PEOPLE 07 高野翔( JICA職員、『福井人』発起人 / プロジェクトリーダー )

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幸せな暮らしのため国づくりに尽力したい。念願のブータンに赴
INTERVIEW
幸せな暮らしのため国づくりに尽力したい

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2014年8月、念願のブータンに赴任するJICAの高野翔さん。オーディナリー編集部では、海外で技術支援の仕事をしている高野さんのこれまでの経緯と、ブータンへの思いを聞いてみようということになりました。7月に生まれたばかりのお子さんと奥様も、来春合流する予定だとか。家族3人、日本とは環境も習慣も違う国でいかに生活し、どう働くのか、ブータンライフについてもすでに興味深いところです。まずは、高野さんの人生の転機の話など。夏嵐が予感される土曜の午後、出発前の忙しさをぬって、快く話してくださいました。

聞き手:深井次郎 (オーディナリー発行人 / 文筆家)

高野さんと深井さん

深井次郎 と 高野翔さん

 

【お話してくれた人】
高野 翔 (たかの しょう)
JICA職員 /『福井人』発起人・プロジェクトリーダー
1983年、福井県福井市生まれ。名古屋大卒後、JICA(国際協力機構)に所属し、途上国の持続可能な都市開発プロジェクトをアジア・アフリカを中心に担当している。また仕事と並行しプライベートでは地元福井のまちづくりに奔走。2013年クラウドファウンデイングで協力を集め、福井の人を焦点とした観光ガイドブック『Community Travel Guide 福井人 -福井県嶺北地方 人々に出会う旅 – 』(英治出版)を発売し、グッドデザイン賞受賞。2014年8月からブータンに赴任し、国づくりに尽力する。
<関連WEBサイト>
Community Travel Guide 福井人
READYFOR
グッドデザイン賞2013

 

 

バイオの花形研究者という目標を変更して
途上国支援の仕事を選んだ理由

 

深井   高野さんとぼくとの出会いは、自由大学でしたね。ちょっと昔の話もお聞きしたいのですが、学生時代から海外志向だったんですか? JICAに入ろうと思ったのはいつごろからですか。

JICA(ジャイカ)とは、外務省所管の独立行政法人国際協力機構。開発途上国への技術協力を行い、日本と相手国の人々との架け橋となっている。

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高野  福井にいた学生の頃は、まだJICAのことは知りませんでした。大学では理系でバイオテクノロジーを専攻していたんですが、修士1年の時、アメリカに2ヶ月間研究留学したんです。すごく嬉しかったんですが、日本は研究をはじめとした技術力は高いものがあると思うのですが、欧米社会の中で尊敬され、また物事をリードしていくことは非常に難しいことなんだな、と学生ながら身をもって感じました。この時はじめて自分を日本人として意識したのだと思います。それなら日本を軸として、日本の技術を必要な国に直接届けて、役に立ちたいと思い、JICAに就職しました。ミーハーにいろんな国に行けて、いろんな価値観に触れられる、というのもありましたけど(笑)

 

深井  目標をバイオの研究者から突然途上国支援の仕事に変更したら、周りは驚いたでしょうね。

 

高野  大学の同級生はほとんどがバイオ系の研究職として羽ばたいていきますから、変わった人扱いなところはあるのかなと思います。研究室の先生や先輩方に非常にお世話になり研究に没頭し、いろんな世界を見せてくれた研究室生活だったので、バイオの研究ではなくJICAで仕事をしたいと言うのだったら、意地でも絶対に受からなくちゃ、という気持ちがすごく大きかったです。今思うと、あの時JICAでの国づくりの仕事を選択したことは大きな転機だったと思います。実際に。

 

深井  というのは?

 

高野  私は3人兄弟の末っ子で兄と姉がいるんですが、7歳上の兄を追いかけて育った感じがありまして。兄ちゃんがかっこ良くて、中学で兄が部活でソフトテニスなら、私も同じ中学に入ってソフトテニスに励んだし、バイオも兄と同じ専攻でした。いつも自分で進路を選んできたつもりが、実は兄の影響が大きかった。今、兄はバイオの世界で活躍していて、いやあ、さらに追っかけていたら、危なかったかもしれませんね(笑)。研究職をやめJICAでの国づくりの仕事をはじめたことで、やっと兄を追っかける道から自分の道に切り替わった感じがします。そんなこともあって、JICAに入ったら大きな仕事をしてやろうと青臭く思っていました。

 

 

少し雨が降りそうですね

「兄の背中を追いかけてきた少年時代でした」

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都市計画には人の人生を
良くも悪くも変える力がある

 

深井  兄弟関係は影響大きいですからね。お兄さんが偉大すぎたんですね。僕も学生時代、「将来は大きなことしたい」と言ってました。あのとき言ってた「大きなこと」って何だったんだろう(笑)

 

高野  私の場合は漫画のドラゴンボールのイメージですかね(笑)課題や困難をクリアして強くなっていくと、より大きな仕事ができるイメージです。実は私の中ではJICAの仕事はドラボンボールの世界観に今ある仕事の中で一番近い気がして選びました。いろんな国に行って、厳しい課題を解決して回るわけですから。行く先にはいろんな登場人物との出会いがあって、私たちのステージがあがれば、貢献度も上がる。特にJICAのいいところは、私企業では取り組む事ができない途上国の国づくりという後世に残るダイナックな仕事ができ、また政府から市民まで、広く現場を知っているということです。私たちは途上国側からの要請があると現地に行って開発プロジェクトを立ち上げます。例えばそこに橋が必要であるならば、橋が求められる背景や役割を確認し、効果的な設置場所や橋のスペックを選定します。橋の詳細設計・施工を公示し、その後、受註した企業とそのプロジェクトを共に進めていく、というような仕事をしています。

 

深井  最初の現場は、ラオスでしたよね?

 

高野  就職1年目に数ヶ月間ラオスで仕事をしました。ラオスに行くまでは、都市というものは、自然発生的に生まれるものだと思っていたんですが、違うんですよ。都市計画の仕事をしてみて、街は人が作るものだと初めて知りました。ラオスでは、何もない土地に青写真をひいて、都市計画マスタープランを元に、行政がゼロから都市を構築していくんです。例えば、途上国の現場では、川をおさめる、治水はとても大事なことで、国によっては日本であれば江戸時代から実施してきたような基礎的な土木工事が必要になることもあります。日本ではあまりにも昔から都市整備がすすんでいて、それが当たり前すぎるから、先人の苦労に気づいていないことも多いですが、日本の都市計画や治水技術は歴史的にもすごいことだったんです。

 

深井  それから何カ国くらいの都市計画に関わったんですか?

 

高野  社会人になって6年目になりましたが、20カ国ほどです。都市計画には人の人生を良くも悪くも変える力がある、人の作った街がそのまま人の生活に影響する。都市計画ってインパクトがある面白い仕事ですよ。関係国の人との仕事から学ぶところも大きい。これからがんばって良好な環境整備を進めていかなくてはならない国の人たちの、いい街をつくりたい、自分の国を良くしたいという情熱に触れていると、自分は日本や故郷のために何もできていないのに、他国の政府高官に何を偉そうなことを言っているんだろうと、恥ずかしくなったこともありました。

 

 

「街は元からあるものだと思ってたのですが、だれかが計画してつくってきたものだったのです」

 

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同年代で自分の国の将来を背負う人と知り合い、刺激された

 

深井  海外旅行でも同年代で真剣に自分の国のことを考えて、動いている人と出会うと、意識の違いを感じますね。仕事ならなおさらですね。

 

高野  そうですね、東ティーモルでの都市計画マスタープラン(都市環境整備に関する方針)の仕事で、実質的に現場を仕切っていたコーディネイターが私と同い年でそういうすごい人でした。東ティーモルは誕生して12年目の若い国で、すべてこれからなんですが、同年代の若い人が、自分の国をなんとかしたいとものすごく主体的に動かれているんです。都市整備を進めていくプランもまだない国ですから、国の体がまだまだしっかりしていない中にあって、なんとか物事を進めていかなくちゃならなかった。若い時って与えられた仕事だけすればいいと思考停止すればそれまでですが、彼は国の将来を背負っている。厳しい状況でもなんとかしようとしているんです。そういう人と一緒に働けて、嬉しかったし、刺激されました。私も自分の国や生まれた街のためになにかしたいって思いましたね。

 

「自分の国や育った街をよくしたい。具体的になにか活動したいんです」

 

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クラウドファウンディングで書籍「福井人」を出版

 

深井  そんな思いから「Community Travel Guide 福井人」が生まれたんですね。

 

高野  はい、そうですね。福井のまちづくりのスタートは福井のエリア情報誌『URALA』での連載からでした。国内外の自分たちにとって興味があるまちづくり事例を福井の方に紹介・共有したいという思いでした。粋な編集長にチャンスをもらってはじめたこのまちづくり連載でしたが、いろんな地域のまちづくり事例を紹介する中で、まちづくりという活動そのものよりも、そのまちづくりをたくさんの仲間とともに実施している魅力的な“人”に焦点をあてて記事を書いている自分たちに気づきました。国や街をつくるのが人であると同様に、まちづくりは“人”そのものなのだと。その気づき・学びから、福井をつくっていくたくさんの方と一緒に、福井の魅力的な“人”を紹介する一冊の本を作成しよう!とプロジェクトを開始しました。

 

深井  資金をクラウドファウンディングで集めたんでしたね?

 

高野  はい、新しいチャレンジでした。資金集めにも企業からの支援や行政からの補助金など様々な方法があると思うのですが、今回のプロジェクトでは、なるべく多くの方に参加してほしい、仲間になってほしいという思いからクラウドファウンディングを活用しました。そして、福井を盛り上げる一冊の本をつくるということに共感をもってくれる方が次々に現れ、最終的には290人の方々が、「頑張ろうな」と資金の面でプロジェクトに参加・応援してくれました。クラウドファウンディングを活用することで単に資金があつまっただけでなく、たくさんの方にこのプロジェクトを知ってもらい、参加してもらい、共感が広がっていく事を実感しました。今では、このクラウドファウンディングを通じて出会えた方と福井のまちづくりを行っています。

※クラウドファンディングとは、インターネットを介して不特定多数の個人から資金(支援金)を集めるサービス。新しい資金調達の手段として注目されている。群衆( crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。

 

 

深井  WEBサイトじゃなくて書籍というのにはこだわりがあったんですか?

 

高野  本=手に取れる物だということにすごくインパクトがあって、WEBサイトを作るよりもみんなの思いが1つに集まりやすかったと思います。やはり一冊の本が実際に出版されて、実際に書店に並ぶんだということに価値がある。盛り上がりました、全然違うんです。

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「どの方も本当にカッコいい。まだ全員お会いできていないのですが、時間を見つけて1人ずつ会いにいっています」

 

 

深井  実際には高野さんが本に登場する福井の人たち全員を取材したんですか?

 

高野  いえ、記事のための取材はワークショップに参加してくれた方々がしてくれました。私はまだ全員にはお会いできていないんです。私自身は、今、仕事場の東京で生活していて、大学で福井を出てからはお盆と正月しか地元福井に帰らない生活でしたので、高校までの知り合いしかいない。今回、福井での福井人プロジェクトのワークショップに参加してくれた方々が自分達にとって魅力的な人を出しあい、実際に取材にいくという形でこの本ができています。このプロジェクトを進める中で、10~70代の方々と本づくりをして、同郷の友達がたくさんできたのは、なにより嬉しかったですね。

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『福井人』制作時のワークショップ。高野さんがファシリーテーションして進めていきます。福井にゆかりのある方々がたくさん集まり知恵を絞りました。新聞にも掲載されました。

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深井  大人になると、友達と言っても、仕事関係か親戚か学友に限られてしまったり。同郷で家の場所も知っているような友達って貴重ですよね。

 

 

高野  そうですね。私の場合、子供の頃から地域コミュニティコンプレックスみたいなものがあったように思います。国立の学校に通っていたので、学校にはたくさん友達がいましたが、家の近所の友達はほとんどいなくって。夏休みのラジオ体操に行っても、友達がいなくて、子どもながらに疎外感を感じて、寂しかった思いが残っています。なので「福井人」を作って同郷の知り合いがいっぱいできて、なおさら嬉しくなったのかもしれません。「ふるさと」って知り合いがたくさんいるってことなんだなあって。

この福井人という本のおかげで、魅力的な方に出会える旅を、私自身させてもらったのだなと感じています。農家の方など東京にいると知り合えなかったいろいろなこだわりの仕事・活動をされている方に出会えました。特に、東京にいると食べ物をはじめとする生産と消費の現場が乖離していて、農業をはじめとする一次産業で活躍されている方とはどうしても知り合いにくい状況です。このプロジェクトを通じて、子の健康を思い福井の地で世界一おいしいアスパラを栽培されているご夫婦など、たくさんの方々に知り合え、お会いすると、魅力的でカッコイイ福井人ばかりです。食べ物の生産現場というのは、人間にはコントロールできない自然を相手に仕事をし、自然とともに生活していくわけですから、クリエイティブでカッコイイですよ。食べ物を直接自分で作れるということは非常に強いと感じました。福井人の本をめくってもらうとこのような方々がいっぱい紙面を飾ってくれていまして、こういった方々が魅力的であるとみなに選ばれるプロセスを見ていると、都市生活を送っている人々は、このような人たちと関わりたいと思っているんだな、と福井人というメディアを作って思いました。

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「当時、少し離れた国立の小学校に通っていたので、近所に友達がほとんどいなかった。それが寂しくて(笑)」

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深井  都市と農村を結ぶメディア、いいですねえ。大手メディアはとりあげないけど、無名でもすごいヒーローがいるんですよね、エネルギーのあるカッコイイ人は確実にいる。

 

高野  みんなで作る小さなメディアだからこそ、いろんな人たちの人づてで熱いローカルヒーローにたどり着いたんです。関わる人たちの人脈が探り当てた宝ですね。すごくいい流れだと思います。身近で知られていないヒーローを紹介するメディアにはすごく意味があると思います。やっぱり私たちはなんだかんだ外からの評価が嬉しいし、そういう情報発信は活性化に必要なことですし。本が出たら、地元の方々がとっても喜んでくれて、最初2000部の印刷だったのですが増刷になりました。プロジェクトに参加してくれた多くの皆さんが買って配ってくれたり、おみやげにしたり、結婚式の引き出物にしたりと。福井の紀伊国屋で年間ベストセラー6位の売り上げだったようでして、本当にびっくりです。それだけたくさんの方と、福井を盛り上げたい!という同じ気持ちでやってこれた結果、ということであればこの上なく嬉しいです。

出版された後に、紙面を飾ってくれた福井人の皆さんに会いにたびたび小旅行にでているのですが、お会いできた時は、いつもサインをいただくんですが、初めてサインしたよ、と会話がはずんだり、仕事の誇りや人生観を教えてもらったり、そういう出会いとか、ふれあいがすごく嬉しい。やってよかったなと思います。

 

 

 

人生の転機、父になり、夏から憧れのブータンへ赴任

 

深井  最近お子さんが生まれたんですよね、おめでとうございます。僕は人生の転機にすごく興味があるんですけれど、高野さんの場合は、まさに今って感じですか。

 

高野  ありがとうございます。行きたいと思っていたブータンに赴任することになりまして、先日長男が生まれて、そうですね、転機かもしれません。

※ブータンはこんな国です。ブータン政府観光局公式サイト

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「これから数年間、ブータンで暮らしながら任務にあたります」

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深井  今回は、なぜブータンに?

 

高野  東日本大震災の時、新婚の国王が来日されたでしょう?その時の国王の振る舞いや発せられた言葉に魅了されたのがきっかけです。また、ブータンにはJICAの事務所があるのですが、震災の次の日に、国王が日本人を集めていただき、日本と日本人のために祈りを捧げてくれ、一人一人に手をとってくれたと聞いていました。ブータンは経済的に豊かであるとは言えない状況ですが、100万ドルの寄付を日本にしてくれ、また、ブータンの個人の方々もなかには地方部からはるばるでてきていただきJICAブータン事務所に寄付を届ける人がいらっしゃったと聞いています。東日本大震災は私としても価値観を再認識した時でしたので、ブータンの国としての姿勢、個人としての姿勢が印象に残っていました。

ユニークな国だとおもいます、ブータンは。21世紀のビジョナリーカントリーだと思っています、私は。インドと中国という大国に挟まれた高低差の激しい高地に80万人が住んでいるんですが、国として生き残るためのリーダーシップがすごい。有名なGNH ( Gross National Happiness / 国民総幸福量 ) もありますね、物質的な指標だけではなくて、国民の精神的な豊かさを重視する幸福度で国の発展を測る指標・ビジョンです。例えば道路1つ建設するにしても、国民が幸せになるための独自の9つの指標をクリアするものが政策として実現され、クリアできないものは実現されないという仕組みになっています。

 

深井  GNH=国民総幸福量ですね。経済ではなくて、家族の幸福とかを基準にしているんですよね。

 

高野  そうですね、家族はコミュニティーの最小単位ですから。家族が壊れてくると社会も壊れ、国家も成立しなくなる。日本では、親が子を殺したり、子が親を殺したりと目を覆いたくなるような事件がみられますが、家族という最小のコミュニティーを大事にできない環境が様々な事件や社会問題を生んでいるように感じてなりません。その点、ブータンでは、道路などの物質的な側面が高いインフラの計画でさえ、家族コミュニティーの生活充足度の向上につながるかどうか、家族ですごす時間にどのような影響があるのかという視点でも見られ、家族コミュニティーという価値が国としての政策の指標になっているところが新しい。圧倒的に学ぶべきことがあると思います。

 

深井  いま経済成長ばかりを追いかけた国の大人たちがのきなみ疲弊していますね。モノではなく心に価値をおいた「ブータンの幸福ついての考え方」が注目を集めているのは当然のようにも思います。ざっくり言うと「足るを知る」ってことなのでしょうが、今このタイミングでブータンに赴任する意味は大きい。ブータンについての考察を述べている方はすでに多くいますが、その中でも、高野さんはJICA職員という立場もあって、これからブータンの政府高官レベルともやりとりする。もちろん、村で暮らす市井の人々とも生活を共にして深く関わりもする。それも数年間現地で暮らしながら。そしてまだ30代になったばかりで若い。それは希有な存在でしょう。それにしてもこの時期に行くとは運命的ですね。

 

高野  いろんな縁が重なってのことなんだろうなと感謝しています。先日子供が生まれ、子供の名前を“龍”にちなんで名付けたのですが、知らなかったんですけどブータンの国旗の真ん中にはドラゴンがいて、ブータンは龍の国といわれているようで。ちょっとゾクっとしました。

 

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行ってきますね

「では、行ってきます」

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深井  ブータンの守り神に呼ばれているのかもしれませんよ(笑)

 

高野  父親としての私も、ブータンでの仕事もまさにこれからです。「福井人」を作ってから、都市と農村の未来の関係を考えていきたいという思いがあるのですが、ブータンには次の豊かさのヒントになる社会のモデルがあるんじゃないかと期待しています。例えばブータン政府はこの4年以内に食料の自給自足をしようと目標を立てています。また、食料だけではなく、急峻な自然環境を利用して水力発電した電気で、エネルギーの自給自足も可能な状態にあります。私たちは、日本から技術支援を行いますが、このようなブータンの将来を見通したビジョンを、農業やインフラなどの分野で技術的に応援していきます。そして、この国から未来の社会のあり方を世界に示す、そんなユニークな国がブータンであると信じています。幸運にも、これから、社会のあり方を一緒に考え、作っていく、そんなプロジェクトに参加できるわけです。まずは現地に入って、いろんな人と出会い、景色を肌で感じて、いい仕事をしたい。何か1つでも次の世代に引き継がれるものを残して帰ってきたいと思います、ブータンに。そして、その景色を持って帰ってきたいと思います、日本や地元福井に。

 

深井  ワクワクしますね。学生時代に夢見ていた「大きなこと」が今、できつつあるのでしょうね。『福井人』も手応えありましたから、高野さんがまたいろんな本をつくっていくことを期待している人も多いと思います。あくまで僕個人的な思いですが、高野さんがブータンで考えたことも自分や組織の中だけでとどめてしまうのではなく、できれば広く世の中のために、体験談を共有してほしいです。本という形でもいいし、WEBや雑誌、マスメディアでも。ぼくから見て、高野さんの魅力は、いま目の前にいる人のために一生懸命になれるところ。誰だって国レベルの仕事のときは、予算も規模も大きな話なので、気合いが入って一生懸命になるものです。それがね、高野さんは同じような熱量を、たかだかピクニックでも発揮するんです(笑)。この間も、自由大学の懇親会で「メンバーみんなでピクニックをしましょう」と提案してくれたことがありましたよね。率先してピクニックシートを持ってきてくれたりして、「高野さんは本当に人を喜ばせるのが好きなんだなぁ」と感動しました。国レベルでも友人数人レベルでも熱量が同じ。裏表がないというか、規模の大小も、公私も関係ないんです。そこがね、信じられるというか、カッコいいなぁと。新しい挑戦、応援してます。お気をつけて。また面白いお話、聞かせてくださいね。

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高野さんからお便りが届きました。

Bhutan
編集部のみなさま。無事ブータンに着きましたので、写真を送りますね。小一時間まちを歩いてきたのですが、ここがブータンの首都ティンプーの都市の顔かな~と思う場所です。この写真はノルジンラムというメインストリートとなり、左手前に映っているのは、ブータンにただ1つだけ信号の役割を果たしている交通整理の交差点です。今の交通量と譲り合いの精神があれば、ブータンに信号機はいらない状況です。ブータンにくる前に、いろんな人にブータンのことを聞いてきて、小さい街だよ~、何もないよ~と聞いていました。しかしながら、私が実際に感じたのは、ブータンの首都ティンプーは風格ある大きな街だなと。人口10万人規模でこんなに商業施設が一カ所に集積し、且つ歴史を積み重ねた雰囲気をもつ街を私は見たことがありません。さすが首都ティンプーというたたずまいです。

 

TEXT : モトカワマリコ(ORDINARY)


編集部

編集部

オーディナリー編集部の中の人。わたしたちオーディナリーは「書く人が自由に生きるための道具箱」がコンセプトのエッセイマガジンであり、小さな出版社。個の時代を自分らしくサヴァイブするための日々のヒント、ほんとうのストーリーをお届け。国内外の市井に暮らすクリエイター、専門家、表現者など30名以上の書き手がつづる、それぞれの実体験からつむぎだした発見のことばの数々は、どれもささやかだけど役に立つことばかりです。