もういちど帆船の森へ 【第22話】 海からやってくるもの / 田中稔彦

もういちど帆船の森へ 田中稔彦漂着重油の除去のために、島に数十人の業者さんが滞在しています。作業が始まったのは2月の中旬。もう二ヶ月近くになります。そして、作業が終わる一応の目安は5月末とされていますが、実際にはいつになるのかはっきりと分かってはいません。海からやってくるのは、いいものだけではない。島に来て、作業員
連載「もういちど帆船(はんせん)の森へ」とは  【毎月10日更新】
ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。  

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 第22話   海からやってくるもの

                   TEXT :  田中 稔彦                      

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えびすさまの話

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去年の夏に、奥能登国際芸術祭を見に行きました。
日本海側に突き出している能登半島の先端、珠洲市を中心にしたアートフェスティバルです。

能登半島先端部は、交通の便があまりよくなく、なにかのついでに行くことはほとんどありません。けれど、海が物流の中心だった時代、この地域は交通の要衝で重要な土地でした。海運を通じて財をなした商人もいたそうです。大陸からの文化や技術が、かなり早いタイミングで伝わっていました。

今回は、巡回バスで作品を巡りました。地元のボランティアガイドさんつきで2,3時間のツアーが4本。丸二日間かけて4本全部乗ると、全ての作品が見られる仕組みになっていました。集落や商店街をめぐるコースもありましたし、集落から離れた山あいや海沿いをめぐるコースもありました。

ぼくは2日かけて全コースを回りました。平日だったので参加者も少なく、ボランティアガイドさんにいろいと話を聞くこともできて、面白い時間を過ごせました。

地域を巡っていて気になったのは、恵比寿さまを祀った神社がとても多かったことでした。また、展示会場になっている古い町家や地元の飲食店などに、恵比寿さまの像が飾ってあるのもよく見かけました。ボランティアガイドさんに聞いたところ、やはりこのあたりでは恵比寿信仰が盛んだということ。

恵比寿は「商売の神様」というイメージがありますが、多くの地では「漁業の神様」として祀られることも多いです。そしてまた、海の向こうからやってくる「渡来神」や、偶然流れつく「漂着神」という性格もあるといいます。

「海の向こうから、なにかいいものがやってくる」

能登半島では、そういう感覚が強く残っているそうです。

実際に、海を通じて、様々なものがもたらされてきた過去があるのです。流れ着くことでその地に副収入をもたらすような、くじらだったり難破船など。また、よその土地や外国から、新しい技術や知識がもたらされることもあるでしょう。

海が与えてくれる思いがけない贈り物。漂着神としての恵比寿信仰の根元には、この「海からいいものがやってくる」という感覚があるのでしょう。

 

宝島と重油

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ぼくはいま、トカラ列島の宝島という島にいます。

どこ?って感じだと思いますが、奄美大島の少し北、フェリーで3時間ほどかかる人口150人ほどの小さな島です。

あまり報道されていませんが、1月の中旬に東シナ海でタンカーが沈没して、そこから流出した重油が2月の初め頃から島に流れ着いていて、その漂着重油の回収ボランティアに来ているのです。

宝島での光景

宝島での光景

 

タンカー沈没は、距離が比較的近いこともあって、島でも当初から話題にはなっていたそうですが、実際に油が流れてくることは想像できなかったとのこと。奄美大島では多少、油の漂着はあったようですが、近隣の他の島にはほとんど流れ着きませんでした。たくさんの島のあるこの海で、宝島だけが島の海岸線のほとんどに油の塊が流れ着いたのです。

漂着した重油は、サイズとしては、せいぜい親指大から手のひら大の小さなもの。いますぐに、島の暮らしに影響がある規模ではありませんし、水産業に大きな影響のあるものでもないようです。
けれど島の海岸線のほとんどに、樹脂状に固まった小さな黒い塊が無数に流れ着き、岩にこびりついているのです。

岩場やサンゴに付着した油。潮が引き、岩場が現れたところを見計らって回収作業に取りかかりました。

岩場やサンゴに付着した油。潮が引き、岩場が現れたところを見計らって回収作業に取りかかりました。

 

どうして宝島だけに? 理由はたまたまでしかありません。タンカーの沈没場所、潮の流れ、季節風。いくつもの偶然が重なって、宝島だけに海からの贈り物が届けられてしまったのです。

いま、漂着重油の除去のために、島に数十人の業者さんが滞在しています。作業が始まったのは2月の中旬。もう二ヶ月近くになります。そして、作業が終わる一応の目安は5月末とされていますが、実際にはいつになるのかはっきりと分かってはいません。

小さな民宿が三軒あるだけの小さな島。大勢の人が長い間島に滞在することには慣れていません。作業員さんが買い物をするために、島に一軒だけの売店の商品が少なくなり、島の人が買いにくくなったりもするそうです。水、ゴミなど、人が増えたことで起こったトラブルは、いくつもあるようです。

一方で、作業員さんのほうも、なかなか大変な環境です。週に2往復のフェリーしか、島の外に出る手段はありません。休みもほとんどとれず、飲食店や娯楽もない島で借りぐらしを続けるのは、慣れてはいても、相当ストレスがたまります。

そして、重油除去の作業のほとんどは、島の人の目が届かない海岸で行われています。重油被害で日常的な問題はなく、作業の様子もよくわからない。そんな状況だからか、島の人と作業員さんはほとんど交わらないように見えます。ひとつの島にふたつのコミュニティーが、同時に、別々にあるように。

 

 

それでも海からくるのは

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海からやってくるのは、いいものだけではない。

島に来て、作業員さんと一緒に海岸で重油を集め、島の民家で暮らし始めて、最初に感じたのはそんなことでした。

自分たちとはなんの関係もないところから、重油が流れてきました。
島の美しい海が、汚されました。
そして、静かな島の暮らしも、乱されました。

いいものがやってくることと同じくらい、海から災いがもたらされたことは、これまでだって当たり前のようにあったでしょう。そしてこれからも、自然の災害や人が起こしたトラブルが海からやってくることは終わることはありません。

それでも…

以前にも書いたことがあると思いますが、イタリアの古いことわざに

「海は人を隔てない。海は人を結びつける」

というのがあるそうです。地中海の真ん中で、古くから海を通じた交易の中心だったイタリアらしい言葉です。

海に対して、ぼくはふたつの感情を持っています。

恐れとあこがれ。

自然の象徴としての海は、とても恐ろしい存在です。海を旅して、海のことを深く知って、様々な海を見るにつけ、海は根本的には人が生きていく場所ではないと感じるようになりました。

ぼくがいまいる宝島へのフェリーが、定時につくことはほとんどありません。天候の影響で、欠航したり大きく遅れたり、場合によっては途中の島を飛ばして先に進むようなこともよくあります。造船技術や航海術が進んだこの時代でさえ、海に打ち勝つことはできないのです。

一方で、海という場は、人が海に挑み続けた歴史の集大成でもあります。「航海術」という技術について知ることは、海を越えて人と人とが繋がるために先達たちの努力を追体験することだと、ぼくには思えるのです。

たくさんの災害や悪いものが、海からやってきます。けれど、海を越えて人が人と繋がろうという思いさえあれば、もっとたくさんの素晴らしいものが海からやってくる、そう思うのです。

ボランティアで油除去にやってきた人は、島の一軒家で共同生活をしています。時々、人が入れ替わりながら3,4人が島で暮らしています。そのほとんどは、宝島に来たのは初めてだといいます。

島が好きな人。海が好きな人。災害ボランティアをずっとやって来た人。
宝島のことを全く知らなかった人。知っていたけど来る機会がなかった人。

宝島は、奄美大島からフェリーで3時間。鹿児島からだと12時間。たった一隻のフェリーが鹿児島と奄美大島の間を往復しているだけです。普通の旅行で目的地になることは、ほとんどありません。今回の事故がなければ、ぼくも含めてボランティアに来た人のほとんどは、この島に来ることはなかったかもしれません。

重油回収ボランティアは、3日作業すると1日オフの日が設定されています。自分だけが休むのが悪い気もしたのですが、せっかくなのでお休みをもらって島の中を少し見て回りました。美しい景色と、和やかな時間。

歩いていて何人もの地元の人とあいさつを交わしました。

「こんにちは」

それだけで、ぼくはなんとなく満ち足りた気持ちになりました。

きっかけは、事故でした。
でもそのおかげで、ぼくたちはこの島に来ることができたのです。

たぶん、それだけでいいのだと思います。
海からやってくるのは、いいものなのです。

 

オフの日に、島の灯台から歩きました。お天気最高。

オフの日に、島の灯台から歩きました。贅沢な1日。

 

 

 

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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です) =ー

 

田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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第2話 偶然に出会った言葉(2016.8.10)
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自由大学の講義「みんなの航海術
帆船に乗ってまだ知らない個性とチームプレーを引き出そう

 

 


田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。