もういちど帆船の森へ 【第2話】 偶然に出会った言葉

もういちど帆船の森へ 田中稔彦

けれど時間が経つにつれて、少しずつ自分の中で帆船について考える時間が増えてきました。ここで学んでいる知識や人脈を持って2003年に戻れれば、もう何年かあの船は生き延びられたんじゃないか。そんなことを夢想したりもしました。

連載「もういちど帆船の森へ」とは  【毎月1本更新】

ずっとやりたいように生きてきたけど、いちばんやりたいことってなんだろう? 震災をきっかけにそんなことが気になって、40歳を過ぎてから遅すぎる自分探しに旅立った田中稔彦さん。いろんな人と出会い、いろんなことを学び、心の奥底に見つけたのは15年前に見たある景色でした。事業計画書の数字をひねくり回しても絶対に成立しないプロジェクトだけど、もういちど夢のために走り出す。誰もが自由に海を行くための帆船を手に入れて、帆船に乗ることが当たり前の未来を作る。この連載は帆船をめぐる現在進行形の無謀なチャレンジの航海日誌です。

 

 第2話  偶然に出会った言葉

預言をもらいにいく

 

2012年の年明けくらいだったと思いますが、高田馬場駅近くにある「預言カフェ」というところに行きました。

正式には「珈琲専門店 預言カフェ」といい、コーヒー専門店とうたうだけあってわりと本格的なおいしいコーヒーを出すお店です。お値段も普通のカフェよりも少しだけお高い感じでした。

そこが普通のカフェと違うのはコーヒーを飲むと店員さんがやってきて、目の前で「預言」を語っていただけるということです。

待ってください。別にスピリチュアル話でもオカルト話でもないんです(笑)

元々ぼくは、スピリチュアルやオカルト系にはほとんど興味がありませんでした。超自然の存在とかを信じないというわけでもないのですが「より高次元の存在にアドバイスとかもらったら人生がつまらなくなるんじゃない」と思っているのです。

ではなぜ、その時に限ってぼくはそんな行動をとったのでしょうか。

 

 

休業していた頃

 

そのころぼくは仕事を休業して、あるNPOが運営しているソーシャルビジネスを学ぶスクールに通っていました。

ソーシャルビジネスとは、当時少し流行っていた言葉です。社会の様々な問題を行政だけに任せるのではなくNPOなどの民間で、そして補助金に頼り切ることなくビジネスとして経営的に自立して解決していこうというものです。

きっかけは東日本大震災でした。

ぼくはフリーランスの舞台照明デザイナー、エンジニアとして、主に演劇の世界で仕事をしていました。震災の数年前から自分が一生この仕事を続けていていいのか悩んでいました。仕事そのものは好きだし経済的にもそれなりには安定していました。けれど狭い業界の中で暮らしていくことになんとはなくの息苦しさも感じていたのです。

そして震災が起こりました。それまでにも舞台の仕事を辞めるという考えをもてあそんだことはありましたが、震災をきっかけにやっと重い腰を上げて真剣に違うことを始めようと動き始めたのです。

とはいえ、40歳を過ぎての転職というのはなかなかうまくいきませんでした。そんなときにちょうどタイミングよく、9月から始まるソーシャルビジネス経営者養成の講座を見つけたのです。やりたいテーマがはっきりとあったわけではありません。ただ漠然とですが、自分が発信する側、企画する側、コトを起こす側になりたいという思いがありました。

とはいえ、ただビジネスを成功させたいわけではなかったぼくにとって、社会貢献とビジネス手法の融合というソーシャルビジネスは、その時の気持ちにぴったりしていと思ったのでした。

週に5日、10時から5時までのフルタイムの授業がスタートしました。期限は半年。自分が事業のテーマにしたいと感じているものを洗い出し、事業化の方法を考えてプランに落とし込み、実現のために必要なアクションを起こしていくというカリキュラムでした。

初めのうちは新しい学びや環境に刺激を受けて悩みながらも楽しい日々でした。しかし数ヶ月経った頃から少しづつ気分がモヤモヤとしてきました。

最初は理由が分からなかったのですが、どうもそれは「仕事をしていない」ということからきているのではないかと思うようになりました。収入も全くない状況でしたがそのことよりも「自分が世の中から必要とされている感覚がない」のがどうやらぼくのモヤモヤの正体のようでした。

それまでフリーランスとして日々色々な人と様々な案件に関わっていたので、その誰とも会わないし電話もメールも来ないという環境が予想以上にストレスだったようでした。

そして当然のことながら新しい事業プランをつくる作業は手応えがあるようでない作業でした。少し進んではまた逆戻り。いいアイデアが浮かんだと思ってはうまくいかなくてやり直し。

そんな日々を過ごしているうちに、自分が世の中から必要とされていない上に、少しも前に向かって進んでいない、そう感じるようになってしまったのでした。

 

心の奥に隠していたもの

 

それでも、自分の想いがしっかりとしていれば、そこまでツラくはなかったと思います。どうにもやりきれなかったのは、自分がどこに向かおうとしているのかすらわからないという状況だったからです。

どういうテーマで起業するのか。当たり前ですが何もかもそこから始まります。当然ぼくも問題だと考える社会課題を設定し、それを解決するためのビジネスプランを作っていました。

けれどそれと同時に「帆船」のことも頭から離れなかったのです。

2003年に当時ぼくが関わっていた「海星」という帆船は営業不振から運行を停止、運営団体は解散、船はアメリカに売却されました。そしてもう一隻、ぼくが関わっていた「あこがれ」も2011年の時点でオーナーである大阪市は廃止の方向で検討を進めている状況でした。

関わっているといっても、どちらの船も現場での運用を手伝うだけでした。事業の規模としても大きいし、もともと船舶業界の人間でもありませんでした。これまで事務仕事なんかやってきたことのない自分に、その規模の経営や運営などできるわけがないと思っていたので、スクールに通い始めたころは「帆船」をテーマに事業化することは考えてもみませんでした。

けれど時間が経つにつれて、少しずつ自分の中で帆船について考える時間が増えてきました。ここで学んでいる知識や人脈を持って2003年に戻れれば、もう何年かあの船は生き延びられたんじゃないか…。そんなことを夢想したりもしました。

今、取り組んでいることは本当に自分がやりたいことなのだろうか。

いつしかそんな考えが心の隅に陣取るようになり、サイドブレーキを引いたままアクセルをふかす、そんな気分で日々を過ごすようになっていたのです。

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偶然は必然?

預言カフェを知ったのは、スクールの友人たちとの会話からだったと思います。ちょっとした世間話の中で出てきた預言カフェの話に、なぜか多くの人が食いつきました。多分みな、ぼくと似たような不安定さを抱えていたのだと思います。

ぽつぽつと実際にカフェに行き預言をもらう人が出てきました。どんなところだったか聞きたい気持ちもありましたが、あまり詳しく聞いてはいけないような気もしました。

そしてある日、授業が終わった後でぼくも実際に足を運んでみたのでした。

平日の夕方。白を基調にした、オープンテラスもある明るい雰囲気のカフェでした。そこそこ広いのに満員で並んで待っている人も何人かいました。席に通されてオーダーします。コーヒーが運ばれててきてしばらくすると、預言をして下さる人がやってきてテーブルの向かいに座ります。と言っても、エプロンをした普通の店員さんです。50代と思しきおじさんなところがカフェの雰囲気とは少し不釣り合いですが、別におかしな感じはありません。

「では、始めさせていただきます」

前振りも、質問もなにもなく、おじさんは話し始めました。大きくも小さくもない声だけどかなり早口に、おじさんは「預言」を語ってくれました。不思議な体験でした。たった3分ほどのそんなに長くはないメッセージでした。

預言の一節にこんな言葉がありました。

「無駄や回り道や浪費、周りの人からはそう見えるかもしれませんが、あなたはその中から大切なものを掴み取ってきた、これまでそういう生き方をしてきた人です。だから今、回り道をしていると感じてもそれは回り道ではありません」

多分、いくつかのフォーマットがあって、それを組み合わせてひとつの言葉を紡いでいるのではないかと思います。
とはいえ、あらかじめ用意された言葉ではなくて、相手の前に座ってから即興で言葉を繋げている、そんな印象でした。

選ばれた言葉もストーリーも、ただの偶然なのでしょう。しかし偶然めぐりあった言葉だからこそ、ふと心に刺さることもある。そんな不思議な体験でした。

 

そして

当たり前ですが、劇的に何かが変わったりはしません。ただ不必要に焦ることはなくなったかもしれません。そう、預言を聞いたことでほんの少しだけ心が軽くなれたと思います。

3月になりスクールは終了しました。ギャップイヤーは終わり、ぼくはまた元の仕事に戻りました。

半年間で学んだことはぼくの生活に何も変化をもたらしていないように見えました。でも心の底には「帆船」というテーマを隠していました。半年間の回り道でぼくは残りの人生で何をしたいのか、そのことにようやく気がついたのでした。

そしてそこから、ゆっくりと本当にゆっくりと、物語が回り始めたのです。


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(次回もお楽しみに。毎月10日更新予定です)
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田中稔彦さんへの感想をお待ちしています 編集部まで

 

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連載バックナンバー

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田中 稔彦

田中 稔彦

たなかとしひこ。舞台照明家。帆船乗り。29歳の時にたまたま出会った「帆船の体験航海」プログラム。寒い真冬の海を大阪から鹿児島まで自分たちで船を動かす一週間の航海を体験。海や船には全く興味がなかったのになぜか心に深く刺さり「あこがれ」「海星」という二隻の帆船にボランティアクルーとして関わるようになる。帆船での航海距離は地球を二周分に。 2000年には大西洋横断帆船レース、2002年には韓国帆船レースにも参加。 2001年、大西洋レースの航海記「帆船の森にたどりつくまで」で第五回海洋文学大賞を受賞。 2014年から「海図を背負った旅人」という名前で活動中。