【第254話】飛んでから根を張る / 深井次郎エッセイ

 


作品を世に出せる人、一生出せない人

 

作品づくりの足をひっぱるのは、「遊びの誘惑」でしょうか? これが実はそうではなくて、「勉強の誘惑」なのです。

「本を書く」でも「起業する」でもそうですが、なんでもある程度の勉強は必要です。でも、その勉強のしかたを間違えると、一生カタチにならないなんてことがよくあります。

これはぼくも自戒をこめてなのですが、「なんのための勉強だっけ、研究だっけ」、というのを忘れてしまうことがあるのです。勉強や研究そのもの、それ自体が楽しくなってしまって、なかなか作品づくりにとりかかれなくなる。

よくあるのが(昨日もね、そうだったんです… )、連載エッセイを書こうとして、ある事柄について本で調べていたらそのまま読書に夢中になってしまって、読書で一日が終わってしまうということが実はよくあります。

「あ、一行も書いてないじゃん!」

書き手にとっての一番の誘惑は、本です。その日の仕事は、原稿を書くことなのですが、読むことで終わってしまう。「ああ、書けなかった、やばいなぁ」と一瞬は反省するんです。でも危険な言い訳も出てくる。

「そのぶんインプットできたわけだから、無駄な1日ではなかったはず」

自分を慰め、正当化してしまうのです。(ぼくは自分にも他人にも甘い… )

これが1日だったらまだ仕方ありませんが、そうこうしているうちに勉強だけですぐに1年2年3年経ってしまいます。勉強は楽しいし、知らなかったことを知れるので成長している実感もあるし、無駄にならない感じもして罪悪感を感じにくいんですね。ただ遊んでいるよりも罪悪感がないのが危険なのです。

イラストレーターになりたい人が、「まず基礎はデッサンだ」と言ってそればかり学んでいる人がいます。でも「デッサンに終わりはない」ので、どこまで上達しても勉強は終わらないのです。なかなか作品を世に出せない焦りもあって、「デッサンのスキルは私のほうが上なのに… 」と愚痴って、ヘタウマなプロのイラストレーターに辛口批評をしてしまったり。「あの人、なんで売れてるのか分からない。だって基礎がなってないし、プロなのにこんな基本的なこともできてない」と批判してしまう。そしてそんな自分に落ち込むのです。

料理本を書きたい人もそう。栄養について、健康について、盛りつけデザインについて、調理道具について、料理写真についてなど、研究することは山ほどあって、勉強には終わりがありません。一生かかっても、すべてを学び終えることはできないでしょう。すべてを知りたい、完璧にやりたいと欲張ったら、勉強だけで終わってしまいます。

 

作品に本当に必要なものだけ
最低限を見極める

 

何のための勉強なのか。作品を世に出すための勉強なのだと、忘れないことです。「こういう作品をつくりたい」があって、それを今すぐつくるために「必要なものはなんだ? 」という発想です。理想と現実を明確にして、足りないものを埋めるのです。この知識、このスキルが足りないとなったら、それだけを意識して集中して学ぶ。

「本は読むものではない、ひくものだ」

そうノンフィション作家の大宅壮一は言いましたが、辞書のように必要な部分だけを検索する感覚ですね。まるまる1冊精読するわけではない。そうでもしないと、読書で一生が終わってしまう(趣味の読書は別ですよ。ゆっくり味わってください)。

 

インプットにも〆切をつくる
「もうこれ以上勉強しない」

 

泣く泣くだけど、勉強を終える。もうこれ以上は勉強をしない、と決めるのです。勉強を遠ざけてから、作品制作にとりかかることが大事です。勉強は本当に切羽詰まって必要なときだけ。作品に取りかかったら、基本的には勉強はナシ。

「これからの時代、英語は必要」と世間では言われています。でも、だからといって何も考えず英語を勉強し始めてはキリがありません。英語は「できないよりはできたほうが何かと便利だよ」ということであって、全員が必須なわけではない。できなくても作品はつくれます。だったらとりあえず今は英語の勉強はあとまわしでいい。

本当に必要になったらニューヨーク行きの飛行機の中で勉強するくらいのノリでいい。そこまで切羽詰まれば、吸収力も高まります。ひとまずスピーチする原稿を友だちに英訳してもらってそれを必死で覚えて切り抜けます。ヒアリングは全然できないけど、こちらの言いたいことは最低限伝えられる。あとはどうにかなるだろう。

使うかどうかわからないものを勉強してるときほど、身に付かないものはありません。(気付いていないけど)切迫感がないからです。大学でも、一度働いた経験のある社会人学生は、真剣度が違います。「何を学びたい」「なぜ学びたい」がはっきりしているので、ただなんとなく学んでいないのです。

独立起業するためには、経営はもちろん、サービス、マーケティング、会計、法律の知識もあったほうがいいし、デザイン、ウェブのプログラミングもできたほうがいいかもしれない。でも、そういうふうに全部順番に極めていたら、法律の勉強だけでも10年じゃきかないだろうし、いつまでも起業できません。アウトプットに〆切があるように、インプットにも〆切をつくるのです。

作品づくりのための勉強のしかた。イメージはこんな感じです。

 

なるべく高く積めるようにする。基礎がないと高く積めないのですが、高く積もうとすれば、必要に迫られて基礎も補おうとする働きがあります。

 


裾野が広いほうが、最終的に高く積めるポテンシャルはあるのですが、人生にはタイムリミットがあります。その辺を考えながら、積み方を考えないといけません。基礎が広すぎると一段目で一生を終えてしまう。翼を使って、上から積もうとしなければなりません。

未完の原稿を10年ひとりでこねまわしているよりも、とにかく現時点の知識で1年で世に出して、フィードバックをもらって、次のステージにいったほうがいい。未熟さに気づいたら、その足りない部分を補った2冊目を出す。それを10冊積み上げたほうが、最終的にはより高みにいけます。

ぼくも勉強にハマって、こねてしまうタイプなので、作品づくりの前に勉強をしたくなったら、この3つを意識するようにしています。くりかえしもありますが、

1.  好きなこと以外やらない
好きなことは、自分がすでにやってきているモノの中にあります。知識、経験、センスもすでに蓄積されているはず。流行ってるからとか、求められてるから、とかで作るものは、新たに勉強が必要になってしまい、これらはすぐには取りかかれません。2.  新たに勉強が必要なことについては今回は捨てる
現状あるものだけで勝負する。足りないものは、終わってから勉強して次回作に盛り込む。アウトプットに〆切があるように、インプットにも〆切をつくる。今回はもうこれ以上勉強しない、と。

3.  とにかく完成させる、世に出すことを最優先
〆切を自分でつくる。これを守るのが難しいんだけど…。完璧にできる作品などない。NEXT ONEが待ってる。

ちなみに大人になってからの学校は、子どもの頃とは違います。個々の差はより大きくなっているので、大人数同一カリキュラムよりも、少人数ゼミもしくはマンツーマン形式が理想でしょう。その人その人に合わせた、無駄のない学びが得られるからです。

 

なぜ勉強が終わらないのか

 

大きく2つ。それは「好奇心が止まらなくなってしまったから」と「不安から」です。まだ知らないことがあるのではないか、大事なことが抜けているのではないか、という不安です。

勉強ばかりしてしまっているな、と気付いたら、自分の心に問いかけます。その原動力が「好奇心」なのか「不安」なのか。好奇心の場合は、ワクワクに従っていくことで自分のやりたいことにぶつかったりするのでまだ健全ですが、「不安から」の場合は、注意が必要です。不安には終わりがないからです。

とは言っても、不安な人に、「それでいいから出しちゃえ」と言っても乱暴です。なにか良い方法はないですかね。成功したいとか、よく見られたい、という気持ちを手放せるといいのですが。評価されるかどうかは、自分ではコントロールできないことなので、いっそあきらめてしまうと楽になります。

「もし下手だって言われてもいいじゃん、それが今の自分の精一杯だし。それでも価値を認めてくれる人は必ずひとりはいるはず」

これは生まれ持った性格も大きいと思いますが、「そのままの自分でも十分価値がある」と思えているかどうか。欠けているものなど基本的にはない、という感覚がもてれば、「足りない」のループから抜け出せます。

まず思い切って翼をもって上昇すること。そして上から本当に必要なところを見極めて、そこに根を張り地力(勉強)をつけること。そしてまたすぐに翼で上から俯瞰する。翼と根。この両方をバランスよく使えればいいですよね。

 

 

(3323字)
PHOTO: Krysthopher Woods


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。