【第054話】撮るのが先か、助けるのが先か

 

【インド旅篇】

「ハゲワシと少女」
この問いに
自分なりの答えをもつ

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困っている人を撮っている余裕があるなら助けなさい。そういう議論は、世の中にカメラが普及してからずっとあるようだ。ぼくもインドの貧困の現場にカメラを向ける度に、いつもその問いは頭に持ち上がった。「撮ってる場合か? 何か助けてやれば良いじゃないか」と。

洪水の街に

ガンジス川のほとり バラナシの街を撮る

ピューリッツァー賞を獲った写真「ハゲワシと少女」の事件がある。うずくまっている餓死寸前の少女をハゲワシが狙っている。あの衝撃的な一瞬を撮った写真だ。(見たくない人もいるかもしれませんので、あえてここには掲載しません。どんな写真か確認したい人は各自検索してください)

あの時も「撮ってないで助ければいいのに。人として最低だ」という糾弾が多く寄せられた。そして責任を感じた写真家ケビン・カーターは、賞を獲った1ヶ月後に自殺した。この事件は、考えさせられました。ぼくは報道写真家ではないし、立場は違いますけど、何かが起きている現場にいあわせた時は、この事件のことを思ってしまいます。

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その時、街は十年に一度の洪水だった

撮るのか、助けるのか。これはだれもが小さなメディアになっている現代に、それぞれ自分の考えをもっているべき問いだと思います。もちろん、これに答えはありません。「ハゲワシと少女」の時は、結局少女は無事でしたし、もし本当にハゲワシが少女を襲いかかったら写真家が助けていたはずです。それはのちの写真家の証言でわかる。なのになぜ、自殺に追いやるまで、多くの人は写真家を責めたのか。彼を責めて貧困がどうにかなるとも思っていないでしょう。おそらく、自分が何もできないもどかしさ、悔しさ、無力さ、そういう感情を彼にぶつけてしまったのではないでしょうか。

賛否はありますが、結果として、あの写真のおかげでスーダンの飢饉や戦争で苦しんでいる人の存在をインパクトを持って世界へ知らせることができました。もしあそこで写真家がカメラをおろし、少女に食べ物を与え国に帰ってきていたら、その現実はなかったわけです。もちろん、ひとりの少女の一時の空腹は満たせたかもしれないが、それだけだった。写真家はプロとして、自分の使命に沿って、できる最大限のことをしたと思います。根本的な原因を解決しないと、その問題はなくならない。そのために写真家はシャッターを押し、世界に公表した。

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街全体が水没しているので裸足で歩く少女

災害や事故現場でもそう、写真を撮っておけば、あとで証拠にもなるし、原因究明に貢献するかもしれない。もし何もできないのであれば、せめて自分なりに伝えることはしなければとぼくは表現者として思うのです。そして、少しでも多くの人に考えるきっかけをつくれればと思います。

ぼくらは悲劇の現場にカメラを向けている人を非難しがちです。血も涙もないと。本当にそうか、ただ棒立ちで見ているだけの自分が責められるのか、と思います。でも、だれも悪くないし、それぞれが精一杯でやっている。衝撃の現場では棒立ちでいるのがぼくらには今の精一杯なのです。それで仕方がない。できることはたかが知れている。

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たくましく進んでいく

何のためにシャッターを押すのか。それが人を不幸にするためなのか、誰かの役に立つためなのか。それが後者なのだとしたら、目を背けたくなる現場にもカメラを向けていく人が必要なのだと思います。シャッターを押すには勇気が必要なのです。ぼくには、その勇気がないので、プロの方々にお任せしますが、できるだけシャッターは押していきたいと思っています。

ある貧困撲滅を目指す慈善活動家が、あたりまえのように目の前の物乞いをまたいでいったという話を聞きました。それを目撃した人々は、一瞬目を疑ったそうですが、彼は根本的な解決に向かってまっしぐらなのだそうです。大きな問題を扱う人は、その役割があって、小さな目の前のことは他の人に任せると割り切るというのが彼の答えなのでしょうか。それが人道的に倫理的に正しいかはわかりません。いずれにしても、自分には何ができるのか、それぞれが考えることが大事なのでしょう。

 

(約1644字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。