PEOPLE 04 舛廣純子(キャリアカウンセラー)

IMG_0379就職は子育ての最終章
就活生の親に読んで欲しい本を出版


カウンセラーの仕事のやりがいや面白さを、目を輝かせて話す舛廣さん。好きな仕事をしている人ってステキだなあ、とつくづく感じます。キャリアに悩む人、これから社会に出ていこうとしている人の適性を見つけ、とことん寄り添って一緒に考え、社会につないでいくことに情熱を持っているんですね。2013年12月3日に仕事で得た経験とスキルから本を出版されるということで、お話を伺いました。

 

interview
「天職との出会い、出版までの道のり」


温めていた出版への想い

―「自分の本をつくる方法」を受講されたのはなぜですか?

舛廣  いつかは本を出版したいという思いがずっとあり、たまたま自由大学の存在を知り、直感で「これいいかも!」と思い、受講しました。私、直感結構いいんです。(笑)文章を書くのは好きでしたし、実家が製本屋だったこともあり、本はとても身近な存在でした。よく、自分の生きた証を本で残したいという人がいますが、それと似たところでいうと、自分の母が生きた証を残したいという思いは少しあったように思います。母は5人の子どもを育てる偉業をやってのけましたが、専業主婦だったので、自分の名前で何かをすることはありませんでした。あとがきに母のことを少しでもいいから書きたいな、そんなことをふっと思ったのが、本作りをいつかしてみたいと思った最初の最初のきっかけかもしれません。

 

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―今回の出版のきっかけは?

舛廣  学生と話していると、親子関係って、その人の人となりにも、就職活動にもとても影響が大きいな、といつも感じていました。太陽の陽をさんさんと浴びた植物がすくすくと育つように、愛情をたくさんもらい、信じてもらってきた学生のその心の幹はしっかりとしていて、来るべき時がくると、ちゃんと自分から自立に向かっていきます。就職活動で、つらいことがあっても、ちゃんとまた立ち上がります。また、きちんとしつけをされてきたかどうかも、就職活動では結構出てしまうのです。あいさつや人への配慮等の小さな事柄なのですが、そういった小さな事柄が、意外と就職活動は大切で。。。就活って、子育ての最終章だな、そんなことを常々考えていました。親のことを楽しそうに語る学生はちゃんと就職が決まっていくし、逆に親子関係になんらかしらの問題がある学生は就活が長引くこと、もしくは就職できずに卒業していくこともありました。自分の中で経験値として、そういった親子関係と就活の相関関係のようなものが見えてきた時に、「親子関係と就活」をテーマにして、本をまとめたい、誰かに伝えたいという思いが生まれてきました。たくさんキャリアカウンセラーがいる中で、私がそういう思いを持ったのは、もちろん仕事上で生まれた問題意識からくるものが大きいですが、私自身が2児の母親であることや、私にとって(自分自身が子であるという立場も含め)親子とか家族というテーマがとても大切なものだからなのだろうと感じています。

企画から出版まで 

―講座で書いた企画書がスタート地点だったんですよね?

舛廣  はい、最初「自分の本をつくる方法」で書いた企画書は、『大丈夫!きっとあなたの子どもは就職できる』という、今考えるとなんともベタなタイトルのものでした(笑)「どんな子どもにも社会に通じる力はあるから、その子のいいところを信じ、伸ばし、親が子どもの応援団になってほしい」というメッセージで、社会人基礎力をわかりやすい表現で伝えていく本を考えていました。勉強はもちろん大事ですが、家庭や、さまざまな経験を通して培われていく社会人基礎力があるかないかのほうが、就職においては大きいと感じていたからです。

書いた企画書を誰かに見てもらい、アドバイスがもらえたら、と思い、本を書いたことのある友人に、見せたところ、友人がお世話になったフリーの編集者の方を紹介してくれ、その方が、学研教育出版さんを紹介してくださったことで、今回のご縁が生まれました。その編集者の方は、学研さん以外にもご紹介くださる出版社の候補をくださったのですが、モノづくりにおいて真摯な会社であること、著者の意向も大事にしてくれる誠実な会社であることを聞き、学研さんに決めました。自分が化粧品の広報をしていた時にも、学研さんとはお付き合いしていたことがあり、編集の方は全く違う方でしたが、学研さん=誠実で真摯な会社というイメージがあったことも大きかったです。 ただ、実際企画書をお送りすると、私は就活生の親だけでなく、中学生や高校生の親にも読んでもらえるような本にしていきたかったのですが、対象層やテーマの部分で、そのままでは企画を通せないという難色を示されました。でも「●●な角度でだったら」「●●な点をご再考いただけますか?」と毎回、メールの最後は、今後に結びつくようなアドバイスをいただけていたので、「ダメでもともとできるところまでやってみよう!」と何度か企画書を練り直し、お送りしていました。すると、最初のメールから4か月ほどだったころ、学研の編集者の方から、最初お送りした企画書の中のサブテーマである2章分に着目し、「就活生に親が言ってはいけない言葉、言ってあげたい言葉」といったコンテンツの本があったら、いいのではないか、と逆にご提案をいただけました。うれしい思いがあるのと同時に2章を一冊に膨らまして書き上げられるのだろうかどうかという心配があったり、「社会人基礎力」のことで一冊書きたいな、という思いも正直少しありました。でも、運命ですね。ちょうどそのお言葉をいただけた日に、大学で面談をした学生が、自分の選んだ就職先について親に「どうして大学まで行かせてそんな会社なの!」と猛反対され、面談で号泣する姿を目の当たりにし、「これは私が書かねばならない!」みたいに思ってしまったのですよね。完全に神様と学生が後押ししてくれた感じです。(笑)

 

―リサーチにはじっくり時間をかけたとか

舛廣  このテーマで書こうということになってからは、より幅広い学生のリアルな声を本で扱っていきたいという思いがあり、複数大学の学生に座談会をしてもらったり、ネットアンケートをとったりしました。実際、これらは本のコンテンツとして収録されていますが、リアルな声がたくさんでなかなか面白く皆さんも興味深く読んでいただけると思います。また、このことは今まで自分が持っていた仮説を結果として裏付けしていく形になり、自分がつたえようとしていることは、やはり伝えるべきこと、大切なこと、という確信を持てたという意味でも、自分にとって意味のあることでした。
もっとも時間を割いたのは、担当していた元学生への取材です。親子関係のことで「あの学生なら!」と思い浮かぶ元学生に連絡をとり、久しぶりの再会を果たし、インタビューをさせてもらいました。彼らはみなすっかりステキな社会人になっていて、そのことだけでもうれしかったのですが、インタビューする中で、うるっと来るような感動エピソードもたくさん聞きました。学生時代、親子関係がいいと思っていた学生さんでも、面談中にそのことばかりをフォーカスして話すわけではないので、改めて親子関係に焦点をあてて話を聴いていくと、「だからあなたはあんなに頑張れたんだね」というエピソードを聞くことができ、親子関係ってほんとに大切だな、と思いました。
このインタビューをまとめた章は、きっともっとも皆さんにも共感してもらえたり、考えていただける章になっているのではないかな、と思っています。

 

大家族が育てた人柄、母の影響

―大家族でお育ちになったということ、どんなご家族で、どんなお子さんでしたか?

舛廣  我が家は5人兄弟+父母+祖母+叔父2人、計10人の大家族でした。そこに実家が製本業だったこともあり、住み込みの社員さんが3人、お手伝いさんも1人と、まぁそれは人の多い家でした(笑) 長女である私は母とたくさん話をよくしていましたが、母との会話の中から、従業員の人や親せき、近所の人のことなど、さまざまな人の話を聴いていて、昔から人に対しての関心がとても高い子どもだったと思います。人の生き方には正解はなく、多様であることを生育環境の中で実感できていることは、私のキャリアカウンセラーという仕事においては大きいなと思っています。人についての話しや情報もよく覚えているほうですが、ある意味当たり前ですね。こんな環境の中で育っていれば、必然的にそういう力は身についてしまったのだろうな、と思います。

 

―お母様はどんな方でしたか?

舛廣  私の父と母は、サザエさんの波平さんとフネさんのような感じの父と母で、母はなんというか器が大きい人で、いくつになっても母のようにはなれないだろうと思います。5人の子どもそれぞれを見て、うけとめて、同じように愛を注いで、今は私たちの育児をサポートする、いわば孫育てに奔走しています。母は、いつも私たちを否定せず、じっくりと話を聴いてくれる人でした。実家にいたころ、何か悩みや共有したいことがあると、母は明け方まで話につきあってくれました。基本受け止め、尊重し、でも時に子供の私には持ちえなかった視点を与えてくれました。私のカウンセラーは母だったのだと思います。「私もいつか誰かにとってこういう存在になりたい」、キャリアカウンセラーという仕事を選んだベースにはそういった母と過ごした時間の影響が大きいと感じています。

◇転職2回、平坦な道ではなかった

―最初は営業職だったんですよね

舛廣  はい、新卒では化粧品の商社に営業職として入社しました。化粧品に興味もあったのですが、当時の化粧品の売り場は安いものはドラッグストア、高いものは百貨店、と買い場が消費者にとっては不便なように感じていました。「高いものも安いものも自由に買える売り場が作りたい」そう思ったのが、商社を選んだきっかけです。小売店では、自分の店しか変えることができませんが、商社なら、様々な商品と様々な店、業態にかかわれると思ったことがもっとも大きな理由です。多様性×自由、みたいなものは、もしかすると私の中のテーマなのかもしれません。

 

―結婚も出産もこの時期に?

舛廣  入社して思いもかけず、早く結婚し、出産もし、流れに乗って復帰したものの事務職での復帰となり、やはり事務系は向かないな~と思っていたころ、たまたま広報の仕事に空きが出て、広報を担当することになりました。この広報の仕事は私にとって天職の一つでした。初めて世の中に送り出す商品やブランドを、どうやったら世の中に広まるようになるのかを考え、世に送り出し、育てていくのはなかなか楽しかったです。たくさんの人との出会いも、プレスリリースなどで文章を書くことも、どのプロセスも楽しく、仕事はとても忙しく、子育てとの両立は大変ではありましたが、「たのくるしく」仕事をエンジョイできていた20代後半でした。「私は働くことが好き!」そう強く思えた時でしたね

 

―そして事件が起こったんですね

舛廣  そうなんです。ちょうど30才を前に会社が民事再生になり、夫婦で一時無職になるという経験をしました。急いで転職した会社での仕事は広報でしたが、聞いていたのと条件は異なるし、何より、不誠実な会社で、入社3か月で辞意を伝えたものの、なかなかやめさせてもらえず、最終的に入社6か月で辞めました。私の人生の最大の失敗と言えます。でも、転んでもただでは起き上がらない性分なもので、この退職を、これからにつなげようとは思っていました。その会社を退職する準備をする中で、人材紹介会社に登録をしに行ったのですが、そこで「子持ちの女性が広報の仕事をするなんて、そんなの無理です」みたいな、ことを言われ、「悔しい!!納得いかない!!」と強く思ったことを今も覚えています。「子どもがいようが働きたいと思っている人が自由に働けない、そんな多様性を認めない世の中なんておかしい!」この時も、こういった多様性や自由を脅かされる経験があり、私は次のステップへと導かれていきました。

 

―自分の苦い経験があり、キャリア関係の仕事に興味をもたれた

舛廣  一連の退職・転職の動きの中で、「働く」ということにとことん向き合い、自分の人生は自分が舵をとって生きていくもの、選んでいくものと自ら考え、経験できたたことを通し、私は「人のキャリア」に関わりたいという気持ちを強く持つようになります。同じようにキャリアで悩む人の力になりたい、生き方が多様になる時代だからこそ、キャリアで悩む人も増えるはず、自分がしようとしていることは、きっと社会的にも価値のあることだと確信し、私は化粧品や広報という華やかな世界からキャリアの世界に大きく、自分のキャリアの舵を切りました。でも、実はキャリアカウンセラーって、そんなに安定的な仕事ではないのです。今でこそ職業として成立させている人はいますが、当時は、なかなか険しい道に見えました。仕事が楽しすぎて、延ばし延ばしにしてきた第二子もそろそろほしいと思っていたこともあり、私は焦らず段階的にキャリアの領域に近づいていくことを選びました。生まれたばかりの乳児を抱えながら、不安定な職業は、無鉄砲な私にもいささか、無理があるように感じられたからです。

―計画的に考えようと思ったわけですね

舛廣  私はどちらかというと計画を立てること、戦略的な物事の考えた方をするのは苦手ですが、このステージでは戦略的に自分のキャリアを考えました。いきなり個人を扱うキャリアの領域に行くのではなく、まずはその個人が働く組織の領域=人事や人材といった領域から、「人が働く」という世界に入っていこうと思いました。妊婦を雇ってくれる会社はそうそうないでしょうから、妊娠期間を社会保険労務士の資格取得期間に重ね、子どもを出産した翌年からは、社労士の資格を活かし、人事・労務系の仕事に転職しようとターゲットを決めました。出産したら、ホルモンの関係や子供のお世話で、とても社労士の資格をとるのは無理だろうと思ったので、資格勉強は一発合格を決め、必死に取り組みました。夏の暑い日も、家で12時間も勉強をし、その年の夏休み、長男はパパとばかり遊びに出かけていました。社労士受験で一番記憶に残っているのは、試験日当日の受験会場での光景です。早稲田大学の一室が受験会場でしたが、なんとそこは妊婦部屋。お腹が大きな妊婦さんが、必勝ハチマキをまいていたり、戦意満々な鬼の形相をしていたり、はたまたロココ調の華やかでかわいい足置きを置いて、むくみ防止対策をしていて、世の中の妊婦さんは、なんとみんな頑張っているのだろう、と感嘆した記憶があります(笑)私なんて、まだまだでしたね。

 

―ご自身のキャリアプランはひとまず大成功でしたね

舛廣  出産した翌年、私は生後半年の娘を保育園に預け、縁あって採用してもらった人事コンサルティングの会社で契約社員として人事の仕事を始めました。この会社は、働く環境の部分はとても整っている会社で、子育てしながら3年間働く中で、会社はいろいろと配慮をしてくれたと思います。コンサルタントという頭脳明晰な人から学ぶことは多く、プロフェッショナルとはこういうものか、という仕事の厳しさ、精度の高さ、みたいなことを教えてくれました。ただ、いかんせん右脳人間の私には、左脳ばかりを使う毎日は、修行以外の何物でもなく、また人事で労務管理をしたり、細かい仕事をしていましたが、管理されるのも管理するのも嫌いな自分が人の管理をすることにだんだんと違和感を感じていくようになりました。また、その会社に在籍中に、キャリアカウンセラーの資格を取得し、会社の許可を得て、メールカウンセリングの仕事を二足のわらじでしていく中で、自分の中で「やはり自分は組織ではなく、個人にかかわりたい。そこが私の力を活かせるところだ」と確信していくようになりました。組織の側から、働くことを考えるという、自分の当初のミッションは一応果たせたと思い、そろそろ卒業を。。。と考えていたところ、今の学生支援の仕事にたまたま巡り合いました。

◇天職との出会い・これからの仕事

―学生支援の仕事はフリーランスとして?

舛廣  その仕事を募集していた会社の企業理念をホームページでチェックしたところ、「自信をもてる自分と出会う機会を誰にでも。自信をもてる仕事と出会う機会を誰にでも。勝ち組、負け組という、誰かがつくった一元的な幸福像を越えた日本へ。私たちは、そんな理想のためにあつまりました。」というフレーズがあり、なんというかびびびっと来てしまったのですよね!「そうだよね!そうだ!そうだ!」と。こういう考えの人たちと一緒に学生を支援したい、育てたい、社会に接続させたい、学生たちに働くことの素晴らしさを知ってほしい—–人生の舵を大きく切るタイミングは、偶然のようでいて、実は必然的にやってくるのだと思います。ただ、そのタイミングをどうするかは自分次第。私はそこで、フリーランスというある意味リスクのある働き方を選び、新たなステージへ飛び込むことを決めました。

 

―学生支援はどんな仕事ですか?

舛廣  初めて携わる学生支援の現場は、想定以上に、自分にあった仕事で、面白い仕事でした。3年生から4年生の進路決定するまで、担当制で学生を長期継続支援していますが、学生たちの成長は目覚ましいものあります。自信のない学生や、「自分なんて」と思っている学生の支援は、なかなか大変なところもありますが、そんな彼らが何度も何度も就活の壁にぶつかる中で、自分を信じ、成長していく姿を見られることは、ものすごい感動でもあります。彼らのいいところを発見するのが大好きです。彼らの気づかないいいところを、話の中から見つけ出し、フィードバックした時の、彼らのうれしそうな、ちょっとほこらしげな表情を見ると、こちらもうれしい気持ちになります。宝石の原石を磨いているような感じですね。就活で壁にぶち当たり、再び立ち上がる彼らの強さ、自分がこれだと思った仕事に出会った時の彼らの目の力の強さ、自分の中に自信を見いだせた時、人は何ともいえない輝きを光放つようになります。感動と喜びの多い仕事です。でも、それと同時に、学生を社会へと送り出していく、接続させていく、社会的な意味合いの大きい仕事だとも思っています。時に、支援者としての壁にぶち当たることもあり、そんな時は本当に苦しいですが、そういったことを一つ一つ乗り越え、学び続けることはこの仕事の宿命なのだと思います。人を相手にしている以上、完璧とか絶対はありえませんから。だからこそ、毎回が新鮮で飽きない仕事なのだと思います。

―そういうリアルな経験から今回の本が生まれたのですか?

舛廣  ええ、学生支援は、学生の心情や状態の変化、学生の生育環境など、深く濃く継続的に学生とかかわっていく仕事です。そうやって学生と面談を重ねていくと、こちらから聞かなくても、当然のように親子のかかわりは見え隠れしてくるものです。いい親子のかかわり、そうでない関わり、どちらも学生への影響は大きいなと日々感じていました。親御さんも思いがあるから、過度な関わりになっているケースもあり、親である自分だからこそ、共感的な本を作りたいと思い、今回のテーマに向き合い、取り組んできました。事例がたくさんあって、「ある、ある」と思ってもらえたり、共感してもらえたり、あったかい本になったのではないかな、と思っています。

 

―これからどんな展望を持っていますか、新しい興味は?

 舛廣  今後は、就活生の支援に加え、就活生の親御さんの支援もワークショップや講演などを通してしていきたいな、と思っています。また、今回の執筆活動を通して、私は取材活動がとても好きなことを実感しました。実は普段から、活き活き働いている人を見かけたりすると、思わず仕事インタビューしてしまったりするのですが、平成仕事百科のような、いろいろなお仕事の人にインタビューすることで、学生たちが仕事の醍醐味を知れたり、自分の人生を作っていくことを楽しみにできるような、そんな情報発信もできたらうれしいです。そして、それがまたいつか本という形になったら、とてもうれしいなと思っています。

 

お話してくれた人
舛廣 純子 (ますひろ じゅんこ)
フリーランスキャリアカウンセラー。1972年、東京都出身。日本女子大学人間社会学部文化学科卒業後、化粧品商社に営業職として入社。会社の民事再生、自身の出産・育児を機に2 回の転職を経験。自らの転職経験からキャリア支援に関心を持つようになり、社会保険労務士、キャリアカウンセラーの資格を取得。2007 年、キャリアカウンセラー・講師として独立。日本女子大学非常勤講師、明海大学浦安キャンパス総合教育センター非常勤講師などを経て、現在、明海大学キャリアサポートセンター キャリアカウンセラー。学生の力を見出し、就職力を育み、志望企業への就職を支援する中で、高い就職率を達成してきている。プライベートでは2児の母。2013年12月『就活生に親が言ってはいけない言葉 言ってあげたい言葉』学研教育出版より出版。オフィシャルブログ「キャリアカウンセラー舛廣純子の「親×就活」ブログ」 : http://ameblo.jp/shuukatsumamanoblog/

編集部

編集部

オーディナリー編集部の中の人。わたしたちオーディナリーは「自由に生きるための道具箱」がコンセプトのエッセイマガジンであり、小さな出版社。個の時代を自分らしくサヴァイブするための日々のヒント、ほんとうのストーリーをお届け。国内外の市井に暮らすクリエイター、専門家、表現者など30名以上の書き手がつづる、それぞれの実体験からつむぎだした発見のことばの数々は、どれもささやかだけど役に立つことばかりです。