【第264話】ワンシーン・コレクター – 老婆を背負い横断歩道を渡る話 / 深井次郎エッセイ

深井次郎ドラマの中だけで、現実には遭遇しないシーン。そんなベタなワンシーンを求め歩く1人のエッセイスト、深井次郎。今回は、貴重なシーン「年老いた老婆を背負い、横断歩道を渡る」に挑戦する機会がやってきたお話です。無事におばあちゃんを背負うことはできたのでしょうか

ほら、あなたの日常にもワンシーンありませんか
アスファルトに咲く花とか

 

 

「ドラマではよくあるけど、実際そんな場面ってないよね」

いやいや、これがそうでもなくて、人生にはけっこうベタなシーンが溢れてるものなのです。

例えば、ぼくが直面したワンシーンをあげると…
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・授業中に教科書の影で早弁(そして先生に見つかる)
・バーのカウンターで「あちらの方からです」(その見知らぬ美女とは特に何もなし)
・本屋で同じ本をとろうとして「あ…どうぞ」(指は触れてない)
・食パンくわえて「遅刻、遅刻!」って玄関飛び出す女子中学生(食パンくわえてたのになぜ声が)
・ウェディングドレスで走る女(目撃。長いすそをまくり上げて、裸足だった)
・新幹線のホームで去っていく電車を追う男「ずっと待ってるから!」(目撃)
・サイテーって水をかけて出て行く女(ぼくじゃなく、隣の席のカップルね)
・すでに切れてる電話に向かって「もしもし、もしもし!も… あいつ…」(上司がやってた)
・タクシーで「運転手さん、前の車、追ってください」(「は、はい!?」って言ってた)
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…. とまあ、書き出したらきりがないくらいあって、自称「ワンシーン・コレクター」としては、日常に潜むワンシーンを収集すべく目を光らせているわけです。

「どこかにベタなワンシーンがないか」

これはもう「あるある」すぎる、「ベタベタ」度合いが高いほど、にんまりするのです。

さて、ここ1年ほどご無沙汰だったのですが、ついに先日、待ちに待ったワンシーンがやってきましたので報告します。

・おばあちゃんを背負って横断歩道を渡るシーン

これ、目撃ではなくて、ぼくが背負うことになりました。

都内のとある小さな駅で待ち合わせをしていると、

「タ、タクシーを止めてくださるかしら」

と後ろから弱々しい声がしました。

80代くらいのおばあちゃん、どうやら腰を痛めて歩けないのだそうだ。

話を聞くと、近所のスーパーまで買い物に来たのだが、帰り道にちょっとした段差を踏み違えてしまった。
立ってはいられるけど、歩くとなると痛くて5センチづつくらいしか歩けない。
買い物袋を持って、おうちまで帰るにはちょっと難しい。

この通りはあいにくタクシーが流しているような道でもない。

「うちは、すぐそこなんだけども… どうしようかしら」

困った顔のおばあちゃんを見て、ああそうか、ついに来てしまったのかと、この時ワンシーンにようやく気づいた。そうか、あれをやれってことだな。

「近くなんですね、じゃあ、乗ってきますか?」

背中を差し出すと、

「ええっ、ダメ、ダメよ、わたし重いから」

小さなおばあちゃん1人くらいわけはない。そうたかをくくって、

「大丈夫、体力には自信ある方だから」

と人間タクシーを引き受けてしまったけれど、結論から言うと相当重かった。危ない橋を渡ってしまった。

ワンシーンコレクターとしての知識も災いしました。ドラマでも年老いた母を背負って

「母さん… こんなに軽くなっちまって… 」

このシーンが刷り込まれていて、油断してました。「おばあちゃん=軽い」というのは幻想です。小さくて、そんなに太ってる感じでもなかったけど、ダボっとした服着てたから、ちょっとよくわからなかったのですが、中身が詰まってるというか、見た目以上に「なまりが入ってるか」と思うほど重かった。

元気な人間をおぶるのは簡単だ。背負われる方も腕や足で自分の体を支えてくれるから。力の入らない人を背負うのは何倍も背負いづらい。

この時、ぼくの危機管理センサーが働いた。絶対避けなくてはいけないのは、転ぶこと。もし背負って転んでおばあちゃんの打ち所が悪くて死んでしまったら、このケースが一番最悪のシナリオ。とはいえ、一度背負ったにもかかわらず、「やっぱり重かった、下ろします」ではレディのハートを傷つけてしまう。安全策をとって、「ケータイでタクシーを呼ぶ」というのは、ワンシーンコレクター的にはありえない。のちのち後悔するだろう。

慎重に背負って運ぶ。この選択が正しく思えた。

ドラマでは、すっとその場にしゃがんでスマートに背負うけど、ここは見た目より、安全優先だ。一番危ないのは、しゃがんで背中に乗せてから立ち上がる時。ここでバランスを崩して前のめるのが、素人のやりがちなパターン。そう思い、壁を探した。壁に向かって手をつき安定させながら立ち上がる方法、これは功を奏した。

よし、立ち上がれた、いけるぞと思ったら、背中のおばあちゃんが

「あ、痛たた…」

背負って垂直になると腰が痛むらしい。

ぼくは腰を折って、水平になって、ぼくにとっては一番きつい体勢でズシッとしたレディーを運ぶことになった。

「ああ、ありがとう、なんだか本当に夢みたいだわ」

これを夢みたいと表現するということは、おばあちゃんもこれが「ベタなワンシーン」だと気づいているのか。もしや彼女もワンシーンコレクターで、同業者なのか?

まさか、もともと腰が痛いのも嘘で、ただのコレクターだったとか? そんな、高度な技を… いや、まさか。

一抹の不安も抱えながら、しかし一歩一歩、ミスをしたら文字通り命取り。自転車でこけてそれが致命傷になって亡くなった、そんなうちの祖父のことを思いながら、慎重に。(こけたら死ぬぞ、気を抜くな)ぼくはとにかく足の運びに集中した。

「人様のお世話になってしまうとは… 本当に情けないね…」

背中で語り出したおばあちゃんは、どうやら体育会系で、ずっとテニスのコーチをしてきた人生だったようだ。健康には人一倍気を使って、トレーニングもしてきた、高額のサプリメントもとってきた。それでも年齢には勝てないのだという。

「こんなよ、ほんの3センチほどの段差が越えられなかったの」

もし人生が最後まで右肩上がりだったら、どんなに楽だろうか。若い10代の頃はわからなかったことが、人生の折り返し地点にさしかかってきた今は少しわかるようになってきた。どんな人でも、体力や美貌、仕事の能力がある人でも、いつかどこかでピークがあり、下り坂がやってくる。

この下り坂で、人は苦しむのだ。昔できたことが、できなくなる。手に入れたものを、手放さなくてはならなくなる。

与えてから、取り上げられる。それなら神様、どうか初めから与えないでくれたらよかったのに。その方が、苦しまない。

赤ちゃんから青年期までは、毎日、毎年、できることが増えて行く。右肩上がりの時は、モチベーションもわく、明日が楽しみでしかたない。

辛いのがわかって、神様は、なぜ人生に下り坂をつくったのか。

「きっと魂の修行なんだろうねぇ」

自分の頭の中と、おばあちゃんの声がシンクロして驚いた。

下り坂でこそ、人は思いやりや感謝に気づく。受け入れがたいものを受け入れ、こぼれていく中から残ったものに感謝し、小さな喜びを見つけていく。思いやりを持ち、できる何かで人に貢献する。

一生を通して右肩上がりで伸ばし続けられるものは、きっと一つしかない。それは「魂の成熟」だけ。
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「魂の成熟」に指標をおきなさい。
それ以外のカタチあるものに執着したら苦しいだけですよ。
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神様は意地悪ではない。人生の目的に気づかせるために、こんなにもわかりやすく肉体に下り坂をつくったのだ。

「うちは、もうすぐそこなんだけどもね」

一歩一歩、ずいぶん歩いてきた。「近く」と指差すから、せいぜい50mくらいかとふんでたら、かれこれ200mは背負ってきた。

背中でずいぶん会話したように感じるが、筋肉はオールアウト寸前、もう限界だ。

「そう、ここのマンションです」

よかった、無事に届けられた。

「おばあちゃん、明日は、買い物大丈夫?」

上がった息と汗だくの体を隠し、涼しげな顔で聞くと

「息子がいるので、頼むしかないかねぇ」

「そう、息子さんと暮らしてるんだ、それならよかった」

エレベーターまで送っていき、ボタンを押して待っていた。

「本当に夢みたいだったわ。こんなハンサムにおぶってもらって。本当に、本当に、生きててよかった…」

命の恩人のように、仏に手をあわせるように、何度も何度も大げさに感謝してくれた。やけにハンサムを強調するところをみると、やっぱりコレクターかもしれない。この場合、背負う男がハンサムでないと、ワンシーンとして成立しないのだから。

「ねぇ、あなた、お名前は?」

「いいえ、名乗るほどのものではございません」

そう反射的に口をついた自分に笑ってしまった。

期せずして、もうひとつワンシーンを収穫。1日に2件も。コレクター日和である。

「ありがとう。あなたの顔は絶対に忘れないわ」

閉まりかけのエレベーター越しにそんなことを言われたから、またドラマの伏線が張られてしまった。

こうなったら、あのシーンもコレクトしたくなってしまうじゃないか。
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・「まあ、あの時の彼だわ!」本を手に驚くおばあちゃん。
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というわけで、さあ、これからどうなる深井次郎の人生シナリオ。

おばあちゃんの元にも届くくらいの大ベストセラーでも書くのか。

なんてね。
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ドラマのようなワンシーンは、期する者にはよく起きる。
そう、それは、あなたの人生にも。

 

 

「感想や疑問、何でもお寄せくださいね」

「そうです、わたしがあの時の彼です」

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ピッタリだ!

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(約8500字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。