いろんな物やサービス、いつでもつながれるネットワークがある今、私たちは無意識のうちに刹那的に寂しさを埋めてくれたり自分の問題を責任転嫁できるようなツールに流されたりしがちです。でも、そのツールに自分の身を預けてしまうと、いつまでも自分から逃げ続けることになる。
TOOLS 75
“東京暮らし”で沁みついた“依存心”と向き合う
上野 真由香 ( ライター )
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自由に生きるために
無意識に依存してる物や人との距離をしっかり取ろう
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今まで、自分のパドルで進んでなかったことに改めて気づく
前回のTOOLSエッセイを読んでくださった方々から、「もう体は大丈夫なの? 」という反応を頂きました。ありがとうございます。
大丈夫、元気です。
病名がついたときから “ステロイド” を半年くらい服用していたのですが、それ以降は定期的な検査のみで薬も飲んでおらず、病状がぶり返すこともありません。
今回は、病名がついたことをキッカケに “東京暮らし” を見直し始めるときの葛藤を振り返ります。
この “ステロイド” という薬、副作用がかなり強く出ます。人によってその症状は様々で、私の場合は食欲増進 → 肥満でした(涙)。ただでさえ肉付きのよい私が、ステロイドを服用してからあっという間に8kg太ってしまったのです……(号泣)。
※ちなみにその8kg、今はもうありません。むしろ少しずつ減量できています。大丈夫、私は元気です (笑)。そしてもっと元気になるために、日々牛歩並みですが体と心を鍛えています。
“ステロイド” を飲み始めてすぐ、無性に食欲が抑えられない自分がいました。もう、朝起きた瞬間からラーメンが食べたい(笑)。そして我慢できずストック買いしてある袋ラーメンを鍋で茹でることからスタートする日々。この期間は自宅でできる仕事しかしていなかったことと、極力外出したくなかったのでほぼ3食自炊していたのですが、朝のラーメンに始まり毎食力任せに作って力任せに食べ、昼も夜もごはんを食べた後に必ず何か間食をしないと気が済まず、何故か無性にクラッカーの “リッツ” が食べたくて、毎日1袋完食。さすがに体は動かさないと、と思い帽子をかぶってマスクをして1~2時間のウォーキングを日課にしていたものの、力任せに食べていれば太るのは当たり前。
太るとわかっていても食べることを抑えられない。
ステロイドを飲んでいないときもこの感情はしょっちゅう抱いていたけれど(笑)、ステロイドを飲み始めてからは手がつけられないほど食欲増進が顕著でした。薬という外側から取り入れたものに自分がコントロールされている感覚、そしてそのコントロールにまんまと操られている自分がたまらなく嫌いでした。前回書いた“東京的”な考えを改めようと思っているのに、改めようとする過程でまた外側から取り入れる “薬” というツールで解決しようとしているのって、全然自分の心の声を無視してる、と。病気だと診断された以上もちろん医者の指示に従わなきゃいけないというのが普通なのはわかる。
「でも、もうこれ以上、薬(他人)にコントロールされたくない! 」
そんな心の声を無視して薬を飲んでいる自分を認めたくもなかったので、食欲がすごくなって食べ過ぎていると自覚してからは自分のことを鏡で見ることはほとんどありませんでした。でもある日。ふと鏡を見てしまったとき、想像以上に太った姿の自分が映りました。
「うわぁ…… アゴが二重になってる!! 」
私の心が叫び始めました。
――これは私。本当に私?
病気だと診断されてそれを治すためにステロイドという薬を飲んだ結果、病気の症状は良くなっているものの副作用として食欲が増進し肥満になった。自分を責め続けて病気になった私を外側から取り入れる化学物質で治せたとして、この太った体を引き換えに病気を治すのって、なんか違くない? 太った体で「病気が治りました」とは言えない。健康とは言えなくても病状自体は収まるんだから副作用はしょうがない? 薬ってそういうもの? 薬によって湿疹が収まっても、肥満になった自分に不快感を感じるなら、病気が治っても全然嬉しくない。元気になんてなれない。
私は自分を責め続ける自分を治したい。
体が出したサインを受け止めて、もうこれ以上外側に頼りたくない。
外側に頼ることほど不安定なことなどない――
物に頼ること、他人に頼ること、その物や他人がないと生きていけない、自分が保てないという状況は依存であり、何かに頼ることで得られる安心は人をどんどん怠惰で依存的な思考にさせます。その“安心”という蜜につけこむ商品やサービスで世の中は溢れていて、知らずのうちにその安心が手放せなくなり、その安心を手に入れることで思考を停止させどんどん外側に依存するようになる……。
薬もそう、人間関係もそう。今まで当たり前に自分のパドルで漕いできたと思っていたけれど、実は他人に自分のパドルを受け渡して漕いでもらってたことが多かったんだと気づき、自分から逃げていたことを受け止められました。
そうやって何かに頼って(依存して)いる限り、どうがんばっても私の病気は治らないだろう。私の病気は私が生み出したものだから、薬に頼らず私の力で治したい!
太った自分を目の当たりにして、こう強く思いました。
そして、本当はいけないのだけれど、ステロイドを飲むのを止めました。正確に言うと、ステロイドは急に飲むのを止めるとそれはそれで副作用が出て危険なので、勝手に徐々に減らし、勝手に止めました。大量に余ったステロイドを捨てたとき、嫌な自分も捨てられた気がしました。この期間中も定期的に病院で血液検査をしていて異常がなかったので、自分の感覚を信じてとにかく“東京的”な考えから抜け出し、今まで当たり前になっていた閉塞感を手放せるような “東京暮らし” を始めたんです。
自分の問題を直視できず、物や他人にすり替えることで自分から逃げていた
当時の私は “ステロイド” という物に頼ることで自分に起こった問題を解決しようとしていましたが、生きていく中で何かしら自分に起こった問題を物で解決しようとしたり、他人に依存したり他人をコントロールしようとすることで自分の問題から逃げていることって、すごく多いなぁと思っています。
もちろん状況によっては物や人に頼らざるを得ない場面が多々あるでしょうし、人間だれしもひとりながらひとりでは生きていけないのだから頼ることを否定するわけではないのですが。
“何かに頼っている自分” をちゃんと自覚していないと自分軸がなくなって流されてしまい、自分の心の声よりも何かに頼っている自分を優先させることでいつのまにか物や他人と自分を同一化してしまう。同一化することで自分の問題が解決したような錯覚に陥るんですね。
でも、物や他人に頼っているもしくはバランスを取っている場合、自分の問題は解決していない。自分の問題は自分と向き合って自分の中から出てきた答えをもとに行動していかないと、永遠にその問題は自分につきまとうんだと気づきました。
例えば、嫌なことがあったからとお酒を飲めば、その瞬間は嫌なことを忘れられる。誰かに必要とされることを実感したくて相手に合わせるばかりの人間関係を築けば、自分の弱さや寂しさが埋められるような気がする。結局自分から逃げるツールを使うことは、すごく刹那的なんですよね。
私は今でも自分の問題を他人に投影することで逃げようとしてることに気づきハッとすることがまだまだあります……。それに気づけるようになっただけでも少しは成長しているのかなと思いつつ、どんなに目まぐるしく変化していく周りの中でもゆるぎない自分の足でもっと力強く立てるように、いつも依存心に気づいたら点検するようにしています。
“ その物や人が自分にとって本当に必要なのか、なぜ必要なのか、それを失っても生きていける自分であるか ”。
依存することで楽になることもあるけれど、本当に自分の心の声に従って行動できたとき、依存心からの行動よりもずっと開放的で自由で爽快な感覚を手に入れることができる。
それを体感すると、物や人に頼ることで自分で自分を縛っていたんだなぁ、実は自分のことを大切にしてなかったんだなぁ、と自分に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
いろんな物やサービス、いつでもつながれるネットワークがある今、私たちは無意識のうちに刹那的に寂しさを埋めてくれたり自分の問題を責任転嫁できるようなツールに流されたりしがちです。でも、そのツールに自分の身を預けてしまうと、いつまでも自分から逃げ続けることになる。どこにいても自分のパドルで人生を進めていると胸を張れるように、依存心に敏感になることは自由になるためのキッカケだと、私は思っています。
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自分の悩みや問題に立ち止まったら 1. 物や人に頼りすぎていないか振り返る 2. 自分と物、自分と他人の境界線をはっきり引く。同一化させない。 3. 何にも左右されず自分の意志で行動したからこそ得られる自由な感覚をたくさん体感できるようにする |
東京で生まれ育ったライター上野真由香さんが
東京でも無理なく心地よく暮らせる方法を考えていくエッセイ
TOOLS 73 “東京疲れ” を無視していたら私が壊れた
PHOTO:Ah Young Jo