静かに目を閉じる。しばらくすると、音は静かに耳から遠ざかる。音が消えたのか、僕が眠ったのか。
第4話 ラム酒に溶けゆく孤独
TEXT & PHOTO 恩田倫孝
枕に頭を付けると雨が屋根を静かに叩く音が聞こえる。どこからともなくやって来た音は、止まる事を知らぬかのように鳴り続ける。この音を聞きながら、今日の出来事を思い出し、そして静かに目を閉じる。しばらくすると、音は静かに耳から遠ざかる。音が消えたのか、僕が眠ったのか。
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旅中に感じるほのかな孤独は、嫌いではない。一人旅をしていると、勿論一人でいる時間というのは多々ある。そっと電車の窓から外を眺めたり、時には、泊まる宿に誰もいなくベッドに腰掛けながら、電子機器の充電をし、窓を一人で開け空気を入れ、自分の足音が部屋に響くのを聞いたりという事もある。
それでも翌朝には、ドアの把手に手を掛け、次なる目的地へと静かに移動をする。ただ、この孤独といっているのは、この言葉が持つ強烈な意味のものではなく、いつでも別れる事が出来ると思っている、どこか浮ついた孤独なのかもしれない。そして、その感覚を楽しんでさえいるのかもしれない。
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スペインに行った際、聖地巡礼を行った
フランスからキリスト教の聖地の一つスペインのサンティアゴデコンポステーラを目指して800キロ程の道のりを歩くのだ。12月の冬だった。雪が降っている地方もあり、巡礼者は極端に減っている時期だったので、年間20万人が行っていると言われている中、僕が開始した日に歩き始めたのは、他に3人だけだった。
冬の寒い朝にのそのそと目覚め、体を起こし、20キロから30キロを一人で歩く日々が続いた。巡礼道は、田舎の道を歩くので、人とも中々会わない。空を見上げ、目の前にいる羊を眺め、足を進めていく事になる。誰とも会話出来ない状況、このささやかな孤独の中で、頭の中に勝手に友達を思い浮かべながら、勝手に会話を始めていた。これは自分の意識とは関係なく行われていたのだから、今思い出しても不思議な時間だった。歩きながら、深夜に見るはずの夢が動きだすのだ。これは何を意味していたのだろうか。
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歩きながら無性に音楽を欲した。そして、いつもそれは静かで悲しい音楽なのだ。理由は分からぬ。月の光に照らされた静かな湖の畔で目を閉じ、木の葉が水に触れ合う音を聞こうとするかのような感覚だ。そして、この湖の周りにある闇とも言えぬ場所に手を伸ばし、木々なのか人々なのかに触れながら進んで行く。何か目に見えぬモノを求めながら。
そして、しばらくするとこの状況に慣れて来た。宿に着いて、宿の暖かなスタッフと他に歩いている人達と会話をすれば満たされた。人ともっと会話をしないと寂しいと感じるのかと思っていたが、この時は、歩いていれば心は落ち着いていた。
多くの山を見た。雪を見た。川を見た。最後はスペインの西の果て、フィニステラ(end of the worldという意味)から海を眺めながら、40日程のスペイン巡礼が終わった事を一人で讃えた。
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一人で移動しているのだが、自然と他の人と時には動物と混ざりあい、そして、また一人になる。それを何事も無いように繰り返す。混ざると消え、外に出ると見える。常に抱ええている自分という存在は、誰もいない所で暴れるかなり我儘な動物だ。寂しさの端から覗く事でしか、孤独も自分も見えて来ない。一人でいる事も悪くない。
今、グアテマラの外れにある小さなバーにいる
先日、音楽をやっている友達から送られて来た彼の新曲を聞きながら、この文章を書いている。「月明かりに照らされて」というタイトルの曲は、その優しい光に包まれてとろけてしまいそうな甘い歌だった。添えてあるプロモーションビデオでは、彼らが水の中に沈んでいるのだが、水の中に差す光がまた綺麗でゆったりと揺れるのが、温かい。音楽を聞きながら、彼のこの曲に対する想いを勝手に想像しながら、椅子にゆっくりともたれ掛かる。彼の壮絶な人生があったからこそ、この優しさが溢れているのかもしれない。
孤独と存在は似ている。冷たい鼓動を感じるようなものだ。目の前に注がれたラム酒のグラスの中で、一つの氷が少しずつ溶ける様は、まるで小さな孤独が彷徨っているかのように見えた。僕らは、孤独を飼っているのか、飼われているのか。
カランとなる音を聞くと、どこか落ち着いた。
外は、雨が降り出して来た。どうやら、グアテマラは、雨期に入ったようだ。
(次回もお楽しみに。隔週更新です)
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連載バックナンバー
第1話 旅に出てから3回泣いた (2014.4.21)
第2話 空港に降り立つ瞬間が好きだ (2014.5.5)
第3話 砂漠に溢れる星空の下で (2014.5.19)