話】わかり合えない上で和をとる / 深井次郎エッセイ

話し合ってるところ

話し合ってるところ


ウソを言ってるわけでもなく

悪意があるわけでもなく
本当にそうとしか見えない人がいる

 

——–

 

「あなたの考えは、ありえない」頭ごなしに他人の考えを否定してしまうことがあります。つい「常識的に考えてこっちでしょう」と自分の意見を主張してしまうものですが、みんなが同じ見え方をしているとは限りません。

右脳派か左脳派かを診断するコンテンツがfacebookでシェアされていました。この診断テストの1問目に、くるくると回転してるダンサーが出てきます。これが右回りに見えるか、左回りに見えるか答えるのです。ぼくにはどうみても、右回りにしか見えません。でも反対まわりに見える人もいるのです。

同じものを見ても、まったく反対に見える。こういう面白いことがあるわけです。「話せばわかりあえる」といいますが、本当はわかり合えません。もともと見えてるものが違うからです。右回りと主張する人と左回りだと主張する人がいくら話したところで、「じゃあ、左回りってことでよろしく」とはまとまりません。自分にはどうしたって右回りにしか見えないのですから。

では話し合いは無駄かというと、そうではありません。話し合わないと、見え方が違うこと自体に気づかないからです。ぼくには右回りにしか見えなかったけど、そうか左回りに見える人もいるんだと、話しあって初めて気づきます。お互いどうしたって、そうとしか見えないのだから仕方ありません。「へぇ、面白いね」と違う見え方の人も受け入れる。そこで違う人を排除するのではなく、どうやって共存できるか考える。だってどちらも真実なのです。どちらかがウソをついてるわけではありません。

どう考えたってこちらの意見の方が良いのに、賛同してもらえない事があります。どうも話がかみ合わないと思ったら、もともと見えてるものが違う可能性があります。「話せばわかる」というスタンスで生きていると、どうしてもわかりあえない場面で、絶望して諦めてしまいます。話してもわからない。それでも話すのです。見え方の違う人は必ずいるので、その人がどう見えてるのかを確認し、わかり合えないもの同士が共存する道を探っていきます。そのために対話はあるのです。「あなたが左回りとしか見えないように、ぼくも右回りとしか見えないのです」話し合った後に、じゃあ、お互いが仲良く暮らすにはと考えて、和をとって暮らしていくのです。

コミュニケーション能力とは、相手を説得してねじふせるスキルではありません。こじれに気づいて修復したり、仲直りする能力です。諦めないで近づいてお互いの和をとるために、いつまでも話し合いを続けられる力です。 真実は1つではありません。見た人の数か、少なくともふたつ以上はあります。「ありえない」と相手を否定しそうになったら、回転するダンサーを思い出そうと思います。もしかして、ぼくは相手と反対回りに見えてしまっているのかもしれないと。

(約1100字)

Photo:  Procsilas Moscas


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。